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第98話 後処理と末期と

 一部の兵を除いて、僕らは陣へと引き上げていった。

 一部というのは、亡くなった兵たちの埋葬のためだ。すでに7月も半ばに入っていて、夜も暑い。そんなところに遺体を放っておけばすぐに腐る。腐臭をまき散らし、それを嗅ぎつけた野犬や鼠といった疫病を媒介するものを集めてしまう。

 それをこの帝都近く。人の往来の激しい場所に放置してよいなんてこともない。

 項羽の遺骸は、彼の死で完全に戦意を喪失したゼドラ軍の生き残り数十人に運ばせた。彼らは投降したものの、僕の判断で解放した。捕虜にしても得になることはなさそうだし、項羽の遺骸を向こうに返してやりたいと思ったからだ。すいもそれについていった。


すいは頼む』


 項羽の最期の言葉。

 けどこうするのが一番いいと思う。

 すい。項羽が死ぬ前に、彼に心を寄せた漁師にお礼として贈られた。共に死ぬのは忍びないという項羽の温情だろう。けどすいは項羽と離れ離れになるのが嫌で、彼を追って川に飛び込んで死んだという忠義の名馬でもある。


 そんな彼(?)を僕が引き取るのも重荷にすぎるし、項羽に殺された兵が多い味方の陣地に引き入れるのも何が起こるかわからない。だから項羽の遺骸と一緒に送ってやったほうがいいと思った。


「なるほど。相手に項羽が死んだことを知らしめるということだな。悪い手ではない」


 謙信がそう言ってきたけど僕は首を振った。


「そういうわけじゃないよ。ただ、そうした方がいいと思っただけさ」


「ああ、お前はそうだろう。そうでなくてはな」


 何か禅問答みたいなことを言いながら、返却した山鳥毛さんちょうもうを腰に差した謙信は、負傷を表に出さずに淡々としている。その所作がなんとなく、不思議というか違和感があったのだけど、何が違和感なのか分からなかった。


 ともあれ。そんなこんなで、それらの指示を終えると僕たちは陣地へと戻ることにした。

 向こうの戦況もまだどうなったか分からなかったし、何より姉さんのことが気にかかったからだ。


 それは虚しき帰還だった。

 勝者なきと凱旋いうべきか。


 結局、項羽は誰にも殺せなかった。

 僕、上杉謙信、高杉晋作という3人で打ちかかっても、2倍以上の兵力で囲んでも、彼を殺すことも倒すこともできなかった。


 さすがだと思うと同時に、なんだこれはとも思う。

 そうとまでしなければならない戦い。一体何のための戦いなのか。そういう原始的な考えも浮かんでは消える。なんというか、それを突き詰めてはダメな気がする。これまで戦ってきたことが、犠牲になった人たちのことが、全て無駄になる。そんな気がして。


 そう。僕たちはここまで戦ってきた。

 それは表向きは皇帝のため、帝国のためという向きはあったものの、その本質は自分たちのためだ。


 ゼドラ国の伸長。

 それはこれ以上、見逃すことができない災厄になっていた。春秋戦国時代末期の秦のように、ここで抑え込まなければゼドラ国に各個撃破されて滅亡する。その後に待つのは、独裁者による格差社会における奴隷の生活だ。

 秦の始皇帝が善か悪か。そういった問答をしたいわけじゃない。

 民主主義がいいのか、社会主義がいいのか、共産主義がいいのかという主義の話をしたいわけでもない。


 ただ今。ここで生きている皆。家族や友達。出会った人たち。

 それらがちゃんと生きている。そのことを守りたい。それだけ。


 ゼドラ国が起きなければ、あるいはザウス国やデュエン国がイース国の征服に意欲を向けなければ。誰も死ぬことなく、誰も悲しむこともなく、皆生きていけるというのに。

 それなのに、ほんの数人、一部の人間の我欲と欲求を満たすためだけにその数万倍の人間が苦しむ。そのことが許せないだけ。


 こっちは勝手に生きてるんだから、勝手に派風立てるな。

 それが僕の想い。この世界に来て、強く感じた願い。


 だからそれを邪魔するなら打ち返す。

 そのために戦ってきた。そう思えているから。


 けどそれでも。

 戦うとなれば犠牲は必須で。その犠牲に血の涙を流しながらも立たなければ、喰らい散らかされるこの世界。


 その新たな犠牲者となるだろう人がいる。


 逸る気持ちを抑えながらも、陣に戻った。

 陣は一部でまだ煙が出ているものの、おおよそ落ち着きを取り戻していた。各地で兵の再編がなされ、さらに防備を固めるための柵や逆茂木さかもぎ(木の枝による防壁)を設置したりしていた。


