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燦光伝  作者: sanpo


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56/63

*55

     


 湖鬼神は奪った一騎の腹を蹴った。

 呆然とする衛兵を尻目に表門から飛び出し、暗い街路を城壁へ向けて駆る。

 追って、紂将軍以下、帝国将兵も馬に跳び乗った。

 紂は馬上、手綱を引いて皇太后を振り返った。

 惹苺(ジャモ)皇太后は女官に支えられながらも城の門前まで出て来た。

 怯えて震えている美しい異郷の女……

 紂は隻眼を細めて声をかけた。

「ご心配には及びません、皇太后殿。王の命を奪った湖鬼めは、この私が必ずや討ち取ってきます」

「頼もしい限りです、紂将軍、頼みましたよ?」

 交わされる淫靡な微笑……

 秘密の約束……

 互いの血の中に同じ匂いを嗅ぎ取った二人は既に千年来の許嫁(いいなずけ)に見えた。

「行くぞっ!」


 駆け去る紂を見つめながら、惹苺はついに自分の(とき)が到来したことを確信して喜びに震えた。

(随分と遠周りをしたけれど……)

 あれこそ(・・・・)私の待ち望んだ男だわ!

 万人を従わせることのできる真の支配者(・・・・・)……!


 片や、馬上で紂謖(ちゅうしょく)も微笑まずにはいられなかった。

 傀儡の身となるはずだったとは言え、王は王。その邪魔な沙嘴の現王・(あけひ)侵入して来た(・・・・・・)湖鬼が(・・・)殺してくれた……

 これは願ってもない筋運びではないか!

 そして、次には、その湖鬼の首を俺が(・・)持って帰る……

 沙嘴国は名実ともに島帝国の完全支配下と化す。

 征夷派遣軍総帥、この紂謖こそ、真の沙嘴の王だ!

 おまけに、あの女。惹苺皇太后……

「悪くないな?」

 紂は北叟笑(ほくそえ)んで愛馬に鞭をくれた。


「何だ!?」

「ええっ?」

 城壁警護の兵たちは仰天した。

 真っ直ぐに突っ込んで来る、一騎。

 湖鬼神は眼前、高く迫り来る城壁から決して目を逸らさなかった。

 いったん、番卒詰所(つめじょ)の低い屋根に跳び、それを足場に、蹴って、高々と飛翔した。

 天空の月の中へ……!

「おおーーー!?」

 警備兵たちは一歩も動けず、呆気にとられてその姿に見入るばかり──


 着地した処は、既に沙海の砂の上だった。

 そのまま砂漠の深奥へと馬を駆る。

 湖鬼神の目には後から後から涙が溢れ出た。

 いつしか湖鬼神は泣いていた。

これが答えか(・・・・・・)……!?)

 (ちのひ)

 愛しいと思い、おまえもまた、あんなに慕ってくれたのは……

 兄弟だったからか(・・・・・・・・)

 そして、兄上!

 こんなに長い間、沙海の中で俺が求め続けたもの(・・・・・・・)、全て──

 兄を……弟を……家族を……

 今日やっと、俺はこの手に取り戻したというのに……

 それが、こんな形で──?


 今宵、月は(やみひ)に災いした。

 追っ手の帝国兵はすぐに湖鬼神の姿を視界に捕らえ、追いついて来た。

 湖鬼神の馬は常の龍馬ではなく、しかも、先刻の城壁での大跳躍で疲弊していた。

 乗り手の湖鬼神自身、再び傷が破れて血が滴っている。

「いたぞ! あれだ!」

「見失うな!」

 やがて、距離を詰めた帝国軍兵は矢を射掛けて来た。

 降矢の中を、それでも巧みに馬を駆り疾駆し続けた湖鬼神だったが、遂に一矢、左肩を掠った。

 と、思う間もなく、馬自身にも数矢刺さったと見え、(いなな)きとともに崩折れた。

「!」

 湖鬼神の躰は無情な砂の上に叩きつけられた。


 歯を食い縛って立ち上がった時には、周囲は追っ手の帝国兵の紫の壁が取り囲んでいた。

 砂上の湖鬼神と馬上の帝国兵たち。

 暫し無言のまま向かい合った。

 紫の輪を割って、進み出て来たのは紂将軍。手を挙げて部下をその場に押し止めた。

「やはり、おまえ(・・・)だったか? 湖鬼神とやら?」

 紂は嘲笑った。

「いいザマだな? おまえ等、湖鬼が馬を失ったら……羽を捥がれた鳥と一緒だ!」








 

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