第9話 忘れた者、忘れられた者
ローエンがAFTの護衛を申し出てから五日、その日はローエンはAFTの活動に出ていて、事務所にはリアンが一人でいた。
特に仕事もなく、暇をしていた彼は事務所のソファに寝転び、携帯に入った大量の女友達のアドレスをスクロールして眺めていた。
(……今日は誰が空いてるんだっけ……)
くぁ、と一つ欠伸をする。退屈である。刺激が欲しい。依頼の一つでも舞い込んで来ないかと、そう思いながらアドレス帳を上下させていた。……遊ぶ気力もあまりなかった。
と、その時階段を叩く足音が聞こえた。ハッとしてリアンは起き上がる。程なくして扉が開くと、老年の男が顔を出した。眉間にシワが刻まれているが、厳しい印象は受けない。それどころか、どこか頼りない。
「……こんちは、どうぞ」
リアンがそう声を掛けると、男はおどおどした様子で中へ入って来て、扉を閉めた。
「ご依頼ですか」
「…………いえ、人に会いに来たのですが」
男は弱々しい声でそう言った。
「……人?」
「えぇ、ここにいるという噂を聞いたものですから……」
誰だ。まさか自分じゃないだろうな、とリアンは考え、いやいやと心の中で否定する。彼に見覚えはない。探されるような人も思い当たらない。いや、あるとしても女の子くらいしか浮かばない。こんな、老年の男性は自分は知らない……。
……いや、とふと思った。見覚えが……無いわけでは……。
と、そんな事を思案していると、男は思い切った様に言った。
「リタ、という人はここにいませんか」
「!」
え、まさかあいつの事か、と思い恐る恐るリアンは訊き返す。
「……男ですよね」
「えぇ。ご存知ですか」
「姓はローエン……」
「!……そうです、間違いありません」
うむ、何者だこの男は。あまり名を名乗らないローエンの名を知っている。しかも、むしろローエンの方を知らなかったと見た。……一体……何者だ?
「あいつなら今は出掛けてますよ」
「……そうですか。いつお戻りに?」
「さぁ……晩には戻って来るかと」
ボランティア団体の調査も兼ねた活動だ、資料をまとめに恐らく戻っては来るだろう。
「遅くなりますかね」
「……日が暮れる頃には多分。急ぎの用ですか」
「いえ、まぁ……いつでも良いと言えばいつでも良いのですが、出来れば早くに……」
(……本当誰なんだこのおっさん……)
段々と怪しく思えて来たリアンは、彼に言った。
「あの、お名前聞いてもよろしいですか」
「あ、も、申し訳ない。私はアルベール・フィリアスと申します。……名刺を」
と、丁寧に彼は名刺を差し出して来た。どうも、とリアンは受け取り、見る。……そしてリアンは驚いた。
「フィリアス……って、あの製薬会社の……!」
「はい。ご存知なんですね」
「そりゃ有名っすよ!……てか社長さん……」
「えぇ」
ますます分からなくなってきた。何故そんな人がローエンに会いたいなどと。
と、そこで自分もまだ名乗っていない事に気付く。
「あ、こっちこそ名乗りもせずに。……リアン・ローガンです。ローエンと一緒にこの事務所やってます」
「あぁそれは、お世話になります」
「?」
…………深く考えるのはもうやめた。とりあえず、悪い人ではなさそうなので、ローエンに取り次いでやる事にした。
「あの……予定はいつ頃が大丈夫っすかね」
「?……あぁ、この街に来て特にする事もありませんのでいつでも」
なるほど、外からの来訪者か。と、一つリアンは情報をメモする。
「じゃあ……明日の昼……で、どうですか。俺から言っときますんで、また連絡します」
すると、アルベールはホッとした表情をして、そう言った。
「そうですか、ありがとうございます。よろしくお願いします」
そう言ってアルベールは一礼すると、ドアを開けて事務所から出て行った。そのドアを見つめ、リアンは思案する。
見覚えがあると思ったのは、いつかどこかでその顔を新聞か何かで見たからだろうか。いや、そうではない気がする。
……そしてふと、リアンの脳裏をある顔が過った。
「…………まさか、な」
目を閉じて、それを掻き消した。自分が気にすることではない。そう思って、リアンは再びソファに戻った。
*****
同じ頃、スラムにて。AFTの一団と共に、ローエンは廃れた街並みを歩いていた。手には荷物を。だいぶ量は減っている。
「……お前達はどう思う、今のスラム」
ローエンはそう、アントニア達に訊いてみた。
「…………どうって……」
「昔より酷いとか」
「……まぁそうかもな」
