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Cicada 3301 〜 紡がれた最後の記録 〜  作者: LALA
第2章 偽りの救世主
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Ep.24 ルーン文字


 2012年8月4日。


 《Cicada 3301、新たな暗号の解読に成功》


 朝から、海外の技術系掲示板が盛り上がっていた。

 どうやら、例のTwitterアカウントに投稿されていた16進数の正体が分かったらしい。

 投稿されたデータを順番につなぎ合わせ、ISOファイルの中にあった761.mp3とXOR演算を行う。

 すると、JPEG画像が復元されたという。

 「……へえ」

 思わず声が出た。

 XORは、二つのデータをビットごとに比較する演算だ。同じ値なら0、違えば1になる。暗号化にも復号にもよく使われる。

 ただ、今回の問題で面白いのは、MP3ファイルを音楽としてではなく、単なるデータとして利用していることだった。

 それに気づいた解読者は、なかなか頭が柔らかい。

 僕は記事の続きを読んだ。

 復元された画像には、見慣れない文字が29個並んでいた。

 それぞれにアルファベットと数字が割り当てられている。

 数字は2、3、5、7、11、13……。

 すべて素数だった。

 探して表の上部には、こう書かれていた。


 GEMATRIA PRIMUS

 ――ゲマトリア・プリムス。


 「……ルーン文字か」

 古代ゲルマン系の文字をもとにした対応表らしい。

 単純なアルファベットの置き換えではなく、一文字に複数のアルファベットが対応するものもある。

 さらに、一文字ずつに素数が割り当てられていた。

 つまり、文字を読むだけでなく、単語を数値へ変換することもできる。

 今後の暗号に、この29文字を使えということなのだろう。

 画像を見ていると、学校ではまず使わない知識ばかりが頭に浮かんでくる。

 ……我ながら、もう少し数学のテスト以外で役に立つ知識を覚えた方がいい気もする。

 もっとも、今回の画像を復元したのは僕ではない。

 アレックスたちを含む世界中の解読者が、少しずつ問題を進めている。

 Cicada 3301の暗号は、僕がいなくても解かれていた。

 それを確認できたのは、悪い気分ではなかった。


✳︎ ✳︎ ✳︎


 昼過ぎ、アレックスから新しいメッセージが届いた。


 WALKER:We found Gematria Primus. There's another hidden message in the image.

 ――Gematria Primusを発見した。画像には、さらに別のメッセージが隠されている。


 添付されていたのは、OutGuessで抽出したテキストだった。

 ところが、表示されているのは空白ばかり。

 最初は抽出に失敗したと思われたらしい。

 しかし、ある解読者が、空白の中に規則があることに気づいた。

 スペースとタブ。

 どちらも文字としては表示されないが、コンピューターのデータでは別の値として扱われる。

 二種類あれば、0と1を表現できる。

 その規則で読み取ると、英語の文章が現れたという。


 Come to emiwp4muu2ktwknf.onion

 We shall await you there.

 Good luck.

 3301

 ――emiwp4muu2ktwknf.onionへ来てください。

 ――そこであなたをお待ちしています。

 ――幸運を。

 ――3301


 「……Torか」

 去年の問題にも登場した、匿名通信ネットワーク上のアドレスだ。

 つまり、Cicada 3301はまた解読者たちを通常のインターネットから別の場所へ誘導している。

 公開されていた解析記録によると、すでに何人かが接続を試していた。

 そこには蝉を模したASCIIアートと、短い文章が表示される。


 Web browsers are useless here.

 ――ここではWebブラウザは役に立たない。


 「……ブラウザが使えない?」

 どういう仕掛けなのだろう。

 ただ、Torのアドレスに到達して終わりではないことだけは確かだった。

 アレックスからのメッセージには、最後にもう一行あった。


 WALKER:Thought you'd want to know how far we've got.

 ――どこまで進んだか、知らせておきたかった。


 僕は返信しなかった。

 でも、彼らの解析が進んでいることは分かった。

 それだけで十分だった。


✳︎ ✳︎ ✳︎


 8月5日。

 レオン・グレイの公開説明が始まった。

 会場はアメリカ。世界各地の報道機関向けに、インターネットでも同時配信されている。

 今度のCicada 3301について、NIL本人が見解を示す。

 そう宣伝された配信だった。

 ……いや、本人じゃないんだけど。

 僕は少し迷った末、配信を開いた。

 暗号が気になったからではない。

 この人が何を言うのか、確認しておきたかったのだ。

 画面に現れたレオンは、濃紺のジャケットを着ていた。背後にはCicada 3301の画像と、Atlas Initiativeの名前が表示されている。

 隣には研究者らしい男女が数人座っていた。


 "Good afternoon, everyone. Thank you for joining us."

