挿話82 呂布(ゼドラ国将軍)
単騎走る。
そんなことはいつ以来だろうか。
息子同然に育ててくれた丁原に仕える前。并州の原野を独り走ったのを思い出す。
赤兎と共にだと、そうはなかった。陳宮に張遼、高順。何より貂蝉がいつも傍にいた。
だからこそ今。どこか解き放たれたように感じるのは気のせいではないだろう。
「お前もそう思うか」
赤兎に話しかける。すると赤兎は嬉しそうに小さくいなないた。
ただその時間はそう長くはなかった。
前方から軍勢。その先頭にいる男に気づいたからだ。
「呂布」
白起が馬を寄せてくる。なぜ俺がここにいるのか。なぜこの男がここにいるのか。
敏いこの男には即座に分かったのだろう。
「先に行け」
そう配下に伝え部隊を移動させると、白起はこちらに向き直った。
「すまんな。俺はここまでにしておく」
「そうか」
それだけで終わりだった。
白起は顔色を変えない。それ以上の言葉は無用だった。それが白起だった。
「項羽、為朝。そしてお前も離れるのだな……」
だからその言葉には少し驚いた。
この男は血も涙もない、冷血漢であると常々思っていたからだ。
「お前もそろそろ腹をくくれ。この戦い、ゼドラの負けだぜ」
「そうかもしれんな」
「本来ならそうはならなかった。だがあいつが全てを変えた」
「イリスか」
「そうだな。いや、そうだと思いたいだけなのかもしれないな」
俺に傷をつけた女。そんなの、これまで誰1人としていなかった。だからこそそう思いたかった。
これまで、どこか俺たちは過小評価していたのではないか。白起も気づいたのはここ最近。だからこそあの女を狙った策を講じたが、それも全て跳ね返された。
とんでもない女がいたもんだ。だからこそ戦は面白いとも言える。
「行けよ、敵が来るんだろう」
「ああ。巴と合流して態勢を立て直す」
「早くいけ。さもないと、不名誉なことが起こるぜ」
「……さらばだ」
「ああ」
それで終わりだった。
あの男がここまで負けを意識するとは。いや、まだ負けてはいないのだろう。あの男はそれでいい。
そして俺も。
去っていく白起。
そして反対側から白起を追う連中がいる。多い。5千以上はいる。その後ろからも同等かそれ以上。
1万数千か。
対するこちらは俺1人、そして赤兎。
絶望的な戦力差だろう。
――常人ならな。
「では行くか赤兎。奴らに俺たちの前に立つ意味を教えてやろう」
赤兎がいななく。
気合十分。ならあとはいくのみ。
走り出した。方天画戟を構え、突っ走る。
敵の先頭。見える。どこかで見た顔の男。薄い青の羽織がひらひらと揺れるのがうざったらしい。
「全軍止まれ! 迎撃、鉄砲用意!」
バカが! そんな暇など与えるか!
俺の意志をくみ取った赤兎が飛んだ。文字通り空を。
眼下に呆気にとられた表情の兵たちが見える。愚かにも呆けた顔で佇む塵芥ども。
「散れっ!!」
急降下した。そのまま矛を叩きつける。吹き飛んだ。人体がばらばらになって降り注ぐ。その手足が他の雑魚にぶち当たり、それがさらに被害を広げる。
赤兎が跳んだ。今度はわずかな跳躍。ただ俺もそうしたいと思っていた。赤兎と意志が通じ合う。それが何より誇りだ。
着地と同時に数人を斬り飛ばした。さらにもう一振りで狙って来る愚か者を叩き斬った。それだけで敵は及び腰になる。そうなればあとは木偶だ。つまらん。あのイリスほどの人間はもういないのか。
いや、先ほどのあの男。羽織の男はどこだ。
「呂布っ!!」
来た。生きていた。羽織の男。突きが来る。だが遅い。
振り向きざまに矛を薙ぎ払った。地面を来る男の姿。それを真一文字に斬り飛ばした。
はずだった。
「しゃらくせぇ!」
「なに?」
死んでない。斬った男の後ろから、また別の男――いや、同じ羽織の男が飛び込んできた。
「ぬぅ!!」
振り切った矛を途中で停止させ、同じ軌道で振り戻す。だがそれを跳躍でかわした男は、上段に振り上げた剣を叩きつけてくる。こちらは攻撃を回避されて懐ががら空きだ。だが焦る必要はない。
赤兎が前脚を上げ、くるりとその場で跳ねるようにして回転した。それによって男の斬撃は空を切る。
「なにっ!」
つんのめったように地面を叩く男の背中に矛を叩きつけようとするが、それを男は前に転がって回避する。すばしっこい奴だ。
だがこれで終わりだ。
男は背中を向けて片膝立ちになっている。そこから俺の攻撃を避けらるには3つほど呼吸が足りない。
だから男の背中を突き刺そうとして――
「赤兎っ!」
赤兎の首を抱いて思いっきり体をよじった。
背後から爆発音。銃とかいう兵器だ。
一直線に弾を飛ばし殺傷する武器。だが来る方向と時期が分かれば避けるのは容易い。弾込めに時間がかかるとも聞く。
項羽はそれにやられたらしいが、ここは敵のど真ん中。同士討ちを避けるためにそう連発はしてこないだろう。
ただその隙に、羽織の男は態勢を立て直してこちらに刀を向けている状態になった。おそらく今の銃撃はこの男を助けるための牽制と見るべきか。
「迂闊だぞ、土方!」
銃を持った男が叫ぶ。あれも前の帝都攻めで見た顔だ。
「うるせぇ! やるならさっさとやりやがれ!」
「は? てめ、高杉様になにナマ言ってんの? ぶっとばすよ?」
「タカスギ、いじめる許さない」
「おい、高杉! お前の取り巻きの女どもどうにかしやがれ! やりにくくてしょうがねぇ!」
「ほぉー、あの鬼の副長に弱点か。やはり男は女に弱い。まさに真理だね!?」
「ごちゃごちゃうるせぇ!」
この男たちには緊張感がないのか。もういい。殺そう。
そう思った時だ。
言い合っている、後から現れた男の横にいる少女――ひらひらした服を着た方ではない、薄い藍色の髪の毛をしたまだ10代前半ごろの少女だ。
「…………」
その瞳がこちらを見ている。
そこにあるのは恐怖か怒りか羨望か恩讐か。
どこか興味深いその少女。
その瞳に吸い寄せられるように、俺の意識は――赤兎がその足を踏み出した。




