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第124話 愛おしさと虚しさと心弱さと

 斬った。

 間違いなく。


 呂布の体に食い込む薙刀の刃。

 けど命に至ってはない。手応えで分かった。


 それでもそれ以上、斬りつけようとは思わなかった。

 見事だ。そう言った時の呂布の声。顔。瞳。それが僕の動きを止めた。


 何より気になる単語がそうさせたというべきか。


貂蝉ちょうせん?」


 呂布で“ちょうせん”と言えば貂蝉ちょうせんだろう。

 呂布の恋人でありつつ、彼女の父と共に呂布と主君で義父の董卓とうたくの仲を裂き、董卓を殺させた美女。ただし正史にその名はなく、三国志演義上での架空の人物とされているが、そういう人物がいたという説もあるという謎の女性だったりする。

 その彼女の名を彼が呼んだ。

 それが僕の動きを止め、心が止まった。


「俺の女だ。亜夫あふを討つ。そう決めた時のあいつの眼。お前と、琴の瞳にそれを見た」


「…………」


 言葉は出ない。

 それが何を意味するのか。それは触れてはいけないような気がしたから。


「そのお前が敵に回り、琴は降ったもののやはり敵に回った。それが琴を殺した。いや、違うな。それは言い訳だ」


「裏切りは許せない?」


「なにを今更。俺は呂布だぞ」


 それもそうか。

 呂布といえば裏切りの代名詞。丁原ていげんを裏切って殺し、董卓を裏切って殺し、劉備を裏切って追放し、最期は配下に裏切られて死んだ。

 その呂布が裏切りを許さないなんて笑い話だ。


「僕がその貂蝉ちょうせんと似ている。だから僕の一撃を受けた?」


「そこまでお人よしにはなれん。お前は似ているが貂蝉ちょうせんではない。貂蝉ちょうせんではない者に手加減を与えるほど俺に器量はない」


「そう……」


「だから最後のはお前の実力、そして俺の驕りだ。あの異能に頼り過ぎた。そして赤兎に甘えていたな。すまなかった赤兎」


 赤兎馬のたてがみを撫でると、ぶるんと赤兎馬が鳴く。


「1つだけ聞きたい。お前、貂蝉ちょうせんを見なかったか」


「……いや、そういう人は」


「そうか。貂蝉ちょうせんはこの世界にはいないのか。これだけの人間が集まって」


 そう寂しそうにつぶやく呂布が、どこか意外だった。


「ならばもうこの世界に用はないな」


「なにを……」


「義理を果たす男が1人いる。悪いがお前にここで討たれるわけにはいかん」


「それって……」


 白起か、と問おうと思った。

 なぜあそこまで白起に尽くすのか。それが謎だったから。


 だがその声をだすことはできなかった。


「ごふっ」


 胸の奥から沸き上がる何か不吉なもの。

 最近、小康状態を保っていたから油断した。あるいは軍神スキルを無理やり使ったことのリバウンドか。


 口内に血が満ちた。こらえきれずに吐き出す。

 体から力が抜け、膝をついた。倒れなかったのは、咄嗟に薙刀の石突きを地面に突き立てたからだ。その薙刀を保持するのも難しくなる。

 動けない。


やまいか」


「そういう……」


「まぁ。いい。ではな、イリス。楽しかったぞ」


「待、て……」


 見逃された。この状態の僕なら呂布なら一撃だろうのに。

 それでも屈辱はない。

 あるのはもう少し、彼と話をしてみたかったという気持ち。それだけ。

 怒りは急激に冷めていた。琴さんが死んだことは悲しい。けどそれはこの戦争という最悪の状況における、ありあまるほどの一般的な物事に過ぎない。

 そう割り切る。それができればいい。けどそうはいかないのが人の心の難しいところ。


 けど。今の呂布とのやり取りは。

 どこか気安く、なんのしがらみのない雑談のようで。

 あるいはそういう世界線もあったんじゃないかと思ってしまうわけで。


 けど現に僕と彼は敵対し、大事なものを失ってまで殺し合い。そして今。1つの別れが来ようとしている。

 というかあれは本当に呂布か? 呂布ってもっと荒々しくて脳筋で気に入らなければ手に出る筆頭だと思ったけど。そういや文官出身って話もあるくらいだから、あれが本当の呂布なのかもしれない。そこは分からない。今の僕にはどうでもいいことだった。


 とにかく、その別れを僕は見ることがないだろう。それが良いことなのか悪いことなのか分からないけど、少なくとも今の僕には文句を言うことはなにもなく。


 そうして、僕は呂布と赤兎馬の走り去る後ろ姿を見送りながら、ふと視界が暗転して――

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