Ep.06 取り残された天才
2012年1月11日、午前8時23分。
教室に入ると、何人かの男子が黒板の前で騒いでいた。冬休みが明けて2日目。昨日は久しぶりの学校を面倒くさがっていた連中も、今日はすっかり普段どおりだった。
僕は自分の席に鞄を置き、数学のノートを開いた。
3301。
509。
503。
昨夜から、この3つの数字が頭を離れない。
アレックスが電話で聞いた録音音声によれば、最初の画像には3つの素数が関係しているという。3301はそのうちの1つで、残りの2つを見つけて掛け合わせると次の手がかりになるらしい。
そこで画像の幅と高さを調べてみたところ、509と503という数字が出てきた。簡単な検証ではどちらも素数だったが、昨夜は元の画像を確認し直している途中で母さんに風呂へ入れと呼ばれ、そのまま作業を切り上げてしまった。
問題は、あの数字が本当に答えなのかということだ。
「……たぶん合ってると思うんだけどな」
小さく呟いたところで、近くの席から男子の声が聞こえた。
「なあ、相沢っていつも何か計算してね?」
「数学好きなんじゃね?」
「この前もノートに変な記号書いてたし」
「へえ。何かすげえな」
感心しているのか、からかっているのか分からない声だった。
僕はノートを閉じた。
別に、直接何か言われたわけじゃない。だから気にする必要もないのだが、聞こえてしまった以上は少し気まずい。
クラスの中で僕がどう見られているのかは、大体分かっていた。変わったやつだとは思われているのだろう。
最近は、あまり自分から話さないようにしている。
「相沢くん、おはよう」
「……ひゃっ!?」
突然声をかけられ、変な声が出た。
顔を上げると、桐生玲奈さんがこちらを見ていた。どうやら前の席に置いていた鞄から何かを取り出す途中だったらしい。
「……ひゃ?」
桐生さんが不思議そうに首を傾げる。
「あ、いや! お、おはようございます!」
「ふふっ。昨日も敬語だったよね」
「そ、そうでしたっけ……」
「うん。私、先生じゃないよ?」
「分かってます!」
思わず大きな声を出してしまった。
桐生さんは少し驚いたように瞬きをしたが、すぐに笑った。
「ごめんね、びっくりさせちゃった?」
「い、いえ。全然……」
全然というのは嘘だったが、わざわざ訂正する必要もないだろう。
彼女は僕の机に置かれたノートへ目を向けた。
「あれ、数学? もう宿題?」
「えっと、いや……ちょっと計算を」
「へえ。相沢くんって数学得意だもんね」
「ま、まあ……普通には……」
「普通ってことないでしょ。前のテストもすごかったし」
どう返せばいいのか分からなくなった。
褒められているのだから、お礼を言えばいいのだろうか。それとも謙遜した方がいいのだろうか。
そんなことを考えているうちに、少し沈黙ができた。
「あ、玲奈!」
教室の反対側から、本田さんが呼んでいた。
「ごめん、呼ばれてるから行くね」
「……あ、はい」
桐生さんは軽く手を振り、友達のところへ戻っていった。
僕はしばらくノートを見つめたまま、動けなかった。
……普通に話すって、どうやるんだっけ。
少し離れたところから女子たちの声が聞こえてきた。
「玲奈、相沢くんと何話してたの?」
「数学の話。朝から勉強してたみたい」
「へえ。相沢くんって、頭いいよね」
「うん。でも、なんか緊張してた」
「玲奈がいきなり話しかけるからじゃない?」
小さな笑い声が続く。
僕は聞こえないふりをして、教科書を取り出した。
悪気がないのは分かっているけど、せめて聞こえないように話してくれ!
