第022話 面白新人枠
朝食女子会の終わったシャポー研究室では、シャポーとウォーペアッザが研究に勤しんでいた。
ウォーペアッザは、今朝がたまでに吸い上げられていた実験数値の整理を終え、機材のチェックを進めている。
シャポーは、丸机の上に数個のゲージを広げ、各データのすり合わせや検証に注力しているのだった。
「精霊魔法と共闘可能な術式?」
特殊なガラスで作られた保持管の前で立ち止まり、ウォーペアッザは呟く。
成人男性ほどの大きさを有する円柱の内部には、立体構造に組み上げられた黄金色の術式が浮かんでいる。その式は、模擬的な値が繰り返し入力されており、計算プロセスの進行に合わせて波打つように光を放っていた。
術式の横には、変数や公式についての説明が箇条書きに記されており、ウォーペアッザはその内容に興味を覚えたのだ。
「ありきたりな攻撃用の術式かと思っていたんだが、その前後に見慣れない術式がはめ込まれているな。これって、独立変数に該当する箇所へ、ことごとく別公式の解が接続されているんじゃないのか?魔法の効果発動後、更に別術式を通過させて……『自然還元魔力中和術式』?聞いたこともないんだが」
保持管に顔を近づけたウォーペアッザは、覚書らしき文字を読んで首を捻った。
彼の記憶にある限り、自然還元魔力中和術式という名称は、魔術の論文や専門書などで読んだことのないものだ。
「そちらはですね、精霊魔法の使い手さんと一緒に行動する時に、お互いの魔法を邪魔し合わないための術式なのです」
シャポーは、ウォーペアッザの様子に気付いて、小走りに駆け寄る。そして、保持管の傍まで来ると話を続けた。
「精霊さん達は、シャポー達魔導師の使う『魔力』側に傾いたエネルギーが好きじゃないのです。ですので、建築魔法で大部分を構成された街中とかで、精霊さんは活動がしづらいみたいなのですよね。精霊魔法は、精霊さんにお願いをすることで効果を発揮してもらう魔法ですので、魔導師の魔法とは相性が悪いといえるのですよ」
腕を組んで説明するシャポーと、保持管とを交互に見ながら、ウォーペアッザは湧いた疑問を口にする。
「精霊魔法と言えばエルート族だよな。エルート族と人族が、一緒に戦闘行動をする場面の方が珍しいんじゃないか?この前起こった内乱でも、エルート族はエルート族の、人族は人族の軍隊として動いてたみたいだし。敵対することを想定して『力負けしない術式』を考えるなら、まだ話はわからなくもないんだが」
顎に手を当てたウォーペアッザは、情報媒体によって知り得ている知識に基づいて意見を述べた。
「シャポーは、お友達のエルート族の方が何人かいますので、一緒に行動することもあると思うのです」
「……ん?」
何気ないシャポーの言葉に、ウォーペアッザは疑問符の貼り付いた表情を浮かべる。
ウォーペアッザは、エルート族の存在こそ知ってはいるものの、直接お目にかかったことなど無い。人族との外交窓口とされるグランルート族でさえ、彼らの村まで行かねば出会えない種族なのだ。
そこへきて、突然に目の前の少女の口から「エルート族に友人がいる」と言われれば、ウォーペアッザがきょとんとしても仕方ない。
「それにですね、敵になってしまうのであれば、シャポー達の方が悪い事をしてしまっている可能性が高いのですよ」
「真実の耳があるから、ってことか……いや、その前に友人って?」
真実の耳とは、エルート族の持つ特有の能力を指す。
彼らは、類まれな聴力により、話をしている相手の心根までをも聴き取り、言葉の真偽を聴き分けてしまうのだ。それ故に、人族の間では、嘘偽りを嫌う者達として『崇高な種族』と認識されている。
「精霊文字を教えてもらいましたので、建築魔法やインフラに使用しているエネルギールートの術式に組み込めたらなと考えてるのです。自然還元魔力中和術式としてですね、誰でも使えるように体系化してみたいのですよ」
「精霊文字を学んだのか?言ってる事が、理解できなくなってきたんだが?」
ウォーペアッザが混乱するのも無理はない。
エルート族のみが使用しているとされる精霊文字を、目の前の魔導師少女は知っているとのたもうたのだ。
「精霊魔法の使える人族は、相当昔にいなくなってしまっているので、文献などもちょこっとしか残っていないのです。ですので、シトスさんやムリューに教えてもらったのですよ」
「お、お友達の名前、かな?そうじゃなくて、精霊文字の記された文献なんて、見たことも無いんだけど。それ以前に、精霊文字ってエルート族が、門外不出にしている物じゃないのか?」
ウォーペアッザが突っ込んで聞き返したい内容は、既に追いつかないまでに増えてしまっていた。
「ここ数百年、教えてくださいって来る人族が、誰も居なかったって言ってたのです。人族の社会では、使われないから廃れたんだろうって言われたのです。せっかくでしたので、シャポーがお願いして習ってきたのですよ」
「秘術的な扱いでは、なかった、だと。常識だと思ってたのに、おかしいな。ってことは、シャポーは精霊魔法も使える?魔導師は、使えないはずだよな。これも、常識だったはず」