アントニアがそう答えた。ブルーノもその横で「そうだねぇ」と言う。
「僕達みたいな孤児も増えてるみたいだし。……赤子の死体も見かけるし。ボランティアは増えてるのに、なかなか変わらないもんだね……」
「警察とかがもうちっと動いてくれねェとなんともならねェだろうな」
ローエンがそう言うと、アントニアが言う。
「無理だろ、キリがねェ」
「まぁな」
「……あっさり言うな」
「まぁ無理だと思ってるだけお前らはまだ賢い」
「…………なんか棘のある言い方だな」
「そう思ってなかった馬鹿がいたんだよ」
……いや、違うか。分かってはいたんだ。だが、見えないふりをしていた。……そんな奴だった。
「……今になってあいつの偉大さが分かる」
「?」
「まぁ、ロクでもない奴だが」
独り言に、アントニアは首を傾げる。その袖を、ちょいちょいとソニアが引っ張った。
「ん」
「今そこの路地に女の人が連れ込まれて行っちゃったよ」
「え、おう」
「俺行ってくる。ちょっと待ってろ」
「あ、ちょ」
荷物をアントニアに預け、ローエンはソニアが指した路地へと走って行った。
「……はっや」
「お父さん私達の護衛なのに」
「……お前どうして欲しかったわけ?」
「トニーが助けに行ってくれるかなぁって思ったんだけど」
「俺……最低限自分の身護るくらいしか出来ねェからな」
程なくして、路地からローエンが顔を出して手招きした。アントニア達は頷いて、そちらへ向かった。
「うわっ」
「もう、ライリー」
気絶して倒れた男を見て声を上げたライリーを、ルーシーが小突く。リノも少し後ろに隠れてしまっている。
「……死んでないってば。ったく、ほら、物資」
ローエンはアントニアに促した。ローエンの陰には、震えた女が座り込んでいた。手足が痩せ細っている。しばらく何も食べていなさそうだ。
「……これだけしかあげられないけれど、どうぞ、食べて」
アントニアはそっと、パンを一つ差し出した。怯えた様子でいた女は少し落ち着いて、そのパンに手を伸ばした。
「あり……がとう」
蚊の鳴くような声で、女は礼を言って弱々しく笑った。
アントニアは微笑み、一団はその場を後にした。
*****
「……アントニア」
「ん」
教会に戻って来てすぐ、荷物を置いた途端ローエンに声を掛けられたアントニアは振り向いた。と、唐突に目前に拳が迫って来たので彼は反射的に手を出した。
「うおぅわっ⁈」
「……ふむ」
パシン!と受け止められた拳を引っ込め、ローエンは何やら考え込む。
「いきなり何すんだ!」
「いや……お前がどれくらい戦えるのかと」
「俺護身で精一杯だからな!」
「……わざわざ俺が走ってくまでもなかったかなー…と思ったがそうでもなかったか」
「……さっきの?」
「そう」
ローエンは頷くと、教会内でそれぞれ休んでいるメンバー達を見渡した。
「ほら……一塊で動いてると効率悪いだろ」
「でもその方が安全だろ、俺達がやられたら元も子もねェんだ」
「そうだ。……もう一人くらい俺みたいなのが欲しいよな」
「いや無理だろ……」
「アテが無いわけでもないが、まぁそいつは無理かな」
と、するとローエンはアントニアを指差した。
「という訳でお前だ」
「え」
「一番体格いいしな。リーダーでもあるし。……資質はあると見た、俺がある程度は教えてやる」
「な、何であんたに俺が……!」
「より良くする為の策だろ」
言われて、アントニアはうーんと考え、そして恐る恐る訊いた。
「……今すぐ?」
「今とは言わない」
「あんたが相手の実戦練習?」
「まぁそうなる」
「えぇ……怖すぎるだろ……」
「俺もこの10年で手加減を覚えたから大丈夫だ」
「何だよそれ」
はぁ、とアントニアはため息を吐き、長椅子に座った。
「……それはいいけど、そうするとちょっと問題が出てくる」
「何だ」
「資金だよ。……俺達学校出てないからなかなかまともには働けないんだ。だから、ブルーノの大道芸とかで金を稼いだりしてるけど、量は知れてる」
「……教育は孤児院とかで受けただろ?」
「スラム育ちと知れただけでも肩身は狭くなる」
「…………」
ソニアを見ていてもそんな事は感じていなかったので、ローエンには思わぬ答えだった。……友達に恵まれただけなのだろうか。
「まぁそんな訳で……俺達は最低限の物資しか買えない。分れて活動するにはちょっと量が足りないんだ」
「あのカフェ営業したらいいじゃねェか」
「そんな簡単な話かよ……」
呆れられ、ローエンはムッとする。
「そういえばルーシー達の家ってお金持ちじゃないの?」
