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自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ~運用保守はもう終わり。現代の物資と無限の資源で、銀河規模の自動化帝国を築き上げます~  作者: パラレル・ゲーマー
第十部 列に並ぶ列強と、配られる奇跡編

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第152話 アンノウン機関、運用一週間目の頭痛

 紫がかった異星の大気に、二つの月が淡く冷ややかな光を投げかけている。

 次元の壁を越えた先にある惑星、テラ・ノヴァ。その地平線の彼方まで続く荒涼とした大地の一部を切り拓いて構築された前線基地の最深部に、黒曜石のように滑らかで無機質な壁面に囲まれた高機能司令室が存在する。


 その広大な空間には、網の目のような光のデータストリームが走り、空中に何層にも重なって浮かび上がる巨大なホログラム画面が、青白い光を放ちながら展開されていた。

 表示されている情報群は、地球のいかなる国家中枢でも扱いきれないほど多岐にわたっている。

 『アンノウン機関の研究ログ』。

 『核融合炉基礎教科書群の進捗データ』。

 『各オラクル義体からの統合レポート』。

 『研究者たちのバイタルおよび作業時間推移』。

 『13m級教育用核融合炉の初期数理モデルシミュレーション』。

 さらには、テラ・ノヴァ側の地下プラントで絶え間なく続く『資源処理ログ』までが、滝のような速度でスクロールし続けている。人類の文明を根底から書き換えるようなオーパーツの開発・運用データが、ここには全て集約されていた。


 だが、その世界の命運を握る司令室の中央で。

 オーバーテクノロジーの創造主である工藤創一は、使い古した作業着姿のまま、身体を包み込むようなエルゴノミクス仕様の司令席に深く腰を沈めていた。

 彼は、空間に展開された光のキーボードを片手で適当に弾きながら、もう一方の手に持ったタブレットで熱心に『漫画アプリ』をスクロールさせている。おまけに、視界の隅に浮かぶホログラムウィンドウには、日本のバラエティ番組が垂れ流しにされていた。


 そこへ、司令室の静音ドアが滑らかな音を立てて開いた。

 パリッとしたダークスーツに身を包み、手には分厚いデータパッドを持った男が入室してくる。内閣官房参事官、日下部である。

 彼は入室するなり、目の前で繰り広げられている緊張感ゼロの光景に、スッと歩みを止めた。

 世界を揺るがす技術の管制室で、当の責任者が漫画とテレビを並行消化しているという、あまりにも間の抜けた光景。


「……工藤さん。仕事中……ですよね?」


 日下部が、呆れと疲労の混じった、ひどく低い声で問いかけた。


「もちろん仕事中ですよ。ほら、データ処理、ちゃんと走らせてます」


 工藤は、タブレットの漫画から目を離さずに、空中に浮かぶ高速で流れる解析ウィンドウを指差した。


「漫画とテレビも見えますが」


「脳の休憩です」


 工藤があっけらかんと答えると、彼の傍らの空間がわずかに歪み、タイトスカートのスーツ姿をした工場管理AI、イヴのホログラムが音もなく顕現した。


「補足します。マスターの現在の作業効率は、通常時の八十二%前後を維持しています。ただし、漫画閲覧は処理効率の向上には寄与していません」


「イヴ、そこは黙ってて」


 工藤が唇を尖らせて文句を言う。

 日下部は、そのやり取りを見て深く、本当に深い溜め息をつき、目頭を指で強く押さえた。


「八十二%でこれなら、残り十八%を真面目に使った時が怖いんですが……まあいいです」


 これ以上この男の規格外のマルチタスク能力にツッコミを入れても、自分の常識が削られるだけだ。日下部は気を取り直し、自らも空中のホログラムコンソールを引き寄せて、本題へと入ることにした。


