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自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ~運用保守はもう終わり。現代の物資と無限の資源で、銀河規模の自動化帝国を築き上げます~  作者: パラレル・ゲーマー
第十部 列に並ぶ列強と、配られる奇跡編

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第150話 人工臓器は医療か、改造か

 東京都千代田区永田町、首相官邸。

 地下五階に設けられた『特別情報分析室』は、地上の天候や喧騒、さらには日常という概念から完全に切り離された、無機質で冷徹な絶対の密室である。分厚い鉛と特殊コンクリートに守られたこの空間には、空調の微かな稼働音と、高度な電子機器が発する微細な熱気だけが滞留していた。


 円卓の上座に座る副島内閣総理大臣は、手元に置かれた極秘ファイルの表紙を静かに見据えていた。その傍らには、内閣官房参事官の日下部が控えている。さらに、厚生労働省、内閣情報調査室、公安調査庁、法務省から選抜された数名のコアメンバーが、息を潜めるようにして席についている。


「——ジャミング、オン」


 官房長官が手元のコンソールを操作し、低く短い声で宣言した。

 ブゥン……という、内臓の奥底を微かに震わせるような極低周波の駆動音が室内の空気を満たした。テラ・ノヴァ由来の『位相干渉装置』が稼働し、室内の照明が警戒を示す薄暗い赤色へと切り替わった。いかなる最新鋭の盗聴器や傍受衛星であろうと、この部屋の音や電磁波を外部に持ち出すことはできない。完全な秘匿が担保された。


 日下部がタブレットを操作すると、壁面の巨大な高精細モニターが光を放ち、暗号化された回線を通じてアメリカ合衆国ワシントンD.C.のセキュア・ルームの映像が映し出された。

 画面の向こう側に座るのは、アメリカの影の政府ディープステートを束ねるタイタン・グループの若き総帥、ノア・マクドウェル。そしてその隣で、氷のように冷たく、一切の感情を排した碧眼を向けているのは、CIA長官のエレノア・バーンズである。


「通信、正常に確立しました」


 日下部が確認を終えると、副島総理がゆっくりと顔を上げ、モニター越しの二人に語りかけた。


「本日は、アンノウン機関から上がってきた医療技術の『段階的公開案』について、事前に相談しておきたい」


 その言葉を受け、エレノアはあらかじめ共有されていたデータファイルに視線を落とし、極めて冷徹な声で口を開いた。


「拝見しました。……人工義手、人工義足、そして人工臓器。

 これまでのがん細胞へのアプローチから一歩進み、人体の『欠損』や『機能停止』を物理的に補う領域。……かなり踏み込んだ提案ですね」


 エレノアの言葉には、感嘆よりも強烈な警戒感が滲んでいた。

 ソファで優雅に脚を組んでいたノアが、コーヒーカップを片手に、楽しげに、しかし冷酷な響きを帯びた声で同意する。


「ええ。医療としては、これ以上ないほど素晴らしい。失われた手足を取り戻し、機能不全に陥った臓器を代替する。まさに神の奇跡です。

 ……ですが、悪用の余地はあまりにも広すぎます。少しでも歯車が狂えば、人類の定義そのものが崩壊しかねない」


「だからこそです」


 日下部が、モニターの二人を真っ直ぐに見据えて引き取った。


「だからこそ、今回は社会に出す範囲と、絶対に出してはならない範囲を明確に整理したい。医療としての希望を提供しつつ、それが破滅的なディストピアへと転落するリスクを完全に封じ込めるための、制度の線引きです」


