娯楽屋街
ソフィアの暮らすコンドミニアムから、無料の公共交通機関の磁気浮上式路面電車で、約二〇分の場所に娯楽屋街はある。目的地は、もっとも賑わいのある心臓部だ。
光背の手がかりを掴むためとは言え、元来出不精で人混みが好きではないソフィアは、人通りの多い場所に来ると、少し憂鬱になる。
公民権を得てから、ソフィアがどうしても慣れないことの一つは、外出時の服選びだ。
学生奴隷だった頃は楽だった。支給された服以外の選択肢がなかったからだ。大体の生徒はその没個性を嫌って、自己表現として怒られない程度に手を加えたり、着こなしを工夫したりしていたが、ソフィアからすれば着方まで決まっている規格品は大助かりだった。
しかし、どうしたことか。それが今では選択肢がほぼ無限にある。
顧客からのプレゼントや、ソフィアを広告塔にしたい企業からの提供品。フォーマルからカジュアルまで、自宅のウォークインクローゼットに収まりきらなくなっている。ソフィアの体格や容姿からくる需要として、ドーリー系の服が多いのも困りものだ。コーデを考えるのも着るのも面倒くさそうなので、見るだけでげんなりする。
仕事のときならば、その場に合わせた適切な答えがあるが、プライベートとなると途端にどんな服を着ればいいのか、わからなくなってしまう。
そうだ! ならば、こういうときこそコンシェルジュの出番だ! と一度だけユカリにコーデを頼んだことがあるが、〝素材の良さを十二分に引き出してみせます〟という意気込みが怖かったので止めさせた。
なので、私用で外出時のソフィアは、お洒落という言葉を置き去りにする。過ごしやすさを優先した似たような服しか着ない。
Tシャツとパーカーとハーフパンツ。
これがソフィアの三種の神器だった。
トラムに揺られながら、ソフィアは外の風景を眺める。テナントの入る巨大建築物が隣りあい、連絡通路で繋がれている。縦も横もなく張り巡らされた通路は、トポロジー最適化が行われた骨組みのようにも見える。肉抜きされ、多孔質になった空間だ。
多くの人々が上下左右を問わず移動している様子は、小さな虫を連想させた。連結された社会性昆虫の巣だ。ただし、ここにはワーカーはいない。全員、娯楽を楽しみにきている。
トラムは巨大建築物の間に作られた遊歩道の真ん中を走る。見上げると、五階辺りには梁の張られた天井がある。それは建物の天辺ではなく仕切りだ。広く高い敷地内を移動するために、一定の階ごとに遊歩道が設けられているのだ。そこにも軌道があり、トラムが走っている。
娯楽屋街は、いくつかの巨大建築物が複合して作られた巨大な箱だった。
〝ソフィアさん、あちらの方が……〟
不意に、ユカリがソフィアの視界に、ARヴィジョンで小さなウインドウを表示した。
車内カメラの俯瞰した映像が表示されており、ソフィアとその斜め後ろにいる若い女性客が映っている。ユカリが公共交通機関の監視カメラをハッキングしたようだ。常識的にはあまりお行儀が良くない行為だが、ルクスリアでは別に違法ではない――他国ではアウトだろうが。
若い女性客はそわそわとした様子で、ソフィアのことを遠くから窺っているのが見て取れた。どうやら、優秀なコンシェルジュAIは、主人の身の安全のために周囲に目を光らせ、不審者を見つけたようだった。
国宝級であるソフィアは、その界隈では著名人のうちの一人だ。かといって、公人的な性質を持っているわけではないので、本来はプライバシーが保護されるべき私人に過ぎない。だが、ルクスリア国民にとって、そんな話は二の次、三の次の事情だろう。
隙あらば、仕事以外でソフィアと仲良くしたい人間が一定数いるのはいつものことだ。ことにソフィアは愛玩したがる顧客が多く、彼女の『特別』になりたがる。
こちらを窺う若い女性客は、まだ確信を持てていないようだったので、ソフィアはパーカーのフードを目深にかぶった。こういうときはわかりやすいサインを出すに限る。
トラムの車窓には、店が近づくたびに広告が映しだされていく。
怪しげな紫色の煙を吸いながら、恍惚とした表情を浮かべる男のイラストは、ドラッグで安全なトリップ体験ができると謳う《パラノ》の広告だ。切り替わると、鹿撃ち帽を被り、虫眼鏡を持つ男のシルエットが表示される。合成した死体を使って、殺人捜査ができる《ネクロ館》だ。
