◆第四章1 『始まりは、剣と糸』
※シルバー視点――マクガイア王城屋根、夜時。
夜気が、剣のように鋭かった。
かつてはただ、冷たかった空気が今は沈黙すら緊張に変える。
呼吸をすれば胸の奥に、火が灯るように。
屋根を蹴る。
風と瓦が同時に軋む。
全身をひと筋に絞り、紅の糸とともに一直線に、俺は夜を駆け下りた。
空気が音を置いていく。
落ちるのではない、ただ足元の銀糸を『蹴り』そして斜線を描いて墜ちる。
月明かりが背を押し重力さえ味方にする加速。
地上の影が瞬き、狙いは一点――
先に待っていたのは――剣。
左肩に鋭い熱。布が裂け肉が割れる。
一瞬、痛みで視界が揺らいだ。
だがそれもすぐに――白い蒸気が俺の肩口から立ちのぼる。
その蒸気を纏うと共に、傷は音もなく閉じ血も痛みもそこから消えていく。
まるで最初からなかったかのように星が応える。
俺の中にある『ギグ・マーガの星』が。
回復ではない。赦免のような癒し。
身体が星に赦されているような、不気味なほどの静けさだった。
「……なるほど。やってくれるな」
肩を軽く回しながら呟く俺と対峙する男がじっとこちらを見据える。
その眼差しは、驚きよりも何かを確かめているように。
そして、ほんの一瞬だけ彼の口元がわずかに動く。
「これが……マーガの戦いか」
低く誰にも届かぬような声。
目の奥に宿るのは、初めて踏み込んだ領域への静かな理解。
そして、微かな違和感と……喜び。
「……理も、正義も意味すらない。
ただ、無作為に引かれ合うのじゃな」
まるでそれが『始まりの約束』であったかのように。
誰にも望まれず、それでも不可避に始まる戦いを――
互いに今、星の名の下に受け入れつつあった。
◇ ◇ ◇
言葉を交わさぬまま再び交差する。
俺の銀糸が風を裂き、彼の剣が空を断つ。
何度目かの接触、すでに互いの動きに迷いはなかった。
速さも力も、拮抗していた。
糸が首元をかすめ、剣が足元を狙う。
どちらもわずかに逸れ、そしてすれ違う。
その均衡に俺は不思議な既視感を感じていた。
まるで最初から、こうして戦うべく選ばれたかのような――そんな感覚。
「……やはりそなたか。あの日の糸の主」
不意に男の口が開く。
その声に剣気とは別の重みが宿したまま。
俺は糸を巻き戻しながら、眉をひとつ吊り上げる。
「ふんどしじゃない分、そっちも幾分かマシだな」
「ふっ……今宵は真面目に斬り合おうと思ってな。
裸では少々締まらん」
「なら、今夜は上着も裂いてやるさ」
静かな応酬のなか互いの目が交わる。
夜が沈黙し、時が一拍止まった。
そして、不意に彼は俺へ名を告げ始める。
「……儂はディオン・バルザス。
神とお偉いさん曰く――ギ・ガ・マーガの星の民、らしい」
その瞬間、空気の温度が変わった。
名を聞いたことで、胸の奥がわずかにざわつく。
俺は少しだけ目を伏せ息を飲む。一拍遅れつつ静かに名を返す。
「……俺はシルバー・ヴィンセント。
マクガイア王国の、ギグ・マーガの星の民」
それだけで、立っている位置が変わるような気がした。
今、対峙しているのは剛剣――ディオン。
だがその背後にあるものは、ただの星ではない。
まるで、戦うという選択を背中から静かに推してくるような、得体の知れない意志。だがそれも、誰かに命じられたわけではない。
それはまるでこの身にある星が、今、静かに戦いを選ぼうとしているように。
◇ ◇ ◇
「――やめてえええええっ!!」
誰かの鋭い叫びが、夜の空気を割いた。
叫びながら駆けてきたのは……ラスティーナ王女。
荒い息と今にも零れそうな涙が、声に滲んでいる。
「ギグとギ・ガは……相性が最悪なの!
ギグ・マーガは、ギ・ガ・マーガに絶対に勝てないのよ!」
そんな叫びが夜に突き刺さる。
そして、もう一つの声が追いつくように届いた。
「ギ・ガ・マーガだと……最悪だ! シルバー早く逃げなさい!」
今度はナディアの姉御の声。
「ギ・ガ・マーガは……シリアスモードになった瞬間、力の段階が変わるの!
他のマーガの星をはるかに凌ぐ、特化された破壊力に!」
その声がわずかに震えている。
そしてあえぐように、更に姉御は必死に言葉を繋ぐ。
「それだけじゃない、あなたの星は……シリアスモードに入ると、自己再生が止まるのよ……! 何度も、何度も言ったでしょう、シルバー!」
沈黙。
「いずれ……貴方は回復する事が、許されなくなる」
星が、命を削る側に傾く。
その一言が、ひどく遠くに響いた。
◇ ◇ ◇
紅糸と剛剣が夜気を裂いた。指先がわずかに動き、糸が滑るように舞う。
対する剣は一直線に鋭く迫る。
「があああああっ!」
ディオンの咆哮とともに振り下ろされた剣が風ごと空気を切り裂いた。
重みと速さが共に乗った一撃。
俺はすかさず身を低く沈め、足元に散らした銀の線を呼び起こす。
月光に細く煌めきながら疾った糸が、敵の膝をわずかに縛る。
その瞬間、ディオンは更に踏み込んでくる。
その振るわれた鋼の剣が弧を描き、肩先を浅く裂く。
俺の肌から立ち昇る、白い蒸気。
互いにねじり、傷そのものを貪るようにマーガの星は俺の傷口を塞いでいく。
痛みは残らない。熱だけが消えた。
次の気配がすぐに迫る。剣圧が空間ごと押し潰す。
重く、圧倒的な圧。
「っはあっ!」
こちらも声を上げた。指に絡めた糸が微かに鳴る。
刹那の判断で交差させた銀糸が、衝撃をわずかに和らげる。
石畳にひびが走った。
その振動に、周囲の空気が震えを放つ。
腕に残る感覚は、剣の重みと振動の名残。
だが、俺は足元が揺らいでも膝を落とさず、前を見据えた。
夜の帳がゆるやかに離れていく。すべての色と音が遠のいていく。
残されたのは、俺の荒い呼吸だけ。
月影がふたりの影をひとつに溶かす。
沈黙の戦場を夜風が静かになぞっていった