 ――皆さん、こんにちは。本日はお集まりいただきありがとうございます。


 レオンは落ち着いた口調で挨拶すると、今回の出題について説明を始めた。

 OutGuess、書籍暗号、ISOイメージ、Twitter、そしてGematria Primus。

 資料はよく整理されていた。

 専門用語を使いすぎず、一般の視聴者にも分かるよう工夫されている。

 その点は、素直に感心した。

 僕だったら、途中で説明を面倒くさがってしまいそうだ。

 いや、そもそもこんなに大勢の前で話すなんて無理だけど。

 レオンは、Gematria Primusの画像を画面に映した。


 "This is not merely an alphabet. It is a system for assigning numerical values to language."

 ――これは単なるアルファベットではありません。言語に数値を割り当てるための体系です。


 そこまでは正しかった。

 少なくとも、公開された解読結果をきちんと理解しているように見える。

 続いて、彼はサン・ルシオの話題に移った。


 "We cannot ignore what happened in June. The previous messages contained information that corresponded to a real disaster."

 ――6月に起きたことを無視するわけにはいきません。以前のメッセージには、実際の災害と一致する情報が含まれていました。


 会場が静かになった。


 "Our responsibility now is to determine whether these new messages contain another warning."

 ――今の私たちの責任は、新たなメッセージにも警告が含まれているかを確かめることです。


 僕は画面を見つめた。

 言っていること自体は、おかしくない。

 暗号と災害の関係を調べる必要はあるだろう。

 でも、彼は途中から少しずつ、別の話を混ぜ始めた。


 "I believe the Cicada puzzles are part of a larger effort to prepare us for events we do not yet understand."

 ――私は、Cicadaの暗号が、まだ理解できていない出来事に備えるための大きな計画の一部だと考えています。


 それは仮説だ。

 問題はない。

 ただ、仮説であることを忘れないでほしかった。

 レオンは続けた。


 "And I believe we have an obligation to act when the evidence becomes clear."

 ――そして証拠が明らかになったとき、私たちには行動する義務があると考えています。


 会場から拍手が起きた。

 ……うまいなあ。

 こういう話し方をされると、反論しづらい。

 証拠が出たら行動する。

 それ自体は、何も間違っていないのだから。

 でも、どこからを証拠と呼ぶのか。

 僕には、そこが一番怖かった。

 

✳︎ ✳︎ ✳︎


 質疑応答が始まった。

 最初の質問は、研究組織の資金についてだった。レオンは複数の企業と協議を進めていることを明かし、今後は地球科学や情報科学の専門家をさらに増やす方針だと説明した。

 続いて、Cicada 3301の正体についての質問。

 こちらには、まだ特定できていないと答えた。

 意外と慎重だ。

 そう思ったところで、次の記者が指名された。

 チリの調査報道を担当している女性だった。


 "Mr. Gray, I have a question about San Lucio."

 ――グレイさん、サン・ルシオについて質問があります。


 聞き覚えのある声ではない。

 でも、記者の名前には見覚えがあった。

 彼女が書いた記事を、僕は何度か読んでいる。

 NILの受信箱にも、同じ人物からメッセージが届いていた。


 "When you read 'remain there until the second silence,' what did you believe it meant?"

 ――「2度目の静寂までそこにとどまれ」という一文を読んだとき、あなたは何を意味すると考えましたか?


 僕は、思わず息を止めた。

 あの質問だ。

7月25日、僕のもとに届いたメッセージとまったく同じ質問。

 あれには、まだ返信していない。

 レオンは少し考える素振りを見せてから、答えた。


 "At the time, I understood it as a period of relative calm between seismic events."

 ――当時、私は地震活動のあいだに訪れる比較的静かな期間を指していると理解しました。


 「……え?」

 当時?

 僕は画面を見つめた。

 レオンは、さらに説明を続ける。


 "The message suggested that the first event would not necessarily be the last. That was central to my interpretation."

 ――あのメッセージは、最初の現象が最後とは限らないことを示唆していました。それが私の解釈の中心でした。


 そんなこと、僕たちは確定できていなかった。

2度目の静寂が何を意味するのか。

 最初の地震と次の地震の間なのか。それとも、別の現象を指すのか。

 最後まで意見が分かれていた。

 しかも、あの座標に人々が集まった時点で、内陸の大きな地震が起きると分かっていたわけではない。

 だからこそ、あんな結果になった。

 それなのに、レオンは最初から理解していたかのように話している。

 記者は、さらに質問した。


 "Then did you understand that the designated gathering point might itself be dangerous?"

 ――では、指定された集合地点そのものが危険になる可能性も理解していたのですか?


 レオンの表情が、わずかに変わった。


 "The situation was complex. We were working with incomplete information, and the final decisions involved many people."