✳︎ ✳︎ ✳︎
2012年1月11日、午後5時42分。
帰宅してすぐ、僕はパソコンの電源を入れた。
制服の上着を脱いで椅子に掛け、最初に保存した《final.jpg》を開く。
画像の幅は509ピクセル。高さは503ピクセル。
「……よし」
これで3つの素数が揃った。
僕は電卓を開き、数字を入力した。
509 × 503 × 3301。
表示された答えは、845145127だった。
「……あれ?」
見覚えのある数字だった。
僕は慌ててノートをめくり、以前調べたPGPの公開鍵情報を確認した。
Cicada 3301 (845145127)
「あっ……!」
括弧の中に、まったく同じ数字が書かれていた。
そういうことか。
公開鍵を調べたとき、意味が分からずにメモしておいた数字。あれは、3つの素数を掛け合わせた結果だったのだ。
最初から手がかりの1つが見えていたことになる。
「……やられたなあ」
思わず笑ってしまった。
電話の録音音声によれば、得られた数字の末尾に《.com》を付ければいいらしい。
僕はブラウザを開き、アドレス欄へ入力した。
845145127.com
Enterキーを押す。
画面が切り替わり、1匹のセミを描いた画像が表示された。
「……おお」
セミ……つまりCicada。
公開鍵に書かれていた名前と同じだ。
どうやら、この数字で正解らしい。
しかし、画面にはもう1つ気になるものがあった。
カウントダウンの表示だ。
ただ、その数字はすでに0になっていた。
「……ん?」
僕はページを更新してみた。
やはり変わらない。
不思議に思って調べると、このサイトには当初、ある日時までのカウントダウンが表示されていたらしい。ほかの解読者が保存した記録が見つかった。
指定されていたのは、2012年1月9日、17時00分。協定世界時。
日本時間なら、1月10日の午前2時だ。
「……え、昨日の朝?」
いや、正確には昨日の午前2時だから、もう1日以上前になる。
その時間に何かが起こったということだろうか。
ページを確認すると、カウントダウンの下には複数の数字が並んでいた。
小数点や符号が混ざった数値で、どれも似た形式をしている。
僕はその1つをコピーし、地図サービスに貼り付けてみた。
表示されたのは、海外の街角だった。
「……座標?」
どうやら、緯度と経度らしい。
ほかの数字も試してみると、それぞれ別の場所が表示された。ヨーロッパやアジア、アメリカなど、世界各地に散らばっている。
「……今度は地図か」
僕は座標をノートへ書き写した。
これまでの暗号は、全部パソコンの中で解くことができた。だが、今度は現実の場所が指定されている。
おいおい、まさか出題者はその場所へ行けとでも言ってるのか?
もしそうなら、さすがに僕1人では難しい。
僕はチャットを開き、アレックスへメッセージを送った。
NIL:Alex, I found the website.
――アレックス、サイトを見つけた。
返事はすぐだった。
WALKER:845145127.com?
――845145127.comか?
「…………え?」
僕は画面を見つめた。
どうやら、アレックスはすでに知っているらしい。
NIL:You already found it?
――もう見つけてたの?
WALKER:About an hour ago. Someone on IRC shared the dimensions.
――1時間くらい前にな。IRCで誰かが画像の寸法を共有してくれたんだ。
「……マジか」
IRCは、複数の人間がリアルタイムで会話できる仕組みだ。海外の技術者たちが使うことも多く、僕も何度か参加したことがある。
どうやら、ほかの解読者たちも情報を交換しているらしい。
続けてメッセージが届いた。
WALKER:We're late, NIL. Some people reached this stage two days ago.
――出遅れたな、NIL。2日前にはここまで到達していた連中がいる。
「……2日前?」
僕は思わず時計を見た。
今日は1月11日。
待て、2日前といえば僕がまだRedditの書籍暗号に苦戦していたころだ。
あのとき、すでに次の段階へ進んでいた人たちがいる。
しかも、その人たちはカウントダウンが終わる前にサイトへ辿り着いていたことになる。
「……すげえな」
正直、少し悔しかった。
僕は昔から、難しい問題を解くのが得意だった。ネットの技術コミュニティでも、ほかの人が苦戦している問題を先に解けることは珍しくない。
ところが、世界にはもっと早く答えを見つけた人間がいる。
それも、1人や2人ではないらしい。
僕はもう一度、セミの画像を見た。
画面に表示された座標の数々。
世界中の解読者たちが、今もこの数字の意味を調べているのだろう。
こんな問題を解ける人たちと、同じ場所で競い合える。
そう考えると、悔しさよりも興味の方が勝っていた。
「……面白いじゃん」
僕はチャットへ戻り、アレックスに尋ねた。
NIL:What about the coordinates?
――座標の方はどうなってる?
WALKER:People are checking them.
――現地を調べている連中がいる。
NIL:Checking them how?
――どうやって?
WALKER:In person.
――実際に行ってるんだ。
「…………え?」
僕は思わず椅子に座り直した。
現地に行っている?
つまり、地図上の数字を調べているだけではなく、本当にその場所へ向かった人間がいるということだ。
「……そこまでやるのか?」
パソコンの中で暗号を解くだけなら、僕にもできる。しかし、海外の街角へ行って何があるのか確かめるとなると話は別だ。
学校だってあるし、そもそも簡単に海外へ行けるほどのお金もない。
アレックスから、もう1通メッセージが届いた。
WALKER:A contact in Warsaw says someone found a poster.