と、ソニアがルーシーにそう言った。
「あたし達だってそんなボランティアに投資してられる程のお金は無いわ」
「……うん、まぁ富裕層の内ではあるけれど」
ライリーも横で苦笑を返す。そうなんだ、とソニアは言う。
「……あんたは」
アントニアはローエンに話を振る。彼は首を横に振った。
「残念ながら探偵業はそこまで儲かりませんでね」
「…………ふーん」
ヴェローナのモデルの仕事も不定期で、収入は不安定だ。それでも一応生活費は確保している。
「まぁ……ともかくそれが何とかならねェとこの先の活動も少し厳しい」
「厳しいと思うならやめればいい」
「…………やめられる訳ねェだろ」
アントニアがそう言うと、ローエンは笑う。
「そういう奴で安心した」
「……何だよ」
「難儀な奴らだな、お前らは」
「あんたも相当物好きだぞ」
「まぁ俺もここには少し思い入れがあるもんだから」
と、肩を竦め、ローエンは首を傾げる。
「で、訓練の件は」
「あー……いいよ、やる。損はねェし」
「そうか。じゃあ空いてる日適当にやるか」
「適当だな……」
「じゃあ直接連絡取りたいから番号くれ」
「……分かったよ」
今まではソニア経由で連絡を貰っていた。だがこうなると直接の方が便利だ。
「俺のはこれで」
と、探偵仕事で使っている名刺をローエンはアントニアに渡した。アントニアは受け取ってからしばらく考え、ローエンに言った。
「……ペンとかある」
「ボールペンなら」
「あんのかよ」
と、ベストの下のシャツの胸ポケットからローエンはボールペンを出して、アントニアに渡した。
と、ペンをカチッとしてアントニアはローエンの左手に手を伸ばした。されるがままにしていると、アントニアはその手の甲にペンで書き始める。
「……何してんだよ」
「書くとこないから……このペン書きやすいな」
「だろ」
と、さっさと11ケタの数字を書くと、アントニアはローエンの手を押し返した。
「ん。登録しとけよ」
「こんなん女の子にしかされた事ない」
「ううううっせ!」
その様子を見(聞い)ていたブルーノとソニア。長椅子の背中ブルーノは、クスクスと笑ってその椅子に座っているソニアに言った。
「あの二人本当は仲良いんじゃないの?」
「……トニーはお父さんの事ライバルだと思ってるんだよ」
「あぁ、あるかも」
苦笑する二人。茜色の夕日が、入り口から差し込んでいた。
*****
「俺に会いたい人ぉ?」
「んだ」
リアンの予想通り、事務所へ戻って来たローエンは事務机で作業をしながらそう怪訝な顔をした。
「誰だそれ」
「こういう者だそう、です、ぞっ」
と、リアンはペチと名刺をローエンの目の前に出した。それを手に取り、ローエンは目を細める。
「……社長?アクバールのツテか?」
「いんや、それは無いと思う……けんど、そういうセンもありか」
「歳は?」
「60代か70代」
「ふぅん……ともかく俺はこんな奴知らねェぞ」
「……そうか」
名前を知っていた事は言わないでおこう、とリアンは決めた。あまり無闇に疑いをかけたくもない。
「明日の昼……空いてる?」
「昼?……まぁ明日は一日暇してるが」
「そうか。じゃあ事務所にいてくれ」
「……いいけど」
カリカリと頰を掻き、そして再びローエンはデスク上のノートパソコンをカタカタとやりはじめる。
(……やっぱそうなのか?)
その顔を見つつ、リアンは眉を潜めた。
でも、だとしたら一体……。
「……何見てんだよ」
「ん、あっ、悪い」
気付かれ、リアンは微笑を浮かべてそう返す。
「真剣そうだナー……って」
「早くやらねェと帰るの遅くなるだろ」
「……それはそうですね……」
「何で敬語だよ」
「別にィ」
どうせ早く帰って家族に飯でも作るんだろうな、とそう思いつつ、リアンはさて自分の夕飯はどうしようかと考えた。
「……ローエン君よ」
「嫌な予感」
「俺の晩飯作ってから帰ってくんね?」
「断る」
「ケチ!」
「自分で料理覚えろよ」
「お前のめっちゃ美味えじゃん!」
「褒めても何も出ねェよ」
と、カチカチとマウスでクリックし作成した資料を保存すると、ローエンはそのままノートパソコンを閉じた。
「んじゃお疲れ」
「人でなし!鬼!悪魔!」
「明日朝飯残り持って来てやるから」
「俺は鳩か何かか!」
「犬」
そう言い捨てて、バタンとドアを閉めて出て行ったローエン。
「……犬ってなんだよ」
そしてリアンは一つ、大きなため息を吐いた。……腹が減った。今夜はインスタントで済ませるしかなさそうだ。
#9 END