他にも次々に広告が表示される。多種多様のギミックが仕込まれた、迷路からの脱出を目指す《迷路と竜》、動物の中に紛れこみ観察と狩りをして、獲った動物の料理を味わう《二重の掛け布》、剣と盾で剣士の戦いを楽しむ《セイバーワールド》。
他の国には、こういった店はないらしい。〈官能〉の国ならではの享楽主義から生みだされた産業だからだ。そのため、娯楽屋街は歓楽街であると同時に観光地でもある。
海外旅行ができる限られた地位の人間が、都市間を繋ぐ高価な国際地下鉄道を使って他国からやってくる。距離が近い国もあれば、遠い国もある。それでもわざわざ、時間と金を消費して、コトの小売りをするリテールテイメントに特化したこの場所を訪れる。中には奴隷の身体を借りて、自国内から旅行をする人もいると聞いたことがある。
VRでは満足できない肉体原理主義者が、どこにでも一定数いるのだろう。
トラムの窓に、銀の車輪のアイコンが表示された。擬験屋《ドーンの娘》。ソフィアは視線入力で店を選び、無人電車に降車を要求した。車体の速度が緩やかになり停車する。慣性で座席に収まっていた体が少し揺れるの感じると、トラムを降りた。
《ドーンの娘》はゆっくりと回る銀の車輪のAR看板を掲げている。見慣れた看板の下を進み、店内に入った。
店の中は紺碧を基調にした内装で、ダウンライトの柔らかな光で仄明るい。薬っぽい甘い香料のような匂いが漂う入り口の正面には、受付用のカウンターがある。その両脇には通路が続いていて、個室の扉が等間隔で設けられているのが見える。
カウンターにはリクライニングチェアに座りながら、金属製のパイプで煙草を吹かしている初老の男がいた。
店主が、こちらをちらと見てくる。
「また来たのかい、お嬢ちゃん」
皺の刻まれた手で、店主はパイプを口元から離す。彼の手元に、ARヴィジョンで状態通知用のダミーウィンドウが表示された。手元でいくつかウィンドウを操作すると、ソフィアのほうへ一枚のウィンドウを投げて寄越す。鍵だ。
「一六番の部屋が空いてるよ。右通路の左手だ」
「ありがとう」
「支払いは……」
店主の言葉と同時に、ソフィアに店のシステムから通知が届く。ARヴィジョンで展開する。支払い方法の一覧が表示された。『その他』を選び、手元にあったファイルを送信する。
「わたしのセックスの体験データ」
「まいど。人気だよ、お嬢ちゃんのセックス」
軽く微笑み返して、ソフィアはカウンターを横切り、右の通路に進んだ。部屋番号を確認しながら歩き、『016』と書かれたプレートのついた部屋に入る。
室内には、バスタオルの入った脱衣かごが置かれたラックと、部屋の半分を占める楕円形をした白いカプセルがある。アイソレーションタンクだ。この装置は防音された暗闇の中で、体温と同じ温度の硫酸マグネシウムの水溶液に体を浮かせることで、一切の感覚を遮断する。
自分の肉感を消すことで擬験をより楽しむのが、この店だ。体験データの種類も豊富に取り揃えられている。全く実感は湧かないが、高級娼館であるソフィアのセックスも、多くの人に追体験される人気商品らしい。
ソフィアは服をすべて脱ぎ、脱衣かごの中に入れる。アイソレーションタンクの蓋を開け、液体に浸かり脱力した。高濃度の水溶液の浮力で重力を感じなくなる。タンクの蓋が締まり、完全な闇の中で、すべての音が消える。最初は少し温いと感じていた水が、ヒーターで段々と自分が持つ熱に近づけられると、肉体の輪郭が曖昧になっていった。
目を開いているのか閉じているのかわからなくなる。自分の体の大きさを忘れ、肥大と萎縮の感覚が同時に訪れる。五感が身体から水に溶けだしていき、やがて意識だけが己の実体として取り残された。
現実の自分を完全に殺す装置は棺のように感じる。
ソフィアは以前に自分が光背を見たセックスの体験データを再生した。
タンクの蓋が開き、闇と静寂が破られる。眩しさでソフィアは目を細めた。ぼうっとしている頭で、再生が終了したのだと気づく。
タンクの中でぬるま湯に浸かっていた体を起こした。水の音がして、白い肌の上を水滴が伝う。感覚が戻ってくる感覚は、いつも奇妙だ。たった今、この世に生を受けたような気分になる。
「ユカリ」
〝はい〟
コンシェルジュAIは即座に応えた。
〝今回はどうでしたか?〟
「見えなかった」
