Ep.14 新たな協力者
2012年3月2日。
「相沢、お前もう出した?」
朝のホームルーム前、早瀬が僕の机にやって来た。
「……何を?」
「進路希望調査票」
「今日だっけ?」
「黒板見ろよ」
言われたとおりに顔を上げると、黒板の隅に『進路希望調査票 本日締切』と大きく書かれていた。
……見事なまでに書いてある。
僕は慌てて鞄の中を探った。教科書、筆箱、昨日買った文庫本。それから、底の方でくしゃっとなっている2つ折りの紙。
「……あった」
「宝探しじゃねえんだから」
早瀬が呆れた声を出した。
「相沢くんって、頭いいのにそういうところ本当に抜けてるよね」
近くで聞いていた本田さんまで笑っている。
「得意分野と提出期限は別なんだよ」
「別にしちゃ駄目でしょ」
……ごもっともです。
僕が調査票を広げて折り目を伸ばしていると、瀬川さんがやって来た。
「相沢くん。それ、今から出すの?」
「……はい」
「昨日も言ったよね?」
「はい」
「一昨日も」
「……はい」
「じゃあ、なんでまだ持ってるの?」
僕は少し考えた。
「人間には忘却という機能が――」
「職員室」
「はい」
駄目だった。
早瀬が横で笑いを堪えている。僕は調査票を持ち、渋々教室を出た。
廊下には、ほかのクラスの生徒たちも何人かいた。もう3月だというのに、朝はまだ寒い。
あと少しで1年生が終わる。
4月になれば、クラス替えだ。
誰と一緒になるかなんて、今まであまり気にしたことがなかった。去年の春も、知り合いがいようがいまいが、どうせ大して変わらないと思っていたくらいだ。
でも、今年はちょっと違う。
早瀬と別のクラスになったら、ゲームの話をする機会も減るだろう。桐生さんに話しかけられることも、本田さんにからかわれることもなくなるかもしれないし、瀬川さんに提出物を催促されることもなくなる。
……最後のは、別になくなっても困らないけど。
僕は職員室の前で立ち止まり、調査票を見下ろした。
今のクラスも、最初は居心地がよかったわけじゃない。それなのに、いざ終わるとなると少し惜しい気がする。
「……まあ、まだ1か月あるし」
そう呟いてから、僕は職員室の扉をノックした。
✳︎ ✳︎ ✳︎
その日の夜。
夕食を終えてパソコンを起動すると、チャットルームの参加者一覧に見慣れない名前が増えていた。
AMAGI_S
ソフィアが以前紹介してくれた、日本人の地球物理学者だ。
名前は天城紗英。シアトルの観測記録について、専門的な意見を聞けないかと連絡していたらしい。
AMAGI_S:Good evening. I'm Sae Amagi. Sofia sent me the materials.
――こんばんは。天城紗英です。ソフィアから資料を受け取りました。
WALKER:Welcome.
――ようこそ。
NIL:Nice to meet you. I'm NIL.
――初めまして。NILです。
AMAGI_S:You're the one who decrypted the Seattle string?
――シアトルの文字列を解読したのは、あなた?
NIL:Yes.
――はい。
AMAGI_S:I've checked the procedure. The decryption itself is convincing. But I want to make one thing clear before we continue.
――手順は確認した。復号そのものには説得力がある。でも、続ける前に1つはっきりさせておきたい。
AMAGI_S:A decoded date and coordinates are not evidence of a prediction.
――日時と座標が復号できたからといって、それが何かを予測している証拠にはならない。
「……おお」
いきなり本題だった。
言っていることは正しいので、僕はすぐに返信した。
NIL:I agree.
――同意します。
少し間が空いた。
AMAGI_S:Good. Then we can talk.
――よかった。それなら話ができる。
WALKER:You sound disappointed that no one argued.
――誰も反論しなくて残念そうだな。
AMAGI_S:I was prepared for someone to tell me an anonymous cipher predicts an earthquake.
――匿名の暗号が世界滅亡を予知した、とわーわー言われる覚悟はしていた。
NIL:No one said earthquake.
――誰も世界滅亡とは言ってないよ。
AMAGI_S:You really sound like the kind of person who would say that, don't you
――あなた達、いかにもそんなこと言いそうだもの。
「……なるほどね」
どうやら、かなり慎重な人らしい。
ただ、別に僕たちの調査を馬鹿にしているわけではなさそうだった。暗号の解読結果と、それが現実に何を意味するのかを、きちんと分けて考えたいのだろう。
それなら、僕も同じ意見だ。
NIL:What would you need to consider the location scientifically unusual?
――その場所を科学的に異常だと考えるには、何が必要ですか?
AMAGI_S:Independent observations. Multiple sources if possible.
――できれば複数の情報源を用意して。
SAMIR:I can select control locations using the same criteria as Seattle.
