夢見る戦士(バカ)と受け継ぐ勇者(バカ)10
「《本の使い方》《破れた余白》」
重兵士に殴り飛ばされて変色した紙に覆われたニートさんを見つけるや否や夜名津は本を召喚して、白紙を破り捨ててニートさんの体に張り付いていた変色した紙は剥がれて、新たな紙が張り付いていく。
紙が剥がれる際ニートさんの体の具合が目に入る。ハンマーを直に受けたせいか、右側の部分が溶かされて服はもちろん皮膚の下のものがうっすらと見えたり、飛ばされた時の木にぶつかったり、枝に引っかかったのか皮膚が裂かれて血を出したり、足も怪我を負っていて青痕も発見できた。それを隠すように白紙が次々にニートの怪我に張り付いていく。
体の半分以上を白紙に覆い隠したと終えたと思ったが、白紙の紙は徐々に変色していき、ニートさんの体から離れては散っていく。失った部分を補充するようにさらに白紙に包まれて、ニートさんの体に治療を施していく夜名津。
あの時、俺を狙って矢が迫ってきていた時、夜名津が《破れた余白》を飛ばして、咄嗟に壁を作ってくれて助けてくれた。
けれど、《破れた余白》はあくまでも回復能力。防御力なんぞ全くなくその名の通り紙耐久でしかない。そもそもは俺の守るための防御壁としてではなく、ニートさんの治療のために放った《破れた余白》……ニートさんを見つけた時に剥がれていったアレだ。
しかし、俺のピンチと察した夜名津が放った《破れた余白》の軌道線上をわざと俺を守るための壁になるようにしてくれたのだ。
それが功を成したようで、軌道がずれたのか、障害物のせいでタイミングがズレたのか、何とかやり過ごすことには成功し、さらには目くらましに使い、俺と夜名津は負傷したニートさんを元へと急ぎ、その場から離脱することが成功した。
「夜名津、ありがとな。助かった」
「あ、うん。そうだね」
こちらを見ずに素っ気ない返答だけしてニートさんの具合を確認しつつ《破れた余白》の治療を続ける。
ニートさんは苦しそうな呻き声を上げる。当然だ、溶解液でできた矢に射られて、さらにハンマーの一撃を受けたのだ。平気でいられるはずがない。
夜名津はいつに増して無表情に努めてニートさんの体に施された毒々しい緑に変色した紙ははがれて、新たに白い紙が傷を癒していく。
「ニートさんは大丈夫なのか」
「さあ?」
「さあって、お前! こういう時までいい加減な態度で言うな! 人の命がかかっているんだぞ!」
「いい加減じゃあないさ……少なくとも命だけは全力で助けるつもりだよ。……命の重さについては、僕は何よりも真摯でいる」
態度を改めようとしない怒りを覚えて怒鳴ったが、夜名津は普段とは変わらない調子でだけどキレた時変わらない声色で窘めてくる。だけど、最後の言葉だけは本気さが伝わってきた。
それは目の前にいる人を絶対に救うという真摯な意思とは違った。何というか、自分の立てた誓いに反することは絶対に許さないというような誇りや自分ルールというもの対するもの。
これは絶対に許さない、絶対にやってはいけない、と強い意志。
コイツを見ている人間の多くの共通認識が、夜名津が適当でいるのは自分の中に譲れない何かがあって、それ以外のことはどうでもいいから適当でいるからだ、との言葉が多い。
夜名津我一の人間性。
夜名津の何とも言わせない雰囲気に押されて、口を閉じる。
「あまり治療についてガヤガヤ言わないでくれる。紙を切り替えるのを誤ったら怖いし。溶解液を吸収して綺麗にしてから傷を治しているから、溶解液のままたっぷりのやつが張り付いたままだとそれごと溶けるから」
そう口にした時は少し冷たくはあったがいつもの声色だった。俺もそれに合わせて頭を冷やす。
「ああ、悪かった。……少し興奮し過ぎた」
「別にいいよ、僕も言い方と態度が悪かった」
互いに謝罪の口に出しながらしばしの間黙る。
夜名津はニートさんの傷口を包む紙の具合を確認するように眺める。俺は夜名津の背中と苦しそうにしているニートさんの姿を黙って見つめる。
「あのスライム先輩はどうやら合体すれば弾力が付くというか硬さができたというのかな……そのせいかな?」
「? なんだ、何が言いたいんだ」
歯に衣着せぬ言い方で何かに気づいたように独り言を呟く夜名津。さっきまで喧嘩していたというのに切り替えの早い奴だ。俺も気持ちを切り替えてから訊ねることにする。
「思ったよりもニートさんの体は溶けてないんだよね」
「ん? それってどういうことなんだ」
「……正確に言うならハンマーで受けた部分はあまり溶けていない。皮膚は溶けてもその下の肉にまでは届いていない。矢で射られた部分は結構溶けている。………一歩遅れたら右手が無くなったかもしれない(というか今のままでも《破れた余白》のタイミング次第じゃあ腕を失うことになるな。……また声を上げられて困るし、これは言わないでおくか)」
夜名津は治療して判明していたことなのか、ニートさんの容体とともにスライムの溶解液の性質について話して来る。
「逆に合体前というか合体中の、何の形を取っていないゼリー状態では何でも簡単に溶かしていた。………硬さがあるかどうかで溶解液の度合いで違ってくるのかな」