光背を見たセックスを追体験したはずなのに、光背は見えなかった。別のデータでも何度か試しているが、結果は毎回同じだ。見えなかった体験データや、他人のものも使ってみたこともあるが、当然のように見えなかった。
タンクの中から出て、バスタオルで体を拭きながらソフィアは訊く。
「比較は」
〝収録時と追体験時のソフィアさんの脳波、神経細胞の活動電位、筋肉の収縮、脈拍や血圧等、複数の項目を比較しました。ですが、神経生理学的には有意な差は認められません〟
「そう……」
データと同一の体験ができる擬験で見られないのなら、他に条件があるのだろう。しかし、思い当たる節がない。せいぜいオーガズムの大小ぐらいだ。少しずつ条件の異なる光背を見た体験データを試しているが、これでもう一〇回目になる。
ソフィアは自分の体を眺めた。痩せた腕、控え目な乳房、薄い腹、細い足。
この肉体で感じないと駄目なのだろうか。
だとしたら、それはなぜなのだろう。
頭を悩ませながら、脱いだ服に袖を通す。着替え終わり、部屋を出たあとも考え続けるが、やはり答えは見つからない。自分の頭だけでは、これ以上は無理なような気がする。これ以上は専門家の力が必要だろうか。しかし、どんな分野を頼ればいいのか。
「……ユカリは、光背について、どう思う」
そうですね、とユカリは言う。
〝愚考するに、ソフィアさんの話を聞く限りでは、性行為中の解離や失神に伴う幻覚のように聞こえます〟
ソフィアは少しむっとする。
「ユカリは、光背をわたしの幻覚だと思ってるの……」
〝いえ、断定はしません。脳の誤作動とするには、あまりにもイメージが具体的に固定化されていますから。加えて、体験データを分析する限りでは、ソフィアさんが光背が見ているというタイミングでは、意識は清明であるとしか言えません。むしろ、その光背というものを見ている素振りすらないほどです〟
「主観時間の伸張、とか……」
〝そうすると、考えられるのは臨死体験の亜種でしょうか。しかし、このようなニアデスは考えられる原因や仮説が複数あり、まともに研究されてもいないため、私から言えることはほとんどありません〟
「例えば、どんなのがあるの」
〝脳内麻薬説、脳機能の暴走または極度の低下、あるいは人間に秘された霊的能力など……いずれにしろ、もしこの方向性を肯定するならば、ソフィアさんの脳の構造は、常人よりも死に臨みやすいということになります。ですが、これもかなり不自然ですし、矛盾を孕みます。それならば追体験でも同様の事象が起きてもいいはずですから〟
「……つまり?」
〝何もわからないですね〟
あっけらかんとコンシェルジュAIは言い放った。
「ユカリは正直で優秀だね……」
〝恐れ入ります。まぁ、私としては、主人にほいほい臨死されては堪らないのですが〟
それはそうだね、ソフィアは小さく微笑った。
カウンターの前に戻ると、まだ店主はパイプ煙草を呑んでいた。彼はこちらに気づくと、定型句を口にする。
「お疲れさん、またよろしく」
「あの……」
ソフィアが訊く前に、相手は先回りした。
「いつもの質問かい? いなかったよ」
自分のセックスの体験データを使った客に、変わったことがなかったか、訊いてもらうようにソフィアは店主に頼んでいた。だが毎回この調子だ。やはり、光背はソフィアにしか見えないものなのだ。
〝店主は嘘を吐いてないようです〟
守護天使の助言のようにユカリが囁いた。どうやら店のシステムに無断でアクセスして、来店者の記録をひっくり返したらしい。
「データの内容は……」
「それも同じ。普通に高品質なセックスってだけだ」
〝これも本当です〟
守護天使が再び囁いた。
「……そう」
完全に手詰まりだった。もう同じことを三ヶ月は繰り返している。結果が出せているとは、とても言えない有り様だ。他の方法を探すしかない。
藁にも縋る思いで、ソフィアは訊いてみた。
「体験データを、もっと細かく調べることって、できる?」
店主は片眉を上げる。天井に向かってパイプの紫煙を吐きだした。
「うちじゃ無理だ、お嬢ちゃん」
「どこなら、できるの」
「そうさな」
相手はこちらから視線を外し、パイプを咥える。一服の間を置いて、煙とともに答えた。
「第八位国家だな。あそこは変態の集まりだ」
「第八位……」
「サルベージギルドだよ」




