*43
陽王、螢、ジニーの三人はともに絶句してその場に立ち竦んでしまった。
扉の向こうに、配下の将兵を引き連れて紂将軍が立っていた。
帝国征夷派遣軍総帥はすぐには口を開かず、太い腕を組んだまま三人を見つめて舌舐めずりをした。
「水臭いではありませんか! 湖鬼相手に幾度も砂と血に塗れて、今や我々派遣軍兵士は沙嘴国人も一緒。一心同体の間柄かと自負しておりましたのに!」
紂謖は一歩、足を出して扉の内側に踏み込んだ。
「私どもを仲間外れにして、内輪だけでどちらへお出かけのご予定かな?」
陽王は無念の声を上げた。
「……紂将軍」
ジニーと手を繋いだままの螢は残るもう片方の拳を握り締めた。
紂はそんな王子へ首を巡らせると猫撫で声で言うのだ。
「須臾王子も須臾王子だ。お戻りなら一声かけてくだされば良かったのに!」
(一体、いつの間に……?)
ジニーは体中の力がいっぺんに抜けるような気がした。
(上手く行くと思ったのに……何故?)
ジニーの心の声を聞いたかのように紂は平生の胴間声に戻って吐き捨てた。
「フン。荷物として城に入るとは迂闊だったわ。流石の帝国人もまんまと出し抜かれてしまったが。幸い、通報してくれる者がいてな。王様の元へ今しがた生肉が運び込まれたようだ、とな?」
ジニーには信じられない思いだった。
まさか!
では、この王城内に裏切り者がいるとでも……?
帝国の将は勝ち誇って咆吼した。
「さあて? その〝活きの良すぎる生肉〟をどう料理したものかな?」
紂謖は兵たちに周りを固めさせて三人を王の自室から〈王の間〉まで連行した。
〈王の間〉に入ると、森閑とした夜の玉座に顎をしゃくった。
「まずは──お座りになったらどうだ?」
しかし、陽王は不動。護るように弟王子とその許嫁の側を離れようとはしなかった。
「じゃあ、せっかくだから。空けておくのは勿体ないというものだ」
紂は自らがそこに座った。
「貴様っ! 何の真似だ!?」
この暴挙を目の当たりにして螢は血相を変えて叫んだ。
「王を差し置いて……よくも……!」
「相変わらず威勢がいいな、須臾王子?」
紂はふんぞり返って玉座から王子を見下ろした。
「俺のやることより自分の身について少しは気を配ったらどうだ? 今はまさにそれこそがメインテーマだぞ?」
「紂将軍!」
血を吐くような陽王の声。ジニーの掠れた声が重なる。
「螢をどうする気?」
「それはこいつの態度次第さ。おい!」
紂は部下に王と娘の拘束を命じた。
その際、王の腰の佩刀を取り上げるのを忘れなかった。
どんなに平生、優雅で柔和に見えても現沙嘴王の気性の激しさはとうに身を持って経験済みだ。所詮、こいつも湖鬼なのだ。
そうしてから、改めて王子を、自分の座る玉座の前まで連れて来させる。
紂謖は膝の上に片肘を突いて、尊大な口調で切り出した。
「さてと、王子様。どうだ? ここは一つ両手を突いて誤ってみるか?」
「──」
「俺が優しい男だというのは充分にご存知だろ? 泣いて命乞いをすれば──許してやらないこともない……」
螢は唇を噛んで面伏せた。
「螢……!」
思わずジニーは叫んだ。それから心の中で念じた。
(どんな屈辱も〝命〟には変えられないわ! お願い、螢、ここは我慢して!)
今さえやり過ごせば……抜け道はきっとあるはず。
だから……お願い──
螢は恋人の心の声を聞いたかのように一瞬肩越しに振り返ってジニーを見た。
いつもながらの涼やかな双眸。
ジニーは心底後悔した。
ああ! 私ったら、なんて迂闊だったんだろう?
螢の剣なんか博士にくれてやって、代わりにメーザー銃の一つも借りて来るべきだった……!
こんな物、何の役にも立たない──
傍らで陽王が微かに身動ぎした。
異郷の娘が残紅色の裳裾の下、薄墨の裙子の腰に弟の短剣を大切にたくし込んだのを王は先刻見て、知っている。
片や、玉座の前の螢は、ジニーから兄へと視線を移した。
暫く、そのまま兄王を真っ直ぐに見つめていた。
「──……」
やがて、心を決めたらしく玉座に向き直ると、螢はゆっくりと頭を垂れた。
膝を折って深々と叩頭した。
「謝ります。紂将軍。俺を許してください……」
紂は玉座に仰け反って呵呵大笑した。
「中々似合ってるぞ、須臾! 生まれついての奴隷のようだ!」
螢は頭を下げたまま何も言わなかった。
「だが、そんなんじゃダメだ! 来い、須臾! もっと俺の足元へ来て……その体に流れる卑しい湖鬼の血の愚かさと、その名に冠された沙嘴王国の非力さを、両ながら素直に認めて……この帝国人に恥じて頭を下げて見せろ!」
嬉々として紂謖は要求した。
「真の王者! 貴様ら虫けらの頭上に君臨する偉大なる支配者! この俺の足に額づけっ!」
王もジニーも全身粟立った。
当の螢はと言うと──
静かに頭を上げ、紂を見ただけ。
その表情は意外にも穏やかだった。
「なるほどね? おまえの求める謝罪とは、それか?」
間髪入れず兄王が叫んだ。
「須臾!」
「平気だ、兄上」
弟王子は言う。
「一度頭を下げた以上──何度、そして何処でやっても一緒だからな。
いいとも、紂将軍! 望む通り……やってやる!」
螢は素直に玉座へ進み出た。
「ほう?」
ちょっと意外に思って目を細める紂だった。
刹那、陽王が震え出した。
「だめだ……須臾……!」
「え?」
ジニーは吃驚して傍らの王を見上げる。
弟の白い彩羅の背を凝視する陽王の額に玉の汗が吹き出している。
「だめだ……あいつは……やるぞ……」
「陽王?」
この時、ジニーは王の戦慄の意味がわからなかった。
螢は春風のように軽い身のこなしで帝国驍将・紂謖の足元に跪いた。
「もっと苦悩するかと思ったのに? やけに従順じゃないか、王子?」
紂は有頂天だった。
螢は差し出された帝国人の足へ躊躇なく顔を寄せる──
かと見せて、次の瞬間、将軍の腰の剣を奪って抜き取った。
一閃……!
「舐めるな!」
「グワッ────!!」




