挿話81 中沢琴(新徴組・組士)
「当初からの、予定通り、だって?」
「ああ。そういう話だ」
「ではイリスは殺さないというのは……?」
「そういえばそんな話もしていたな。だがそれ以前の決定事項だ。そもそも、助けるという条件を蹴ったのはそいつだ」
「助けるとしても、その後に殺す運命を虚構に飛ばすつもりはなかったのだろう?」
「さぁな。だが、あの男の性格だ。殺すといったら殺すだろう」
白起。
そうなのか。
許せない。やはり。あの男。
言葉を空に操り、人の心を弄ぶ。
「お前らにあるのは、俺に殺されるか。それともなます切りにされるか。二つに一つ、だ」
呂布が戟を構える。その姿はまさに魔神。断罪を前にした仁王の如く。
「イリス」
「琴さん……?」
イリスはどこか呆然とした様子でこちらを見返してくる。
ああ、どうして。
どうしてこうも彼女のことを愛おしく思うのか。
思えば、自分は兄上に迷惑ばかりかけてきた。
子供の時分からやんちゃをしては兄上が収拾してくれた。意志が通じないと気味悪がられた周囲をなだめてくれた。浪士組に行くのも元は兄上だけで、僕はとどまって両親の手伝い。そしていずれはどこぞへ嫁ぐことになったはず。
だがそれを蹴って兄上についていった。なんてことはない。僕は重度の兄依存症だったわけだ。
だから兄上が江戸に帰ると言った時も、土方殿との別れを承知で付き従った。
新徴組で府内(江戸)の守りを続けたのも兄上がいたからだ。
そんな依存にまみれた自分に芽生えた。
彼女を守りたい。
自分より年下で、自分より小さく、自分より力はない少女。
きっと兄上もそう思っていたに違いない。
自分より年下で、自分より……小さくも力もなくもなかったが、それでも家族だ。それだけで兄上には十分な理由だったのだろう。
それなら僕も同じだ。
彼女のまっすぐな心。強さを歯にかけず、自らの意志に忠実で純粋。
そんな彼女を、僕は家族のような想いで、妹のような思いで見ていたのだろう。
それは兄上の心と同じ。
慈愛の心。
「イリス」
だから呼びかける。彼女に。僕の大事な妹に。
決別の言葉を。
「さようなら」
「え?」
驚愕に見開いた瞳。
「烈神風封界」
途端、イリスの周りに風が起きた。
疾風が巻くようにイリスの周囲を取り巻く。
風の壁にイリスの姿がぼやけて見える。
声は聞こえず。姿も見えず。
これでいい。イリスには見てほしくない。
僕の最期を。
「また寝返りの算段か?」
「違う。僕が守る。その決意表明だ」
「……ふん。しゃらくさい」
それからのことは断片的にしか覚えていない。
どうせもうすぐ露と消える命だ。どうでもいいことは覚えていなくていい。どうせなら楽しい思い出。イリスや、土方殿との思い出と共に逝きたい。
楽しかった。彼女との思い出。
辛いけど本当に楽しかった。
何より、僕を受け入れてくれた。
武に驕り、闇に魅入られた愚かな僕を。
彼女たちは受け入れてくれた。
そしてまた土方殿に会せてくれた。
それだけで……満足だ。
「ふっ、ふははははは! 素晴らしいぞ、琴! さすがは俺が見込んだ瞳の持ち主だ!」
「そう、かい……」
体が重い。
今自分がどうしているのか、何が起きているのか分からない。
それでもどこかやり切った思いがある。
全てを出し尽くして、イリスの脅威を潰しつくした達成感がある。
……さすがにこの男には届かなかったが。
ふとイリスの方を見る。
まだ風が取り巻いて、ぼやけてしか見えない。
いや、あるいは。視界がすでに光を失いつつあるのか。
あぁ。最期にちゃんと。
彼女を見て、彼女に触れて、彼女を抱きしめていたかった。
でもお別れは言えた。
しっかりと、彼女の瞳を見て。
一方的に告げるのは、ちょっと卑怯だったかもしれないな。まぁ許してくれ。
「あとは、頼んだよ……イリス」
呟く。
ああ、これだ。きっと兄上はこの心地でいた。家族を守れたこと。
心残りは土方殿だけど……あれはもう半年前に別れを告げた。そういえばそれもこの辺りだったのだろうか。その時、一緒に彼女にも別れを告げていた。
2回もさよならを言えるのは。それはちょっと面白い。
そんなどうでもいいことを考えていると。
衝撃が体を貫いた。




