*51
月の光の降る〈王の間〉。
沙嘴王・陽は先刻までとは打って変わった激情を迸らせて湖鬼に詰め寄った。
「とっとと出て行け! この……穢らわしい悪鬼め! 私はおまえたちが大嫌いなんだ!」
思えば──
湖族こそ全ての災厄の根源ではなかったか?
父を惑わし……苦しめ……私たち三王子に濁った血を残し……
そして、この運命だ!
何故、私は……月は、螢は、こんな生き方を背負い込まなければならなかったんだ!?
「もうたくさんだ! おまえ等……湖鬼の顔など見たくもない! 私がどんなにおまえたちを憎んでいるか、いい機会だ! 今こそ見せてやる! 呪っても呪いきれない蛮族ども!」
両の刃が激しく斬り結んだ。
身も凍る硬質の音が〈王の間〉を貫く。
「私が弟を殺しただと? ほざくな! 私から弟を奪ったのは──月を、螢を、奪ったのはおまえたちだ!」
陽の積年の怨嗟が遂に爆発した。
押し殺して来た憤怒が堰を切って炸裂する。
それは王の鋒に乗り移り、白熱に滾って、振るう刃を神速と化した。
鋭い一閃……また一閃……!
「クッ」
湖鬼神が押される。
噛み締めた歯の間から驚きの声が漏れた。
「へえ? 王様にしちゃあ……中々やるな?」
「おまえの方は噂ほどではないな? 〈月下の常勝王〉、〈沙海の覇者〉とは……こんなものだったのか?」
嶄然一刀……!
湖鬼神の手から剣が弾け飛んだ。
剣は、遥か、月が覗いている高窓の下の床に落ちた。
湖鬼神は大きく仰け反って倒れた。肩から衣服がザックリと斬り落されている。
「──何だと!?」
しかし、湖鬼神が驚倒したのは自分が斬られたせいではなかった。
薄氷、王の一太刀は衣を裂いただけだ。
湖鬼の将は文字通り、紙一重の差で躱して大事には至っていない。
湖鬼神を震撼させたのは、斬り込まれて倒れたその場所──
今、自分の傍らに横たわっているもののせいだった。
そこにあったのは、血だらけの螢の遺骸だった
「何だと……? こ……こんな処に?」
暗闇の中、近づくまで、全くそれとは気づかなかったのだ。
その亡骸のあまりの酷さに湖鬼神は絶句した。
「おまえ……螢? ……これほど……!?」
剣を失った己の立場も忘れて、湖鬼神は斬り刻まれた螢の骸を茫然と眺めやった。
だが、この瞬間、石化したのは独り瑚鬼神だけではなかった。
憎むべき湖鬼に一刀浴びせた陽王も剣を下げたまま立ち竦んでいた。
王が見つめているのは螢ではなく、腰を突いたまま動かない無防備な湖鬼の方である。
はだけた上半身、肩から胸にかけて巻かれている血の染みた巾。
「そうか? おまえ、怪我を負っていたのか? どうりで名の割に非力だと思っ──」
肩から胸への新しい傷ではない。
その下、脇腹に烙印のように残る古い傷痕……
白い三日月にも似たそれが陽王の見開いた双眸を深く抉った。
「なっ……何だと……!?」