 会議室の空気が、一段と重く引き締まった。

「人工臓器は希望だが、同時に危険である」。その絶対的な前提が、日米の影の支配者たちの間で完全に共有された瞬間であった。


 ◇


 日下部はタブレットを操作し、スクリーンにアンノウン機関の医療チームから提出された、具体的な技術公開案のリストを表示した。


「まず、現在アンノウン機関で検証が進んでいる技術のうち、初期段階として社会実装を検討している三つの項目について説明します」


 一つ目の項目がハイライトされた。


『1.一時埋め込み型人工肝臓』


「最初から、永久に機能し続ける『完全置換型』の人工肝臓を出すのではありません」


 日下部は、集まった関係省庁の担当者たちにも分かるよう、丁寧に、かつ慎重に説明を始めた。


「今回提案するのは、あくまで数週間から数か月だけ機能する『一時埋め込み型』です。患者が一生使うことを目的としたものではありません。

 対象となるのは、劇症肝炎などの急性肝不全で今すぐ命を落とす危険のある患者や、ドナーが見つかるまでの移植待機患者。あるいは、自己の肝機能が回復するまでの『橋渡し(ブリッジ)』としての利用に限定します」


 副島総理が、腕を組みながら深く頷いた。


「永久の臓器として体を機械に置き換えるのではなく、あくまで命を繋ぐための『救命の橋』ということだな」


「はい。倫理的なハードルを下げるためにも、まずは一時的な生命維持装置としての位置づけから開始します」


 日下部はスワイプし、次の項目へ移った。


『2.機能回復型人工義手・人工義足』


「次に、義肢です。対象は、事故、病気、または先天的な欠損により手足を失った患者となります」


 スクリーンに、人間の皮膚と見紛うような質感を持つ、精緻な人工義手の3Dモデルが映し出された。


「ナノレベルの精密センサーと神経接続技術の補助により、本物に近い外観と、本物に近い触覚を再現します。目的はあくまで、患者の『日常生活の回復』です」


「見た目は美しいですが、義肢は見た目以上に危険な代物ですよ」


 ノアが、意地悪く微笑みながら指摘した。


「失われた機能を補うだけなら美談ですが、そのモーターや駆動系の出力が『本物の人間』を超えた瞬間……それは医療ではなく、明確な『強化エンハンスメント』になります」


「ご指摘の通りです」


 日下部は即答した。


「そのため、初期型については、システム側で強力なリミッターをかけます。健常時の本人の筋力、速度、反応能力を絶対に超えない範囲に出力を制限し、戦闘能力や異常な身体能力を発揮できない仕様ロックを施します」


「賢明ですね。リミッターを外せば、あっという間にスーパーヒーローの出来上がりですから」


 ノアが肩をすくめた。


『3.人工眼球』


 最後の項目が表示された。


「こちらは、失明患者や重度視覚障害者の『視覚回復』を目的としたものです。

 ……ただし、これはまだ基礎的な治験準備段階であり、社会公開は義手や義足よりもさらに慎重に時期を見極める予定です」


 エレノアが、画面の「人工眼球」という文字を冷たく睨みつけた。


「当然です。視覚の拡張は、軍事や諜報活動への転用に最も直結します。

 暗視、赤外線視、あるいは遠方の拡大視。そういった機能は絶対に出してはいけません。人工眼球は、あくまで『健常者と同じように見えるようにする』医療の枠内で止めるべきです」


「ええ。人間を超える目ではなく、失われた光を戻すための目だな」


 副島総理が、エレノアの懸念に同意して釘を刺した。

 アンノウン機関の科学者たちは、その気になればいくらでも高機能なサイボーグパーツを作れてしまう。だからこそ、政治が「どこまでなら世に出していいか」の枠を強引にはめなければならないのだ。


 ◇


 具体的な技術の概要が共有されたところで、日下部は議論の焦点をさらに一段階深めた。


「さて、ここで皆様に、今回の『一般公開』という言葉の意味を、厳格に定義・整理させてください」


 日下部のレンズの奥の瞳が、鋭い光を放った。


「我々が言う『公開』とは、設計図や製造方法をオープンソースにするという意味では決してありません。

 既存の医療制度を通じて、患者が『治療』として利用できる状態にする、という意味です」


 ノアが、面白そうに指を組んだ。


「なるほど。技術公開ではなく、医療提供ですね」


「はい。我々が公開するのは『治療』です。絶対に公開してはならないのは『作り方』です」


 日下部は、画面を二つのリストに分割した。


【公開していいもの】

 ・人工臓器という技術が存在するという事実

 ・対象となる疾患

 ・治療の具体的な流れ

 ・想定される副作用や制限事項

 ・倫理審査の仕組み

 ・治験の概要

 ・成功率や安全性データの一部(加工済み)

