第020話 魔導師だから仕方ない
「ほひひーのれふぅ(おいしいのです~)」
「ぽわぁ~」
ご機嫌な表情で、パンを頬張ったシャポーが言う。同じように、ほのかも豆にかじりついて嬉しそうな声を上げた。
丸机の上には、所狭しと様々な種類のパンが並べられている。パンの他には、蓋付きのカップが置かれており、温かな野菜のスープが入っていた。
シャポーがぱくついているのは、ウシ科であるウェルッカの肉を味付けして、クロワッサンに挟んだサンドウィッチだ。
「カルバリの町で、最近話題となっているお店の物なんですのよ。朝食のラインナップは、また別のようでしてよ。シャポーさんが気に入ったのでしたら、今度持ってきて差し上げますわ」
シャポーがもりもり食べるのを見て、ミシルパは嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「メイン通りにある、比較的研究院に近い場所にオープンした店だったよな。行列が出来ているのを見たことがあるな」
ウォーペアッザもご相伴に預かりつつ、店の様子を思い出して言った。
「カルバリでの商いということで、当家にも挨拶がありましたの。その時に頂いた品々が、とても美味でしたので、是非シャポーさんにと考えていましたの」
「商売の挨拶に来るとか。流石、大貴族様ってところだな」
「貴族というだけではなく、当家は商工会にも貢献しているから、でしてよ」
肩をすくめるウォーペアッザに、ミシルパは得意気に顎をついと上げて見せた。
そんなやり取りの横で、シャポーは「ほひひー」と満面の笑顔を浮かべているのだった。
「ところで。実験データが、昨日の時点で大量に揃っていましたわね。ですので、食事も忘れて分析に取り掛かっているのでは、と思っていたんですのよ。それが、シャポーさんの『呼び方』で揉めていただなんて」
ミシルパは小さなため息をつく。
「やっていなかったわけじゃないからな。吸い上げた数値の整理は、大方終わらせてある。あとは、シャポー・ラー……『代表研究員』が、分析等をする番なんだ」
再び、シャポーをフルネームで呼びそうになり、ウォーペアッザは慌てて言い直した。だが、迷った挙句に呼ぶには面倒極まりない呼称が口を付いた。
「先生と呼んでさしあげれば、よろしいじゃないんですの?」
ミシルパは、ウォーペアッザをからかうように口元を微かに上げて言った。
「無理」
はっきりお断りを入れると、ウォーペアッザは野菜スープを口に運ぶ。
当のシャポーは「ほひひーのれふぅ」と顔を綻ばせて、昼食を満喫していた。
「商いで思い出したのですけれど、あまりよろしくない噂を耳にしましてよ」
楽しそうな表情を一転させ、ミシルパは微かに声のトーンを落とす。
「ほひ?」
「良くない噂?」
もぐもぐしながら視線をミシルパに向けるシャポーの隣で、ウォーペアッザは方眉を上げて興味を示した。
「クレタ山脈の向こう、クレタスと交易をしている東の国々についてですわ。彼の国々は、商業王国ドートと交易をしていますの」
ミシルパは、丸机の上を楕円状になぞってクレタス全土を表現すると、東に位置する場所をとんと指で叩いた。そして、二人が頷くのを見てから話を続ける。
「当家の魔導品商会が、ドートで仕入れた情報なのですけれど、東国が金属や鉱石の取引を縮小しようと動いているらしいんですのよ」
「ドートは、高い貿易黒字を維持するため、品目によって不平等な協定を結んでいるとも聞いたことがあるしな。それは、俺達にも関係ある話なのか?」
単なる世間話にしては、商業の情報として踏み込んだ内容だなと感じ、ウォーペアッザは聞き返した。
少なくとも、カルバリに流通する情報媒体において、ミシルパの語る情報を目にしていないからだ。
「ゆくゆくは『取引の停止を』との噂も上がっているんですの。魔導実験に使用する希少石の中には、東国でしか採掘されない物もありますので、我々にも無関係とは言い切れない問題かと思ったのですわ。今のうちに在庫の確保を、という友人からのアドバイスでしてよ」
ミシルパは、シャポーに片目を瞑って見せると「内密な話ですわ」と、人差し指を自分の唇に当てるのだった。
「さてと、私も研究室に戻る時間ですわね。余りを置いて行くようで申し訳ないのですけれど、研究の合間のおやつに召し上がって下さいな」