――ワルシャワの知り合いによると、誰かがポスターを見つけたそうだ。
その下には画像へのリンクが添えられていた。
僕はクリックした。
表示されたのは、街灯の柱に貼られた1枚の紙だった。
少し傾いた角度から撮影されていて、周囲には石畳の歩道と建物の壁が写っている。いかにも誰かが携帯電話で撮ったような写真だ。
そして、その紙には見覚えのある図柄が描かれていた。
セミだった。
「……おお」
画像の下には、白と黒の小さな四角形を組み合わせた模様が印刷されている。
QRコードだ。
僕は写真に添えられた位置情報を確認した。
ポーランドの首都、ワルシャワ。先ほどサイトに表示されていた座標の1つと一致している。
「……本物なのか」
ここまで来ると、単なるネット上の悪戯とは言い切れない気がしてきた。
誰かが実際に街へ出て、ポスターを貼ったのだ。しかも、似たような仕掛けが世界のあちこちに用意されているらしい。
最初に見つけたのは、4chanに投稿された1枚の画像だった。
それが今では、世界各地の街角につながっている。
「……どれだけ準備してたんだろ」
僕は写真を拡大し、QRコードの部分を確認した。
読み取れば、また別の情報が出てくるのだろうか。
そう考えていたところで、アレックスからメッセージが届いた。
WALKER:There may be more posters. People are comparing locations.
――ほかにもポスターがあるかもしれない。みんな場所を照合しているところだ。
NIL:Can I join?
――僕も参加できる?
WALKER:Of course. I'll send you the channel.
――もちろん。チャンネルを送るよ。
そのあとすぐ、IRCの接続先が送られてきた。
僕はリンクを開き、参加者の一覧を眺めた。
見覚えのないハンドルネームがずらりと並んでいる。ログには英語のほか、僕には読めない言語の書き込みも混ざっていた。
座標の検証。
ポスターの撮影報告。
QRコードの読み取り結果。
参加者たちは、僕がまだ知らない情報を次々と交換していた。
「……すご」
思わず声が漏れた。
アレックスと2人で調べていたときとは、情報の流れ方がまったく違う。
誰かが現地で写真を撮り、別の誰かが画像を解析し、さらに別の誰かが暗号を解いている。それぞれ得意なことを持ち寄りながら、問題を進めているのだ。
僕はしばらくログを追っていたが、ワルシャワのポスターについて質問している参加者が気になった。
ハンドルネームは《EWA_N》。
その人は、写真の撮影場所と座標の一致を細かく確認し、ほかの参加者が見落としていた部分も指摘していた。
僕はアレックスに個別メッセージを送った。
NIL:Who's EWA_N?
――EWA_Nって誰?
WALKER:Ewa Nowak. A Polish researcher I know. She's good.
――エヴァ・ノヴァク。知り合いのポーランド人研究者だ。彼女はかなり優秀だぞ。
NIL:Does she work on cryptography?」
――暗号が専門なの?
WALKER:Information security and archival research, mostly. You should talk to her.
――主に情報セキュリティと文書資料の調査だな。話してみるといい。
僕は少し考え、エヴァの名前をクリックした。
初めて話す相手に何を送ればいいのか迷ったが、ネットなら共通の話題がある。学校の女子と違って、暗号の話から始めればいい。
NIL:Hi. I'm NIL. Alex told me about you.
――こんにちは。NILです。アレックスから話を聞きました。
送信してから、少しだけ緊張した。
相手がどんな人物なのか、まだ分からない。
数秒後、返信が届いた。
EWA_N:Hello, NIL. I've heard your name.
――こんにちは、NIL。あなたの名前は聞いているわ。
僕は画面を見つめた。
どうやら、アレックスがすでに僕のことを話していたらしい。
続けて、エヴァからもう1通メッセージが届いた。
EWA_N:Alex says you're good at finding things everyone else misses.
――アレックスによると、暗号解読のスペシャリストなんですってね。
「……あーもう、あいつ、何言ってんだ」
僕は思わず笑った。
そんなふうに紹介されると、少し恥ずかしい。
NIL:He exaggerates.」
――大げさに言ってるだけですよ。
EWA_N:Good. Then I won't expect miracles.」
――よかった。じゃあ、奇跡までは期待しないことにするわ。
「……おお」
なかなか手厳しい人らしい。
けれど、嫌な感じはしなかった。
僕は少し考えてから、彼女へ質問を送った。
NIL:What have you found in Warsaw?」
――ワルシャワでは、何が見つかったんですか?
エヴァはすぐに返信してきた。
EWA_N:More than I expected. Let me show you.」
――思っていたより、いろいろ見つかったわ。見せるわね。
その下に、新しい画像ファイルが添付された。
僕は椅子を引き寄せ、ファイルを開いた。
画面には、ワルシャワの街角で撮影された複数の写真が並んでいた。
同じセミのマーク。
同じQRコード。
そして、それぞれの写真に添えられた、細かな記録。
僕はマウスを握り直した。
どうやら、今後は1人でパソコンに向かっているだけでは、解けそうにないようだ。




