第336章 アリシア大公の製鉄所視察(後編)
「摂氏1500度を超える高温の溶けた鉄は、溝を通って流れて行って、あの端で下に待機している取鍋と呼ばれる、高熱の液体鉄の熱に耐える処置をした混銑鍋車と呼ばれる特殊貨車に流れこみます」
ドワーフ技師が説明を続ける。
高炉から出た白熱に輝く液体は、地響きのような振動を立て溝を奔流のように流れて行く。
数百トンの重さの液体金属の猛烈な勢いの奔流が、建屋全体の鉄骨を震わせる。その振動は、十数メートルの高さにある“特製観覧席”の白い手すりを震わせ、鉄板製の床までも振動させた。
出銑口から噴出した白熱の奔流は、眩い光を放ちながら地面にある溝の中を流れて行く。長さ20メートルほどの溝は途中でいくつかに分かれていて、最終的に5本に分かれ、灼熱の滝となって下で待機している貨車に流れ落ちていく。
轟音と灼熱の高炉建屋から出て、“特別車両”にふたたび乗りこむ。
アリシアも一行もホッとする。広報課の美しいカニスディオスの女性社員― しなやかでスリムな身体つきなのは、彼女がフーセレグ種族だからだろうの― が、アイスボックスの中から、冷えた水の瓶とマオウコーラの瓶を出してみんなに配る。
バヤックダンさんたちは水の瓶をとったが、私の部下たちはみんなマオウコーラをとった。
「冷た―――い!」
「気持ちい――――い!」
ロジーヌちゃんやエステルちゃんたちがマオウコーラの瓶に頬ずりをしている。
「プハァ――――ア!生き返りますね!」
「まったくね。やっぱりマオウコーラは最強ね!」
「プハァッ。喉にしみますね!」
喉が渇いているらしく、みんなは早速ゴクゴクと喉を鳴らして飲んでいる。
テルーナという名前のフーセレグ嬢は、お盆に乗せたマオウコーラの瓶とガラスのコップを私に持って来たが、マオウコーラはボトル飲みに限るのでコップはいらないと断った。
マオウコーラを手の取ると結露で濡れた瓶の冷たさが手のひらに心地よい。ロジーヌちゃんやエステルちゃんたちじゃあないけど、頬ずりしたくなる。
フーセレグ嬢が渡してくれた栓抜きで開ける。王冠が弾け、「シュッ」という小気味よい音が響き、スパイスとバニラの香りの混じったあの甘い香りが広がった。
マオウコーラをゴクリと一口飲む。シュワワー…という泡が弾ける音と舌を刺激する炭酸ガスとともに甘さと爽快さが口中に広がる。
「たしかに生き返った気分になるわ」
マオウコーラを三分の一ほど飲んでからつぶやいた。
「魔王さまは、本当にすごい方でしたね」
アマラちゃんが、しみじみとした口調で言った。
マオウコーラもハンバーガーも魔王さまが考え出したものだ。
蒸気動力車に引かれて特別車両は、軌道の上をゴトン、ゴトンと移動する。
製鉄所の敷地はけっこう広いが、あちこちから騒音が響き、汽笛の音が鳴り響いたりしているが、高炉建屋の中から比べれば雲泥の差の静けさだ。
私たちの乗る特別車両から30メートルほど離れたところを、たった今見た白熱した奔流を飲みこんだ混銑鍋車が、喧しく鐘の音を鳴らし、汽笛を鳴らしながら、ゴゴゴ…と地響きを立てて走っている。
30メートルほど離れていても、混銑鍋車から発せられる熱気は感じられるほどだ。
転炉のある建屋は、300メートルほど特別車両に揺られて行ったところにあった。
高さ40メートルはある巨大な建物に近づくと、まるで数百門の巨砲が、絶え間なく一斉射撃を繰り返しているかのような轟鳴が聴こえ、目に見えない強烈な壁が押し寄せて来た。
見えない壁に身体の奥の内臓まで揺さぶられる感じがして、驚きのあまり、私は一瞬立ち止まった。
アマラちゃんたちも立ち止まった。
「ひっ!」
「なに、これ?」
「身体がつぶされるかと思ったわ!」
マノンちゃんやペラジーちゃんたちがかなり驚いている。
驚いていないのは、エステルちゃんやロジーヌ ちゃんたちで、彼女たちはすでに何回か視察に訪れているので知っていたのだろう。