 ――状況は複雑でした。私たちは不完全な情報を扱っており、最終的な判断には多くの人が関わっていました。


 その答えを聞いて、僕は唇を噛んだ。

 間違っていない。

 確かに、あのときは不完全な情報しかなかった。

 でも、彼はそこにいなかった。

 誰が何を考え、どのような議論をしたのかも知らないはずだ。

 なのに、自分がその一員だったかのように話している。


 "If you had concerns about the gathering point, did you communicate them before the second earthquake?"

 ――集合地点に危険があると懸念していたのなら、2度目の地震が起きる前にその情報を伝えたのですか?


 会場が静まり返った。

 その質問には、レオンもすぐには答えなかった。

 やがて彼は、ゆっくりと口を開いた。


 "I won't pretend every decision was perfect. That's precisely why we need better systems and better coordination."

 ――すべての判断が完璧だったとは言いません。だからこそ、より優れた仕組みと連携が必要なのです。


 うまくかわした。

 記者はまだ質問したそうだったが、司会者が次の質問へ移ってしまった。

 僕は配信を一度止めた。

 ……なんだよ、それ。

 サン・ルシオで何が起きたのか。

 誰が、何を、どこまで理解していたのか。

 僕たちは今でも、その答えを探している。

 それを、あの人は自分の経験みたいに話した。

 気づくと、僕は机の上に置いてあった携帯電話を握りしめていた。

 別に、誰かに電話するつもりなんてなかった。

 ただ、何か言いたかった。

 あれは違う。

 あの人は、NILじゃない。

 それなのに、誰もその場で証明できない。


✳︎ ✳︎ ✳︎


 配信終了後、ニュースサイトにはレオンの発言が次々と掲載された。


 《NIL、サン・ルシオの警告について初めて説明》


 《「2度目の静寂」は地震活動の変化を示していた可能性》


 《Atlas Initiative、次の災害への備えを呼びかけ》


 僕は記事を読んで、ため息をついた。

 また、NILの名前が使われている。

 しかも今度は、僕が一度も答えられなかった質問に、別の誰かが答えてしまった。

 ネット上の反応は分かれていた。

 レオンの説明に納得する人もいれば、具体的な検証結果を示していないと批判する人もいる。

 サン・ルシオの遺族からは、なぜ危険を知りながら避難先を変更しなかったのか、という声も上がっていた。

 ……違う。

 知っていたわけじゃない。

 僕たちは、最後まで分からなかったんだ。

 その一言を伝えるだけなら、難しくない。

 でも、それを誰が言うのか。

 NILとして発言すれば、レオンが偽物だという話になる。

 その先には、当然、本物のNILは誰なのかという問題が待っている。

 そして、あの事件について僕自身が説明しなければならなくなるだろう。

 分かっている。

 いずれは、そうしなければならないのかもしれない。

 でも、今すぐには。

 僕は、そこまで考えてからパソコンの画面を閉じた。


✳︎ ✳︎ ✳︎


 翌日、アレックスたちはさらに新しい手掛かりを見つけていた。

 Torサイトに表示されていた「Webブラウザは役に立たない」という文章。

 その意味は、どうやら普通のページ閲覧ではなく、別の通信方法を使えという指示だったらしい。

 解読者の一人がTelnetによる接続を試し、サーバーから新しい応答を得ることに成功していた。

 そこで得られたデータは、また別のTorアドレスへつながっていた。

 さらに、その先ではhintやclueという入力に対して応答が返ってくるという。

 Cicada 3301の問題は、まだ続いていた。

 アレックスからも、その進捗を伝えるメッセージが届いている。


 WALKER:We made it through the first onion site.

 ――最初のTorサイトを突破した。


 WALKER:There's another challenge ahead.

 ――まだ次の問題がある。


 そして、少し間を置いてから、もう一通。


 WALKER:Leon talked about San Lucio today. I saw the interview.

 ――今日、レオンがサン・ルシオについて話していた。配信を見たよ。


 それだけだった。

 僕は、しばらくその文章を見ていた。

 アレックスも、きっと何か思うところがあるのだろう。

 あの事件について、彼もずっと考えていたはずだから。

 でも、僕には何を返せばいいのか分からなかった。

 ただ、今回のレオンの発言だけは、どうしても納得できなかった。

 分からなかったことを、分かっていたように話す。

 それがどれほど危険なのか、僕たちは身をもって知っている。

 僕は、レオンの公開説明の記録をもう一度開いた。

 そして、チリの記者がした質問を読み返した。


 "When you read 'remain there until the second silence,' what did you believe it meant?"

 ――「2度目の静寂までそこにとどまれ」という一文を読んだとき、あなたは何を意味すると考えましたか?


 ……僕は、何を意味すると考えていたのだろう。

 答えは、今でも一つに決まっていない。

 ただ、あの人の答えが僕の答えではないことだけは、はっきりしていた。

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