 ・アンノウン機関および厚労省の厳格な管理下で運用されるという宣言


【絶対に公開してはいけないもの】

 ・製造方法および素材の精製プロセス

 ・ナノマシン群を統括する『制御中核』のプログラム

 ・細胞の定着や神経を接続する『細胞制御アルゴリズム』

 ・患者ごとの適合処理の詳細なパラメータ

 ・拒絶反応を物理的に抑制する機能の核心部分

 ・自己修復や自己増殖に近い機能の詳細

 ・出力制限リミッターの解除・改造方法

 ・強化臓器や軍事利用に繋がる可能性の示唆

 ・アンノウン氏、または支援AI『オラクル』が直接関与した生データ


 リストを見つめていたエレノアが、特にある一点を指差して冷徹に告げた。


「適合処理とナノマシンの『制御中核』……この部分だけは、何があっても表に出してはいけません。

 そこが漏れれば、テロリストや犯罪組織による闇医療どころか、金持ち向けの際限のない人体改造ビジネスが始まります」


「承知しています」


 厚労省の担当官が、緊張で額に汗を滲ませながら答えた。


「表向きの発表は、あくまで『一時埋め込み型人工肝臓の限定的な治験を開始する』というトーンに留めます。決して『人工臓器技術を世界に公開する』といった、過剰な期待を煽る表現は使いません」


「その表現でお願いします」


 日下部が念を押した。

 奇跡のバーゲンセールをしてはならない。あくまで、日本の厳格な医療制度の枠内で行われる、地味で堅実な治験であると装うのだ。


 ◇


「では、次の論点だ」


 副島総理が、重い口を開いた。この問題が、外交的にも国内政治的にも最も火種になりやすい部分である。


「対象者はどうする。

 ……ガン治療の時のように、必ず海外からも『金はいくらでも払うから自分にも使わせろ』という希望者が殺到するはずだ」


 日下部は、一切の迷いなく即答した。


「原則として、今回の初期治験は『日本国民』を優先します」


 その言葉に、モニターの向こうでノアが少しだけ眉を吊り上げた。


「ほう。日本国民優先、と明言しますか。

 ……それはまた、世界中から『医療のナショナリズムだ』『人権侵害だ』と凄まじい非難を浴びることになりそうですね」


「はい。非難は覚悟の上です。

 ですが、理由は排外感情や偏狭なナショナリズムではありません」


 日下部は、極めて冷徹なロジックを展開した。


「これは純粋に『医療管理上の限界』の問題なのです」


 日下部は、日本国民に限定せざるを得ない理由を列挙し始めた。


「第一に、これは初期治験であり、提供できる枠が極めて限られています。そして、実施できるのは政府の監視が完全に行き届いた『国内認定病院』のみです。

 第二に、人工臓器は『入れて終わり』ではありません。長期間の緻密な追跡フォローアップと、専用設備による定期的な診断・メンテナンスが絶対に必須となります。

 第三に、患者の本人認証を国内の厳格な医療制度やマイナンバー等と紐付ける必要があります。もし事故や予期せぬ不具合が起きた場合、国が速やかに責任の所在を明確にし、対応できなければならないからです」


 日下部は、眼鏡の奥で鋭い光を放った。


「もし海外の患者を無制限に受け入れた場合、彼らが帰国した後の追跡やメンテナンスは事実上不可能です。

 自国で勝手に他の医師に診せたり、分解して調べようとしたりするリスクがありますし、万が一帰国後に死亡すれば、国際的な医療訴訟や深刻な外交問題に発展します。さらに、その死のデータすら我々は正確に回収できない。