席を立ったミシルパは、綺麗な所作で挨拶をしながら言った。
「美味しいご飯をありがとうなのです。東の国からの素材についても、見てみますのです」
ぴょこんと立ち上がったシャポーも、ミシルパに頭を下げた。
「あと、ウォー。シャポーさんを『代表研究員』と呼ぶのは変だから、本当にお止めになった方がよろしくてよ」
笑いながら言うミシルパに、ウォーペアッザは「わかった、わかった」と煙たそうに手を振った。
くすくすと笑いながら、ミシルパは機器類の隙間へと姿を消すのだった。
「シャポーの事を『代表研究員』て呼ぶことにしたのですか?」
ミシルパの背中を見送った後、シャポーがぽつりと疑問を口にする。
「あー。呼称については、善処するということで」
せっかくシャポー本人に聞かれていなかったみたいなのに、と心の中で愚痴りつつ、ウォーペアッザは動いている実験機器の確認へと逃げて行った。
シャポーが「代表研究員なんて呼ぶくらいなら、先生の方がおかしくないと思うのですけれども」とぶつぶつ言うのを聞き流しながら、ウォーペアッザは元素圧縮機の魔力圧調整に取り掛かる。
(今、圧縮して変異を促がしている魔含元素も、東国にある君主制国家群の一つから輸入される希少石から抽出した物質か。研究室もここだけではないし、魔導の実験施設も、カルバリの魔導研究院だけではない。ミシルパの助言通り、素材の確保は考えておかないとな)
商人の間でまことしやかに囁かれる噂は、往々にして確度の高い物が多いとされる。商人自身が、市場動向に敏感でなければ、商売人として立ち行かなくなるからだ。
ウォーペアッザの実家も、中位階級に属する貴族であるため、市井の民よりも『商人の噂話』を注視している家だったといえよう。
(初年度の研究室だというのに、やたらと予算が付いているしな。許される範囲で申請しておくか)
ウォーペアッザが、機器類を確認しながら実験素材について考えを巡らせていると、来客を知らせる音が鳴った。
「レルスペクトル魔力光光度計をお届けに上がりました。シャポー研究室でお間違いないでしょうか」
扉を開けた先には、二人の配達員が立っていた。
(入荷待ちしてた分析器か。他の機器が稼働中で忙しいから、届いたところで、すぐに動かせはしないけど。申請していた物はこれで最後だな)
間違いないことを伝え、ウォーペアッザは品物に目を向けた。一抱え程の大きさがある機材で、申請していた物で間違いない。
配達員は「どちらに設置しましょうか」とウォーペアッザに問う。
光度計の為に空けてあったスペースに置いてもらい、ウォーペアッザと配達員が受取の確認をしていると、研究室の奥からシャポーが現れた。そして、今届いたばかりの機器に備え付けてある操作用ゲージに触れ、説明書の速読を始める。
そんなシャポーの右手には、素材らしき物が握られていた。
「では、機材担当課に、お届けしたことを伝えておきますので」
「お願いします」
諸々の確認を終えたウォーペアッザは、配達員を見送って室内へと振り向いた。
「……おい」
ウォーペアッザの目に、光度計をいじくっているシャポーの背中が映りこむ。
「はわぁ~、時間経過による透過スペクトル変化も分析可能なのですね。これならば、状態変化を常に起こす精霊による影響が介在する植物性の物質も、変化を見逃すことがないのですよ。魔力光も波数調整や光源種の選択できる幅が広いので、分析中に起こる交換反応も回避できるのです。これが終わったら、メーシュッタスの樹液とか、やってみたいのですぅ~」
「おい」
「はんわ!」
ウォーペアッザの低い声とともに、シャポーは頭をがしりと掴まれた。
「シャポー。お前、何をしているのかな?」
シャポーは、ぎりりぎりりと振り向かされ、ウォーペアッザのそら恐ろしい笑顔と正対する。
「こ、これはですね、全くもって違うのです。新しい機器は、動かせてみたくなるだけなのですよぉ」
「言い訳からして、全くもって違うんだなぁ」
二人の横で、真新しい機材が分析データの収集を開始する。
この日の成果として、ウォーペアッザが『シャポー』呼びを確定させるという結果も、導き出されたのだった。
次回投稿は2月11日(日曜日)の夜に予定しています。