説明しているというよりもどちらかというと判明していくことを考察しているような口ぶりだった。
んー、と唸りながら本に伸ばしていた手を一旦止めて、こちらへと何かを地面に滑らせてくる。それは俺の足元に近くに転がり何かと思って、見るとそれは剣だった。
あぶねえーなコイツ。いくら鞘に収まっているからって投げてくるなよ、何かの調子に抜けて刃が当たったらどうするつもりだ。そう小言を言うと、夜名津はごめんごめん、と軽い調子で謝罪の言葉を口にしてくる。
「その剣も見てくれない」
「剣を見ろって……」
言われた通りに俺は剣を拾い上げて、鞘から抜いて刀身を確認してみる。と、刃はほんの少しだけ溶けていた。溶けているとは言っても刃が欠けた程度大差ない、打ち直せば元通りにはなりそうだ(……たぶん)。
この剣は元々夜名津の持っていた剣でスライムと戦う際、ニートさんが使っていたものは片刃が溶けてしまって使い物にならなくなっていたので夜名津は交換した。
「あんまり溶けてねえな」
少なくともあの溶けた剣に比べると損傷という損傷はない。夜名津は俺の素直な感想を聞いて頷いてくる。
「うん、そうなんだよね。ちらりと見えたんだけどその剣であのスライムとは結構かち合っていた割にはあんまり溶けてないし、木と一緒に投げ捨てた剣の方は一瞬で溶けたんだ。水と氷という訳じゃあないけどゼリー状の時と模った時との性質の違いとの裏付けにならないかな?」
「……形がある時は溶解液の効果は弱くて、形がない時は溶解液の効果は強いってことか」
「あと矢も別みたいだね。あれは受けた場所は結構溶けていたし、ニートさんの傷の中では一番大きいね。だけど、ゼリー状ほどの力はない」
つまり溶解液の危険度でいうと模倣体は小、矢は中、ゼリー状は大ってことになるのか。
ちょっとやそっと剣をかち合わせても、武器の損傷は少ないってことか。だが、迂闊に接近して切り込んだ時の中身が飛び散ることを考えると、危険であることには変わりない。
ならば攻略法としてはやはり中、遠距離からの攻撃や木を切り倒して圧し潰すなんてことになってくるが。中、遠距離の攻撃手段は俺たちは持っていないし、それに―――。
「その上、硬く、肉体の弾力が増したってことはその分壊しにくくなったってことになる」
「……木で切り倒して潰すって攻略法も通用しなくなるってことか」
そう呟きながら眉間に皺を寄せる。そうなってくると流石に厳しい。
ただでさえ、俺たちにできることは少ないのに、さらにそこから現状が厳しくなってきているのは不味い。何とかいい対策を考えないとこのままじゃあ三人とも全滅してしまう。
俺たちが今使えるものとできることと言えば………。というかコイツ話の中でさらりと剣を捨てたって言いやがった。
現状把握しながら夜名津の話を思い出して対策を練ろうとしたところで今更ながら気づいた。夜名津が持っていたはずの壊れた剣はいつの間にか無くなっていた。
ただでさえ戦力がないという状況なのに貴重な武器を、と思う反面、半分は溶けて使えない代物になっていたので持っていても仕方ないともいえる。
それでも色々と思うことや言いたいことがあったが、一先ずそれらは呑み込んで、別に気になっていたことを訊ねてみる。
「そういえばお前のとっておきはどうなんだ? 前提条件ってのはクリアしたのか? というか、さっき溶解液を吸収しているって言ったけど、溶けないのか?」
準備すると、少しの間だけ離れていたが結局それはどうなっているのか、また夜名津が扱う《本の使い方》、先ほどから治癒をかけている白紙の効能について気になって聞いてみる。
「普通に溶けるよ。だから溶ける前に紙で液を吸収することで、肉を溶かす進捗を止めてから新しい紙で治癒をかけていく。ようは水に濡れるティッシュみたいなもんだよ」
「そうか、……まあ一緒にしていいのか分かんないけど、同じ紙だもんな」
「あと、《読破》については全然全く。そんなことしている暇があったら君もニートさんもお陀仏だよ。今は治療しているのからできないし」
「だよな」
準備には最低でも三十分はかかると言っていた。時間が稼ぐと言っておいて十分と満たない間に死にかける羽目になっては逆に助けられたのだ。そりゃあうかうか準備なんてしている暇もないか。
少し罰悪い気持ちになりながらも、切り札の方も充てにすることはできないという現実にもショックを受ける。
これでもう打てる手段はない。……本当に少ないな、手段。夜名津の能力頼りすることしか案がでてこなかったぞ……。
自分が情けないやらなんやら、何といえない気持ちに陥りながらガツガツと頭を掻きむしって無理矢理気持ちの整理をする。
「……とりあえず、このままニートさんの手当てを優先して、その後でお前の能力の準備をして、迎え撃つしかないのか」
「え、なんで?」
現状から見てこれからの方針の結論を口にすると、何故か夜名津から不思議そうに返された。
「なんで、ってお前……どう考えたってあのスライムに勝てる方法はそれしかないだろ。それとも何か、お前の能力じゃあ、あのパワーアップしたスライムは倒しきれないのか?」