「大公殿下、これは、転炉内にある巨大なノズル《吹き込み管》から、超高速の熱風が転炉の中に叩きつけられ、その超高速の熱風によって炉内にあった空気が強引に押し除けられ、真空に近い希薄な状態と、凄まじい高圧状態が交互に繰り返されます。その空気の激しい軋みが、この耳を聾する轟音と強烈な空気の圧力波となり、体中を揺さぶられるような衝撃となるのです」
転炉設備の責任者らしい年配のドワーフ技師が説明してくれる。
彼の隣には、ドワーフ技師と同じ黄緑のヘルメットを被った若いカニスディオスの副技師(補?)らしい者がいた。
“現地の者であっても才能がある者や努力する者には機会をあたえる”。ミンクボールン製鉄所でも、私のこの経営理念がしっかりと反映されている。これもアマラちゃんたちゲネンドル領府の者たちのおかげだ。
ミンクボールン製鉄所では、一般作業員と管理職や技師は、ヘルメットの色や作業着で区別されている。
ちなみにバヤックダン工場長は、青いヘルメットに金色のラインが3本入ったのを被っているし、ドワーフ技師は黄緑のヘルメットに金色のラインが2本だが、カニスディオスの副技師(補?)は同じ黄緑ヘルメットに金色のライン1本だ。普通の作業員は黄色ヘルメットで、現場の班長とか何々長のは金色のラインが入っている。
作業着も、普通の作業員は厚いコットンの作業着だが、技師や管理職は、現場で働く者以外は普段はスーツに似たジャケットとスラックスの制服を着ていて、現場に行くときはその上から厚手のコットンツイル製のワークコートを羽織っている。
転炉の建屋内に入り、鉄製の階段を上がると、そこには頑丈な鉄骨の支柱や梁に支えらえた巨大な鉄のタルのような機械がいくつも並んでいた。
「このタル型の機械は転炉と言いまして、高炉から運ばれて来た溶銑を鋼鉄にするために酸素を吹き込む装置です。内部は高温の溶銑でも溶けないように耐熱レンガで保護されています」
年配のドワーフ技師が、ずらりと並んでいる転炉を指差し説明する。
ガン、ガン、ガン、ガン...
騒音に負けない大きな音で鐘が鳴り響き、赤色の警告ランプが点滅しはじめた。
「大公殿下、今から高炉で溶かされた鉄が取鍋で運ばれて、この転炉に投入されます!」
カニスディオスの副技師が、懸命に説明してくれる。
ガン、ガン、ガン、ガン、ガン...
大きな音で鐘が鳴り響き、赤色の警告ランプが点滅する中、ごついクレーンに吊り下げられて、白熱の溶銑が入った巨大な取鍋が近づいて来た。
巨大な取鍋の縁から溢れ出す白熱の光が、真っ黒に煤けた鉄骨や建屋の天井に反射し、黄金色の光と漆黒の影に塗り分ける。
取鍋からは陽炎を伴う猛烈な熱が放射され、取鍋の中にある溶銑が波打つたび、周囲の空気がボッと音を立てて燃え上がる。
「注入が始まります」
カニスディオスの副技師が、騒音の中で怒鳴るようにして説明する。
巨大な鋼鉄のタル型をした転炉の両脇にある直径8メートルを超す駆動歯車が、重々しい唸りを上げ始めた。蒸気機関から送られて来た凄まじい圧力が歯車の一枚一枚に伝わり、「ギギ、ギチチ...」と金属が噛む音をさせ巨大な転炉が傾き始める。
転炉の角度が60度ほどに傾いたところで動きが止まった。そこにごついクレーンに吊られた巨大な取鍋がやって来て静止した。
転炉に取鍋から溶鉄が注ぎ込まれているところ
取鍋がゆっくりと傾き始める―
次の瞬間、目を焼き潰さんばかりの白光が溢れ出した。白熱した光が転炉に注ぎ込まれ始めたのだ。
「パチパチ、バチッ!」
乾いた音を立てて、無数の火花が星の爆発のごとく弾け飛ぶ。
1500度の溶鉄が20トン転炉に流し込まれたことで、建屋内の温度は一気に数度跳ね上がった。
溶銑を転炉に流し込んで空になった巨大な取鍋が、クレーンに吊られて遠ざかっていく、転炉はまた「ギギ、ギチチ...」と歯車を回転させながらさらに傾斜し、水平の角度で停止した。
それを待っていたかのように、ゴトゴトと金属の車輪の音をさせて、大砲のような長い鉄の腕を持った奇妙な形の車両がやって来た。