――シアトルと同じ条件で選ぶよ。
AMAGI_S:Good. Same types of records, same time range, no cherry-picking after we see the results.
――いいわ。同じ種類の記録、同じ期間。結果を見てから都合のいい地点を選ぶのは禁止。
SAMIR:Understood.
――了解。
SOFIA_A:I'll check the available geophysical records independently.
――私も地球物理学的な記録を別に確認する。
話が早い。
しかも、それぞれが何を担当すればいいのか、あっという間に決まってしまった。
僕は少し感心しながら、決まった内容をノートにまとめた。
AMAGI_S:And for the record, the cipher is interesting.
――それと一応言っておくけど、暗号自体は興味深い。
WALKER:That's practically enthusiasm from you, isn't it?
――あなたにしては、ほとんど大興奮なんじゃないか?
AMAGI_S:Don't get used to it.
――調子乗らないで。
「……ははっ」
思わず笑ってしまった。
もっと堅苦しい人を想像していたけど、案外そうでもないらしい。
もちろん、僕が実際に会ったわけではないし、チャットの印象だけで判断するのも早いだろう。
ただ、少なくとも一緒に調べ物をするには、頼りになりそうだった。
✳︎ ✳︎ ✳︎
3月中旬。
調査は続いていたものの、目立った進展はなかった。
天城さんとソフィアは、シアトル周辺の公開観測記録を調べている。サミールは比較に使う地点を増やし、エヴァは例の2つの写真目録について、別の保存先から改訂履歴を追っていた。
僕の担当は、暗号の解読結果をもう一度確認することだ。
NODE 04
SEATTLE
2012-05-14 03:17 UTC
47.6062 N / 122.3321 W
KEEP BOTH RECORDS
何度見ても、書かれている内容は変わらない。
ほかに隠し文がないか試したり、文字の並べ替え方を変えてみたりもしたが、追加の手がかりは見つからなかった。
AMAGI_S:Nothing else?
――ほかには何もない?
NIL:Nothing I can justify.
――根拠を持って説明できるものは、何もありません。
AMAGI_S:Good answer.
――いい答えね。
NIL:You sound like a teacher.
――先生みたいですね。
AMAGI_S:Then do your homework.
――なら宿題をやりなさい。
「…………」
僕は机の横へ視線を向けた。
そこには、まだ終わっていない英語の課題が置かれている。
……何で分かったんだ。
もちろん、天城さんが知っているはずはない。偶然だろう。
「……怖っ」
WALKER:NIL, you've finally found someone you can't charm with cryptography.
――NIL、ついに暗号だけでは誤魔化せない相手を見つけたな。
NIL:I don't charm people with cryptography.
――暗号で人を誤魔化したことなんてないよ。
EWA_N:You solved a cipher no one else could solve and then acted like it was nothing. That's close enough.
――誰にも解けなかった暗号を解いておいて、大したことじゃないみたいに振る舞ってたでしょ。似たようなものよ。
NIL:That's different.
――それは違う。
EWA_N:How?
――どう違うの?
NIL:Let's focus on Seattle.
――シアトルの話に戻そう。
WALKER:Coward.
――逃げたな。
NIL:Strategic retreat.
――戦略的撤退。
アレックスから笑いの記号が送られてきた。
まったく、この人たちは人をからかうのが好きだ。
ただ、こういうやり取りができるのも、みんなが互いの意見を尊重しているからだと思う。
実際、調査の話になると誰も適当な結論を口にしない。
僕は暗号なら得意だけど、地球物理学についてはほとんど知らない。
だから、何でも自分で考えようとするより、詳しい人に聞いた方がいい。
それに、分からないことを分からないと言える人の方が、僕は信用できる。
僕はチャットを閉じ、机の横に置いていた英語の課題を引き寄せた。
……天城さんに言われたからではない。
提出日が近いことを、たまたま思い出しただけだ。
✳︎ ✳︎ ✳︎
2012年3月23日。
終業式の日。
1年C組の教室では、朝から春休みとクラス替えの話題で盛り上がっていた。
「玲奈と別クラスになったら嫌なんだけど」
本田さんが言うと、桐生さんが笑った。
「まだ分からないじゃん」
「分からないから嫌なの」
「どういう理屈?」
「気持ちの問題」
僕は自分の席で、その会話を何となく聞いていた。
教室の後ろでは、早瀬たちもクラス替えの話をしている。誰と同じになりそうだとか、担任は誰になるのかとか、まだ発表もされていないことをあれこれ予想していた。
正直、当たるとは思えない。
でも、気になる気持ちは分かる。
「相沢くんは?」
突然、桐生さんに声をかけられた。