もしや、アレの存在が予想以上で倒すとなる夜名津の能力としても不利なのか、不安になりながらも聞き返すと、夜名津はこれまた不思議そうに返してくる。
「いや、むしろなんで倒そうと考えているの、君は? 今までの話は別に『対策手段を考えよう!』じゃなくて、対抗策がないから諦めて逃げよう、って話でしょ」
「……話の流れからして諦めるように仕向ける語りかけのようには聞こえなかったぞ」
明らかにニートさんの負傷具合から分析して特性を見抜いて、対策案を立てていこうって流れだったのに。どうして、そこから『諦める』の選択肢に繋がってくるんだコイツは……。
「第一、スライムから逃げていいわけ」
「いいんだよ。逃げて。むしろ逃げちゃ駄目な理由の方がない」
ニートさんに体を向けたまま、夜名津は告げてくる。
逃げていい、逃げてはいけない理由がない、とそう言われて、ハッと気づいて言葉が詰まる。
どうして逃げてはいけない、と思っていたんだ…俺は。
動揺して少しだけ思考が止まったような、今まで考えてもみなかったことを指摘された時のような気分になった俺の事なぞ知らない、というように夜名津は畳みかけてくる。
「君の目標は救世主の手下だった無視できなかったけど、相手は野生のスライムなら別に見捨てていいだろう。ここが、町とかならまだ被害の事を考えて倒す必要があったけど、人通りのない森の中だ。人が襲われることもない。ならゲームと同じで面倒な戦いは『逃げる』の選択を取ってしまったほうがいい」
違うかい? と投げかけてくる夜名津。
そうだ、別にあのスライムを別に俺たちは倒さなくていいんだ。最初、俺たちの勘違いで岡之原の陣営だと思っていたが、俺たちが戦うべき相手だったからこそ逃げの選択肢は自然に消えてしまう。
でも、違う。今本当に相手をしているのはあくまでも野生のスライム。魔法で作られた人形ではない。
岡之原がこの世界に影響によって産み落とされた存在、とニートさんは言っていたがそれはそれで気になってくるが……口振りからして岡之原自らが創った存在ではないはず。生まれ自体は野生で、新種の異常発生。
身体を構成する液体は溶解液でできて、合体する度に強くなる……確かに脅威の存在で速めに対処するべきではあるが、俺たちの実力では対処しきれない。夜名津が言う通りにここが人気のない森だということが幸いして、人への被害がまだニートさんだけである。
街にでも行った時にハンターにでも頼もう、とも言ってくる。
……ここは引いて街に行ったときにあのスライムの情報を流して、実力のある連中に退治してもらう方がいいのか。異世界から召喚された勇者としてはなんか、情けない話ではあるが……。
「…………」
その情けなさが自分の中で引っ掛かってしまうのか、夜名津の意見の方がいいのは分かるが、……でも、な。
引いてはいけないと、思いが自分の中にあって夜名津の案に同意できないでいる。それでなかなか返答を返してこないことにじれったく感じたのか、背を向けていた夜名津が振り返ってくる。
「聞いてる?」
「……ああ、聞いてる」
そう、返事をするものの自分の中では迷いは生じていた。
本当にここで逃げていいのか? 相手が脅威で、自分たちの能力が劣っているからって理由で逃げていいのか? あれを放っておいてますます強くなってしまったら……今がまだ本当に倒せるうちの範疇でなら何が何でもここで倒してしまうがいいのでは。
戦えば、あの溶解液によって負傷を受けた際に身体の一部が失ってしまうかもしれない。ニート以上の負傷を負い、夜名津が回復できる範囲を超えてしまう可能性がある。戦わずに逃げることで俺たちは助かるかもしれないが、俺たちが街へ情報を流す前に他の人間がこの森へと訪れて何も知らず、あのスライム達に襲われることだって考えられるし、さらにあの二体が合体して脅威の存在になるかもしれない。
戦った時のリスクと、戦わなかった時のリスクを天秤にかける。
どちらも甲乙付け難い、リスク値だ。そう簡単には決められなかった。
俺が悩み悩ませている最中、俺を見て夜名津は何を思ったのか、それとも何も思わなかったのか、タイプアップだというように告げる。
「そう、ならいいけど。ニートさんの傷を治したらすぐに逃げ、「―――ちょ、まっ」よう? ん?」
よう、と疑問符で言い切る夜名津。慌ててストップをかけた俺の言葉で止まってくれた調子ででた変な切り方だったわけではない。
夜名津は不思議そうに振り返るように視線を下げていたのだ。何かと思い、俺も見えやすいように立っていた位置を変えて夜名津が見下ろしていたものを見る。
ニートさんだった。ニートさんが夜名津の腕を掴んで、右側は白紙に抑えられて隠された顔だが、隠されていない左の眼は今にも人を殺さんとばかりのギンギンに睨ませていた。
「ぅ、―――ね」
痛みに耐えながら呻き混じりに言っていた。
逃げえね、と。
「アイヅが……やって………きたことで、何かが、変わってしまったことを……見過ごすことは………お、おれには…できねえ。……どんなに、き、けんで……脅威だろ、うと…………関係ねえ」
「ニートさん……」
「………」