 ……これは国籍で命を選ぶという感情論ではありません。初期治験の安全管理を、確実にコントロールできる『日本の医療制度の中』で完結させるための、絶対的な必要条件なのです」


 エレノアは、情報とリスク管理のプロフェッショナルとして、その論理に深く同意した。


「妥当です。人工臓器は、処置した瞬間に終わる医療ではありません。処置後の継続的な『管理』こそが本体です。

 その管理の目が届かないリスクを背負ってまで、海外の患者を受け入れるメリットはありません」


「なら、政府の公式発表ではどう言うつもりだ?」


 総理が、対外的な表現の微調整を求める。


「『初期治験は国内認定医療機関において、日本国内の対象患者を中心に実施する。海外患者の受け入れは、国内での治験データと強固な安全管理体制の確認が完了した後、将来的に検討する』……という文言が良いかと」


 日下部の提案に、エレノアが小さく頷いた。


「それが賢明です。『日本国民優先』とあからさまに明言しすぎると、人権団体や他国政府が外交問題として燃え上がります。あくまで『国内患者中心』とし、その理由は『安全管理と長期追跡のため』という科学的・医療的な必然性に置くべきです」


「外務省としても、そのラインであれば国際社会への説明は十分に可能です」


 外務省の担当官も、安堵したように同意した。


 ◇


 だが、会議はここで終わらない。

 副島総理の表情が、一段と険しさを増した。


「……では、問おう。

 同盟国や友好国から、あるいは世界のパワーバランスを左右するような要人から、極めて緊急性の高い患者の受け入れを水面下で強く求められた場合は、どうするのだ?」


 それは、綺麗事だけでは済まない国際政治の「リアル」だった。


 日下部は、数秒間沈黙し、そして静かに答えた。


「表の制度としては、一切受け入れません」


 一拍置き、日下部の声がさらに冷たく沈んだ。


「……ただし。

 非公開の『特例審査プロトコル』だけは、制度の奥に用意しておくべきです」


 総理の目が、鋭く日下部を射抜いた。


「裏口ではないのか、それは」


 日下部は、一切怯むことなく見つめ返した。


「裏口にしないために、条件を極端に厳しくします」


 日下部が手元のコンソールを操作すると、スクリーンに『特例審査プロトコル発動条件』という、血も涙もない冷酷なリストが表示された。


「発動の条件は、以下のいずれかに該当し、かつ他のすべての手段が尽きている場合に限ります。

 ・国家安全保障上の重大性がある。

 ・同盟維持上の極めて重大な影響がある。

 ・人道上、拒絶すること自体が我が国にとって重大な損失となる」


 日下部は、さらに制限を重ねた。


「そして、最も重要な不可侵のルールです。

 『金銭や社会的地位だけでは、絶対に発動しない』。

 単なる大富豪、王族、あるいは政治家の優先枠には決してしません。国内の治験枠を不当に圧迫することも禁止します。あくまで、医学的に治験対象として妥当であると専門機関が認めた場合のみです」


