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第136話 進む者、残る者

 まったくもって最悪の状況だった。

 ようやく潜入した宮殿。あとは本丸まで一直線というところにこれだ。


 いや、妨害を想定していなかったわけじゃない。

 皇帝となったからには、当然、寝室を守る兵がいるのは想定できたし、もしかしたらイレギュラーかもとも思った。


 けどまさかここでこの2人とは

 黄飛鴻ウォン・フェイホン。中国武術界での最強格の1人。


 そしてこの男。スパルタクス。

 古代ローマにおいて最強の剣闘士グラディエーターとして名を馳せ、後に反乱を引き起こす。その反乱はイタリア各地で奴隷の反乱を誘発し、十数万の兵を率いてローマ軍を何度も撃退。しかし最終的にはあのカエサルと三頭政治を行ったポンペイウス、そしてクラッススに敗北。戦死した。


 スパルタクスにおいては、その反乱を率いた将としての強さを認めるより、その個人としての武技を脅威としてみるべきだろう。十数万を率いたといっても、それはあくまで奴隷の兵。ある程度の駆け引きはできただろうが、兵法を学んだとは思えず、数の暴力で勝ったという見方が大きいと思っている。

 それにそのころのローマは外に手を伸ばし過ぎていて、本土のイタリアには強兵はいなかったと見れる。剣闘士グラディエーターによる仕合い、奴隷による豊穣という特権階級をほしいままにするローマ人ばかりが相手なら、それほど強くもなかっただろう。


 いや、そんなことは今はどうでもいい。

 相手は部隊を率いているわけじゃない。相手は1人だ。

 だがそれが逆に恐ろしい。


 あのスパルタクスが、死ぬか引退まで戦い続けるかしかない剣闘士グラディエーターで生き残ったあのスパルタクスが、こうしてここにいる、1人で戦う意思を示しているというのは、戦いに全力をつぎ込むということでそれは脅威なのだ。

 呂布や項羽とは違った意味で恐ろしい。


 ただ、そこはやはりというか。

 どこか思ってしまう。


「本当に、スパルタクス?」


 そう思わず問いかけてしまったのは、金髪のこの青年が――いや、もうはっきり言おう。認めたくないけど、これ以上ないほどのイケメンだ。流れるがままにした金髪の無造作ヘアーに整った顔立ち、なによりすらっとした体躯は鍛えられたことは分かるほどには筋肉が見えている。細マッチョというべきか。

 ハリウッドのイケメン俳優と言われても頷くしかないこの男。

 けど違う。僕の中のスパルタクス像は、こう筋肉がムキムキで、ボディビルダー風というか。それでいて剣闘士グラディエーターなんていうのだから、ボクサーみたいに顔が腫れるか、鼻か耳がつぶれるくらいのことはあるだろうと思っていた。


 なのにこの涼やかさはなんだ。


 体の大きさに反しての圧迫感はなんだ。


「意味はあるのか?」


「え」


 逆に問いかけられ、何より先ほど聞いた声と同じなのに、まるで初めて聞いたような、歌い上げるような声に驚いた。


 スパルタクスは突っ立ったまま、だが悠然とした様子でこちらに答える。


「この俺がスパルタクスかどうか。そこに何か意味はあるのか?」


「いや、それは……」


「では仕合おうか」


「え?」


剣闘士グラディエーターが闘技場にいる。ならば戦うしかなかろう」


 あまりに急すぎる。今までのどこか静かな感じから、一気に闘志をむき出しにした。

 スパルタクスが腰に差していた剣を抜く。この世界ではありきたりな直刀ソードだった。武器を支給されるしかない剣闘士グラディエーターからすれば、与えられた武器が自分の武器なのだろう。


