第114話 盤上戦
迷っている時間はない。北から呂布。それ以外の3方向からも敵が迫ってきている。
白起はどこにいる。普通に考えれば呂布が部隊を割って四方を包囲したと考えるのが自然だけど……いや、普通じゃないな。呂布はそういう用兵をしないから呂布なんだ。
だとすると白起はいる。
いるはずだ。
「イリス、どうする。結構ヤバい!」
誾千代が焦った声で叫ぶ。
こちらは騎兵で1千ちょい。相手は4千か5千。それがそれぞれの方角から来ているから最大で2万ほどの動員ということになる。
それほどの数が帝都を出るのを見逃したのか。
いや、いつも帝都を見ていたわけじゃない。僕らの拠点から帝都はそれなりに離れている。常時監視というわけにはいかないから、少数ずつ外に出して合流されれば見分けがつかない。
失態だ。それくらい、考えられたのに。
1つだけいいことがあるとすれば。ラスはこの包囲の外側にいる。だからそのまま逃げてくれれば彼女は無事……なんだけど、僕を助けに5千ちょいで突っ込むくらいのことはしそうで怖い。
頼むからこっちは大丈夫だから無茶はしないでほしい。
そう願う間にも、周囲を囲むように敵が展開する。
一番気になっていた北の呂布も、展開こそしないがこちらの動きを封じるように佇んでいる。
「イリス、どうするの。抜けるなら今」
「いや、誾千代。抜けるのは包囲が完成してから」
「何を悠長な。そんなことを言って――」
「誾千代、敵は攻撃してこない。もしそうなら、すでに呂布が来てる」
「あ……何をあんなところで止まって」
そう。呂布が止まっている。わずか300メートル。赤兎馬ならひと駆けだが、それでも即の行為ではない。
周囲の兵も同じ距離をして僕らを囲んでいる。
考えたのは僕を囮として使うこと。
僕がこうして完全包囲されてしまったことを土方さんたちが知れば、それを助けにここに急行してくるだろう。
ゼドラ軍は帝都周辺の兵を吸収したから少しは兵数が回復しているはずだ。ローカーク門ではこちらの方が兵数は勝っているから、ここに土方さんが到着すれば兵数は互角。
十分に勝機はある――
「――なんてことはないんだ。この状況はひどくマズい」
「なんで、イリス? あの土方ってのが来ればなんとかなるでしょ」
「そう問題は簡単じゃないんだよ。土方さんらが僕らの状況を聞けばどうする?」
敵がすぐに攻めてくることはない。それが分かったからか、逆に誾千代や兵たちは腹をくくったようだ。
「そりゃ、もう。すぐに助けに来てくれるはずよ」
「そうだ。僕らはイース国とキタカ国の兵。それが窮地にいると分かって見殺しにすれば、帝国の威信は揺らぐからね」
「でもなんでそれが? スキピオのおっさんも来るし、大丈夫でしょ」
「だからだよ。だから土方さんらは絶対に僕らを見捨てない。見捨てないってことは、こっちに急行してくるってこと。けど考えて
みてよ。土方さんらとスキピオは、それぞれ軍を率いて別の砦を攻めてる。そこに僕の窮地を知ってこちらに駆けつけた時、どうなると思う?」
「あ……場所が違うから時間差で」
「そう。この緊急時に土方さんとスキピオの軍が合体してここに来ることはほぼない。そうなれば、ゼドラ軍とすれば、各個撃破できる兵数差になっているってこと。それを2回やって、あとは包囲した僕らをじっくり締め上げればゼドラの勝ちさ」
「なにそれ。じゃあ私たちに勝ち目はないってこと……?」
確かにそうだ。この状況がそのまま推移すれば負ける。圧倒的に。
けどそれをしないからこそ、僕みたいなのがいるんだ。問題は僕がその餌に成り下がってしまったこと。だからここから逆転するには、色々な要素が重なり合って、運命的に奇跡的にタイミングがかち合う必要がある。
要は運。
博打だ。
けどそもそもが、この状況でゼドラ軍に勝とうって話だったんだ。帝都に籠った時点で、ほぼ相手は崩すことのできない銀冠穴熊。
なんとかそこから引っ張り出せたわけだから、こちらに不利になることも十分にあり得た。
その状況。孫子的に言えば、人を致して人に致されず。今は敵に行っている流れを、もう一度引き戻す。
それができるのは――
「誾千代。敵が動いた時が勝負だよ。雷切のスキルで敵の包囲に穴をあけて、一気に脱出。外の軍勢と合流して、そのまま相手の殻を打ち砕く」
包囲は兵数差が出やすいが、その分、遮る壁は薄い。一点を突破してしまえば容易に抜けられるし、一度外に出れば、その殻のような包囲陣を何度も突けばいずれは破裂する。
もちろん問題は白起ほどの男がそれを知って対策を打たないわけがないということだけど。
「なるほど、やっぱ負けることなんか考えてないよね」
誾千代が好戦的な笑みを浮かべる。
肌にツヤも出てきて、どこか魅力的に映った。
「で、どこに穴をあけるの?」
「南だ。最初に行く手を塞いだ」
「あっちね」
「あそこに白起がいる。多分」
「ぶっ、敵の総大将に雷切ぶっ放せって!?」
「だからこそ、だよ」
白起のスキル。その効果の全容は分からないけど、そこを狙うのが一番効果的だ。
そう思っていると、
「敵軍動きます! いや、一騎!?」
報告が響く。
見れば今僕が向いた方向。南の部隊から一騎がゆっくりと。こちらに向かって馬の足を進ませている。
乗っているのは、誰だ。小柄で馬の頭の影に隠れてあまり見えない。いや、見えた。それは馬の左右から見える、風に揺れる服の断片。
桃色に映える彼女の着物。それは1年とちょっとだけど、いつも見てきた。いつも一緒にいた。いつまでも一緒にいられると思った。そのはずだった。
それが失われたのは4カ月前。
正直、僕はあの時にことをまだ後悔している。
なぜ彼女を独り残したのか。それ以外に方法があったんじゃないか。それを思わない日はなかった。
それは彼女が生きていると知った後でも同じだった。
できればもう一度話をしたい。
けど敵として戦いたくない。
その背反した、けれども同じ根底から生まれる想い。
それをいつ。どこで。どう放てばいいのか。もんもんとした気持ちが、今変わった。
「琴……さん」
近づいてくる中沢琴に、僕は呆然とつぶやいた。




