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燦光伝  作者: sanpo
19/63

*18

     


 (ちのひ)は日暮れ前に(あらかじ)め厩舎より引き出して隠しておいた愛馬に飛び乗ると、王城搦手(からめて)から〈黒門〉を抜けて沙海へ出た。

 銀色の夜の砂を飛ばして疾駆する。

 空には懐かしい月。


「今現在、須臾(しゅゆ)王子がどこにおられるか御存知ですか、王よ?」

 丞相(じょうしょう)の言葉に露台で月を眺めていた(あけひ)王は振り返った。

「王子は今、御自室にはおられません」

「よいではないか。あいつも年頃なんだし……」

「では、御本気なのですね?」

 眉間に深く皺を刻んで丞相、

「王は本気で王子とあの御客人との仲をお許しになるおつもりか?」

「何が気に食わない?」

 陽王はため息を一つして美しい月に別れを告げた。

 露台を離れると丞相の控える小卓の前に座る。

 卓上に用意されていた葡萄酒を自ら盃に注ぎながら、

「二人とも心底惚れ合っているようだし。となれば、早い内に正式に式を挙げてやるほうが良いではないか」

「しかし……血はともかく(・・・・・・)仮にも須臾王子は王族。一方、あの御客人は出身地さえ(つまび)らかではない」

 陽王は顔を上げて丞相を見つめた。微かに皮肉めいた笑みが(はし)る。

「またそれ(・・)か。おまえは父王の時もその台詞を振り翳したのか?」

 丞相の顔色が変わった。深く額づくときっぱりと言う。

「心よりの忠告でした。そして、それは間違っていなかったと今も確信しております。もし、先王が私ども廷臣の反対を押し切ってあの婚礼を強行なさらなければ──」

 言い淀んだ言葉を陽王が補って言い切った。

「──私たちのような(・・・・・・・)不肖の王子は生まれなかった、か?」

 流石に丞相、面伏せたまま身動(みじろ)ぎもない。

 老臣のかくも深い懊悩を目の当たりにして若き王は螺鈿の椅子に身を沈めた。

「もうよい、丞相。王子の結婚は私が承知したのだ。これ以上口出ししてくれるな。快くあれの婚礼を祝ってやってくれ」

「御意。もう何も申しますまい」

 丞相は面を上げる。

「それに、私とて伊達に歳を取っておらぬつもりです。王が人一倍王子の婚儀をお急ぎになる裏の御心(・・・・)も察しております」

 王は眉根を寄せた。

「これは、つまり──王御自身、完全に王子を信じきっておられるわけではないと言う証明でしょうから」

「おまえ──」

「そうではないのですか? 最前、私が箴言した〈王子謀反〉の懸念を王も抱いておられる。なればこそ、王子が望まれるものをここはあっさりと与えて機嫌を取っておこうという〝策略〟と私は読んでおりますが?」

 鳩杖を握りしめる紫斑の浮いた手。老臣は続ける。

「あの娘は手頃な王子への餌。甘い飴ではござらぬか?」

 玻璃(ハリ)の盃を宙に留めて、陽王は乾いた笑い声を上げた。

「そうまで言われたら身も蓋もないな。確かに、危険な小石は早い内に一つでも多く取り除いておきたいと私は思っている。だが、誤解するなよ(・・・・・・)?」

 ここで、陽王の声が一段と凄味を帯びた。

 丞相はハッとして身を正した。こういう時の容貌は先王とそっくりだった。

「私は王子を……弟を釣ろうとは思わない。ただいつまでも兄弟仲良くこの国で暮らして行きたいだけだ」

 王は言い足した。

(やみひ)王子との(あやま)ちを私は二度と繰り返したくはない……!」

「……陽王!」

 若き沙嘴王の苦悩の源泉を垣間見て丞相は蹌踉(よろ)めく。

「そのためになら……王子が望んで叶えられる願いは全て……私は叶えさせてやりたいのだ!」

 風に吹かれて公孫樹の枝が一斉に鳴った。宛ら、王の言葉を讃えるが如く。

 中院(なかにわ)の木々の喝采を聞いた後、幾分明るめの声で王は言い添えた。

「それに、身を固めるのは良いことではないか。王子は今まで以上に妻の住む沙嘴(この)国を愛でるだろう。よもや馬鹿な考えには走るまい」

「それはその通りであります。だが、もっと言えば──」

 反駁を呈するのは老臣の務めである、とばかり丞相は食い下がった。

「王子と沙嘴国の絆を一層強固なものにしたいと王が本気で御考えなら──ならばこそ、王子の妃は沙嘴の娘にすべきですのに。されば、王子はともかく(・・・・・・・)、王子の御子は、今度こそ正真正銘、沙嘴国人となりますものを……!」

 夜風に公孫樹の枝がまた激しく鳴った。


 (ちのひ)は闇の中、沙海を爆走した。

 鼻先を掠めて、何か、瞬いた。

「?」

 それは迷い(ホタル)だった。

 付近に群れは見当たらない。一匹、続いて二、三匹……チロチロと微笑むように明滅している。

「!」

 次の瞬間、螢はハッキリと見た。

 この自分と同じ名を持つ数匹の小さな虫たちの飛び交う間──暗い地平に、大きさは同じながらもっと壮烈に燃え盛っている人為の(ほむら)のあるのを。

 蛍たちは一見それと重なるように飛び回り、瞬いているが、もはや螢の目は遥か向こうの赤い(かがり)にのみ照準された。

「思った通りだ!」

 螢は馬上で歓声を上げた。

「方角は当たってた! 俺の勘も捨てたもんじゃないな?」

 最後の鞭を愛馬に当てる。

「それっ!」

 一声(いなな)いて砂の波を突き抜けるそれは湖族の龍馬。この間、瑚鬼神にもらったものだ。


「何者だ!」

「止まれ……止まれーーっ!」

「怪しい奴! ここを湖族連衡(れんこう)軍の陣と知ってか?」

 篝の赤い炎が燃え盛る本陣手前、螢は湖族の番卒数人に取り押さえられた。

 屈強な腕腕に搦め取られて馬からあっけなく引き摺り下ろされる。

「いい度胸だ! たった一兵で特攻か?」

「何処の兵だ?」

「放せ! おまえ等に用はない! 湖鬼神は何処だ?」

 螢は番卒たちの腕を振り払いながら叫んだ。

「瑚鬼神を呼べ! 俺が……〈螢〉が来たと伝えろっ!」

「このガキ、馴れ馴れしい奴だな?」

「我等が将に何の用だ?」

「うるさいっ! 俺は瑚鬼神に用がある! 何処だ、湖鬼神ーー!?」

「……騒がしいな?」

 闇から声。

「俺に用だと? 誰だ?」

 螢は番卒たちに抗うのをやめて声のする方に顔を向けた。

 黒髪が揺れて、〈闇の化現〉が現れる。

 またしても月を背景にして。

「……湖鬼神!」

 名を呼ばれた湖鬼の将、部下に押さえ込まれている若者を見て驚いた。

おまえ(・・・)か?」

 驚きはやがてゆっくりと微笑へと変わった。

「螢……!」

 すぐに瑚鬼神は番卒たちに命じた。

「放してやれ」

 そうして、いったんはよく来たな、と言った後で、心持ち首を傾げて、

「しかし──一体、何しに来たんだ?」

 螢はニヤリと笑った。

恩を返しに(・・・・・)、さ!」

 




 


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