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燦光伝  作者: sanpo
17/63

*16

     


「何かあったの?」

 〈蒼落堂〉を遠く離れてから、声を落としてジニーは尋ねた。流石に王子と将軍の間の尋常ならざる空気に気づいたのだ。

 それに、間近で見た王子の顔の傷──

「いや、何でもない」

 言下に(ちのひ)は否定した。

「だけど、貴方こそ、俺の〈未来の妻〉だけのことはある……!」

 苦笑せずにはいられない。

(まさか、貴方が助けに(・・・)来てくれるとはな!)

 それから、足を止めると改めて恋人を凝視した。

「それはそうと──驚いたな! それ(・・)、どうしたんだ?」

「フフフ、どう、似合う?」

 ジニーはクルッと一回転してみせた。

 それは沙嘴国の乙女の装束──膝に揺れる(しゃ)裳裾(もすそ)は淡紅色、その下の裙子(クンツ)は銀鼠。

〈曙〉と称されるこの組み合わせは元来、婚礼を間近にした娘に父や伯父が贈る習わしの晴れ着だ。

 無言で見つめる王子の、その瞳に映る賞賛の色を見て却ってジニーの方が紅潮してしまった。

「ヤダ! そんなに見つめないでよ、恥ずかしい! あのね、これはね、さっき(あけひ)王様が届けてくれたのよ」

「兄上が?」

「そう。せっかくだから試しに着てみたんだけど──キャッ?」

 次の瞬間、螢はジニーを抱き上げるとその場でクルクル回り始めた。

「やったぞ、ジニー!」

「どうしたのよ? やめて、降ろして──」

「流石、陽王は俺の兄上だ! おい、ジニー、わからないのか? 兄上は認めてくれたんだ。もう(・・)だぞ? 陽王は許してくれたのさ、俺たちの結婚を。だって、その服は祝婚の服なんだ!」

「え?」

「もう永久に──」

 息を弾ませながら螢は叫ぶ。

「貴方はそれ(・・)を脱ぐ必要はないぞ! 今や、貴方はれっきとした沙嘴国人だ! そして、俺の后だあ……!」

「キャーーーーー!」

 沙嘴王城内、中院(にわ)の上に広がる青空に向けて螢はジニーを高く、強く、掲げた。

 若い恋人たちの歓声は城影に深く、濃く、(こだま)した。


 玉座の陽王は静かに顔を上げた。

 今しも〈王の間〉に足取りも軽く弟王子が飛び込んだ来たところだ。

須臾(しゅゆ)?」

「兄上!」

 玉座まで一足飛び。王子は兄王に抱きついた。

 幸いにもこの遅い午後、〈王の間〉には王子を諌める丞相(じょうしょう)鴻儒(こうじゅ)も不在だった。

「ありがとう、兄上! ジニーに聞いたよ。晴れ着を贈ってくれたんだって?」

 破顔して頷く王に、

「嬉しいよ! 俺、まさか、こんなに早く兄上が察して……許してくれるとは思ってなかった!」

「私だって素早い(・・・)のさ!」

 陽王は悪戯っぽく片目を瞑って見せる。

手の早い(・・・・)弟に負けないくらいに、な?」

「アハハハハ……!」

 声を上げて笑う王子を眺めながら兄王は言い添えた。

「まあ、待っていろ。派遣軍と湖族の争いが一段落したら盛大な式を挙げてやるからな」

 ところが、とたんに弟の顔が曇った。

「どうした? 何か気にかかることでもあるのか? まさか──例の湖族との盟約云々の話か?」

「違う」

 即座に螢は首を振った。

「今、俺が心配しているのは母上のことだ」

 兄王は容易に許してくれたけれど母上はどうだろう……?

「実は、俺、まだ母上にはジニーのこと何も伝えてないから……」

 湖族の件ではないと知って安堵した陽王。笑って、

「なんだ、そんなことか!」

「簡単に言うなよ、兄上。ジニーは俺にとっては最高の娘、〈未来の妻〉だけど……でも、その、他所者(よそもの)だから……沙嘴国人じゃないから……」

 玉座の王は身を正すと真っ直ぐに弟王子の瞳を覗き込んだ。

だからこそ(・・・・・)だ。須臾、母上がそのことで反対されるはずはない。知らなかったのか? 我らが母は──」

 陽王の、いかにも王らしい玲瓏たる声が〈王の間〉に響き渡った。

「──母上も沙嘴国人ではない」

 王子は息を飲んだ。

「え?」

「かつて我らが父王は沙嘴国人ではない他所者(よそもの)に恋をしたのさ。そら、今のおまえのように」

 暫く螢は絶句したまま動けなかった。

 母に関する事実も衝撃ではあった。が、それ以上に──

 今日この瞬間まで、父王は元より近臣、侍従、衛士、王僕に至るまで誰一人として自分にその事実を教えてくれるものがいなかったとは……!