 それに反応したのは皇帝を除く8人。


「ラス、アイリーン、マシュー。皇帝を守って。千代女は体術でかく乱、八重は遠距離から狙撃。小松と誾千代はスキルを温存して、なるだけ相手からの出方をうかがって――」


「イリス、待って」


 と僕が指示を出していたところに待ったが入った。

 誾千代だ。


「どうした、誾千代」


「あの男。イリスは知ってるの?」


「……ああ、はるか昔の英雄だよ」


「強いのね」


「タイマン……一対一ならほぼ最強。たぶん無敗」


「なら出し惜しみしてる場合じゃないでしょ。相手はあと3人いるんだから」


「え?」


「四天王とか言ってたじゃない。うちにもいたわ。武勇を誇るだけの馬鹿が4人。お隣の肥前にね」


 あ、五人揃って四天王の代表格、龍造寺四天王。


「ならこの後、こいつと同等の奴らが3人いる。しかもあのフォンとかいうやつも含めて。なら、ここでの戦い方はそうじゃない」


「じゃあどうしろって」


「使い潰せって言ってんの。敵は4人。こっちは千代女、八重、小松にわたしを含めて4人。数ならちょうど合うでしょ。それに時間もない。ならここは私に任せて先行きなさい」


「無茶だ! あのスパルタクスに1人だなん――でっ!」


 痛みが来た。ボディを殴られていた。

 もちろん本気じゃない。けど、どこか重みのある一撃。


「あんた、私たちを舐めてるでしょ。私があんな美男子……いえ、旦那には全然劣るけど!? に負けると思って?」


「それは……でも、いいのか?」


「皆承知済み。どうせイレギュラーとか出てくるだろうから。先に私たちが戦う。そして皇帝とイリスを行かせる。そう決めてたのよ」


「そう、なのか」


 僕は千代女、小松、八重を見渡す。

 皆、僕の視線を当然のものとして受け止め、そして頷いた。


 彼女たちは覚悟している。

 自分が捨て石になることも。


 不安はまだ残る。

 相手はあの黄飛鴻ウォン・フェイホン。そしてスパルタクス。

 さらにあと2人もいるが、そのどちらもこのビッグネームに並ぶとも劣らずのタイマンのプロフェッショナルに違いない。

 誾千代たちを疑うわけじゃないが、タイマンに特化された彼らに比べるものではないと考えるとやはり不安だ。


 けどここで彼女の意志を断るほど、僕は自信があるわけじゃない。

 何より彼女が言うように、時間がそうあるわけじゃない。

 皆で一斉にかかって、瞬殺できればまだいい。だが相手はスパルタクス。確実にそれは無理だ。そうなればこちらも消耗し……いや、負ける可能性だってある。


 だったら1人を当てて先に進む。

 その1人は捨て石となって敵を食い止める。そうなれば負けてもいい。それだけ僕らが先に進めるということだから。


 けどそうなった時に待つのは絶対の死だ。

 そんな過酷な状況に彼女たちを追い詰めるなんてできやしない。ましてや彼女たちは僕を最後まで行かせることを前提としているから、僕が捨て石として捨てられることはないということもあって。


 けどだからこそだ。

 そこで切り捨てる。それが将として、代表としての判断。冷酷と言われようと、人でなしと言われようと。時にはそうしなければならないのが上に立つ、判断する者のすること。


「……分かった。じゃあ任せる」


「ん、任された」


 誾千代はまるで明日の約束を取り付けただけのように、自然に、軽く頷く。

 それが僕の心をどれだけ救ったか。


「皆、行こう」


 誾千代の覚悟を感じ、皆が無言でうなずく。


 そしてそのまま走り出した。


 その僕らの行動に、スパルタクスは――


「…………」


 無言で見送った。顔を、視線を向けることなく。

 すでに視線は誾千代だけに注がれて、僕らには興味がないようだった。


 だから行く。

 彼の奥に、先ほど黄飛鴻ウォン・フェイホンが消えていった扉へ。


 閉まる扉。

 その寸前。ふと振り返った先にいた誾千代と目が合った。その目は笑っていた。気がした。

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