12
新人騎士の様子から、これが噂に上っていた「王子様が信頼する直属の騎士」様の声なのかもしれない、と思った。しかし、
「とても綺麗な靴ですが、これを履いたまま日々の労働をこなすのは難しいでしょう。そうは思いませんか、お姉さん?」
と気軽な感じで唐突に話を振られ、私は「え?」と間抜けな反応を返し……そして。
気付いた。
「……セイン?」
その声は、ここ最近、家族を除けば誰よりも近しくしていた相手のものだった。
若い騎士を後ろに下がらせ、前に出て来たセインは、私ににこりと微笑みかけた。そしてシルヴィアに向き直ると、台座ごと靴を押し付けた。
「高価な靴だから、せめて大事にしないと駄目だよ。もう、なくさないように」
私にしてもシルヴィアにしても、思っていたのと違う展開に目がきょとんとなる。ううん。新任騎士の言うとおり、本当に、ただ落とし物の持ち主を探していただけみたい。
王子様の一目惚れって噂は、あくまで市民の娯楽的なゴシップだったということだろうか。
「あと、俺は君にも用があるんだけど」
セインは私を正面から見つめた。
よく見ると正装なのだろう。いつもより、かしこまった格好だ。まさに王国の騎士様という感じで……思っていたより位が高そうなんだけど。
安月給って言ってなかった?
うーんと考え込んで動かない私にもどかしさを感じたのか、
「別の場所で話したい」
とそう言うなり、セインは返事も聞かず、ひょいと私を担いだ。……俵のように。
「ちょ、ちょっと、何するんですか!?」
さすがに抗議の声を上げて、もがいた。頭が下になっているので、血が上る。
しかしセインは私が暴れるのをものともせず、大股に歩みを進めて行く。
途中、私は若い騎士に視線で訴えかけてみたが、気まずげに逸らされた。……セインも若いので、十も年の差はなさそうだけど、立場は随分と違うらしい。
そして、待たせていたらしい馬車の中に、問答無用で押し込まれた。
拉致? 私、拉致されたってことなの?? 誰か教えてください。
馬車は四人乗りのもので、私の対面にセインとその部下らしき騎士が座る。セインは私の手をそっと握ると、申し訳なさそうな顔で謝った。
「ちょっと手荒になって、ごめん」
ちょっと?
私が胡乱な目つきをしていることに気付いたセインは、言い訳するように付け加えた。
「あそこじゃ、落ち着いて話ができないと思ったから」
セインの殊勝な様子に、私は毒気を抜かれてしまう。まあ、セインだったら仕方ないか。
「それで、どんなお話があるのでしょうか」
落ち着きを取り戻した私は、彼の要件を聞こうと耳を傾ける。するとセインはほっとしたように息をついた後、おもむろに話し始めた。
「最初に君に声をかけた時、通報があったと伝えたが、悪い、あれは嘘だ」
……そういう心臓に悪い嘘は、やめてほしいな。そんな本音は飲み込み、私は彼をじっと見つめることで、話の続きを促した。
「君に話しかけるきっかけを作りたくてね」
どうやら、ある時から急に薪割りに勤しみはじめ、みるみる間に上達した私のことが気になったらしい。つまり彼は私のことを、父が亡くなった頃から知っていたということだ。
薪割りが彼の興味を惹くきっかけだったとは。世の中、何が起こるか分からない。
なお、話しかけたかった理由は、こうらしい。
「実は寮の管理をする人を探していたんだ」
なるほど。それなら理解できる。寮母さんみたいな感じなら、確かに女性で、且つ、それなりに力仕事もできる人材を探していたということね。
でもなぁ。寮母さんってことは住み込みでしょう? 家族は放っておけないし。
そんな私の迷いを見透かしたように、彼は条件を提示した。
「君の母親と義理の妹は何とかする。加えて給料もこれだけ出す」
提示された金額は、一般的に家族を十分に養っていける金額だった。
「自分から言うのもなんだが、いい就職先だと思うけど?」
私を雇ってくれるうえに、母とシルヴィアの処遇も考えてくれるということだ。それはすごく美味しい申し出のようにも思えるけど。
本当に、何の裏もないのだろうか。
答えあぐねていると、若い騎士が呆れたように肩をすくめて、口を挟んできた。
「よく分からないままに、この方の口車に乗っては駄目ですよ」
さらに、ずいっと身を乗り出してきて、真剣な目で続けた。
「騎士団寮を任されるのは、団長の奥様だと決まっているのです。つまりこの方は、寮を任せると言いながら貴女を……」
「…………」
セインの方から、殺気のようなものが漏れ出る。私でも感じたのだから、部下の騎士も当然察したわけで、青い顔をして口をつぐんだ。
「いえ……何でもありません」
いや、途中でやめられると、かえって気になるんですけど。というか、色んな単語が飛び出してきましたが?
騎士? 団長? 奥様??
私の頭の中に、たくさんの疑問符が湧く。しかし、セインが私の顔をびっくりするほどの至近距離で覗き込んできたから、顔がかっと熱くなって、たちまち思考が全て霧散してしまう。
彼は、そんな私の反応を見て満足そうに微笑んだ。
「まあまあ。寮に着くまでじっくり時間はある。これからについて、ゆっくり話そう」
うやむやにされているような気もするけれど、まあ。
決してセインは、私に悪いようにはしないことは断言できる。
「そうですね。ゆっくり話しましょう」
そう答えて私は、馬車の窓から空を眺める。
澄み渡った青空は、私の行く末を明るく照らしていた。
おわり