「僕は土方たちに報告に行く。お前は行ってやれ」


 話は聞いているらしい。高杉さんがそう言って僕を医療班が使う天幕へと押しやってくれた。謙信も僕についてくる。


 幕を開いて中に入る。蝋燭が数本立つだけの暗い中。そこには1つのベッドと、3人の人物がいた。


 1人はラス。もう1人は医者らしく、布の防止とマスクをして立ち尽くしている。


「イリスちゃん……」


「ラス……」


 入って来た僕を見て、安堵か悲哀か涙をこぼすラス。

 その顔を見て僕の胸がざわついた。天幕にいる最後の1人。その1人が誰かを聞くまでもない。


 タヒラ姉さんだ。


 彼女はベッドに仰向けに寝かされている。衣服は脱がされ裸のまま。その体には包帯が何重にも巻きつけられているが、それがじわじわと赤く染まっていて痛々しい。

 それだけでも絶望的なのに、まぶたを閉じて眠っているような姉さんの顔。けどその顔が恐ろしく、気味の悪いものに見えた。


 多分初めて見る。

 はっきりとした、死相というものを。


「妹さん、かね。残念だが、この方は……」


 医者が暗鬱そうな声で言う。

 もう何もかもが手遅れだと、匙を投げたように脱力しきった声。


 それが僕の中にある何かを刺激した。


 そうしたらもう止まらなかった。


「なにが残念だ。患者を救ってこそ医者だろ! なら最後まで手を尽くせよ!」


 医者に一足飛びに近づくと、その襟をつかみつるし上げる。


「む、無理だ。ここではもう手の打ちようがない。街に行けば手はあるかもしれないが……そこまで彼女は持たない。血を失いすぎたんだよ」


「それをなんとかするのが医者だろ!!」


 叫び激昂しながらも、心の奥にある冷めた部分があるのが分かる。

 ラスはそんな僕の形相におどろいているし、謙信は僕のその醜態を無関心のように眺めているのも分かる。


 この時代。輸血という概念すらなかった時代。抗生物質という言葉すらなかった時代。腹を斬られれば血を失って死ぬ。それをま逃れても黴菌が入って破傷風で死ぬ。

 つまり傷を受ければ現代よりはるかに死にやすい時代。


 不敗の名将というのは不敗だから名将なんじゃない。

 不敗だから、傷を負わないから長く戦い続けることができて、結果として名将となる。それだけのこと。


 すでに体を切り裂かれた姉さんに、生き延びる目はない。


 それは分かっていた。

 分かっていたのに、あふれ出る感情は止まらない。


「なら輸血だ! すぐに血を止めて輸血すれば助かる!」


「ゆ、ゆけつ? 何を言っている!?」


「いいから姉さんの血液型を調べろ! そしてすぐにそれに合った血液を姉さんに――」


「イリリ……やめて」


 その言葉はかすれて音にすれば、僕の怒声の何十分の一だったにも関わらず、僕にははっきりと聞こえた。


「姉さん……」


 医者の体を突き飛ばして、姉さんの枕元に駆け寄る。


 生きてた。

 生きていてくれた。


 それが何にもまして嬉しい。


「ダメ、だよ。お医者さん、は、大事に、しなきゃ……」


 それでも口を開けるのも辛そうな姉さんを見て感じた。


 ああ。死ぬ。死んでしまう。

 このいつも明るくて、どこかひょうきんで、それでいて頼りになるイリスの一番の身内が。


 こんなことで。

 いや、僕のせいで。


 僕が無茶な追い方をしたから。白起に付け込まれて、それを守ろうとしてこうなった。


 だからこれは僕のせい。


 僕が彼女を殺した。


 だから――


「責めない、で。自分、を。これは、仕方ない、ことだから……」


「そんなはずない! 姉さんは……僕が!」


 視界がゆがむ。

 あふれ出す想いが濁流となって瞳から零れ落ちる。


 ダメだ。

 こらえきれない。せっかく戦って来たのに。生き延びてきたのに。こうなればもう、全てが台無しになってしまう。そんな気がして。


 それでも姉さんは辛そうに、僕に最期まで声をかけようとする。


「お願い。皆を、家族を、守って……」


「僕は……僕は……」


「大丈夫……。あなたは、出来る子、だから」


 姉さんが億劫そうに手を挙げる。ふるふると震える彼女の腕。あんなにも力強かったそれが、今ではもう枯れて触れれば折れてしまいそうなほどに弱々しく見えるその腕。


 差し出された手。

 おそらく彼女の最期の願いがこもった掌。


 何をすればいいかわかってる。

 彼女の最期の願いに応えてやるのが正しいことだと分かってる。


 それでも僕はその手を握ることができない。

 握った途端に、彼女の命の灯は消えてしまう。それがはっきりと分かったから。

 一分でも一秒でも長く生きてほしい。そのエゴにまみれた願いが、彼女の最期の頼みを聞くことを躊躇わせた。


「イリス」


 謙信が責めるような口調で名前を呼んでくる。

 握ってやれというのだろう。

 死にゆく者の願いに応えてやれというのだろう。


 それがどれだけ残酷なことかもわかっていながらも、どれだけ言われても。僕はそれができない。


 この手で、姉さんの命を吸うことは。


 どうしてもできない。


 眼も見れない。

 見ればきっと逆らえない。

 けど認めたくない。


 その想いがぶつかりあって、全てが何もかも嫌になって、爆発しそうになった。


 その時だ。


「イリス、大丈夫よ」


 そう陣幕に新たな声が響いた。

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