額を押さえたウォーペアッザは、ぶつぶつと呟いた。
「精霊文字を知っててもですね、精霊魔法は使えないのです。体内エネルギーが魔力に傾いているか精霊力に寄っているか、という話になりますので」
人差し指を立てたシャポーが説明する。シャポーの声には、そこはかとなく教えることの喜びが感じられた。
「精霊魔法が使えないのに、精霊文字を学ぶ必要が?」
「術式により構築した魔法の、魔力ニュートラリゼーションに必要なのですよ。術式の出力側に、同一属性をもつ精霊文字を含んだ術式を繋げるのです」
シャポーは保持管に浮かぶ術式の一か所を指差して言う。
その部分には、シャポーの言った通り、精霊文字が術式の中に組み込まれていた。
「精霊魔法に近付けるのか?」
「と、言うよりもですね、燃焼や氷結といった自然現象に―――」
シャポーとウォーペアッザは、より複雑な魔導談議に花を咲かせるのだった。
***
「あのーこんにちはー」
シャポー研究室の扉を少し開け、室内へと顔をのぞかせた女性が声をかける。
彼女の視線の先には、術式についてあれやこれやと議論を交わす二人の後ろ姿があった。
「あのぉーこんにちはぁー」
保持管と呼ばれる機材を前に、来訪者の存在に気付きもしないシャポーとウォーペアッザへ、女性は少しばかり声を大きくして呼びかけた。
「うぁい!お客さんなのです。気付きませんで、申し訳なかったのですよ」
「失礼しました。研究について話し合っていたもので。って、人事課の?」
室内に入って来る女性を見て、ウォーペアッザは言った。
「はい、ウォーペアッザ君の手続きを担当した者です。お忙しい所すみません」
女性の言葉で気付き、シャポーも(ちんちくりんって最初に言われた時、事務所の受付の所に居た人なのですよ)と思い出す。
事務方の人が研究室まで来た理由が思い当たらず、ウォーペアッザは「提出書類とか、何か不備がありましたか?」と訪ねた。
「研究室の移動を受け付ける期限が迫ってますけど、ウォーペアッザ君からの申請がありませんでしたので、どうしたかなと思いまして。ちょうど、上の階に用事があったから、ついでに聞きに来ました」
ゲージでの連絡で事足りそうな内容を、女性は笑顔で伝えた。
(面白そうな新人ちゃん達の様子見、っていうのが本当の目的なんだけどね。誰かが来たのにも気づかないで、仲良くギャーギャー話し合ってたって、戻ったら皆に教えよっと)
女性は、そんな内心を表情に微塵も浮かべずに返事を待つ。
「申請の期限とか、あったん、でしたっけね。忙しくて、忘れてました」
動揺を孕んだ声色でウォーペアッザは言った。彼の視線は、空中を彷徨うようにうろうろとしている。
「ウォーさん、移動の予定があったのですか?」
「いや、えっと、そう言う訳では、なくて、だ」
シャポーに見つめられたウォーペアッザは、上手く返す言葉が見つからないでいた。
(はっはーん。これは、これは。部署に帰ってからのお茶が、美味しくなっちゃいますね)
人事課の女性は、眼鏡をきらりと輝かせてくいっと持ち上げる。その時、彼女の顔は『同僚達への土産話を頂いちゃいました』と言わんばかりの表情に染まっていた。
「!?」
目の前の人物の表情変化を察知したウォーペアッザは(こいつ、ミシルパと同系統の人種!?からかってやがる!)と、心の中で身構えた。
「手続きについて確認しただけであって、申請しようとかそういった、方向性じゃなかったんで。所属した結果からして、この研究室でもって、他では上げられない成果を上げてっすね、キャリアアップに繋げていこうかなと。今は、そんな感じで考えていると言いますか?という所です」
丁寧語やらため口やら、はたまた、からかわれないようにしようとか、シャポーにみつめられているとか、様々な状況が入り混じったおかげで、ウォーペアッザの口調は妙な感じに仕上がってしまった。
「はわぁ~、そうなのでしたか。ウォーさんがどこかに行ってしまったら、とっても困るところだったのですよ。良かったのです」
ほっと胸をなでおろし、シャポーは安堵のため息をついた。そして、無邪気な笑顔をウォーペアッザに向ける。
「お、おう」
ウォーペアッザは、どきりとしてしまい、顔を赤くしてそっぽを向くのだった。
だがしかし、事務の女性は見逃しはしない。
「可愛くて優秀な代表研究員さんで、本当によかったですね」
「か、可愛い?優秀?そんなの、どこにも見当たりませんけどね。後先を考えもしない、ちんちくりん魔導師ですよ」
表情に出たかと慌ててしまい、ウォーペアッザは要らぬことを口走った。
「あああ!また、ちんちくりんって言ったのです」
「おっちょこちょいのほうが当たってたか。大差ないけどな」
わいのわいのとやり合う二人を前に、事務の女性は(あはは~やっぱりこの子達、面白いかも~)と笑顔を浮かべる。
魔導研究院の事務方の間で、面白新人枠に認定されてしまうことになるとは、この時点でシャポー研究室の二人が知るはずも無かった。
次回投稿は2月25日(日曜日)の夜に予定しています。