「何も分からなかった! ……何か、………何かおかし、いって……のは、感じてはいたんだ。………でも…それが………ハッキリしないまま………村の奴らは……かえ、変えられてしまって……いたん、だ……。あんなに良いな、かまで……家族、だったのに………。皆、みんな……志も、……誓いも、想いも……信仰も…忘れて、……全部変えられた。……だから死んじまったんだ!」
「………」
「お前らにとって………どうでもいいことかもしれねえ。この世界に……大した思いのない、アイツと同じ世界の……人間なら………。難しいことに………逃げて………他人任せにして………暴れるだけ暴れたままのクソヤローが!! 故郷を荒らされたら身はたまったもんじゃあねえんだよ!」
「…………」
「俺は…………オカノハラからは、にげねえ! 必ず………必ず倒す!!」
「……気持ちは分かりますが、今はあんまり喋らないでください。まだ溶解液を吸収して少しずつ治癒しているんで、喋ったり動いたりすると危険ですよ」
夜名津はそうニートさんを宥めながら、本から白紙を切り取って、ニートさんの体に張り付いていた紙を取り換えていく。その表情は何を考えているのかは分からなかったし、考えようとは今は思わなかった。
それ以上に、今のニートさんの話を聞いて、自分の中で思うことがあった。
痛みに堪えながら、口に出した本音は痛ましくも勇ましい姿だった。
城の時にニートさんと似たようなこと口にした少女がいた。彼女は自身と自身の一族の犯した罪に苛まれながらも怯えながらも、それを償おうとしていた。だけど背負い過ぎて混乱を起こして心を閉ざしてしまった彼女。
そんな彼女の姿を見たから、俺は心の底から助けたい、力になりたいと思ったんだ。
でも、この人は違った。所々の、断片的な部分でしか話は分からなかったけど、語っている時の気迫からヒシヒシと伝わってくるものが、それから分かることがある。
傍にいたことで徐々に変化していく世界を見つめていくことで自覚していったキルとは違って、何も知らないうちに変えられていくのを自分の中で何となく感じながらも、でもそれが何なのか分からないうちに、もうすでに何かを失った後だったんだ。
大事なものを失って、後悔や憤りや絶望を味わったからこそ立ち上がって戦う覚悟を。
我慢していた糸が切れたように泣き叫んでいたキルとはまた違う、ニートさんの覚悟は、復讐の炎を燃やしているかのようなもの。
復讐なんて馬鹿げているし、悲しいだけだって、言うべきなのかもしれないが俺にはそれはできない。むしろ、その姿を見て反省してしまった。
俺には自分はそれが足りていなかったのだと気づいたのだ。
ニートさんの本音を聞いて初めて理解したことがあった。俺には覚悟や真摯さ、本気ってやつが足らなかったのかもしれない、と。
剣の稽古を、強化術を、肉体を、体力を、鍛えてきた。それがまだ全然未熟で、実力が足りないことも自覚していた。だから毎日の修行は本気で挑み、手を抜いて努力してきたつもりはなかった。頑張っているつもりでいた。……けど、そうじゃあない。そういうことじゃない!
例え、もし、ニートさんいや、岡之原と同じ位の実力があったとしても俺にはたぶんそれが足りないままだったような気がする。
何が何でも成し遂げるって本気の覚悟ってやつが。
気持ちの面で、俺はもう一歩先に踏み込み切れていなかったことが初めて分かった。そしてその気持ちが一歩あるかどうかでこの先の戦いが変わってくるような気がしてならない。
ニートさんの復讐とは違う、そしてまた夜名津の信念とも違う、だけどそれと同じくらいの本気の覚悟を、譲れない何かを持って挑まないと、俺は……俺は!
「―――何の音だ?」
ブ、シュー。ブ、シュー! と弾力が弾むような鈍い音と後から何かを溶かすような音が聞こえてきた。音の鳴る方へと振り返ってみると、視線の先には二体の溶解兵士は存在し、何かを探すように森の中を彷徨っていた。
「雨崎君、屈んで! 隠れて!」
夜名津に言われて、慌てて身を隠す俺。探しているのは俺たちだということはすぐに分かった。
隠れてすぐに俺は夜名津と顔を見合わせる。
「(参ったねこれは。まだニートさんは動かしていいほどの状態じゃあないよ)」
「(ああ、分かっている)」
小声でやり取りをしながらどうするかを検討する。このまま隠れてやり過ごすことが一番いい方法だった。息を殺して、ニートさんの治療だけ集中して事なきを経る。それが今の俺たちの最善の策だったのかもしれない。
おい、と掠れたような声が俺たちの話を遮られた。
「早く治せ。あいつらの相手は俺がやる。……お前らは逃げるなり好きにしろ」
「ニートさん……!」
体を無理矢理起こしながら、応戦の姿勢を取ろうとするニートさん。さっき夜名津が言っていたように傷はまだ癒えきれておらず、動くのもままならないはずなのに関係ないとの態度で逃げずに戦おうとしている。
「……頼みますから、今は大人しくしていてください。傷は治していますから、もう少し大人しくていれば動けるようにはなりますから……でも戦うのはよしてください」
夜名津は懇願するように戦おうとするニートさんを宥めようとするが、ニートさんは手を伸ばして夜名津の胸ぐらを掴む。