「……え?」
「誰と同じクラスになりたい?」
「僕?」
「うん」
考えてみれば、そういうことを聞かれたのは初めてだった。
少なくとも去年の春には、誰も僕の希望なんて気にしていなかったと思う。
僕は少し迷ってから答えた。
「……知ってる人が1人くらいいれば」
「少なっ!」
本田さんが笑った。
「せめて3人くらい希望しなよ」
「いや、希望して決まるわけじゃないし」
「そういう問題じゃないって」
桐生さんも笑っている。
「私は、またみんなと一緒だったらいいな」
「だよね!」
本田さんがすぐに頷いた。
僕は少しだけ考えてから、口を開いた。
「……まあ、僕も」
「おっ」
近くにいた早瀬が反応した。
「相沢が素直なこと言ってる」
「……今のなし」
「もう聞いたから無理」
「聞かなかったことにしてよ」
「断る」
早瀬が笑う。
僕もつられて笑ってしまった。
1年前だったら、こんな会話はできなかったと思う。
早瀬とはゲームの話をするようになったし、本田さんにはよくからかわれる。瀬川さんには提出物のことで散々怒られた。
そして、桐生さんとも少しずつ普通に話せるようになってきた。
だから、今のクラスが終わるのは少し寂しい。
そう思っている自分が、何だか不思議だった。
「みんな、ちょっといい?」
瀬川さんの声が教室に響いた。
「まだロッカーに荷物が残ってる人、今日全部持って帰ってね!」
……あ。
僕は嫌な予感がして、自分のロッカーを開けた。
中には、いつ入れたのか分からないプリントが3枚残っていた。
「…………」
そっと取り出したところで、瀬川さんと目が合った。
「相沢くん」
「……何も言わなくていいです」
「全部持って帰ってね」
「はい……」
結局、最後の日まで怒られてしまった。
まあ、僕が悪いんだけど。
✳︎ ✳︎ ✳︎
春休みに入って数日後。
僕が部屋でゲームをしていると、チャットの通知が鳴った。
ソフィアからの個人的なメッセージだった。
SOFIA_A:Mateo has another question.
――マテオから、また質問。
「……お?」
以前、漫画のように日本の高校生が屋上で昼ご飯を食べるのかと聞いてきた、ソフィアの弟だ。
どうやら、まだ日本について知りたいことがあるらしい。
NIL:About rooftops?
――また屋上?
SOFIA_A:Worse.
――もっとひどい。
「……もっとひどいって何だよ」
僕はコントローラーを置いた。
SOFIA_A:He wants to know if Japanese high school students really confess under cherry blossoms.
――日本の高校生は本当に桜の下で告白するのか知りたいって。
「…………」
なるほど。
漫画の知識だな、これは。
NIL:Where is he learning this stuff?
――どこでそんな知識を仕入れてるの?
SOFIA_A:Manga. Your country's most dangerous export.
――漫画よ。あなたの国で最も危険な輸出品ね。
「……危険かなあ」
僕は少し考えた。
桜の下で告白する高校生が、本当にいるのかどうか。
漫画ではよくあるけど、実際にはどうなんだろう。
少なくとも、僕はそんな経験をしたことがない。
NIL:It happens, I guess. But not to me.
――あるとは思う。でも僕には起きない。
送信した直後、返信が届いた。
SOFIA_A:¿Por qué no?
――なんで?
「……スペイン語?」
突然の言語変更に驚いていると、次のメッセージが届いた。
どうやら、マテオ本人がソフィアのパソコンを使っているらしい。
僕は英語で返した。
NIL:Because reality has better security than fiction.
――現実はフィクションよりセキュリティが固いから。
少しして、返信が届く。
SOFIA_A:Sofía says that answer is sad. I think it's funny.
――ソフィアはその答え悲しいって。僕は面白いと思う。
「……おいおい」
勝手に人の回答を評価しないでほしい。
NIL:I like him.
――面白い弟だね。
SOFIA_A:You can have him.
――あげるわ。
マテオは、なかなか面白い子らしい。
漫画が好きで、日本の高校生活に妙な幻想を抱いている。そして、姉さんには遠慮がない。
……何となく、他人とは思えないところがある。
それからしばらく、ソフィアとマテオは交互にメッセージを送ってきた。
最後に、マテオから英語で質問が届いた。
SOFIA_A:Tell me if you ever confess under cherry blossoms.
――いつか桜の下で告白したら教えて。
NIL:Never happening.
――絶対ない。
SOFIA_A:I'll ask again next year.
――じゃあ来年また聞く。
NIL:Don't.
――やめて。
マテオから笑いを示す文字が並んだ。
どうやら、来年もこの話をするつもりらしい。
……それまでに報告するような出来事が起きていればいいけど。
いや、別に期待しているわけじゃない。
✳︎ ✳︎ ✳︎
2012年3月29日。
天城さんから、新しい報告が届いた。
AMAGI_S:I've found a few values worth checking.