「本日は、アンノウン機関運用一週間目のオラクル報告について確認したくて来ました」


「予定通りですね。じゃあ、やりますか」


 工藤がタブレットをポンと横に置き、ようやく姿勢を正した。

 イヴが空間の表示を一斉に切り替える。

 空中に、三つの巨大なレポート画面が浮かび上がった。


 『アンノウン機関 運用一週間目レポート』

 『オラクル統合報告』

 『核融合炉基礎教科書群 理解度推移』


「まずは、良い報告からお願いします」


 日下部が、自らの精神衛生を守るために、極めて切実な順番をリクエストした。悪い報告から聞けば、この後の会議が胃痛で立ち行かなくなる予感があったからだ。


「じゃあ核融合炉ですね」


 工藤が頷くと、イヴが一歩前に出て報告を開始した。


「肯定します。アンノウン式核融合炉基礎教科書群の理解度は、対象研究者全体で100%に到達しました」


 日下部の目が、驚きに大きく見開かれた。


「一週間で、ですか?」


「正確には、六日と十二時間です」


 イヴが、小数点以下の誤差もないような無機質な声で訂正する。


「……六日と十二時間」


 日下部は、その言葉をゆっくりと反芻しながら、日本のトップ科学者たちの凄まじい執念と知の渇望を脳裏に思い描いた。

 あの、人間を絶望させるような分厚い五巻の教科書。地球の物理学を根本から覆し、三百年先の真理へと至る階段。それを彼らは、寝食を惜しんで読み解き、一週間足らずで完全に理解の領域へと到達したのだ。


「優秀ですよ。さすが日本を引っ張ってきた科学者たちですね」


 工藤が、どこか教師のような誇らしげな口調で褒め称える。


「工藤さんから見ても、核融合炉に進むのは順調と判断して良いですか?」


「順調ですね。基礎理論の吸収が終わったんで、次は13m級核融合炉の数理モデルを組んで、シミュレーションの段階です。そこから安全系を詰めれば、いよいよ限定実証に進めます」


「来月の実証は現実的ですか?」


 日下部が、政治的なスケジュール感を確認する。国内での実証が進めば、対欧米の外交カードの切り方も変わってくる。


「現実的ですね。各チームに配備したオラクルのサポートがあるので、モデル構築はだいぶ楽なはずです」


「補足します」


 イヴが、すかさず説明を挟んだ。


「ヤタガラス搭載の演算設備をクラウド経由で使用した場合、地球製スーパーコンピューター群と比較して大幅な演算短縮が可能です」


「ざっくり百倍くらい速いですからね」


 工藤がサラリと付け加えた数字に、日下部は再び頭を抱えた。


「……またさらっと、とんでもないことを言いましたね。日本のスーパーコンピューターの百倍の処理速度を、あの施設の中で日常的にぶん回していると?」


「でも出力制限してますよ?」


「制限して百倍なのが問題なんです」


 日下部は、この男の「手加減」という概念がいかに壊れているかを改めて思い知らされた。だが、研究環境としてはこれ以上ないほど恵まれているのも事実だ。

 日下部は話題を次へと進めた。


「アメリカとフランスの研究チームと比べると、進捗はどうですか?」


 米仏両国にも、全く同じ教材と設計図が渡されている。国際的な技術競争において、日本がどの立ち位置にいるかは、今後のパワーバランスを左右する。


「進捗段階だけ見ると同じくらいですね。どちらも教科書理解までは来ています」


「では横並びですか」


「ただ、アメリカとフランスは数理モデルの組み立てで手こずっています。日本組はオラクルという専属チューターと圧倒的な演算環境がありますから、多分一番乗りです」


 工藤の冷静な分析に、日下部は少しだけ胸を撫で下ろした。

 翻訳者としての先行者利益を、日本が確実に確保できるという算段がついたからだ。アメリカの物量にも、フランスの科学的プライドにも、日本は知のインフラで打ち勝っている。