「審査のプロセスはどうする」


「関係省庁の局長級レベルで済ませるような真似はさせません」


 日下部の回答は、官僚組織の権限を自ら縛るものだった。


「審査者は、総理、厚労省トップ、アンノウン機関の代表、内閣安全保障局、そして法務・外務の限定担当者のみ。必要であれば、同盟国側の医療責任者も極秘に交えます。

 そして決裁条件は『原則、全会一致』。少なくとも、総理の直接決裁を必須とします。……金銭の提供は、審査の理由に一切含めません」


 ノアが、皮肉っぽく、しかし評価するような笑みを浮かべた。


「なるほど。つまり、表向きは『日本国内中心』と頑なに扉を閉ざしておく。

 しかし、世界が本当に燃え上がった時のための『消火器』だけは、誰にも見えない机の下にひっそりと置いておくわけですね」


「言い方は最悪ですが、否定はしません」


 日下部が冷たく応じる。

 エレノアも、その冷酷な制度設計を支持した。


「必要です。

 『完全に例外なし』と宣言してしまうと、本当に国家の存亡に関わる危機が訪れた時に、政治家たちはルールを破り、制度そのものを壊して対応するしかなくなります。

 最初から極めて厳格な例外条件を定めておく方が、結果として腐敗と無秩序を防ぐ防波堤になります」


 副島総理は、深く息を吐き出し、円卓の全員を重々しく見回した。


「……例外は必要だ。政治とはそういうものだ。

 だが、その例外を決して商売にしてはならない。特例枠が金で買えるとなれば、この制度はただの醜悪な特権階級のサロンに成り下がるぞ」


「承知しております」


 日下部は深く頷いた。


 ◇


 ここで、エレノアが極めて重要な、アメリカ側からの「条件」を突きつけてきた。


「もし、その特例患者を海外から受け入れるのであれば。……『処置後の日本滞在義務』は必須です」


「どの程度の期間だ?」


 総理が問う。


「最低でも、初期安定期間の数か月。人工肝臓であれば、一時埋め込み型の稼働期間中は、原則として日本国内に滞在させるべきです」


 日下部も、エレノアの提案に強く賛同した。


「はい。最低でも、指定病院または政府指定の医療滞在施設の完全な管理下に置くべきです。

 特例だからといって、処置だけ受けて即座に帰国させるような真似は許しません。帰国後のメンテナンス不能、技術の情報流出、予期せぬ医療事故、そしてそれが外交問題化するリスクを避けるためです」