「だから早く治せって言ってんだろうが! 戦うなだ? ……ふざけんな、俺はあの野郎からは逃げないって……言っただろうが! ……ごちゃごちゃ言ってな―――!?」
「! 夜名津」
夜名津はニートさんを腹に向かって殴った。突然の攻撃とその衝撃で傷口に響いたのか、ニートさんは掴んでいた手を剥がれて地面につく。
夜名津は四つん這いのような態勢になったニートさんに目を細めて言う。
「……こんな調子なんですから頼みますから戦わないでください。無駄死みたいなことか、ホント勘弁してください………苦手なんです、そういうの」
そう言った夜名津はニートさんよりも痛そうに、そして今にも泣き出しそうな、弱々しい声のような気がした。
その言葉を耳にしながら片手ついた四つん這いの態勢で呻き声を零すニートさんは苦しさと悔しさが混じった苦い顔で歯を噛みしめていた。
どんなものだろうと岡之原に関わっているものからは逃げたくないというニートさんの信念、と現状では不利だと撤退しかないという夜名津の判断。
どちらかというと状況だけの判断なら夜名津の意見の方が正しくて、確実に三人が生き残れて、完全に傷を癒しきって、万全な状態になってそして岡之原との戦いに挑むのかもしれない。
ゴールは岡之原の打倒だ。余計なことで戦力を消費させるわけにはいかない。
だけど、それは本当に余計なことなのか。この戦いは避けてもいいような戦いなのか。
心に刺さっているのは、ニートさんの本気の覚悟からの本音。それが俺の中にはそれが深く突き刺さって、夜名津の意見に首を縦に振ることはできない。
想いか、安全か、目まぐるしいほどに頭の中で巡りに巡って俺の中で思考が回る。
そして、決断を下した。
重い腰を上げて、夜名津達の方へと背を向けながら言う。
「夜名津、ニートさんを頼む」
「……何を言っているんだい、君は」
呼び止めてくる夜名津。ニートさんも同じ気持ちなのか、「チヒロ」と俺の名前を呼んでくる。俺はスライムの方を見据えながら言う。
「あのスライムを倒す……とまではいかないけど、ここから引き離す」
「そういってさっき失敗したのは誰だったかい?」
「そう茶化すなよ」
「いや、事実を言っているだけなんだけど」
冷静な突っ込みをしてくる夜名津。ボケ役と言いながら冷静に突っ込んでくる。ボケはつまらないのに、突っ込みは痛いとこを突いて相手を黙らせようとする。根本的にコイツにお笑いは向いていない。
「チヒロ、やめろ! お前じゃあ、無理だ。俺が……や、る」
傷の痛みを耐えながら立ち上がろうとするニートさんに夜名津は「あなたも無理です」と冷たく窘める。
「雨崎君」
「夜名津、ニートさんの言う通り、あれは逃げるんじゃなくて戦うべき相手なんだと俺は思う。岡之原が関わっているってことは避けては通れねえんだ。通っちゃいけねんだ!」
そうでもなくても俺はここで引いたら取り返しのつかないことをしてしまうような気がしてならない。岡之原と戦うとは、そしてキルを助けることには岡之原がやってきたことに俺が挑まなくちゃいけない。
勇者として勤めか、あるいは俺の個人的な思いなのか、どちらなのかは自分でも分からなかった。
夜名津は静かに訊ねてくる。
「……勝算があるのかい? 何度も言うけど僕はまだ準備はできてないぜ」
「分かっている」
「なら」
「だけど、この先何があるのか分かんねえ。今はお前が考えた安全な道を、危機が少ない道を進んで行って楽なのかもしれない。だけどもしそれが通じないことになったらどうする? 避けて通れない、絶対に逃げられない危険が迫った時、お前ならどうする?」
「全力で逃げる、か、駄目なら何もかもを諦める」
「……お前らしいな」
呆れて、そうとして言えない。……まさか即答で答えてくるとも思わなかった。
だけど、そうだ。こんな時に即答で、マイナスな回答を堂々と言い放ってくるのが夜名津というやつだ。呆れつつもどこか安心してしまうような思いで息を小さく吐く。
そして気持ちを切り替えて、冗談抜きで真面目に話を続ける。
「俺はここで逃げたくねえんだ。逃げたら俺はここから先の戦いに必要な、何か大切なものを持ってないまま、先に進んでしまうような気がするんだ」
「……気のせいだよ」
「……ああ、お前にとってはそうなんだろうよ。でも、俺にとってはそうじゃあないんだ」
「…………そうかい、って、雨崎君!」
これ以上、話している余裕も、説得する言葉もないと踏んだ俺は走り出した。止めに入る夜名津の言葉を無視して茂みから飛び出てスライム達の前へ。
俺はスライム達に対して「ほら来いよスライム。チュートリアル戦闘みたく倒してやるから」と挑発を言い放って、全力走り出す。
突然現れた俺を見て何だと、不思議そうな様子のスライム達だったが、すぐに意味を理解したのか、逃げた俺の後を追ってくる。
ああ、今度こそちゃんと付いて来いよ。お前らの相手は俺なんだからな。
× × ×
「ああ、クソッ! やってくれたね雨崎君。全く、本当にそういうのは勘弁して欲しんだけど。……《本の使い方》」
× × ×
場所は変わって夜名津達が拠点とするコテージ。その家の中に重い空気で包まれた部屋が一つ存在し、その中に二人の人間が存在していた。二人は言わずとも知れたインドアとキルレアル=ホームレス・ロードの二人。