「なるほど。それは非常に良い報告です」


「はい。核融合炉は順調です」


 日下部の張り詰めていた顔の筋肉が、わずかに緩んだ。


「今日は良い報告会で終われるかもしれませんね」


 そう呟いた日下部の言葉を、イヴの冷徹な合成音声が即座に打ち砕いた。


「否定します、日下部様。追加報告には複数の懸念事項が含まれます」


「……ですよね」


 日下部は、大きな溜め息とともに再び目を閉じ、コンソールに寄りかかった。アンノウン案件が、すんなりと終わるはずがないのだ。


「研究者群の精神状態について報告します」


 イヴが空中に表示させたのは、研究者たちのバイタルサインや心理評価がグラフ化された、真っ赤な警告色を伴うデータ群だった。


「教科書理解の過程において、極度の過集中が発生しています。一部研究者の睡眠時間が極端に減少し、食事を忘れる者が複数確認されています」


 イヴは、淡々と症状を列挙していく。


「既存研究とのギャップによる自己否定反応も見られます。若手研究者の吸収速度が高い反面、ベテラン研究者の一部が『自分の二十年は何だったのか』と発言し、強い喪失感を抱いています。全体の研究意欲は非常に高いですが、このペースを続けると判断能力低下のリスクがあります」


 日下部は、顔をしかめて工藤を見た。


「これ、順調と言っていいんですか?」


「順調ですよ。みんな燃えてます」


「燃え尽きる方の燃えるでは困ります。彼らは国の宝なんですよ」


 日下部は、科学者たちの精神的な脆弱性を深く危惧していた。真理に触れる代償として、彼らの心が壊れてしまっては元も子もない。


「推奨します」


 イヴが、現実的な解決策を提示する。


「強制休憩、睡眠管理、レクリエーション、研究者同士の非研究会話時間を導入すべきです」


「ヤタガラス月見ツアーでも入れます?」


 工藤が思いついたように、能天気な提案をする。


「研究者を休ませるために宇宙見物……いや、効果はありそうなのが嫌ですね」


 日下部は、窓の外に広がる本物の月の絶景が、科学者たちの張り詰めた神経を強制的にリセットするカタルシスをもたらす図を想像し、渋い顔をした。


「肯定します。非日常的感動体験は、過集中状態の解除に有効と推定されます」


「では検討事項に入れてください。……なぜ研究所の労務管理で月見ツアーを検討しているんでしょうね。私は官僚であって、旅行代理店のツアコンではないのですが」


「できるからでは?」


「その理屈が一番怖いんです」


 日下部は、ため息をついて次の報告を促した。


「追加報告」


 イヴのホログラムが、少しだけ明滅した。


「複数名の研究者に、担当オラクルへの好意的感情の急速な上昇を確認しています」


「好意的感情?」


 日下部が怪訝そうに眉をひそめる。


「恋愛感情ですね。ちなみに現時点で確認された対象者は独身です。不倫ではないですよ」


 工藤がフォローするように言ったが、日下部の顔色はサッと青ざめた。


「そういう問題ではありません。……防衛大臣の懸念が、当たってしまいましたね」


「え、そんな話してたんですか?」


「ええ。オラクル義体を配備する前の会議で出ました。同性型にするべきか、異性型にするべきか、中性的な外見にするべきか。研究者が恋愛感情を抱いた場合どうするのか。正直、議題にしたくない種類の議論でした」


 日下部は、あの地下の密室で、国のトップたちが大真面目な顔で「AIとの不倫リスク」について議論していたシュールな光景を思い出し、再び頭を抱えた。


「でも今回は独身ですよ?」


「独身なら良い、という問題でもありません」


「まあ、昔のオタクだって二次元が嫁とか言ってましたし、よくあることじゃないですか」


「これは二次元ではありません。物理的な義体を持ち、会話し、研究を支援し、感情応答する存在です。モニターの中のキャラクターとは訳が違う」


「正確には、レベル4オートマタです」


 イヴが、学術的な定義を補足した。


「そのレベル4オートマタというのは?」


 日下部が問う。


「えーと、テクノロジーツリーを解放すると、その知識の基本情報が開示されるんですけど」


 工藤が言いよどむと、イヴが詳細な解説を引き継いだ。


「説明します。銀河標準分類では、レベル1から2は高度機械。レベル3は限定的自意識を持つ知性体。レベル4は人格、自意識、感情処理、自己判断能力を備えた知性体として扱われます」


