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百物語  作者: こうた


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1/8

第一話:隙間の目

それは、どこにでもある、少し築年数の古い賃貸マンションでのことだった。

大学生の誠一がその部屋――四階の角部屋――に引っ越してきたのは、格安の家賃に惹かれたからだ。日当たりが悪く、昼間でもどこか薄暗いこと、そして前の住人が急に退去したという点を除けば、学生の一人暮らしには十分すぎる広さだった。

引っ越しから一週間ほどが経ち、部屋の片付けも大体終わった頃、誠一は「それ」に気づいた。

夜、ベッドに入ってスマートフォンの画面を眺めていた時、ふと視線を感じたのだ。

気のせいかと思い、画面から目を上げて部屋を見渡す。六畳のワンルーム。ワンルームの端には、備え付けのクローゼットがある。そのクローゼットの引き戸が、ほんの数ミリだけ、開いていた。

真っ暗なクローゼットの内部。その数ミリの細い隙間に、何かがあるように見えた。

誠一は目を凝らした。

暗闇に目が慣れてくると、その隙間の、ちょうど大人の目の高さほどの位置に、白いものが二つ、上下に並んでいるのが分かった。

いや、上下ではない。横だ。

顔を横に傾けた人間が、クローゼットの隙間からこちらをじっと見つめている――そんな構図が、頭の中に唐突に浮かび上がった。

「まさかな」

誠一は苦笑し、ベッドから起きてクローゼットへと歩み寄った。引き戸を掴み、ピシャリと閉める。隙間はなくなった。当然、中には誰もいない。服が数着かかっているだけだ。彼は自分の見間違いを笑い飛ばし、再び眠りについた。

しかし、翌日の夜も、その翌日の夜も、同じことが起きた。

寝る前に確実に閉めたはずのクローゼットの戸が、夜中にふと目を覚ますと、必ず数ミリだけ開いているのだ。そして、その隙間からは、やはりあの「横を向いた二つの白い点」が、誠一のベッドをじっと見つめている。

だんだんと、誠一の精神は削られていった。

見間違いにしては、あまりにも毎回同じ位置に、同じ形で現れる。何より、そこから放たれる「見つめられている」という明確な不快感が、彼の肌をチクチクと刺すようになっていた。

ある夜、誠一はついに耐え切れなくなり、スマートフォンのカメラをクローゼットの隙間に向けて、フラッシュを焚いて撮影してみることにした。もし単なる服の模様や光の反射なら、写真を見れば一発で安心できるはずだ。そう自分に言い聞かせた。

真夜中、午前二時。

やはりクローゼットの戸は数ミリ開いていた。暗闇の中に、あの横向きの目が浮かんでいる。誠一は心臓の鼓動が速くなるのを抑えながら、ベッドの上からスマートフォンを構えた。

レンズを隙間に合わせ、画面をタップする。

激しい白い光が、一瞬だけ部屋を爆発させたように照らし出した。

その直後、網膜に残った残像と、スマートフォンの画面に表示された画像を見て、誠一は息が止まった。

写っていたのは、服ではなかった。

クローゼットのわずかな隙間に、ぴったりと顔を押し付けた、異様に青白い人間の顔だった。

髪は乱れ、肌は生気を失って乾燥している。そしてその顔は、誠一の予想通り、完全に真横に傾けられていた。首が直角に折れているかのような角度で、隙間に無理やり顔をはめ込み、見開かれた二つの眼球が、爛々とカメラのレンズを――いや、誠一を凝視していた。

「ひっ……!」

誠一は悲鳴を上げ、スマートフォンを取り落とした。

恐怖で全身の毛穴が開き、冷や汗が吹き出る。彼は這うようにしてベッドから下り、部屋の照明のスイッチへと突進した。パチリ、と明るい蛍光灯の光が部屋を満たす。

照明の下で見るクローゼットは、やはり数ミリだけ開いていた。しかし、先ほどの顔は見えない。ただの暗闇だ。

誠一は震える手でスマートフォンを拾い上げ、すぐにでも警察か友人に電話しようとした。しかし、画面を見た彼は、そのまま凝固した。

撮影された画像。

拡大してみると、その真横を向いた顔の口元が、信じられないほど大きく裂け、歪な形に釣り上がっているのが分かった。

笑っているのだ。見つかったことを、歓喜しているかのように。

そして、その剥き出しの歯の隙間から、細い赤黒い舌が覗いていた。

背筋に氷水を流されたような戦慄が誠一を襲った。彼は靴も履かずに部屋を飛び出し、近くのコンビニへと逃げ込んだ。心臓が早鐘を打ち、呼吸がうまくできない。夜が明けるまで、彼はコンビニのイートインスペースでガタガタと震えながら過ごした。

翌朝、太陽が完全に昇ってから、誠一は荷物をまとめるために恐る恐る部屋に戻った。もうこんな部屋には一刻もいられない。違約金がいくらかかろうが、今すぐ実家に帰るつもりだった。

部屋は、朝の光が入って昨日よりは明るかった。

誠一はクローゼットに近づかないよう細心の注意を払いながら、机の上の貴重品や鞄を掴んだ。

そして、部屋を出ようと玄関のドアノブに手をかけた時、ふと違和感を覚えた。

静かすぎる。

そして、部屋の空気が、妙に冷たい。

彼は恐る恐る、振り返った。

クローゼットの戸は、完全に閉まっていた。

しかし、誠一の目は、別の場所に吸い寄せられた。

ワンルームの部屋の隅に置かれた、備え付けの小さな冷蔵庫。

その冷蔵庫と、壁の隙間。

わずか数センチの、暗い隙間。

そこから、床にぴったりと耳を。こすりつけるようにして、真横を向いたあの青白い顔が、じっと誠一を見上げていた。

今度は、隠れようともしていなかった。

隙間から覗く目は、狂気に満ちた歓喜でギラギラと輝き、その裂けた口が、声にならない音を立てて動いた。

『みーつけた』

誠一は絶叫し、ドアを激しく開けて外へ飛び出した。

その後、彼は二度とその部屋に戻ることはなく、荷物はすべて業者に頼んで処分してもらったという。

しかし、実家に戻った誠一は、今でも夜になると眠ることができない。

どんなに気をつけていても、部屋の箪笥の裏、ベッドの下、本棚の隙間――家中のあらゆる「数センチの隙間」が、夜になるとほんの少しずつ、広がっているような気がしてならないからだ。

そして、その暗闇の奥には、いつも首を真横に折ったあの目が、じっと彼が油断するのを待っている。


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