女D ローレリア
山の高いところまで少し特別な薬草を採りに行った時、突然降り出した雨に慌てて岩場の近くにある洞窟に駆け込んだ。
目的の草と花はもう入手していたけれど、結構雨脚が激しくて、雨がやむまで帰れそうにない。
「すまないな。もう少し早くおまえだけでも帰してやれば良かった」
師匠はそう言って、ローブをバタバタと降って、雨粒を振り払った。
すごい撥水効果。どういう術をかけてるんだろう。
「この間の三人組の一人だな…。昨日が期限最終日だったはずだが、ようやく使ったか…」
師匠が言っているのは、三日前に恋の呪文を買いに来た三人のことだろう。
同じ学校に通う三人組と思われ、薬草を採りに留守にしていた間、師匠の庵の前で根気強く待っていた。
うちの一人の魔法が、夕立でのときめきの出会い設定だった。
「うまくいったでしょうか」
「さあな。魔法の呪文なんて、人生のほんのわずかな手助けをできるに過ぎない。悪用する奴だっている。よかれと思って思わぬ結果を導く時もある。それでも効果はわずか1週間。その程度のものだ」
師匠が人差し指を動かしながら呪文を唱えると、私のローブはあっという間に乾いた。
時々、岩の間からポタポタと落ちる雨粒。
常々疑問に思っていたことを聞いてみた。
「師匠はどうして、いつも料金外の呪文を書き添えるんですか?」
師匠は雨雲の様子を見ながら答えた。
「依頼者の欲望のままに書いて、それが通ると困ることもあるだろう。ただの保険を追加するだけだ。使われなくても何てことのない程度に」
いかにも慎重で、お節介焼きの師匠らしい回答だった。
以前、大きな街で別の師匠について修行をしていた時は、大声で怒鳴られ、兄弟子に失敗をなすりつけられ、術式はなかなか教えてもらえず、盗み見るようにして覚えていった。
それでも踏ん張って修行を続けていたのに、二年も経たないうちに母が体調を崩し、村に戻ることになった。
それからそうしないうちに今の師匠が村にたどり着き、森を気に入って住むことになり、思い切ってパートタイムの弟子入りを申し込んだ。母の具合があるから、と、無理を承知で頼んだら、基礎ができているなら面倒見てやるよ、と軽く応じてくれた。
薬の作り方も、いろいろな魔法も、これは教えないと言うことはなく、まだ早いものは何故まだ教えられないかをちゃんと説明してくれた。
やがて、判ってきた。
師匠は、この村を守る魔法使いを育てたいんだ。私がそこそこ一人前になったら、村を出てしまうかもしれない。
例えそうでも、修行に手を抜くわけにはいかなかった。師匠に恥ずかしくない弟子になりたい。ずっとそう思ってきた。
それなのに…
声もかき消されそうな雨音の中、私は
「ごめんなさい」
と師匠に謝った。すると師匠は
「は? 聞こえない。おおきな声でしゃべれ」
と、自分こそ大きな声で聞き返してきた。
「ごめんなさい!」
負けないくらい大きな声で返した。
「師匠の呪文を、盗みました!」
外を見ていた師匠が、私の耳のすぐそばに顔を寄せて、
「呪文を盗んだ? どういうことか、言ってみろ」
と言った。その口調は決して怒ってもなく、単に質問をした感じだったけれど、後ろめたい私には充分恐ろしく思えた。
でも、どうしても言わなければ。弟子として、してはいけないことをしてしまったのだから。
「あの、虹の呪文を、…書き写しました」
「支払いまでのあれだけの間に?」
こくりと頷いた。
「…で、誰に売ったんだ?」
「売ってません」
「売ってない? おまえならあの呪文を売れる程度に仕上げられるだろう」
謝っている時に褒められても、…嬉しい。反省してないと思われてしまうかも知れないけど、嬉しいと思ってしまう。
「売らずに…使いました」
正直に言うと、師匠ははっとした顔をして、
「ああ…。そうか。そうだな、おまえもそういう年頃だな」
