笑う門にも厄来たる
突然の奇襲だった。俺は背中を思い切り殴られた。
「いきなり何だよ!」
俺は振り返って戦闘姿勢をとって様子を伺った。ボサボサに髪の毛を生やし、髭も荒れ放題だが、二十代の男でがたいがいい。真っ黒なTシャツを着て、銀色のネックレスを首にかけている。そして、常に下品な笑みを顔に浮かべている。
「ひゃっひゃっ。早く固有能力を教えてくれよ。」
右足を踏み込んで左の拳が飛んでくる。品の欠片もない粗い動きだが、喧嘩慣れしているようで、素早い。
「急に攻撃を仕掛けておいて、質問とはふざけるんじゃねえぞ!」
喧嘩慣れをしているのは、俺もそうだ。どれだけ格闘ゲームに時間を費やしたと思っている。軽いサイドステップで躱して、右手の拳で男の腹を狙う。
「ひゃっひゃっ。やるじゃん。」
男の腹に当たる前に逆に男の右足のカウンターが俺の腹にめり込む。内臓が絞られるように痛む。この男は危険だ。一つ一つの攻撃から感じられる殺意に、邪念がない。俺は素早く男の脛を蹴って、間合いを取る。
「ひゃっひゃっ。教えないなら、使わせるまでだ。」
男は一気に間合いを詰めてきて、拳を引いた。多分、狙いは顔だ。予想通り顔に飛んできた男の拳を左手で掴んだ。左手で男の右腕を引っ張り、体勢をよろめかした刹那、思い切り顔面を殴った。不気味なことに男の顔は真っ赤に腫れ上がっているはずなのに、下品な笑みは崩れなかった。
「ひゃっひゃっ。溶解!」
圧倒的有利だった状況は一瞬でひっくり返された。俺の足が大地に喰われた。コンクリートが固まる前の状態のような沼と化す。
「くそっ、抜けない。」
悪態をついて、足を抜こうとするが、藻掻けば藻掻く程沈んでいく。
「ひゃっひゃっ。凝固!」
男の口から放たれた呪文で、コンクリートは自由を失った。腰あたりまで沈んでいた俺の下半身はたちまちコンクリートに捕らえられた。ボウリングのピンのようになった状態の俺の顔を男は正面から蹴った。言葉にならない叫びをあげた、俺をにやけながら眺めている男は、
「ひゃっひゃっ。お前持っていないのか。なら、用はない。」
本能的に死を判断した。男の顔にフレイムを打って、助けを呼ぼうか。いや、どのみちコンクリートから抜け出せなければ意味がない。今までにないくらい、脳は高速回転するのに、体がみじんも動かない。男が足を高く振り上げた。この高さからかかと落としを受ければ、まず助かることはないだろう。両手を開いて真上に向けて口から呪文を唱えようとした刹那、男の笑い声に遮られた。
「ひゃっひゃっ。死ぬと思った?今のでも目覚めなかったようだな。俺は親切だから、オレとお前の差を教えてやるよ。オレは固有能力を持っているが、お前は持っていない。それが大きな違いだよ。」
どうやら、俺を殺す気はないようだ。だが、急に説明を始めた理由がわからない。とにかく、気が変わって殺されることだけは避けたい。
「固有能力?」
二兎がくるまで時間を稼ぐしかない。男は上機嫌になったようで、殺意が感じられなくなった。
「ひゃっひゃっ。お前はそんなことも知らずに良く生きてこられたな。教えてやろう。固有能力とは誰もが一つずつ持ってる特殊な能力のことだ。魔法と違うところは一つ一つが唯一無二の能力で所有者以外は誰もその能力を使えないところだ。ひゃっひゃっ。これだけ教えてやったんだから感謝しろよ。」
男は屈んで俺の顔に近づいて、にやけた。
「ひゃっひゃっ。何で俺が親切に教えてやるのかわかるか?それは俺の固有能力が強奪だからだ。殺した相手の固有能力を奪うことのできる能力だ。俺の名は死体狩り。希望の魔術会の死体狩りだ!その目にしっかりと焼き付けておけ。お前が能力を発現したときにまた現れるだろう。ひゃっひゃっ。じゃあな。」