 螢はつくづく思った。

 (あけひ)王と(やみひ)王子の諍いの件にしろ、いつも自分は真実を知らされていない〈部外者〉だ。つまり、それだけ子供扱いされているということか?

 胸中を吹き(すさ)ぶ様々な感情の嵐が過ぎ去るまで、なお暫く時間を要した。

 漸く落ち着いた後、新たに沸き起こった疑問を螢は率直に陽王にぶつけた。

 常に自分に真実を語ってくれる、誰よりも信頼できる兄王にこそ聞く価値がある。

「では、兄上、ひょっとして、母上は湖族ですか?」

 陽王は悲しげに首を振った。

「さあ、それは私からはどうとも言えない。母上御自身がそのことについて何も語ろうとなさらないから──我々には知りようがないのだ」

 だが、大切なことは、と兄は語気を強めて言った。

「父王はそれを気になさらなかったということだ。おまえも、須臾、今更ジニーの出身国など問い質す気はないのだろう? ならば、それで良いではないか。私はこれ以上何も言うことはないし、かつて旅人から后になられた母上とて御心は同じだろう」

 ここに至って螢は微笑した。

 一点の曇りもない、清々しい諒解の笑みだった。

「諾」

 跪拝して玉座を離れる。

「──おい?」

 王が小さな叫び声を漏らしたのはこの時だ。

「おまえ、その顔はどうしたんだ?」

 弟王子の顔面には幾つも痣があった。

「ああ、これか?」

 兄の視線を遮るようにして慌てて螢は手で顔を覆った。

「これは、その、恥ずかしくて黙っていようと思ったんだけど──」

 きまり悪げに螢は言う。

「さっき中院(にわ)で、結婚を許されたのを喜んでジニーとはしゃぎ過ぎて……転んでしまったんだ」

 含羞んで俯いた弟王子の様子が微笑ましくて、陽王も顔を(ほころ)ばせる。

「ああ! どうりで。さっき凄い奇声が王城中に響いていたっけ」

「チェッ、歓声と言って欲しいな!」

 ここで螢は〈王の間〉へ入って来ようとする人の気配を感じた。

 果たして、回廊をやって来る人影は紂謖──

「じゃ、兄上、俺はこれで」

 意識的に螢は将軍を避けて玉座を辞した。

 紂の方も〈王の間〉から出て来る王子に気づいたようだ。

 二人はちょうど扉の前で摺れ違う格好となった。

『須臾!』

 擦れ違いざま、紂は小声で囁いた。

呼び捨て(・・・・)だと?)

 螢は気色ばんだが、兄の手前、努めて冷静を(よそお)った。

『さっき言い忘れたことを教えとくぜ』

 紂謖は細い目を殊更細くして、

『おまえは皇太后似なんかじゃない』

『へえ? では、父王似か。別にいいさ』

 螢も負けずに小声で言い返した。

『俺はどっちでも構わないんだから』

『勘違いするな。父王(・・)じゃない。父親(・・)さ!』

 稲妻に撃たれたような衝撃に螢は足を止めた。将軍の方は平然として〈王の間〉の扉を潜って行く。

 螢は身を翻すと呼び止めた。

「待て! それは──どういう意味だ?」

 紂将軍はチラリと肩越しに振り向いた。

 今や、見慣れた蛇のような笑みを浮かべて一言。

「……さぁてね?」

 帝国人は素知らぬ顔で玉座の前に進み出て行った。


 不動のまま佇む王子の耳に王と将軍の会話が漏れ聞こえて来る。

「おや? 今日はまた顔に痣がある人の多い日だな? 紂将軍、貴方もどうなされた?」

「いや、何、先程、離宮で()(つぶ)そうとして……反対に刺されましてな。いやはや! 近頃は虫ケラ(・・・)も油断がならない!」

父王(・・)ではなく……父親(・・)だと……?)

 耳障りな帝国人の笑い声を聞きながら螢は一人拳を握り締める。

 先刻までは意識すらしていなかったのにこの時に至って、初めて、殴打された頬や目の端の傷が熱を帯びて疼きだした。



 

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