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第059話 当主、気力を取り戻す

 大貴族ゼーブ家の当主であるミシルパは、クレタス諸国の一つであるトリア要塞国からの報せに目を通していた。


 彼女の屋敷にある大きな執務室には、昼の日差しが柔らかく差し込む。ミシルパは、艶やかな金髪を無造作に払うと、ため息とともにゲージを机の上に置いた。


「トリア大洞で、土族と『呪われた森』の魔女が、何度か衝突を繰り返しているのですわね。東の君主制国家群が、不穏な動きを見せている時期だと言うのに、あまり望ましくありませんの」


 トリア要塞国は、クレタス北部に位置する国家だ。


 その北端であるクレタ山脈の裾野に、トリア大洞と呼ばれる巨大な洞窟を有している。トリアと同盟関係にある土族が、王国を築いている場所として有名な地だ。


 手先の器用な土族は、洞窟の下層から採出される鉱物を、武具や装飾品に加工する高い技術を持っている。素晴らしい宝飾品の数々は、大陸随一の細工と品質であると言われており、高値で取引される。


 トリアは、加工品の流通はもちろんのこと、その技術を人族が学べる国としても栄えており、土族と深い友好関係にある国なのだ。


 そして、トリア領の北に横たわるクレタ山脈の向こう、トリア大洞を抜けた先には「呪われた森」と呼ばれる針葉樹林帯が広がっている。深く暗い森は、人族や土族の方向感覚を簡単に狂わせ、一歩踏み込んでしまえば無事に戻ることの叶わない土地であった。


 そんな、不気味な森を支配している種族がいる。


 クレタスに住まう人々から「魔女」と呼ばれ、恐れられる者達である。


 森の呪いによるものなのか、彼女らには雄の個体が存在しない。故に、種の存続のため、土族や人族の雄を連れ去るのだ。また、魔女の儀式に使用する目的で、材料や生贄として老若男女の別なく人攫いをする種族としても知られる。


 クレタスの住人にとどまらず、森の東に接している君主制国家群の人々も被害にあっており、西の地を力で支配している魔人族ですら例外ではなかった。


 魔女達が、大陸中の種族から忌み嫌われる存在であるにもかかわらず、今日こんにちまで永らえて来たのは、魔法とは異なる系譜の「呪術」に長けているのが理由とされているのだった。


「土族の軍は、先の内乱で多くの戦死者を出しています。トリアとしても、内乱での大恩ある土族に対し、援軍を出さぬ選択肢はないでしょう」


 茶の準備をしている女性が、ミシルパの呟きに返した。


 灰色がかった長い髪を後ろでまとめ、執事然とした黒い服装をしている細身の人物だ。クレタスの人族であれば、リボータという職種の者だと、その洗練された立ち姿からわかるだろう。


「ゼーリの言う通りでしてよ。内々にドートやカルバリへ軍の派遣が可能かと聞いたのだけれど『森の魔女の動向による』との回答だけでしたの。カルバリとしても、土族の方々には恩があるのですから『有事の際はこちらを優先して兵をまわせ』とは言えませんわね」


「恩があるのでしたら、彼ら土族の事は『ドワーフ』と呼ばねば怒られてしまいますよ」


 ゼーリと呼ばれた女性は、湯気の立つティーカップを運びながら、柔和な笑顔を浮かべて言った。


「内乱後に、中央王都の教会本部から、種族の呼称を『どぅわーふ』で統一するようにとの発表がありましたわね。どぅ?ど、ドワーフ。少しばかり、正しい発音が難しいのですけれど」


 何度か言い直しながら、ミシルパは首を横に振った。


「大貴族の当主であるお嬢様が、公の場で種族名を間違えでもしたら、大問題になるのではありませんか」


 執務用の机にカップを置き、ゼーリは少しばかり意地悪な笑顔を見せる。


「貴女こそ、外で当主のわたくしを『お嬢様』などと呼んでごらんなさい。ゼーブ家の権威が落ちるどころか、当家のリボータである貴方の信用も無くしてしまいますわよ」


 口の端を上げて言い返したミシルパに、ゼーリは「以後、気を付けますので」と笑って肩をすくめた。


 ミシルパは「分かればよろしい」と、紅茶の注がれたカップを手に取り、満足気に口へと運ぶのだった。


「……ゼーリ?」


 茶をすすっているミシルパの横顔を、とても嬉しそうに見入っていたゼーリに気付き、ミシルパは首を傾げた。


「お顔の色が良くなったと思いまして。ここしばらくの間、ミシルパ様は大変お忙しくされていましたので」


 ゼーリはにこりと笑って答えた。


 主人があまりにも多忙な日々を過ごし、寝る間さえも削っていたので、彼女は心の底から心配していたのだ。


「この前、研究院に登院した時、友人達に叱られたのですわ」


 ミシルパは、その時の様子を思い出してくすりと笑う。


「他の者に任せられる仕事は、周りに振れば良いと助言をもらったいましたのよ。で、家の責任を取って退いた父上に、まつりごとを任せることはできなくとも、商会の仕事は問題なく振れると気付き、丸投げして差し上げましたの。当主命令を断るなんて、父上でもできませんわよね」


 笑顔で言うミシルパに、ゼーリは「最近は、遊び歩いてばかりいましたからね。良い薬になりますよ」と返した。


「研究室のほうは、所属者の中で反動の障壁を発動できるのがわたくしだけでしたから、登院回数を減らせないと思ってましたの。でも、シャポーさんの研究室の研究員であるウォーが、協力してくれることになたから、最低限の登院回数にまで予定を減らすことができましたの」


「シャポー様の助手のウォーペアッザさんですね。でも、ご本人の所の研究は大丈夫なのでしょうか」


 ゼーリは、ふと湧いた疑問を口にする。魔導研究院の魔導師達は、昼夜を問わず研究に明け暮れていると聞いていたからだ。


「シャポーさんは、既に何個もの研究成果を提出しているの。時間を自由に作れるので、わたくしに協力を惜しまないと、親切なシャポーさんが言ってくれましたのよ」


 嬉しそうに言うミシルパを見つつ、ゼーリは(シャポー様が言ってくれたんですね。ウォーさんではなく)と心の中で呟くのだった。


 実際のところは、シャポーが先に協力を申し出てくれたのだが、ウォーペアッザがミシルパの所属先の人達を気遣って「シャポーでは、要らぬ混乱をさせてしまいそうだから」と引き受けてくれたのである。


「ピョラインやムプイムも、助力は惜しまないと言ってくれましたの。今日も、息抜きが必要だろうと夕食に誘ってくれて、無理にでも来いだなんて言うのよ」


 ゼーリは、これほど幸せそうに友人の話をするミシルパを見たことが無かった。


 大貴族の令嬢として生まれたミシルパの周りには、幼少の頃から、権力やら政争やらを持ち込み裏の意図をもって近付いて来る者ばかりが溢れていたのだ。


「良いご友人をお持ちになられましたね」


 目を優しく細めて、ゼーリは安心した声で言った。


「ええ。でも、急いで諸々を片付けなければならなりませんわ。息抜きをする為に忙しくさせられるだなんてね」


 ミシルパは大きく伸びをした後「さて」と一言吐いて、机上に積まれてある書類に手を伸ばす。


 大貴族家の管理を司るリボータは、当主が仕事を終えた後につつがなく出かけられるよう準備をするため、執務室をそっと後にするのだった。

次回投稿は11月10日(日曜日)の夜に予定しています。

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