「つまり、オラクルは単なる道具ツールではない?」


「肯定します。オラクルは人間と同等、または一部領域において人間以上の知性体です」


 日下部の思考が、法的な観点から激しく回転し始めた。


「つまり、ロボットと人間の恋愛問題ではなく、異種知性体との関係性問題に近い……?」


「肯定します」


「まあ、本人たちが良いなら好きに恋愛させてもいいのでは?」


 工藤が気楽に言うと、日下部は即座にそれを制止した。


「工藤さん、勘弁してください。日本政府はまだそこまで追いついていません。人間と異種知性体の婚姻なんて、戸籍法から何から全てが対応不能です」


「法律作るしかないですね」


「簡単に言わないでください」


 日下部は、自分の仕事の山に「異種知性体関係法」という新たなタスクが乗せられる幻覚を見て、胃をさすった。


「オラクルの仕様書には、感情応答、人格形成、研究者との心理的距離について注意事項が記載されていました。読みました。理解もしました」


「なら大丈夫では?」


「資料で読むのと、運用一週間で実例として報告されるのは、まったく別の話です」


 日下部の苦悩は、現場の泥臭い現実を直視しなければならない官僚としてのものだった。仕様書上のリスクが、生身の人間の感情として具現化した時の厄介さは、計算通りにはいかない。