――確認する価値がありそうな値をいくつか見つけた。
僕はすぐにチャットを開いた。
NIL:Unusual?
――異常?
AMAGI_S:I didn't say that.
――そうは言ってない。
AMAGI_S:Worth checking.
――確認する価値があるだけ。
「……はい」
思わず日本語で返事をしてしまった。
天城さんが共有してくれたのは、シアトル周辺の観測記録だった。
いくつかの測定値に、ごく小さなずれが見つかったという。
ただ、その程度なら機器の誤差や周辺環境の変化でも説明できるらしい。天城さん自身も、まだ異常とは判断していない。
僕は資料を確認しながら、チャットに質問を送った。
NIL:Do the controls show the same thing?
――他のとこにも同じものは出てる?
SAMIR:Not in the same way. But the comparison isn't complete yet.
――同じ形では出ていない。ただし、比較はまだ終わっていない。
NIL:So Seattle may be different.
――じゃあ、ちがうんじゃない?
AMAGI_S:May be. That's all you get for now.
――可能性はある。それ以上はまだ言えない。
NIL:You're strict.
――厳しいですね。
AMAGI_S:I'm accurate.
――正確なの。
「……ははっ」
アレックスからも笑いを示す文字が届いた。
確かに、この人らしい返事だった。
AMAGI_S:I'm going to widen the time range and check other instruments. Sofia will do the same independently. If the same tendency appears in separate records, then we can discuss whether it's meaningful.
――期間を広げて、別の観測機器も確認する。ソフィアにも独立して同じことをしてもらう。別系統の記録でも同じ傾向が出たら、その時点で意味があるか議論できる。
僕は頷きながら、ノートに内容を書き込んだ。
別の機器でも同じ結果が出れば、単なる測定ミスでは説明しにくくなる。
もちろん、それでも暗号との関係が証明されるわけではない。
NIL:And the date? May 14?
――5月14日との関係は?
AMAGI_S:None that we can demonstrate.
――今のところ、証明できる関係はない。
「……そっか」
僕は解読結果を見返した。
2012年5月14日。
その日付まで、あと1か月半ほどだ。
何が起きるのか、あるいは何も起きないのか。
今の段階では、それ以上のことは分からなかった。
✳︎ ✳︎ ✳︎
2012年4月。
東京でも桜が咲き始め、春休みが終わろうとしていた。
僕は机の上に広げた新年度の案内を確認していた。
始業式の日にクラスが発表されるらしい。
つまり、明日になれば、2年生のクラスが分かるということだ。
「……誰と一緒になるんだろ」
去年までは、そんなこと気にもしなかった。
でも、今は少しだけ気になっている。
早瀬と別のクラスになったら、ゲームの話をする機会が減るだろう。瀬川さんに提出物を催促されることも、なくなるかもしれない。
……いや、提出物は自分で管理しろという話なんだけど。
それから、本田さん。
桐生さん。
「…………」
僕は案内の紙を折りたたんだ。
まあ、明日になれば分かることだ。
今から考えても仕方ない。
そう思って机の端に置いたところで、チャットの通知音が鳴った。
天城さんからだった。
AMAGI_S:NIL. I need you to look at something.
――NIL。確認してほしいものがある。
「……お?」
添付されていたファイルを開く。
そこには、シアトルの新しい観測記録が収められていた。
前回とは別の機器。
観測期間も異なる。
それなのに、同じ地点の近くで、ごく小さなずれが記録されている。
僕は数値を確認し、前回の資料と比較した。
「……確かに似てるな」
ただし、まだ偶然の可能性はある。
測定方法も違うし、単純に数値を並べただけでは判断できない。
NIL:Does Sofia have this yet?
――ソフィアはもうこれを見てる?
AMAGI_S:No. I'm sending her the raw data separately.
――まだ。生データを別に送って、独立して確認してもらう。
NIL:Good.
――それがいい。
少しして、返信が届いた。
AMAGI_S:You're learning.
――学習してるわね。
NIL:I was always responsible.
――僕は昔から責任感あるよ。
AMAGI_S:I don't believe you.
――信用できない。
「……ひどいなあ」
僕は笑いながらチャットを閉じた。
天城さんは相変わらず厳しいけど、少しずつ話しやすくなってきた気がする。
調査も、ゆっくりだけど進んでいる。
そろそろ寝ないと、明日の始業式で眠くなりそうだった。
「……あ、そうだ」
机の上に置いた新年度の案内をもう一度開く。
集合時間と持ち物を確認してから、鞄へしまった。
明日は新しいクラスの発表だ。
早瀬たちとまた同じクラスになれるだろうか。
それから、桐生さんは。
「……まあ、明日のお楽しみか」
僕は部屋の明かりを消し、ベッドへ入った。
ちなみに、春休みの課題は全部終わっている。
……珍しく、本当に全部だ。