キルレアルはベットの上で体育座りのような体制で腕に顔を沈めている。その様子を少し離れた場所で椅子に腰かけて静かにキルレアルを見守るインドア。その横には空腹だろうと思って用意したキルレアルの食事が置かれていた。
目覚めたばかりの錯乱した状態からはだいぶ落ち着いた様子になったがしかし、キルレアルは食事には拒否され、インドアは静かに待つことにした。
「………私……最低だ」
長い沈黙だった部屋に小さく一言を漏らす。顔を少し上げて表れた目は赤く腫れあがっていた。さんざん泣いた後であることをその目に物語っていた。
「…………助けてもらったのにあんな態度を取って。……私は本当に何もできない子供で、こんなじゃあいけないってわかっているのに……でも、どうすればいいのか、分からない。…分からないよ」
ほとんど涸れ果てているともいい、キルレアルの目にもう一度じわりと涙が浮かび上がり、もう一度腕に顔を埋める。
何とかしなくちゃいけないと思った。だけど、これからどうすればいいのか分からなかった。
他人に頼りたかった。だけど、頼ったら結局自身の罪を他人に押し付けているだけな気がして、自分の卑しさに虫唾が奔って頼りたくない。
そして、それでまた誰かを失ってしまったら、もう自分は人間としていられない、外道に成り果ててしまう。……ような気がしてならなかった。
ディーネリスに指摘されたことが、自身の本性である部分を言い当てられたことがたまらなかった。
その弱さは自身でも気づいており、それからいつも目を逸らし続けてきた。見て見ぬふりを、気づかないふりをしておけば何とかなると思っていた。
そんなことはあるはずないのに。自身の考えが如何に幼稚で恥じ知らずだったかと。
けれど、ここから先そんな甘えは通用しない。子供のままではいられない。自分で選択した以上は逃げることも、また他人に押し付けるようなことは許されない、との思いもまたキルレアルの心を締め上げていた。
自己嫌悪と自制心の渦に溺れて意気消沈の状態。
ゆえに、この先のことをどうすればいいのか分からず、ただ自虐に浸り、己の無力さを呪う。
あの日―――岡之原との決別した日からそんなこと分かっていたのに。
自分の弱さを知っている。だからこそ、自身を許せないという気持ちがある反面、その弱さに負けてしまう。
自覚が足りなかった。覚悟が中途半端だった。
だから、何も出来ずに、何も守れずに、ただ失って、恥知らずにも助けられた。
あのまま死んでしまっていれば……違う! あそこで死んでしまったら元もこうもない! それではただの逃げだ。私が、私の手で岡之原を止めないと。でも、それなら、勇者の手を、あの二人の力を借りること自体大きな間違えではないのか。
と考えも頭に過り、もう何度目になるのか、頭を抱える。
何が正しくて、何が間違っているのか、分からなくなって強く、強く、握りつぶすように頭を抑えつける。
「……あなたの気持ちは分かるわ。でも駄目よ。自分で自分を押しつぶすようなことしては」
静かに、優しい声色でキルレアルの事を諭してくるインドア。その言葉に引かれるように、頭から手を放して横に向ける。
自然にインドアと目が合う。真剣な表情でありながらも人を安心させる柔和な顔が病んだキルレアルの心を少しだけ落ち着かせてくれた。
「分からないんです。……どうすればいいのか」
今までインドアとはまともに口が聞けなかったのに、不思議と言葉が紡ぐことができた。それは疲れ果てた心が自然と安らぎを求めたのかもしれない。
キルレアルはぐしゃぐしゃになっている考えと気持ちをゆっくりと口に零していく。インドアは何も言わずにただ静かに彼女の言葉に耳を傾けていた。
「私は、………弱くて何もできないから、いつも人に頼っていたんです。……他人に甘えるのが当たり前で、自分から考えて行動起こしても上手く行かない、だから、失敗するのが怖くて……。人からしろと言われてからじゃあないと動けない駄目な人間なんです。肝心なところでいつも誰かに縋ってしまう……弱い人間なんです。リョ、……岡之原の所にいた時だってそうでした。……私は、元々岡之原側の………人間です」
「ええ、知っているわ。あなたが、あなたの一族が彼を呼んだことも」
「………はい。そうです」
ますます表情を暗く落として涙ぐんだ声。恐怖が、事について知られている恐怖がキルレアルの心に縛り上げてくる。
「……あの人といた時は、心地よかったんです。私を必要としてくれることや、失敗しても許される、そしてあの人が考えること従うことが、それが暖かくて優しくて、正しいことだと思って。初めて自分で自分の存在が認識できたような、生きているという実感が湧いたような気がしたんです。充実した毎日でした。だけど、結局はそれも間違えで、何も知らないで、世界を滅ぼすこと加担していたことにしかなってなかった! それが怖くなって、何とかしなくちゃと思って色々探し回ったら本物の勇者が召喚されることを知り、その人ともに今度こそちゃんとしないと、って思っていたのに」
―――人の任せのくせに、本当に何ができるの?