その車両は、長い鉄の腕の先に3メートルほどの細長い鉄箱を掴んでいたが、その鉄箱を「パチパチッ!」と盛んに灼熱の火花を放っている転炉の開口部から中へ突っこんだ。
「あれは鉄屑装入機と申しまして、転炉の温度を調整するために鉄屑を入れます」
「転炉の温度を調整するとは、どういうことですか?」
あとで後悔したが、疑問に思ったので聞いてみた。
「はい。転炉の中に空気が吹き込まれますと、鉄に含まれる炭素やケイ素が酸素と結びついてさらに燃焼が激しくなります。この化学反応で発生する熱は凄まじいため、外部から燃料などを足さなくても、転炉の中の溶鉄の温度は1600度以上まで上がってしまいます。
あまりにも温度が上がり過ぎると、転炉を損傷したり、生産される鋼の品質が悪くなったりしますので、“冷たい鉄屑”を投入することで、炉内の温度を適正な範囲にまで引き下げるのです」
「そ、そうか...」
タンソとかサンソとか、カガクハンノウとか、一応化学の授業で習ったが、あまり得意ではなかったのでよく覚えていない。なので、せっかく若いカニスディオスの副技師が説明してくれたこともチンプンカンプンだった(汗)。
「どうもトレボス副技師の説明が、専門的すぎて申し訳ありません」
年配のドワーフ技師が謝った。私の表情を見て、よく理解できなかったと悟ったのだ。
いや、実際そうなんだけどね。
「あ、いや、気にしなくてもいい。熱心なのは結構だ。トレボスというのですか、彼の名前は?」
「はい。熱心なヤツです。あと数年もすれば、ここを任せられるくらいに育つと思います」
「それは楽しみですね」
鉄屑装入機が、空になった鉄箱を転炉の中から引き抜くと、またゴトゴトと金属の車輪の音をさせて移動して行った。
水平になっていた巨大な転炉が、また「ギギ、ギチチ...」と歯車の音をさせて、角度を変え垂直になった。
「これからブローイングが始まります。あ、えーっと、ブローイングとは、転炉の下から圧縮空気を送りこむ過程の名前です、大公殿下!」
トレボス副技師は若いだけに、理解が早い。門外漢の私でもわかるように説明をしてくれた。
ガン、ガン、ガン、ガン、ガン...
鐘がひときわ大きく鳴り響き、危険警告の赤ランプが狂ったようにせわし気に点滅する。
「シュゴォォォ―――――ッ!!」
巨大な蒸気機関が爆発し続けているような、耳を突き刺す高音が鳴り響いた。
高温の溶鉄の坩堝の中に、猛烈な勢いで空気が吹き込まれた。
上に向けて開いてある転炉の口からは、10メートルの高さを越す巨大な火柱が噴き出た。
その巨大な火柱は、天井に当たって砕け散り、まるで数万発の花火のように激しく飛び散る。あまりの眩しさに誰も目も開けられず、建屋の温度はさらに上昇する。
転炉へのブローイング
「転炉の底から圧縮空気が吹き込まれることで、溶けた鉄に含まれる炭素が酸素と猛烈に反応し、一酸化炭素というガスに変わります。その時、鉄の中では数え切れないほどの小さな爆発が起き、その一酸化炭素ガスが開いている口から激しく噴き出し、そこで高温の一酸化炭素ガスが、外部の酸素と出会い、激しい燃焼が発生します。それが、あの巨大な火柱です。あ、説明が専門的ですみません」
若いカニスディオスの副技師が詳しく説明してくれ、それから謝った。
「まさに化学の坩堝だね!」
「言い得て妙です、殿下」
バヤックダン工場長が、大きく頷く。
転炉は狂える火竜の巣窟と化した。
ブローイングは、火竜の咆哮のように耳を聾する轟音となり、転炉の口から噴出する灼熱の奔流は火竜のファイアブレスのごとく吹き荒れ、建屋を震わせた。
狂える火竜の乱舞は20分間続いた。
誰もが唖然として、この世の光景とは思われないような凄まじい“鋼鉄誕生劇”を見続けた...
昼過ぎから始まった製鉄所視察は、「コークス炉」から「高炉」、「転炉」を見て、それから「鋳込み場」と「熱間圧延場」を見て終了した。
視察が終わった時は、すでに4時になっていた。