 ノアが、楽しげに笑い声を立てた。


「つまり、手術だけ受けてプライベートジェットでさっさと帰っていく、という富裕層向けの都合の良い医療ツアーにはさせない、ということですね」


「ええ」


 日下部が、画面に『滞在義務の詳細』を表示する。


「特例患者に課す条件は以下の通りです。

 ・処置後、規定期間の日本国内滞在を義務付ける。

 ・政府指定施設に滞在し、定期診断と人工臓器のログ確認を必須とする。

 ・メンテナンス義務を怠ること、外部医療機関での無断処置、および許可のない出国を禁ずる。

 ・滞在中の通信や面会は、保安上の必要に応じて制限する。

 ・帰国後も、日本側の遠隔監視システムの導入と、定期的な再診義務を負う。

 ・異常発生時は、即座に再来日するか、日本側医療チームの直接介入を受け入れること」


「かなり強烈な首輪ですね」


 エレノアが冷たく評価する。


「これを受け入れられない、あるいは自国の主権を盾に拒否するような患者は、そもそも特例の対象にすべきではありません」


「王族や大富豪、独裁者ほど、自分の自由を制限されることを嫌がりそうですねぇ」


 ノアが愉快そうに呟く。

 総理は、一切の同情を見せずに切り捨てた。


「なら対象外だ。

 これは命を救うための厳粛な処置であって、特権階級向けの出張サービスではないのだからな」


「同意します」


 日下部も断言する。


「特例とは『処置を受ける権利』ではありません。『日本側の完全な管理下に入る義務』とセットです」


 ◇


 議論は、さらに深く、暗い領域へと進んでいく。


「私が最も警戒しているのは、闇医療への流出です」


 エレノアが、情報機関のトップとしての最悪のシナリオを提示した。


「技術の存在が公になれば、必ずそれに群がるハイエナが現れます。

 無許可での移植手術。違法な延命治療。アンノウンの設計を改悪した未承認の強化臓器。海外の富裕層を狙った闇クリニック。

 政府公認品を装った偽物の横行や、『政府関係者に賄賂を払えば特例枠に入れる』という詐欺が必ず蔓延します」


「特例プロトコルの存在自体が外部に漏れれば、その詐欺は爆発的に増えるだろうな」


 総理が顔をしかめた。


「はい。だからこそ、特例は絶対に非公開であるべきなのです。

 ……ただし、透明性を欠いたブラックボックスは必ず腐敗します。内部監査の仕組みは絶対に必要です」


 エレノアの指摘に、日下部が応じる。


「外部には出さない代わりに、内部ログ、審査記録、総理の決裁過程は、暗号化して厳格に保存します」


「非公開だが、無記録ではない。良いですね」


 ノアが皮肉っぽく微笑んだ。


「対策として、供給は完成品のみに限定し、認定病院から一歩も外に出さない。設計図や製造工程は完全に非公開。患者の生体認証と紐付け、転売を物理的に不可能にする。

 もし不正利用や改造が検知された場合は、人工臓器の機能を強制的に制限し、命に関わる『緊急医療モード』に移行するフェイルセーフを組み込みます。

 偽特例枠の詐欺に対しては、公安と警察による容赦のない摘発を行います」


 日下部が並べ立てた対策の数々は、まさに技術の独裁管理であった。


 ◇


 ここで、ノアがさらに別の角度からの脅威を口にした。


「私がもう一つ警戒するのは……『健常者』への強化利用です」


 その言葉に、会議室の空気がピリッと張り詰めた。


「人工肝臓を入れれば、アルコールの代謝能力や薬物耐性が異常に向上し、疲労回復が劇的に早まるかもしれない。毒物への耐性すら得られる。

 人工義足の出力を上げれば、常人を遥かに超える走力や跳躍力が手に入り、労働能力も戦闘能力も跳ね上がる。

 人工眼球に暗視や赤外線機能を付与すれば……それはもう、人間ではありません」


 ノアの青白い瞳が、妖しく光った。


「病人を救うはずの技術が、健常者を『より強く、より若く、より長く生きたい』と欲望させるための強化パーツとして欲しがられる。

 ……富裕層が最初にそこに手を出そうとするでしょう。病気でもないのに、自分の体をアップグレードするためにね」


 総理の顔に、明確な嫌悪感が浮かんだ。


「我々が提供するのは医療だ。強化人間の製造ではない」


「当然です」


 日下部が冷たく断言する。


「健常者への性能向上目的の処置は、特例プロトコルを含め、いかなる場合であっても固く禁じます」


「そして当然、最も厄介なのは……軍事転用です」


 ノアが、話の核心へと踏み込んだ。


「サイボーグ兵、ですか」


 総理が重く唸る。


「ええ。正直、私の趣味ではありませんがね」


 ノアは肩をすくめた。


「ですが、義肢、臓器、感覚器、そして神経接続。ここまでパーツが揃ってしまえば、世界中のどの国の軍隊も、必ず『兵士の改造』を考えます。1000パーセント、軍事目的で研究されますよ」


 ノアは、画面越しに日下部を見つめ、ストレートに尋ねた。


「アンノウンなら……もう、そういう技術の設計図も、持っていますよね?」


 日下部は、数秒間だけ沈黙し、そして、何の感情も交えずに答えた。


「普通に、ありますね」


 会議室の時間が、完全に停止した。

 誰も言葉を発することができず、ただ日下部のその言葉の重みに押し潰されそうになっていた。


「……もちろん、アンノウン機関には開放していません」


 日下部が、静寂を破って説明を続ける。


「戦闘用義体、強化義肢、神経接続型の戦闘補助システム、人体が耐えられない出力を前提とした制御系。……そういったベクトルの技術は、アンノウン氏が保有する技術体系の中には、ごく普通に、当たり前のように存在しています」


「……おおよそ、人間を超える戦力が、技術的には手に入ると?」


 ノアが確認する。


「はい」


「サイボーグ兵は、あまり趣味ではないんですよね」


 ノアが、ふっと笑みをこぼした。


「倫理的な意味で、ですか?」


 日下部が問うと、ノアは冷徹な資本家の顔になって首を横に振った。


「それもありますが。軍需産業のトップとしても、微妙なのです。

 兵士本人が強くなりすぎると、我々が継続して販売できる商品が減る。武器、弾薬、車両、航空機、補給物資……。人間が弱いからこそ回っている、あの巨大な軍事市場のパイが痩せ細ってしまいますからね」


