幕間Ⅳ:フィル=ギルド
チャンバー室が加圧を終えて、気密扉のロックを解除した。
クマバチの羽音のような低いハム音を鳴らし、国際鉄道用の磁気浮上式列車が、滑るようにして静かにターミナルへ進入する。
真空近くまで減圧して空気抵抗を減らしたトンネルを、時速数百キロで旅してきた列車は、その旅路の一つを終えてプラットフォームへ横づけした。数えるほどしかいない客を乗せた短い車両が、一斉に客車のドアを開く。
「到着!」
腰に手を当て仁王立ちする少女が、ドアが開くのに合わせて威勢良く言った。
少女は『SG』というロゴの入ったパーカーに、黒のショートパンツという服装をしている。
一房の三つ編みにまとめた黒髪の中に、メッシュのように前髪に混じっている一房の赤毛が印象的だ。爛々とした大きな瞳は淡褐色と碧色の虹彩異色症で、溌剌とした中に妖しげな雰囲気をまとわせている。
序列第八位国家〈妄想〉のサルベージギルド。
その根であるフィル=ギルドだ。
フィは車両からぴょんと軽やかに飛び降り、地に足が着くと感慨深げに体を小さく震わせる。
「生まれて初めての外国……感動だね」
そんな彼女の染みいる時間も束の間のもので、水を差すように背後から何者かに小突かれた。
フィは「どわ」と声を上げながらたたらを踏み、不機嫌そうに振り返る。その視線の先には、褐色の肌に白髪の壮年の男がいた。
男は年齢の割に、鍛えあげられて引き締まった体をしているのが、服の上からでもわかる。姿勢良く背筋も伸びているが、しかし、どこかくたびれた印象が拭えない。億劫を貼りつけたような、覇気のない顔のせいだ。
「感動している暇があったら先に手荷物を下ろせ」
ギルドの根であるフィの秘書として同伴してきた、シド・アカツキだ。
しかし、その実態がお目付役であるのは、ギルド内では周知の事実となっている。
フィはギルドの先導者の一人であり、天才と謳われるほどの技術者だ。そして技術支配時代で好奇心旺盛な天才少女は、問題製造機でもある――事実、サルベージギルドが序列国家に連なったのは、彼女が引き起こした問題が原因だ。
平たく言って悪ガキである。
そんなフィの面倒を見て、あまつさえ責任を取るなど、誰もが目を逸らすポジションだ。そして皆が逸らした視線は、「お前しかいない」という無言の圧力とともにシドに注がれる。フィの教育係を務めてきたシドならば抑止力になれると、皆が彼にこの役目を押しつけたのだ。それは暗に、「お前の教育が悪い」というクレームも含んでいるのだが。
フィが不満そうに言う。
「もう少し感動に浸らせてよ。シド先生だって初外国でしょ? もっとこう……あるでしょ、取るべきリアクションが」
体全体を使って身振り手振りで感情表現をするフィとは対照的に、シドは面白くもなさそうに言う。
「外国つっても、環境建築物は環境建築物だろうが。旧文明と違って気候と風土から得られる異国情緒は期待してねぇよ」
「でも異文化体験は楽しみじゃん。ほら見てこれ」
フィはそう言うと、シドの前にARヴィジョンのウィンドウを表示する。《ラブリープラネット誌》の『ルクスリア名所一〇選』。まだルクスリア国内に着いて数分もしていないのに、フィはいつの間にかこの国のメディアを漁っていた。
「旅行ガイドがあるなんてルクスリアぐらいだよ。うちの地元のイラなんて、地上都市のための選民思想を満足させる娯楽しかないんだから。これが概念の違いってやつでしょ」
目の前に押しつけられたウィンドウを、シドは鬱陶しげにはたいて消す。
「その概念様がきな臭いんだろうが……」
「ほう。では私もきな臭いのだろうか?」
いつの間にか、一人の少年が無表情にシドの顔を覗きこんでいた。