そう言って、私の頭を大きな手でガシガシっと撫でた。少し乱暴だったけど、痛くはなくて、むしろもっと撫でられていたかった。
「なるほど、じゃあ、これは夕立の魔法ダブルか。道理で遠慮なく降るなあ…」
空を見て、ずいぶん嬉しそうに笑っている師匠を見て、この人は本当に魔法が好きなんだなあ、と思った。弟子が魔法を盗んだことより、自分の術式が空を動かしたことが楽しい。そんな顔をしていた。
やがて、雨音が静かになっていき、黒々と広がっていた雲は早々に東の空へと流れ去って行った。そして遠く雲の切れ間から太陽がその光を広げ、数筋の光の帯を見せると、その反対側に北の山と南の山をつなげるかのような、大きな虹が出た。
「おー、いい術式だ」
師匠には、虹の中の術式が見えているんだろうか。
「おまえも見ろよ、自分の術式で作った虹だぞ」
よく見ると、虹は二重になっていた。
恐らく、大きな方が師匠の術式、小さい方が、私の書き写した術式。
出現率100%の、虹。
「魔法使いの術は盗むもんだ。気にすることはない。まして、おまえと俺は同門の魔法使い。同じ術を再現するのは簡単だろう? ん?」
腕を組み、遠くを見上げていた師匠が、ふとこっちを向いた。
「師匠…」
思わず、師匠にしがみついて泣いてしまった。
私はこんないい師匠について、こんなに運がいいのに、まだそれ以上を求めようとしていた、愚か者だ。
これからも、師匠について行こう。
師匠の術式がかっこよくて、魔法を使う姿も素敵で、苦い薬草を作る時の渋い顔も面白くて、水晶玉を割った時の慌てた顔も悪くなくて、私が薬草を間違えた時の怒りながらも怒らない声も渋くて、自作のまずいご飯を口にしてしかめた顔もそれなりによくて、本当に素敵な私の師匠…。
「…ローレリア」
師匠は目を合わせることなく、私の名を呼んだ。
「まだまだ未熟だな」
「何がでしょう」
「あの術式、『ターゲットは術者の本心に応じる』…あれは、虹を見た後、術者の本心が聞こえてきて、それに応える、と言う式にしたんだが…読み切れていなかったか、…それともわざとか?」
そう言って、こっちを見た師匠の顔は、赤くなっていた。
ああああ、褒めちぎった私の心が、心が、師匠に読まれてるー!!
「そもそもあの呪文を俺にかけるとは…。俺の名前はそう簡単には綴れないようにしてあるんだが?」
「れ…練習しまくりましたー! ごめんなさい! 決して術にかけようと思ったわけじゃなくて、自分の師匠の名前も書けないのは恥ずかしいと思って、どうしても書けないのを何でだろうって、毎日毎日練習したら、書けるように…。嘘じゃありません!」
「嘘な訳はない。…あの呪文、最後まで書いたんだったら、おまえは今、俺を裏切れなくなってるはずだ」
あ…。
そう言えば、師匠の労りのオプション部分の呪文も、全部書き写していた。
術者はターゲットを裏切らない
少しずつ消えていく虹を見ながら、いままで薬草を採りに行っても決して差し出されたことがなかった手を掴んで、山を下りた。
その途中で、師匠がちょっと真面目な顔をして言った。
「ローレリア、練習したのに申し訳ないが、俺の名前は伏せておいてくれ。俺は隣の国ではお尋ね者だ。王城で働くのが嫌になって逃げてきた。また呼び戻されるのはごめんだ。このままのんびりここで過ごしたい」
!!
そ、それは、私が一人前の魔法使いになっても、師匠はここからいなくならないってこと…?
「…はい! 師匠」
庵までの道中、師匠はご機嫌そうに鼻歌を歌っていた。
その姿を見て、あの呪文のあの部分は書き間違えてたに違いない、でも直さなくて良かったと思った。
ターゲットを術者が見た後、血圧上昇、心拍数増加、顔面美化1割増
今、師匠がご機嫌なのは、魔法で作られたものじゃないんだから。
それに、こっちは一割ごとき増したところで全然平気。もうずっと毎日新たなときめきがあるんだから。
師匠、かっこいい…。