どうやら、助かったみたいだ。俺に背を向けた死体狩りは歩きだした。銀のネックレスが太陽光を目いっぱい反射して俺の眼に焼き付いた。死体狩りは二歩程歩いたところで、ふと、立ち止まった。
「ひゃっひゃっ。忘れ物だ。」
一歩下がった。死体狩りは俺のほうを向かずに俺の顔を踏みつけた。視界が靴裏に覆われて真っ暗になった。
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「海李君!海李君!」
「かいりー!かいりー!」
二兎と前田さんに体を揺すられて目覚めた。体中ボロボロで至る所の骨が軋む。太陽はてっぺんまで登ったようで、気を失ってた間日を浴びつづけたおかげで、Tシャツが汗まみれだ。
「一体どうしたんだ?」
おかしな状況であろう。人が道路に埋まっているのだから。俺は死体狩りとの出来事を事細かに説明した。
「なるほどなー。しっかし、きぼーの魔術会ってゆーのがきになるよなー。」
やはり、二兎はそこに反応したか。MMORPGなどでよくあるギルドと似たようなものだろうか。たしかにしっかりチームを組んで、攻撃役や回復役を作ったほうが安全だが、死体狩りの口振りからして目的は魔物を倒すことではなさそうだ。
「それより、まずこのコンクリートから抜けることを考えないと。」
動かせる上半身を捻ったり、二兎に引っ張ってもらったりしたが一向に抜けない。
「仕方ないな、内の若い奴らを呼ぼう。」
見かねた前田さんは家に戻って電話を掛けに行こうとした。
「ちょっと待ってください。内の若い奴らとは誰のことなんですか?」
俺の言葉が耳に入った途端、前田さんの足が止まった。
「昨日から言おうとは思っていたが、タイミングを逃してすまなかった。実は、わしはこの町を魔物から守る集団の長をしている者だ。さっき言った、芋虫どもを駆除する若い連中を率いている。」
二兎は老人の手をとった。
「前田さん、俺はわかってたぜー。あんたがただものじゃねーことを。」
俺はその様子を見て苦笑した。さっき前田さんが喋っていたときあんぐり口を開けていたじゃねえか。
「まさか、死体狩りに海李君が目をつけられるとはな。」
二兎の話を完全に無視して、前田さんが喋りだした。
「知っているんですか?」
「知ってるも何も奴のせいでこの町の状況はさらに混乱している。四日前程に突然、現れた死体狩りは固有能力を持った人間を次々に殺し始めた。そのせいで固有能力持ちは魔物を狩ることに専念できなくなり、町の状況は悪くなる一方だ。そして、奴は逃げ足が速く数人で囲んでもすぐに逃げてしまう。できれば人が人を殺すなんて物騒な話を君達にしたくはなかったが、奴に会ってしまったなら仕方がない。」
死体狩りの殺気に体が震えた理由がわかった。死体狩りはなんの躊躇もなく人を殺せるのだ。魔物から生き延びなければならないのに、人間からも命を狙われるかも知れないと思うと体の底から恐怖がこみ上げる。
「それでー、きぼーの魔術会ってのは?」
「そこまではわしも知らない。ただ奴の口振りからして相当大きな組織のようだな。」
会話をする内にふと遠くから近づいてくる人影が目にはいった。死体狩りが去って行った方向だ。
「死体狩りが戻ってきたかもしれない。」
俺は苦々しく言った。いくら3対1といえど、手負いで身動きのとれない俺は戦力外だし、前田さんは運動のできる体ではない。そうなると、二兎が戦わなければならないが、勝てるはずがない。俺たち3人は顔をピリピリさせながら、警戒していた。しかし、近づいてきた人物は死体狩りではなかった。上品な眼鏡をかけて、整えられた長めの髪に柔和な表情。警察の制服を着た男だ。ゆったりとしたテンポで俺たちの目の前まで歩いてきて、軽い礼をした。
「初めまして。この町で巡査として勤務しております、デストロと申します。」