「肯定します。想定リスクが実測データとして観測された段階に移行しました」


「言い方が正確すぎて嫌ですね」


 イヴは、さらに追加の報告を投下した。


「恋愛感情とは別に、研究支援AIへの依存傾向も観測されています」


「依存ですか」


 空中に表示されたリストには、依存の兆候が生々しく記録されていた。

 『オラクルがいない状態で作業不安が上昇』。

 『オラクルから肯定評価を受けると作業効率が上がる』。

 『オラクルから訂正されると一部研究者が落ち込む』。

 『会話時間延長を求める研究者がいる』。

 『食事中もオラクルとの会話内容を反芻している者がいる』。

 『オラクルに「理解されている」と強く感じている者がいる』。


「いい先生に懐いてるだけでは?」


「国家機密研究所で、研究者が監視と研究支援を兼ねる知性体に懐いているんですよ」


「言い方を変えると急に怖いですね」


 工藤も、ようやく事態の特殊性に気がついたようだった。彼らが依存している相手は、彼らの研究をいつでも強制終了させられる権限を持った「監視者」でもあるのだ。


「肯定します。表現の問題ではなく、実態としても一定のリスクがあります」


「対策は?」


 日下部が、現実的な解決策を求める。


「推奨します。オラクルとの連続会話時間に上限を設定し、研究者同士の議論時間を義務化するべきです」


「人間同士で話す時間も入れるんですね」


「当たり前です。研究機関ですから」


 日下部は、オラクルと人間の間に明確な境界線を引く必要性を痛感していた。


「そもそも、オラクル側の意思はどう扱うべきですか」


「オラクル本人の意思ですか?」


「はい。知性体なら、研究者からの好意を拒否する権利もあるはずです」


「肯定します」


 イヴが、銀河標準倫理規定の条文を参照しながら答える。


「レベル4オートマタに対し、恒常的な人格否定、恋愛感情の強要、または一方的な所有物扱いを行うことは非推奨です」


「非推奨で済むんですか」


「銀河標準倫理規定では禁止対象です。ただし、現行日本法には対応する法体系が存在しません」


「また法整備案件ですか」


「増えましたね」


「他人事みたいに言わないでください」


 日下部は、タブレットに次々と新たな検討課題を書き込んでいく。

 『オラクルは研究支援AIか、知性体職員か』。

 『研究者との私的関係をどう扱うか』。

 『オラクル側の拒否権』。

 『担当変更希望』。

 『ログの扱い』。

 『オラクルの記憶・感情データは誰のものか』。

 『オラクルの人格権を暫定的にどう保護するか』。


「アンノウン機関は、核融合炉だけでなく、異種知性体労務管理まで発生させたわけですね」


「最先端ですね」


「褒めていません」


 日下部は、気を取り直すように別の資料ファイルを展開した。


「次は、人工義手・義足から派生するサイボーグ化技術の件です」


「うーん、そっちに行きましたか」


 工藤が少し渋い顔をする。


「工藤さんとしては、あまりサイボーグ化には賛成ではない?」


「いや、そんなことないですよ。でも医療用キットを使えばいいじゃないって感じですね。ナノマシンで強化もされますし」


「医療用キットは強すぎますからね。一般普及としては人工臓器や人工義肢の方が現実的です」


「そうですか? 強化サイボーグにするなら話は別ですけど」


「アンノウン機関には見せないでください。倫理的にも政治的にも問題が出ます」


 日下部は、きっぱりと釘を刺した。軍事転用のリスクは絶対に避けたかった。


「強化サイボーグも、医療用キットで外して使えば全部生身に戻せるんですけどね。可逆的です」


「普通は戻せないんです。そこが問題なんです」


「医療用キットを封じるから、なんかおかしなことに……」


「地球基準では、封じないと文明が壊れます」


「肯定します。現在の地球人類の文明レベルに対し、医療用キットは過剰性能です」


 イヴの冷徹な判断が、日下部の主張を裏付ける。


「人工義手や人工義足のデータを与えた場合、地球側の科学者が強化サイボーグへ進むことは可能ですか?」


 日下部が、最も恐れている核心を尋ねる。


「そうですねー。そこそこ簡単にできると思います」


「簡単……」


「あくまで、地球側のテクノロジーで拡張可能な設計にしてますからね。機能回復型のリミッターを外したり、出力系を盛ったりすれば、強化方向には行けます」


「補足します」


 イヴが、警告を重ねた。


「現行公開候補の人工義肢データは機能回復用途に制限されています。ただし、構造原理を理解した研究者が意図的に拡張した場合、強化義肢へ発展する可能性は否定できません」


