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燦光伝  作者: sanpo
42/63

*41

     


 歯を食いしばって(ちのひ)は沙海を疾駆していた。

 脳裏を掠めるのは砂に堕ちた恋人の悲しい顔──

(ごめんよ、ジニー……!)

 さっきから何度、胸の奥で謝ったろう?

 だが、あれ(・・)が俺達の永遠の別れだとは俺には思えない。

 俺たちはまた会える(・・・・・・・・・)必ず(・・)……!

 だから、今は一人行くことを許してくれ。

 俺はどうしても兄王に会わなければならないんだ!


 己と己の馬の影以外何も見えない一面の砂の海。紅蓮地獄と見紛うばかりの夕焼けが肌を凍らせる。

 自分は何も知らなかったのだ、と思って螢は身震いした。

(父王の血を引いていないなんて……!)

 だって、父上はいつもあんなに優しくて、むしろ母上が──

 ひょっとして、俺は母こそ(・・・)自分の本当の親ではないのではないかとこっそり疑っていたほどだ。そのくらい母上は俺を(かえりみ)なかった。

 だが、父王はそれを補って余りあるほど、常に傍らに置いて俺を可愛がってくれた。死ぬまで。

 螢の胸に蘇る臨終の父王の姿──


          ○○       


 既に半年も前から帝都には、自身の様態の悪さを伝え、長子(あけひ)王子の帰還を熱望していた沙嘴国第十六代王・(そら)であった。

 だが、王の望みは叶えられないまま遂にその日は来た。

 晩秋、抜けるような空と蒼さを競う離宮〈蒼落堂〉内。

 廷臣一同踞座して居並ぶ中、臨終に際してもそこに皇后の姿はなかった。

 臥牀に横たわる旻王は最期の苦しい息の下、震える腕を伸ばした。

「王子……螢は何処だ?」

「ここだよ、父上! 俺はここにいる!」

 実際、螢王子は昨夜来、父王の臥牀に取り縋って泣き続けていたのだ。だが、そんな末王子の姿も既に父王には見えないらしかった。

 王は差し出された息子の手をきつく握った。

「螢……私はもうだめだ……」

「父上! 縁起でもないことを言うな! 俺を一人にしないでくれ! 父上がいなくなったら、俺は……俺は……」

 十三歳の王子はしゃくりあげた。

「寂しいじゃないか……!」

 これに父王は思わず微笑んだ。

「大丈夫。代わりに兄が帰って来るぞ」

 廷臣たちが微かに身動(みじろ)ぎした。

「私と同じように……」

 王は優しい声で言う。

「あれもおまえを可愛がってくれる。何が寂しいものか。だから、螢──」

 父王は苦しい息を整えた。

「おまえも兄の言うことをよく聞いて……兄弟仲良く力を合わせて生きていくように。わかったな? それだけが……この父の……願いだ」

「父上……」

「何だ、その顔は?」

 末王子の砂色の蓬髪をなんとか整えようと腕を伸ばし撫で下ろす。

 平生、何千回と繰り返してきたそれが旻王がこの世でした最後の所作となった。

「安心しろ……たとえ離れて育っても……陽は弟思いの……優しい……兄だ……」

「父上?」

 とっくにぐっしょり濡れている王子の白い彩羅に、また新しい涙が零れた。

「父上──っ……!」


          ○○


 そしていま、思い出と同じように馬上、螢の頬に零れる涙。

(父上の言う通りだった……!)

 たとえ、どんなに遠く、長く、離れて育っても、兄弟は兄弟だ。

 思い出は、糸のように紡がれる。

 螢は兄が帰還して来た日のことを思い出した。


          ○○


 朝から例によって丞相は口(うるさ)かった。

「よろしいですか? くれぐれも無作法な真似はお慎みくださいますよう! 兄上とおっしゃいましても今や沙嘴王として御帰還なされるのですから」

「チエッ」

 うんざりの(てい)で螢は、平生にもまして純白の極まった彩羅の砂をはたいた。

「その同じ沙嘴王(・・・)であっても──父上は小煩(こうるさ)くなかったぜ?」

 椅子の肘掛に乗せた王子の足を引っ張って下ろしながら、丞相、

「先王は甘やかせ過ぎでした! 私ども傍目(はため)から見ても! そのせいで王子は野育ちの獣と一緒ではございませんか! それが兄王にも通用するとお考えでしたら大間違いですぞ?」

 旻王崩御以降、丞相が口を酸っぱくして言って来た言葉だ。

「何と言っても新王は帝都でお育ちになられたのです。粗野で礼儀を欠いた立ち居振る舞いにはお慣れになっていないはず。新王がお腰をお抜かせになられるような言動はお慎み下さい!」

「へっ! お腰をお抜かせ(・・・・・・・)……ねえ?」

 末王子は髪に指を突っ込んで掻き上げた。舌を鳴らして、

「ったく! わかったよ! 今日一日、俺は沙海の砂粒みたいに小さく、おとなしくしていてみせるさ! それでいいんだろ?」

 心の中は不満でいっぱいだった。

(くそったれ! 兄なんて肩の凝るもんなんだな?)