「そこですか。まあ、理由はなんでも結構ですが」


 日下部が呆れたように言うと、エレノアが政府の立場として公式見解を述べた。


「ノアの言い方はともかく、現時点でアメリカ政府として、サイボーグ兵部隊の創設路線に踏み込む気はありません。……ただし、ペンタゴン(国防総省)の一部が、水面下で興味を持たないとは言い切れませんが」


「日本も同じだ」


 副島総理が、毅然とした態度で宣言した。


「現役の自衛隊員への強化改造など、絶対に認めない。我々が提供するのは、あくまで戦傷治療、事故、あるいは災害救助で失われた機能の『回復』までだ。一線を越えさせる気はない」


 ◇


 すべての懸念が洗い出され、議論は最終的な「政治の決断」へと収束していく。


「最大の政治問題は、結局のところ『誰から使うか』だ」


 総理が、円卓の全員を見据えて言った。


「政治家、財界人、海外の富豪、王族、有名人、軍の幹部……。

 必ず『金を出すから先に使わせろ』という圧力が、あらゆる方向からかかってくる」


「特例プロトコルは、そこを突破される一番危険な場所になります」


 ノアが忠告する。


「だからこそ、金では発動させない」


 総理の言葉に、一片の迷いもなかった。


「命の順番を、資産額で決めてはならない」


「はい」


 日下部が深く頷いた。


「それを許せば、人工臓器は命の救済ではなく、一部の支配階級のための単なる延命装置に成り下がります。

 通常治験の優先順位は、急性肝不全など直ちに命に関わる患者、既存治療で救命困難な患者、移植待機リスト上位の若年層などを最優先とします」


「特例によって、国内の一般患者の治験枠を奪ってはならない」


 総理が釘を刺す。


「特例枠は、あくまで別枠として、極小数に抑えるべきです。原則はゼロ。国家としてどうしても必要な時のみの発動です」


 日下部の言葉で、全体の段階的な提供方針が完全に固まった。


【第一段階】一時埋め込み型人工肝臓の限定治験

 【第二段階】機能回復型人工義手・人工義足の限定提供

 【第三段階】人工眼球の基礎治験準備


 そして、当面は絶対に出さないもの。

 完全置換型の永久人工臓器、強化義肢、戦闘用サイボーグ技術、健常者への能力向上処置。


 総理が、最終確認のために深く息を吸い込んだ。


「……特例プロトコルについて、最後に整理しよう」


 日下部が、手元の端末の画面を消し、総理を真っ直ぐに見つめた。


「表向きの名称は出さず、内部名称として『高度医療技術特例審査手続』と呼称します。『裏ルート』という言葉は決して使いません」


「これは裏口ではない。……そう言い切れるか、日下部くん」


 総理の厳しい問いに、日下部は冷徹な官僚の顔で即答した。


「裏口にしないための制度です。

 完全に例外をなくすと、本当に危機の時が訪れた際、政治家は制度の外で、力技で処理するしかなくなります。それこそが、本当の腐敗した裏口を生むのです」


 エレノアが、アメリカの経験則から同意する。


「制度の奥に例外を置く。制度の外には決して逃がさない。国家としては、それが最も正しい判断です」


「そして特例の患者は、処置後しばらく日本に滞在し、管理下に置かれる」


 ノアが薄く笑う。


「これなら、治療を受ける側にも相応の重い負担がある。金を払ってすぐ帰る、富裕層のお気楽な医療ツアーにはなりません」


「よろしい。特例は認める」


 総理が、円卓を力強く叩いて決断を下した。


「ただし、商売にはしない。外交カードにも乱用しない。日本の管理下に入る義務とセットだ」


 ◇


 会議の最後、厚労省の担当官が、震える手で『公表文案』をスクリーンに表示した。


『政府は、高度先駆者技術翻訳機構および厚生労働省の管理下で、一時埋め込み型人工肝臓の限定治験を開始する。

 初期治験は国内認定医療機関で、日本国内の対象患者を中心に実施。海外患者の受け入れは将来的に検討。