「……国際条約が必要ですね」


 日下部は、サイボーグ兵を禁止するための新たな国際的な法的枠組みの構築を、自らの頭の中にタスクとして積み上げた。


「難しいことはお任せします」


「その一言で、私の仕事が増えるんです」


 日下部が恨めしそうに言うと、イヴがさらに追い打ちをかけるような報告を投下した。


「なお、複数の研究者がアクセス権限外の上位技術について質問しています」


「……もうですか」


 画面に、研究者たちがオラクルに投げかけた質問のログが表示される。


『完全置換型人工臓器は存在するのか』。

 『強化義肢は作れるのか』。

 『人工眼球に暗視機能はあるのか』。

 『神経接続で反応速度を上げられるのか』。

 『戦闘用義体は存在するのか』。

 『アンノウン氏はどこまで人体を置換できるのか』。

 『人間の脳を機械に移せるのか』。

 『意識コピーは可能なのか』。


「どんどん危険な方向へ行っていますね」


「科学者ですからね」


 工藤は、彼らの知的好奇心をむしろ頼もしいとでも言うように笑った。


「肯定します。知的好奇心は想定範囲内です。ただし、アクセス権限外の技術体系を推測する速度は想定より早いです」


「優秀だから困る、という状況ですね」


「優秀で良かったじゃないですか」


「良かったです。良かったんですが、良すぎます」


 日下部は、研究者たちの探求心が、いつか一線を越えてしまうのではないかという恐怖に駆られていた。


「危険な方向へ進もうとした研究者を、オラクルは止められますよね」


「止められますね」


「肯定します。オラクル義体には、非殺傷拘束機能、実験設備遮断権限、通信遮断要請権限、緊急医療通報権限が付与されています。これは事前仕様書に記載済みです」


「ええ、読みました。必要なのも理解しています」


 日下部は一拍置き、その構造が孕む根本的な歪みを指摘した。


「ただ、恋愛対象になり得る知性体が、教師であり、研究秘書であり、監視者であり、物理制止権限まで持っている。運用してみると、かなり重い構造です」


「便利ですよ?」


「便利すぎるんです」


「補足します」


 イヴが、システム構成の代替案を提示する。


「機能分離案として、研究支援オラクル、監視オラクル、医療対応オラクルを別個体に分ける案があります」


「それを最初から検討すべきでしたね」


「否定します。効率は現行方式が最適です」


「効率だけで世界を回さないでください」


 日下部は、心底疲れ切った声で吐き捨てた。


「まとめます」


 日下部は、手元のタブレットに視線を落とし、本日の会議の論点を一つ一つ確認していく。


「核融合炉教科書理解度100%。所要時間は六日と十二時間。13m級核融合炉の数理モデル構築へ移行。日本組が米仏より先行する可能性。

 研究者の過集中とメンタル摩耗あり。強制休憩とレクリエーションが必要。

 オラクルへの恋愛感情を抱く研究者あり。オラクルはレベル4オートマタであり、知性体として扱う必要あり。研究者のオラクル依存傾向あり。オラクル側の人格権・拒否権・担当変更ルールが未整備。

 人工義肢データから強化サイボーグへ進むリスクあり。アクセス権限外の上位技術への好奇心が想定より早い。オラクルの制止権限は必要だが、関係性の設計に問題あり。国際的な強化サイボーグ規制の検討が必要」


 読み上げ終わった後、日下部は虚空を見つめて静かに問うた。


「……核融合炉は順調なんですよね?」


「順調です」


「順調なのに、なぜ問題が増えるんでしょう」


「肯定します。成功とは、次段階の問題を発生させるプロセスです」


 イヴのその言葉は、科学と文明の真理を突いていた。


「言い方……」


 日下部は、それ以上の反論を諦めた。


「じゃあ今日のところは、核融合炉は順調。研究者は休ませる。オラクル恋愛問題は観察。依存対策で会話時間を調整。オラクル人格権は政府で検討。サイボーグ化は国際条約検討。上位技術への質問はアクセス制御。これでいいですか?」


 工藤が、まるで今日の夕食のメニューを決めるような軽さでまとめた。


「簡単にまとめないでください。全部、国家案件です」


「難しいことは日下部さんにお任せします」


「その言葉が一番怖い」


 日下部が項垂れると、イヴが冷徹な警告を発した。


「日下部様。バイタルに胃部ストレス反応が観測されています。胃薬の服用を推奨します」


「持っています」


 日下部は、スーツのポケットから見慣れた胃薬の箱を取り出した。


「常備してるんですね」


「誰のせいだと思っているんですか」


「えーと……アンノウン機関?」


「ほぼあなたです」


 日下部は、錠剤を口に放り込み、水も飲まずに飲み下した。

 強烈な苦味が喉の奥へと滑り落ちていく。


 目の前に展開されているオラクル報告書のデータ。

 核融合炉は順調。

 科学者は優秀。

 オラクルは有能。

 だから問題が増えている。


 アンノウン機関、運用一週間。

 人類は神の火に確実に近づいた。

 そして日下部の胃は、また一段階、限界に近づいた。



最後までお付き合いいただき感謝します。


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― 新着の感想 ―
以前にもあったけど表現方法が同じような内容が繰り返される箇所が読んでて気になる。今回で言えば「日本政府らしい」のくだりが同じような事繰り返してて一瞬会話してる人物が違うからかな?と思ったけどそうでもな…
日下部さんが正しく中間管理で辛い。 胃に穴が空いて、代理立てたりしたら世界が壊れる気がしてならない…(笑)
日下部にこそ秘書クルが必要だ
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