少年はダークスーツを着ており、栗毛の髪をオールバックにしている。不健康そうな青白い肌は、どこか幽鬼を思わせた。
気配なく現れた相手にシドはぎょっとした顔をする。
「いきなり出てくるな、心臓に悪いだろうが」
少年は怪訝そうに小首を傾げる。
「君の心臓はいたって健康だ。一般的な成人男性の平均を上回る心肺能力がある」
「そういう話じゃねぇよ……」
そう、文字通りその少年は虚空から現れた。空気を震わせることもなく、その身に光を反射することもなく、その空間に存在が描写されたのだ。無論、瞬間移動をしたわけではない。アバターが立体映像のようにしてARヴィジョンに表示されているのだ。
それ自体は別に物珍しいことではない。VR側のアバターをBRに表示するVR共有など日常茶飯事だ。シドが驚いた理由は、少年のアバターがまるで物理空間に存在感を持つレベルの情報強度を持っていたからだ。
それほどの実在感をBR側に持たせてしまうと、物理と仮想、二つの肉体の知覚情報が合わせ鏡のようにして処理されることになり、精神に異常を来してしまう。だから、少年の芸当は物理的な肉体を持たない者だけができることなのだ。
少年の姿をしたそれの名はクルーフ。
〈妄想〉の概念だ。
あれ、とフィが不思議そうに言った。
「っていうか、一応ここルクスリア国内だけど、そんな自由にしてていいのクルーフ? 他所様の領土内でしょ」
「この国の概念であるしきへは、ルクスリア国内へ接続が完了した時点で、短くだが挨拶を済ませてきた。問題ない」
シドが小さくぼやく。
「勝手に外交じみたことするなよ……これだから概念の連中は……」
概念の言う『短く』とは、人間の基準では知覚すらできない時間だろう。人間とは異なる知性体の異相知能である彼らは、人間を置いてきぼりにした速度の世界で生きているのだ。だから平然とヒトの機微を理解できない振る舞いをする。
一方で、大して気にしていない様子のフィがクルーフに訊く。
「何か言ってた?」
「『ようこそ』だそうだ」
「そんだけ?」
「そんだけ、だ」
うーん、と唸りながらフィは顎に手をやり、首をかしげる。
「何か掴み所ないよね、しきって。概念ってもっと自己主張とアクが強い連中ばかりだと思ってたんだけど」
「それは私もだろうか、我が根よ」
「アタシを根に選んでいる時点でクセ強いでしょ」
ふむ、と納得したようにクルーフは小さく首肯する。
「それもそうだ」
だらだらと雑談をしている自国の根と概念に、半分がなるようにシドが言う。
「それより早く荷物を下ろせ。このあとの予定はもう決まってるぞ」
そう言いながら、シドはARヴィジョンを表示して交通網を検索しつつ、ルクスリアにいるギルドの仲間へ事務連絡を送る。
「オウルも待たせてる。まずはルクスリアのギルド自治区に直行だ」
えぇー、と見るからに不満そうにフィは肩を落とす。
「やだぁ、まず観光したい……」
「一応、国賓待遇なんだからな。まずは公的な職務を終えてからだ」
「何だっけ、表敬訪問? されるんだっけ。絶対面倒臭いやつでしょ。シド先生代わりにやっといてよ」
「駄目に決まってるだろうが」
はあぁ、とフィは大きな溜め息を吐く。
ARヴィジョンにスケジュールを表示して、そのウィンドウをくるくると回して遊びながら言う。
「だってあれでしょ? この都市のお偉いさん……えーと、ベリカ・フィロ少将が挨拶に来るってやつでしょ? めちゃくちゃどうでもいいイベントじゃん」
「どうでもいいとか抜かすな。最低限の体面ぐらいは取り繕え、たとえ無意味でもな」
「あーあ、アタシへの挨拶なんか時間の無駄なのに……」
フィは面白くなさそうに言いながら、ARヴィジョンのウィンドウを握りつぶした。そしてシニカルに笑いながら言う。
「これから売国される相手なのにね」