 製造方法、制御中核は非公開。健常者の能力向上利用、およびサイボーグ兵研究は行わない……』


 特例プロトコルや、アメリカとの駆け引き、処置後の滞在義務など、裏で議論されたドロドロとした部分は、一行たりとも書かれていない。

 極めて無味乾燥な、小さな治験の開始を告げるだけの文章。


「……“人工臓器解禁”とは書くなよ」


 総理が、最後に念を押した。


「はい。書いたら、メディアと世論の期待が暴走して終わります」


 日下部が答える。


「まあ、メディアは勝手にそう書くでしょうけどね」


 エレノアが冷たく指摘し、ノアも「ネットも“人工臓器きたー”とお祭り騒ぎになりますね」と笑う。


「それでも、だ」


 総理は、決して揺るがなかった。


「政府の言葉は、どこまでも慎重にする。

 ……人工臓器は、命を救うための医療であって、強い人間を作るための部品ではない。我々はこの線を、死守する」


 日下部が、深く頭を下げた。


「公開するのは治療。隠すのは作り方。守るのは、命の順番です」


 ノアが、少しだけ真面目な顔になって頷く。


「アメリカ政府としても支持します。サイボーグ兵路線に進むつもりはありません。……少なくとも、現政権としては」


「ただし」


 エレノアが、氷のような声で最終的な警告を発した。


「軍、企業、富裕層、そして海外の敵対勢力は必ず動きます。発表と同時に、監視体制を最高レベルに引き上げるべきです」


「治験発表と同時に、闇医療対策本部も立ち上げる」


 総理の指示に、日下部が「それが妥当です」と応じる。


「そして特例プロトコルは、制度の奥に置く。表には絶対に出さない。だが、記録は残す。腐らせない」


「承知いたしました」


 日下部が、全ての資料のロックをかけ、端末を閉じた。


 会議が終わり、モニターの通信が切断される。

 官房長官がジャミング装置をオフにすると、再び部屋に無機質な静寂が戻ってきた。


 副島総理は、手元のファイルをゆっくりと閉じた。


 表向きのニュースでは、明日の朝、これはほんの小さな治験発表として流れるだろう。

 重症肝疾患患者向けの、一時的な人工肝臓のテスト。


 だが、この地下の円卓の中心にいる者たちは、皆、恐ろしいほどに理解している。

 これは、単なる新しい医療機器の発表ではない。


 人間の身体を、機械と交換可能にする時代の入口。

 金で命を買おうと群がる亡者たち。

 兵士を改造し、最強の軍隊を作ろうとする権力者。

 救済を商売にし、闇に潜むブローカーたち。

 そのすべてが、明日開かれるこの扉の向こう側で、血走った目を輝かせて待ち構えているのだ。


 だからこそ、日本政府は扉を全開にはしない。

 まず、ほんのわずかに、指一本分だけ開ける。


 日本国内の治験。

 認定病院という鎖。

 医学的優先順位という盾。

 長期追跡という監視の目。

 そして、決して金では買えない、制度の奥底に隠された最後の安全弁としての特例プロトコル。


「……さて、明日からまた忙しくなるな」


 総理の呟きに、日下部はポケットの胃薬を撫でながら、ただ静かに一礼した。



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― 新着の感想 ―
飛ばし記事の幾つかは本当だったし、どんどん世論は加熱して行くだろうなあ・・・。総理と日下部さんは安全保障的に対象者だろうから、手当してあげて。
>健常者の能力向上利用、およびサイボーグ兵研究は行わない・・・ は記載しないほうが安全だと思います 記載されると「それも出来るんだ!」って明示するようなものですし
 完璧に機能する人工臓器だとして人種的身体的能力の違いがどこで起きているか解明されていないと日本人の肝臓が黒人に使われたらオリンピックで勝てなくなりましたになりかねないな。眼球だって白人は光に弱いとか…
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