「……私は結局、チヒロさんやヨナツさんの力を頼っているだけで、何もしていないんですよ……。それが情けなくて、恥ずかしくて、………でもどうすればいいのか」
涙を零して、再び顔を落とすキルレアル。
インドアの安心できる雰囲気に釣られて吐露したが、気持ちが楽になるなんてことはなく、逆に現実を思い返すことになってしまった。
岡之原と戦うこととはどういうことなのか。召喚された千寿達の力で解決したらそれは岡之原の時と二の前になるのではないか。だけど、対抗するには自分の力だけでは無理があり(これはキルレアルの自虐からくる意見ではなく、純粋な実力差での無理)、同じ世界の千寿達の協力は必須である。
しかし、彼らにとってはいきなり異界に召喚されては、前に召喚した人間のせいで世界がおかしくなり始めたからどうにかしてくれ、と無茶苦茶な願いを聞き遂げる必要はなく、迷惑この上ない。自業自得。
悩みを膨らませていくのだが結局のところキルレアルの一番の部分では、どうすれば一番自分が納得いくのか、という一点についてだ。
もう一つ加えるとするなら、罪を償ったことになるかだ。
一族と、自身が起こしてきた罪を。
解決したい、だけどそれができる力が自分にはない。他人に頼りたい、だけど自分は何もしないままになりそうで怖い。
本当に子供だ。幼稚過ぎる考え方だ。解決できる力もなく、自分の都合のいいようになることを思ってしまう。
自分の弱さにただ呪う。
「そうよね。自分が弱いことを自覚するというのは怖くて、勇気がいるものね」
顔を伏せたままのキルレアルに、静かに話を聞いていたインドアは言う。
温かな声色に対して安らぎを感じながらも、同時にこれもまた人に甘えで、弱さだと思った。
顔を伏せたまま口角がつり上がって自虐な笑みになる。そんな心情を分かっているのかいないのか、インドアの言葉は続く。
「弱さを自覚できているからこそ他人に頼ることが甘えであるから許されない、だから他人に頼ることができない。自分に厳しい……あなたは強い子よ」
「慰めはよしてください!」
声を荒げて、インドアの言葉を否定する。
違う、厳しいんじゃない。これは戒めであって、事の状況を悪化させてしまう。効率を、正解をたどるなら自身の思いに対して融通を利かせるべきこと。―――これは弱さだ。決して強さではない。
けれどインドアはキルレアルの言葉に首を振った。
「慰めなんかじゃない。私があなたの話を聞いて、あなたの経緯を知って、素直に感じたことよ。キルレアルちゃん、あなたは岡之原の傍にいながら、その異変を悟ることができ、その上でそれをどうにかしようと思って行動を起こした。ここまでのことは十分強さだと誇っていいのよ。間違えを犯した人間は自暴自棄になって間違った道を進み続ける人もいれば、恐れを抱いて何も出来なくなる人もいる。それであなた自分の弱さに気づくことができた。前へと進むこと選んだ。……あなたは強い、そして強くなれる子よ」
「…………でも!」
「いくらでも弱音を吐いていい。いくらでも泣いていい。悩んで、迷って、転んで、間違えて、失敗して、恐れていいのよ。我慢すればさらに自分を追い詰めるだけで、余計辛くなるだけ」
喉まで上がってきた言葉が詰まる。最後の言葉が現状の自分をよく表していた。
けど、だからこそ。
言葉は詰まったが呑み込めず、キルレアルの心の闇は晴れずに、ますます複雑に絡みついて、自身を縛る鎖に感じた。一生成長ができない、と頭の中で過った。
それを拒絶する気持ちを込めて、インドアの瞳に叫んだ。
「…………だったらどうすれば、いいんですか! 私は! 弱いままなのは嫌なんです。弱くて何もできないままの自分には、もう! 強い、強くなれるじゃあ駄目なんです! ……できる力が、やり遂げる強さが欲しいんです!」
うじうじしているのは嫌だ。分からないで立ち止まるのは嫌だ。何もできない無能なのは嫌だ。ちゃんとできること、自分に力があることが自信を持てる明白な強さが欲しい。それがキルレアルの想いだった。
成長、克服、自信、その全てがキルレアルには必要だった。
インドアは充血した瞳で自身の想いを真っ直ぐに伝えてくることを、一切逸らさずに受け止める。
そして、告げる。
「信じてみなさい。頼りにすることを甘えだと思うなら、今度は信じることをやってみなさい」
「……信じるって、自分をですか。……こんな弱くて情けない、自分を信じろっていうんですか」
話にならなかった。そんなことができないからこんなに苦しく、嘆いているのに。
自信喪失をしているものに対して、自信を持ってと強者は説き、それができるものもまた強者である。しかし弱者にとって、さらに苦しめと追い詰めることにしかならない。
そんな考えがキルレアルの頭に浮かんできた。
何か行動を起こさなければ何も起きないのは分かっている。しかし、それが更に失敗をしてしまうのではないか、それこそもう何もかも取り返しのつかない失敗になることが。
………結局、思考は堂々巡り。出口のない迷宮を永遠と彷徨っているかのような押しつぶされそうな気持ちのみが増幅していく。
けれど、インドアは首を横に振って否定した。
「違うわ。自分じゃなくて他人を信じるのよ。頼れないなら信じてみて。チヒロ君を、彼は信頼していいわ」
