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追っ手の帝国兵たちは一様にギョッとした。
「わっ……?」
「な、何だ?」
「ひえっ!?」
口々に畏怖の叫びを漏らし手綱を緩める。
引き攣った顔、顔、顔、顔……
恐怖の翳が漣のように拡がって行った──
一方、目を閉ざして疾駆していた湖鬼神はすぐにはそれに気づかなかった。
ただ、自分の背後に迫っていた追っ手が、騒然として急に駒を止めた、その気配は感じた。
それで、ゆっくりと目を開けた。
「え?」
足下──
今、自分が襲歩している沙海が光を零した如く照り輝いている……!
宛ら、漆黒の砂の大地が掻き消えて、天空の星の世界に迷い込んだかのようだ。
「ち、紂将軍? これ……これは……?」
石化したように固まった将兵の中にあって、流石に紂もゾッとして馬を止めた。
「……何が起こったと言うんだ?」
光の渦に包み込まれたまま疾走する湖鬼神も、一瞬、驚愕した。
が、湖鬼神はすぐに気づいた。
思い当たったのだ。
「そうか?」
夢見るように微笑まずにはいられなかった。
「おまえか? 螢?」
それは、
それこそ──
数万の螢の大群だった。
偶然にも、この時期、沙海に群れ光る螢の大棲息域に踏み込んでしまったのだ。
ただそれだけのこと。
だが、湖鬼神は口に出して言わずにはいられなかった。
「俺を? ……この兄を救けてくれるのか、螢? おまえの援軍、感謝するぞ!」
湖鬼神は、生き返ったように嬉々として光の中を爆走した。
「どんな大軍にも勝る、力強い援軍だぜ……!」
片や、帝国軍兵はすぐには動けなかった。
光の中を確実に湖鬼が遠ざかるのを目の当たりにしながら、なお、躊躇した。
「星野だ……!」
一人の兵が叫ぶ。
「俺は聞いたことがある。沙海深奥には星の降りる時期があると」
また一兵、答えて、
「ここがきっとそれだ!」
別の兵等も口々に、
「流れ星の棲家だ!」
「踏み込んだら最期……二度と生きては出られないぞ!」
「天空に繋がっているんだから……」
「ええい! 馬鹿どもが!」
紂謖は激昂して怒鳴った。
「帝国人が何をほざく? モノを知らない田舎者じゃあるまいし……これは螢だ! よく見ろ! ったく、何処までも 忌々しい虫ケラめ!」
紂は抜刀して虫たちを薙ぎ払いながら叫んだ。
「追え! あの湖鬼を見失う前に……俺に続け!」
紂は自ら先頭に立って光の中へ飛び込んだ。
臆しながらも、続いて配下の将兵たちも後を追い始めた。
湖鬼神は半ば恍惚として──いつかの、螢と並走したあの時のように、光の野を渡って行った。
走りながら、このままどこまでもこの道が続いていればいいと思った。
(本当に、天空を突っ切っているみたいだな……?)
ひょっとして……いつとは気づかないうちに自分は追っ手の矢に射抜かれてとうに死んだのかも知れない。だとしたら──
この美しい光の果てに俺を待っている者は誰だろう?
螢の迎えときたら、次は……
あなたか?……兄上?
紂将軍とそれに続く帝国騎馬兵団は必死の形相で追撃して来る。
湖鬼神は頭を上げ、前方を見つめて、待った。
足下の清涼な燦きを一瞬に消し去る、凄まじい光が射し込んで来た──
地平線を朱に染める、あの圧倒無二の、砂漠の陽の出だった。
「──」
予感があったので、もう月は驚かなかった。
落ち着いて駒を止め、昇る太陽に見入った。
「たわけっ! 遂に観念しおったか!?」
砂を蹴立てて突っ込んで来る帝国征夷派遣軍・紂将軍。
「今度こそ、仕留めてやる!」
だが、その紂自身、次の瞬間には動転して手綱を引き絞った。
黒髪の湖鬼が仰ぎ見ている陽光の彼方──
燃える日輪の中に浮かび上がったのは、目を疑う大軍の影だった。
「湖族連衡軍……!」
傍らで将兵たちが絶叫した。
「ば、馬鹿な……」
紂は喘いで隻眼を擦った。
「幻ではないのか? 砂漠で見えるという、あれ──」
だが、幻ではない証拠に、見る間にも何十騎もの湖族の尖兵が帝国軍へ向かって突撃して来た。
先刻来、馬を止めたまま朝陽に見蕩れている湖鬼神の両脇を摺り抜けて、獰猛果敢な泥色の波は鬨の声もろとも帝国兵に襲いかかった。