 ところが──

 その、腰を抜かした(・・・・・・)のは兄ではなかった!

 馬上で螢は思い出して一人笑い出す。


          ○○


 第十七代沙嘴国新王・陽がいよいよ帰還というその日、空は先王が逝った秋の日と同じように砂漠に特有の蒼穹(あお)を極めていた。

 その悽愴たる青から次から次へと雪が舞い落ちて来る。冬の日、沙海に降る雪は、まるで砂に汚れるのを嫌うかのように地上に届く前に風に吹き飛ばされて消えるのだ。

 沙嘴国王城内、〈王の間〉に峻厳として列をなす廷臣一同。

 無論、この日も皇太后の姿はなかった。

 螢は、空いた玉座の右下で精一杯澄まして待っていた。

 昼近く、漸く新王は、途中まで迎えに出た沙嘴国近衛隊と、帝国から送って来た護衛隊とともに入城した。

 〈王の間〉に入って来た新王はすぐには玉座に着かず、いったん足を止めて一同を見渡した。

 皆、一斉に叩頭して奏上した。

「ようこそ、お戻りになられました! 我等が王よ! 御無事の御帰還、心よりお喜び申し上げます!」

 当の新王の目が弟王子の上で止まった。

「おまえが? 螢王子か?」

 玉座左先頭に控える丞相、すかさず目配せした。

『さあ、王子! 今です、ご挨拶を!』

「え? あっ、ああ──」

 慌てて王子、深く頭を下げると、

「あに、あに、兄上……このたびの……いや、このたびは……」

 常日頃縁のない格式張った口上に見事につかえてしまった。

 新王は旅装の長衣を翻して足早に王子に歩み寄った。

 臣下一同、固唾(かたず)を呑む。

(そら、言わんこっちゃない! 挨拶一つまとも(・・・)にできないとは! 無作法を叱責なさるぞ!)

 口籠もったまま、それでも丞相に教え込まれた通り、ずっと頭を垂れて床ばかり見ている王子だった。

「?」

 自分の前に立った新王の気配に反射的に身を起こした。

 目に飛び込んで来たのは自分を見下ろす兄の清澄な眼差し。

 螢は吃驚して声を失った。

 間近で見た兄の顔は死んだ父王とそっくりだった……!

 目の覚めるような長身といい、腰まで伸ばした髪といい、切れ長の美しい目といい……

 王の色である朱の長衣の肩にはまだ消えやらぬ砂漠の雪が燦いていた。

(父上……?)

 自分の置かれている状況も忘れて螢はつい夢心地に微笑んでしまった。

 次の瞬間、朱色の肩に残る雪が弾け飛んだ。

「会いたかったぞ!」

 両腕にしっかりと抱きとめられた。

「想像していたより、ずっと大きくなっている! そうか? おまえ(・・・)が私の弟か!」

「あに、兄上……このたびは、まこ、まことに……」

 兄は破顔して叫んだ。

「アハハハハ! 舌を噛んだな、螢! 何を気取っている? 今更、水臭い挨拶は抜きだ!」

 螢も心の底から微笑した。そして、今度は自分から兄に跳びついた。

 父王にそうして来たように、首に腕を回してしがみつく。兄弟の同じ砂色の髪が混ざり合って揺れた。

「兄上! お帰りなさい! 俺も待ってた! 凄く会いたかった!」

 その光景はとても一国の王と弟王子の対面の図とは思われなかった。

 〈王の間〉を二人して歓声を上げて飛び跳ねる姿に丞相以下、沙嘴国廷臣一同腰を抜かして(・・・・・・)しまった(・・・・)


          ○○


 螢はいつかのジニーの言葉を思い出した。

血のせいよ(・・・・・)、螢。顔が似てる、似てないの問題じゃない。何年離れて暮らそうと肉親って一瞬でわかり合えるものよ。そして、容易に愛し合える……』

 沙海の真ん中で螢は微笑む。

 (やみひ)兄上が生きていたら──やっぱり、出会った瞬間に俺たちは笑って抱き合えたろうか?

 もちろん、そうに決まっているよな?

 螢の瞳に、地平の果て、母国沙嘴の尖塔が微かに見えて来た。

(ああ! 懐かしい沙嘴! 俺の……故郷……!)

 だが、本当は──

 俺はジニーを余所者(よそもの)の娘と呼んだけど、何てこった! 

 当の俺自身……第三王子として育った俺自身(・・・)がこの国の〈客人〉だったんだ……


 


  

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