序章2 『止まない雨は、綺麗ごとを飲み込んで』
※シルバー幼少期視点――生まれ育った村にて
六年前、十歳の頃――俺は、まだ何者でもなかった。
雨の中、墓の前で膝をつく。ただ泥に沈むだけの十歳だった。
目の前には、父と母の名、そしてその他数名の名が並ぶ碑。
鍛冶職人の父と、銀糸の糸繰り職人の母。
誰かが言った『止まない雨は無い』という明日に希望を見出す言葉。
そんな言葉はこの現実ではただの呪い。
村の山麓への、あの土砂崩れがすべてを奪っていった。
声も出ず涙も出なかった。
悔しいとか寂しいとか、そういう感情さえも掴めずに、ただ立ち尽くすまま。
木陰には幼馴染のルーシェ、そしてその幼馴染の両親でもある、レオン村長とクラリスおばさんが傘を差したまま、悲痛な表情で俺を見つめている。
ルーシェだけは、俺と同じ様に傘も差さず、雨の中でじっとこちらを見ていた。
何も言わずに、何も遮らずに、ただじっと。
……あの静けさの記憶、そして見知った人達の苦痛と悲しみ、そして同情の表情が、何故か不思議な心苦しさとなって、今も心の奥に残っている。
◇ ◇ ◇
次の日から、俺は働き続けた。
銀糸をほぐし、火を起こし、水を汲み、畑を耕す。
身体は小さく、力も足りないけど、それでもやれることは全部やった。
「ひとりでやれるよ。任せて」
「それ、昨日も聞いたぞ。無理するなって」
「……ほんとに大丈夫!」
無理じゃない――そう言うたび、笑顔を作るクセがついた。
そうすれば、相手も困らない。
同情されるのは、もうこりごりだった。
誰にも迷惑をかけたくない。
でもそれ以上に、自分の無力さを直視するのが怖かった。
ちゃんとしていれば周囲の誰も悲しませずに、心苦しい想いをさせずにすむ。
笑っていれば、みんなも困らない――そんな気がしていた。
それがいつの間にか、俺の笑顔は仮面になっていた。
◇ ◇ ◇
ある日。
荷車を運んでいたとき、視界が揺れた。
崩れそうになる足元。
誰かの声が、そこへ飛び込んできた。
「シルバー!」
振り返ると、ルーシェがいた。
濡れた髪が頬に張りつきながらも、まっすぐこっちに走ってくる。
「何やってんの、ほんと」
彼女は無言で俺の前にしゃがみ、目を覗き込んでくる。
「そんなボロボロになるまで……誰のために頑張ってるの?」
「……誰の、って」
言いかけて、言葉に詰まる。
「皆のため……かな。俺がちゃんとしてれば、きっと、誰も……」
「――それ、誰が決めたの?」
ルーシェの声は、いつになく静かだった。
でも、その中にあるものは強かった。
「誰にも迷惑かけたくないって、分かる。
ちゃんとしてなきゃって、思うのも分かる」
そのまま、地面に膝をついて、目の高さを合わせてくる。
「でもね……それであんたが壊れたら、誰が喜ぶの?」
その言葉が、胸の奥を掴んだ。
「あたしね、ずっと見てたんだよ。
雨の中で、あんたが笑おうとしてるの。
――でも、目だけが泣いてるようで、見てられなかった」
「……俺は、別に」
「大丈夫って言いたい? 平気だって?」
「うん」
「うそ」
「うそじゃ――」
「じゃあ、あたしの目を見て言って」
ぐ、と言葉が喉の奥で止まった。
いつもなら軽く笑ってごまかせるのに、今は、それができない。
「無理をしないで、お願い……シルバー」
まっすぐな視線だった。
責めるでもなく、泣き落とすでもなく。
ただそこにあったのは『願い』だけ。
「ひとりで頑張らなくていいんだよ。
――生きててくれたら、それだけで、十分だから」
ああ、そうか。
この子は、俺に強さなんか求めてないんだ。
俺の中に積もっていたものが、
その言葉の重さで、少しずつほどけていく。
それでも俺は、泣かなかった。
……いや、泣けなかった。
だから代わりに、口をついて出た言葉は――
「じゃあ、皆を笑わせてやる」
「……え?」
「ちゃんと生きて、ちゃんと立って……そして誰よりも、人を笑顔にしてやりたい」
ルーシェはぽかんとした顔をして、
次の瞬間、ふっと笑った。
「それ、結構カッコいいね」
「そう? 俺的には名言になると思ってた」
「ふふ、でもさ――カッコいいって、そういうことだよね」
「ん?」
「泣いてる人を笑わせたり、誰かの暗い顔を明るくしたり。
そういうのって、強さじゃなくて、ちゃんとカッコよさだと思うんだよ」
「……だろ?」
「だから、笑わせてよ。あんたのカッコいいで」
茶化しながらも、彼女は笑っていた。
俺も、自然と笑えていた。
――そう、カッコいいは笑える。
笑顔を与えることができる。
◇ ◇ ◇
その日の夜。
家に戻ると、作業台の上に一束の銀糸が置かれていた。
それは、母が遺した最後の糸。
クラリスおばさんが、そっと届けてくれていたらしい。
俺は銀糸をそっと手に取る。
冷たく、でもどこか懐かしくて、優しい感触だった。
この糸を――ただ仕舞っておくだけじゃ、意味がない。
今なら、分かる。
「母さん。俺、これ使ってみるよ」
呟くように、誰に聞かせるでもなく言った。
仮面じゃない。
自分自身の顔を持つために。
強さのふりをするんじゃなくて――
人を笑顔にさせる、格好良さを、ちゃんと選び取るために。
雨音はまだ遠くで続いていた。
でも、俺の中の何かは、確かに止まりかけていた。
次にこの糸を手に取るとき。
俺は、自分の意思で、何かを始めるだろう。
この夜の誓いが、銀の星へと繋がっていくことを――
この時の俺は、まだ知らなかった。




