似ている
ギシギシと、板張りの床が軋む音が、静かな道場に響く。部活中は散々騒がしいそこは、部活中とは打って変わって水底のように静かな空間。
「……裕也先輩」
「……」
電気も消されていて、真っ暗に近いその場所は、恐怖を駆り立てる。
優里先輩と滝富先輩が用意した舞台。逃げ出したい衝動を抑えて、俺は二度と口にしないつもりでいた名前を呼んだ。
「裕也先輩」
「……」
「……好きです」
俯いたまま、近付くこともできず、俺はどうせ返ってこないだろうに、改めて想いを口にした。「好き」なんて、どの口が言ってるんだか。散々傷付けて、幸せを奪った俺の言葉なんて。
「……好きなんです」
不気味なほど静かで、冷たい道場。俺の長年の作戦が閉幕した舞台。
もう無理だ、戻れない。
好きだと告げた自分の声も、想いとは裏腹に冷めきっていた。
好き――この感情は、こんなにも冷たいものだっただろうか。もっと温かくて、握っただけで火傷しそうな程、熱いものではなかっただろうか。
ああ、一度壊れたら、熱は消えてしまうものなのか。
そりゃそうだ、熱いのは中身だけ。表面が割れて中身が流れ出てしまった心の破片は、熱を持っているはずがない。
冷めきった心。冷めきった声。冷めきった関係。
全てが冷たい。寒い。
だからだろうか。その寒さを補うように、目の奥はとても熱かった。
「……悟」
「ッ……」
名前を呼ばれて、肩が跳ねる。毎日のように呼んで貰っていたのに、次に言われることを想像するだけで呼吸が苦しくなった。
棒のように突っ立っている俺に歩み寄って、目の前で俺を見下ろす裕也先輩の顔が直視できない。怯えて黙って俯いて、全てから目を逸らしたい衝動を歯を食い縛って堪える。凍えるほど寒いわけでもないのに、体中がガタガタと震えた。
その時。
――大丈夫。
優里先輩の言葉が脳裏に蘇る。
そして次の瞬間、回想の中にいた優里先輩が、バラバラに砕けた破片を両手一杯に持って微笑んだ。
――私が拾ってあげる。
破片が光り、暗闇が晴れていく。
俺の目の前には、なぜか裕也先輩の顔があった。
長い睫毛。いつも見ていた、綺麗な顔が、目の前に……。
「……?」
肩を抱き寄せられて、訳がわからず、俺はぽかんと口を……開けられなかった。
口が塞がっている。なんで? ぽかんと口を開けたくても、唇がモゴモゴ動くだけで、口で息することもできなくなっていた。
目の前に一杯広がる裕也先輩。動かない口。唇に当たる、柔らかい――
「……ん!?」
現状を理解した瞬間、俺は今までの自分の愚行も忘れて、顔に血が上っていく感覚に頭がくらくらした。
……俺今、裕也先輩とキスしてる。
と、ようやくキスしている自覚を得た瞬間、裕也先輩の唇が離れていった。本当はもう少し長めのキスだったはずだけど、キスだと自覚したのがついさっきのこと過ぎて、一瞬で終わってしまったような感覚だ。
俺は意味不明なことを叫びそうになる口を必死に押さえ付け、真っ赤な顔を隠すこともできないまま俯いた。恐怖による震えは止まり、別の意味で震えが止まらなくなる。
「ゆ、裕也先輩? どうしたん、です、か……」
一ヶ月前のあの時、優里先輩としたキスを思い出す。あの時の俺は、なんであの人にキスしたんだっけ。どうしてだっけ。なんでだっけ。
俺がパニックを起こしている間にも、裕也先輩は真剣な表情で話を続けた。
えっ、この状況で話続けんの?
「ごめん、悟。やっぱり俺、悟のことを恋愛対象としては見れない」
「い、いやあの、なっ、ナンデキス……」
フラれている。現在進行形でフラれているのに、俺は先程のキスのことで頭が一杯だった。
「キスしてドキドキするなら恋だって、漫画で読んだから」
「そ、そうですか、俺は死にそうなくらいですけど……」
添えた掌から伝わってくる裕也先輩の鼓動は、いつもと変わらない正常値。くそ、俺の鼓動はこんなに速くなっているのに。
あーあ、悔しいな……。
でも。俺の心は先程と違って、不思議と澄んでいた。
「……ちゃんと考えてくれたんですね」
「……うん」
キスして確認なんて、常識外れすぎる。イケメンにしか許されないことだ。……裕也先輩はイケメンだからいいけど……!
裕也先輩は今後一切、少女漫画を読むのはやめた方がいいかもしれない。
少女漫画脳の裕也先輩も好きだけど。
「ならいいです。大人しく振られておきます」
一度でも振られてしまえば、裕也先輩の心は俺から遠ざかって二度と戻っては来ないと、本気で思っていた。
けれど振られた今になって、ようやく裕也先輩は、俺の近くにいる――そんな気がするのだ。
今まで、きっと俺は裕也先輩に対して分厚い壁を張っていた。
本当の心を知られて嫌われてしまうのが怖くて、『かわいい後輩』という皮を被り続けて。
きっと嫌われる――そんな、よく考えたら根拠も無いだろう被害妄想に勝手に溺れて、一人で息が出来なくなっていた。
けど。
「……悟」
皮を破り捨て、既に『かわいい後輩』なんてものじゃない、何の皮も被らない俺に向かって、裕也先輩は精一杯笑いかけてくれる。
「こんな俺のことを好きになってくれて、ありがとう」
そんな所が、どこまでも優里先輩に似ているのだ。
返された心を胸に抱き寄せて、溢れてくる愛しさの渦に飲み込まれた。
あの日見ていた景色。一歩踏み出せば真っ逆さまだったはずの崖っぷちの先。
大好きな人達が、大好きな笑顔を浮かべて、俺に手を差し伸べていた。




