第二章 第三幕 上 真の友情は
私達は、県境を越えた先にある、海沿いの町にある水族館へ向かった。その水族館は、恋人たちの聖地として知られていた。佐藤は、そんな噂を知らない。いや、知っていたとしても、きっと気に留めることはないだろう。彼は、そういう人間だった。まっすぐで、鈍感で、無垢なまなざしを持っている。だからこそ、金子が惹かれたのだと思う。そして、私は――その恋を応援する役目を担うキューピッドなのだ。
完璧な計画だった。三人で水族館を巡り、告白が成功しやすいと噂される“くらげのモニュメント”の前で、私はそっと席を外す。あとは、金子が勇気を出して、佐藤に想いを伝えるだけ。そう思うと、胸の奥が少しだけ高鳴った。けれど、その高鳴りが、どこから来るものなのか――私は、まだ知らなかった。
日曜日の水族館は、想像以上に混み合っていた。家族連れの笑い声、カップルのささやき、アナウンスの機械的な声。それらがすべて、水の膜を通したように、ぼんやりと耳に届く。私たちは、事前に予約していたチケットで入場を済ませ、青いアーチをくぐった。
その瞬間、空気が変わった。ひんやりとした冷気が、頬を撫でる。光は水に濾過され、青く、柔らかく、私たちの影を長く引き伸ばした。頭上を滑るエイの腹が、雲のようにゆっくりと流れていく。私は、しばし立ち尽くした。この場所の静けさが、心の奥に沈んでいた何かを、そっと掬い上げるようだった。
「わあ……」
金子が、ぽつりと声を漏らす。その横で、佐藤が「すげえな」と呟いた。私は、二人の横顔を交互に見つめた。金子の頬は、ほんのりと赤く染まっていた。佐藤は、何も気づいていない。それが、彼らしいと思った。そして、少しだけ、羨ましいとも思った。
私たちは、館内をゆっくりと歩いた。ペンギンの水槽の前で、金子が笑った。その笑顔は、どこかぎこちなくて、けれど懸命だった。佐藤は、相変わらずだった。ペンギンの動きを真似して、ふざけてみせる。金子が笑うと、彼も笑う。私は、その光景を見ながら、笑った。けれど、その笑い声は、自分のものではないような気がした。どこか遠くで、誰かが笑っているような、そんな感覚。
私は、ふと考える。なぜ私は、こんなにも金子の恋を応援しようとしているのだろう。なぜ私は、こんなにも完璧な計画を立てて、二人を結びつけようとしているのだろう。それは、きっと――私が、金子のことを大切に思っているから。彼女の笑顔が好きで、彼女のまっすぐなところが好きで、彼女が幸せになることを、心から願っているから。あぁ神様、どうか、みのりんの告白が成功しますように。私は自分の右手をぐっと握った。
くらげのモニュメントが見えてきたとき、私は立ち止まった。青白い光が、天井から降り注いでいる。無数のくらげが、静かに、ただ静かに、揺れていた。その光景は、まるで夢の中のようで、現実の輪郭がぼやけていく。私は、ここが“その場所”であることを思い出す。告白が成功しやすいと噂されている、あのスポット。金子が、勇気を出して、佐藤に想いを伝える場所。
私は、時計を見た。針は、予定していた時間を指していた。心臓が、ひとつ、強く脈打った。いま、私はこの場を離れなければならない。それが、私の計画。私が、金子のために描いた、完璧な筋書き。
「ごめん、ちょっとトイレ行ってくるね」
自分の声が、どこか他人のもののように聞こえた。
佐藤が振り返る。「え、今?」
私は笑ってうなずいた。「すぐ戻るから」
金子が、私を見た。その目に宿る光を、私は見逃さなかった。不安と、決意と、ほんの少しの――祈り。私は、何も言わずにうなずいた。それだけで、十分だった。
私は、背を向けた。足音が、水槽のガラスに反響する。水の中を漂う魚たちが、私の心の中を映しているようだった。どこかに向かっているのに、どこにも辿り着かない。そんな、終わりのない旅。
ふと、立ち止まって振り返る。二人の姿は、もう見えなかった。人混みに紛れて、青い光の中に溶けていた。
告白は上手くいくはず...そう思っていたのは、どこか私が甘い考えを持っていたからだろうか。