「……チヒロ、さんを?」
繰り返して確認するとインドアは深く頷いた。
「ええ、彼はこう言ったわ『この世界のことについてはまだよくわからないから何とも言えないけど、ただ一人の女の子が背負っているものが大き過ぎているのを見ているのはほっとけない。見捨てられない。俺はキルを助けたい』って彼はそういったのよ」
「その言葉を信じて、オカノハラを倒してくれることをですか」
それこそ一番の悩みだった。彼の存在が、彼の行動が、これからのことを左右していく。岡之原ようになるのか、それとも彼の祖父たる雨崎樹海のようになるのか。
最悪か英雄か。
どちらにせよ、彼がキーになることが確かであり、一度失敗してしまったキルレアルには今一つの気持ちに踏み込みが足りなかった。
彼を頼るいや、信じるのはキルレアルにとっては苦難なことだった。
思い出す数時間前にかけられた千寿の言葉と、数年間一緒に過ごした彼の事を。
―――『約束だ、絶対にお前を守る』
―――『守るから』
「ッ! 無理ですよ。私はあの時、手を差し伸べられた時、チヒロさんを、岡之原と重ねてしまったんです。それで思わず手を取ろうとしましたが、この手を取ってしまったら私は弱いままだと、それが怖くて私は彼を拒絶したんです。……それなのにどんな顔をして、チヒロさんを信じていいんですかぁ!」
あの時、かけてくれた千寿の言葉がそのまま岡之原との陰に被って見えてしまった。それが恥であり、未だに岡之原への想い断ち切れていない証拠。自身の根源の弱さだった。
ダブって見えてしまう彼を信じること、それこそ寄生する場所を変えただけで何も変われなくなるような気がしならない。
しかし、インドアは否定する。
「違うわ。オカノハラを倒してくれることを信じるんじゃない、あなた自身を救ってもらうこと信じるのよ!」
「!!?」
言葉が、思考が、涙が、飛んだ。しばし、放心状態になる。
そして、ようやく意識が戻ったところでインドアに訊ねた。
「……どういうこと、ですか?」
「そのままの意味よ、あなたは救われるの。彼に、アメザキチヒロ君に」
意味が分からなかった。自分を救ってもらう? アメザキチヒロに?
なぜ? 拒絶の意を表してしまった相手が自分のことを。
思考がまとまらない。インドアの言葉の意味が不明だった。
「あなたは、一族が犯した罪を背負い、自身で意識してなかったとはいえ罪をさらに犯してしまった。それを償うのは当然の責務。それをあなたは理解している」
「…………」
「けれど、罪を償ったことになるのかは理解できていない。他人に赦されることで罪を償った、ことにはなるわ。けれどあなた自身がそれを認めない」
強くこちらを見つめて訴えてくるインドアの瞳に思わず目を逸らしてしまう。
そう、かもしれない。少なくとも今のままだと、もしも目的が達成した時、自分を赦しきれないということがキルレアルの中にあった。
その様子を見て、肯定と捉えたのかインドアは告げる。
「自分を赦し、そして他人から自分を救ってもらって初めて償ったことになる。それが罪の償い方よ」
「自分を赦して、……他人に救われる?」
それが本当に罪の償い方なのか、疑問に尽きない。
しかし、何故か心のどこかで納得している自分がいた。
他人に救われることが報いだと、そう。
「今はまだ難しいかもしれない、理解しきれないかもしれない。でも、これだけは忘れないで、チヒロ君はあなたの味方で、あなたの力になりたい。助けたいと思っていることを。その彼だけでも信じてあげて」
まだ迷いがあった。彼を信じていいのか。彼が自分を救ってもらえることを。
そもそも他人を頼りにするのと他人を信じる、の違いがさほどないように思えていた。
今だに心の中の答えはただ一つ『分からない』の一点のみ。そんな不具合な曖昧で何一つとして確信を持てるものはないままのキルレアル。なのに、気持ちは不思議と前へと進み始めているような気がした。
他人から赦しを頂き、自分を赦して、そして他人から救われること。
その意味はいくら考えても分からない。もう一歩を踏み込む勇気が、気持ちが前へと進む流れに乗ることができなかった。
まだ深く思案するキルレアルにいつの間にか近づいていたインドアが肩を掴まれて反応する。顔を見上げると優しく微笑むインドアの顔がそこにあった。
「それに何もできないってあなたは自分で言うけど、私だってこう見えて、世間知らずの箱入り娘よ。知らないこと、分からないことが多いのよ。もしかしたらあなた以上かもしれない」
「……なん、ですか。……それ」
最後にそう冗談含んだこと言われて、毒気が抜かれた気分になる。
そのキルレアルの顔を見てフフと、楽しげに笑うインドア。
「話はもうお終いにしましょう。ご飯食べる?」
といきなり話を変えられて戸惑いつつも、断ろうかと口を開きかけて少しだけ考えてから「少しだけ、お願いします」と返答を返す。
それにインドアは喜びの笑みを浮かべながら準備していた食事に手に取ると、ポロっと皿を零して、パリン、と割れた音が響いた。
手が滑ったのかと思ったキルレアルだったが、インドアの様子はおかしく、割れた皿には目もくれず、外の様子を窺うように静かにじっと見つめていた。
「敵が近づいてきている……?」
危機は既に迫りつつあった。