第10話 面影
翌日、午前11時半。リアンがアルベールに連絡し、二人は彼が来るのを事務所で待っていた。
「……あんさ……ポテトサラダめっちゃ美味かったからまた持って来て……」
「レシピ」
と、ローエンはリアンにメモ書きを押し付けた。その中身を見て、リアンは口を尖らせる。
「俺ちゃん作れねェよ……」
「そこに書いてある通りにやれば作れるだろ普通」
「……お前、壊滅的な料理下手って知ってる?」
「うちにヤバいのがいるから知ってる」
「え、誰?」
「ヴェローナ」
「…………えー」
リアンの中のヴェローナの好感度は……下がらなかった。そういうところも良いと思えるのが彼だ。ローエンも然り。
「ある程度は自炊出来るんだろお前」
「つっても俺ちゃんいつも一人の時は大体インスタントか作り置きのやつよ?」
「よくそれで体壊さねェな」
「女の子さえいれば元気に過ごせるぜ」
「……ヒモって意味だな」
「えへ、バレたか」
と、その時階段の方から足音が聞こえて来た。
「お、来たっぽいな」
「……俺はどうしてりゃいいんだ」
「そこでお待ち下さーい」
と、ソファからリアンは立ち上がり、ドアを開けた。すると、驚いた顔をしたアルベールが現れた。
「どーぞ、お待ちしてましたよ」
「……何故私が来た事が分かったんです?」
「足音ですよ、この階段よく響くんで」
「あぁ、なるほど……」
リアンに促され、アルベールは事務所内へ入った。それと同時にローエンは立ち上がる。
「……初めまして、俺に会いたいと聞きましたが」
と、ばちりとその目と目が合った時、アルベールが不意にローエンへと駆け寄った。
「あぁ……リタ……!リタなのか!」
「えっ」
突然腕を掴まれ、戸惑っているとポロポロとアルベールは泣き出す。
「あぁ……良かった……立派になって……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ、あんた誰だ、何で俺の名前」
「わ、私の事を覚えていないか、あぁ、無理もないか。あの頃まだお前は2歳か3歳で……」
「えーっと」
この状況で一番冷静なリアンは、二人の間に入った。
「ステイステイ……ちょっと順番に説明してくれないと分かんないっすよ」
「……あぁ、すまない……そうだな、気が早まった。許してくれ」
「…………あ、あぁ」
客観的に見ていたリアンには、分かった。……感じていた既視感の正体は、これだ。
「はい、ローエンはこっち、フィリアスさんはそっちへどうぞ」
と、リアンは二人をそれぞれ向かい側のソファに座らせ、自分はローエンの隣に座った。
「……えーと、順を追って。まず……ローエンはこの人の事やっぱり知らない」
「……あぁ」
ローエンは首を傾げつつ、頷いた。……知らない、と言い切るとどこかおかしな感じがした。
「オーケー。じゃあ、フィリアスさんは」
「私は……」
落ち着いたアルベールは、ゆっくりと喋り始める。
「私は……メリンダの元夫だ」
「……メリンダ?誰……」
と、リアンが言う横で、ローエンが突然立ち上がった。
「……え、ローエン?どした……」
「母さん……」
「え?」
「母さんが結婚したのは一人きりだ」
ローエンの表情を見たリアンはどきりとした。アルベールも同じだった。見開かれた目には、怒りとも、悲しみとも取れるような表情が浮かんでいた。
「…………何で今さら……」
「話を聞いてくれリタ」
「その名前で呼ぶな‼︎」
「!」
アルベールはびくりとし、縮こまった。リアンが宥めようと手を伸ばすが、ローエンはその手を跳ね除けた。
「……どうして俺を助けてくれなかった」
「か、彼女はお前を手放さなかった。ず、ずっと気がかりだったんだ……!お前がどうしているか……」
「俺が……どんだけ……!」
「ローエンちょっと待てよ落ち着けって」
「離せ!お前には関係ねェ!」
「か、関係あるし!俺今何が何だかさっぱり分かってねェから!」
「知るかよ!」
と、再びローエンがリアンを跳ね除けた所で。
「私はその子の父だ」
「!」
えっ、と思いリアンは彼を見る。確かに……そんな気はしていた。顔立ちや髪質がローエンと似ている。感じていた既視感の正体はそれだと分かっていたが、実際言われると衝撃として伝わるものだ。
「……そう名乗る資格も無いのかもしれないが」
と、アルベールはローエンに向かって深く頭を垂れた。
「許せとは……到底言えまい。私はあの悪魔のような女から逃げたのだ。幼いお前を残して。……許されない事だと思っている」
「なら……何で俺の前に現れた」
ローエンは少し落ち着いて、そう訊いた。
「噂を聞いた。お前の。……いてもたってもいられず、気付けば私はこの街へ来ていた」
「……あんた社長なのに会社空けて来てもいいのか」
リアンが言うと、アルベールは頷く。
「信頼出来る部下がいるから問題はない。……それに私ももう歳だ、近頃運営はほとんど部下に任せているところもある」
「……俺に後を継げ……って言うんじゃないよな」
「あぁそれは違う。そんな事を言うつもりはない。……ただ一目会いたかったのだ。……それだけ……と言って納得して貰えるだろうか」
ローエンは立ったまま、父の顔を睨む。白髪になったその癖毛は自分とよく似ている。目元は違うが鼻や口元は似ている様な気がした。
今まで知ろうとも思わなかった父親が突然現れ、ローエンの中では戸惑いと怒りと、そして郷愁の様な何かが混ざり合っていた。脳裏を母の顔が過ぎり、そして悪夢の様な日々を思い浮かべ、そしてやはり目の前の彼に対する恨みの念が渦巻く。……どうして、助けてくれなかったのだと。
しかし、このまま怒り続けるのも筋が通らない。こうして顔を自分の前に突き出している以上、こちらも相応の態度を取らねばならない。でなければいくらなんでも大人気ない。
「……分かったよ」
「!」
「でも許した訳じゃない」
大きく息を吐き出し、ローエンはソファにすとんと座る。頭を抑える。この胸に渦巻く感情を、どこへ吐き出していいのか分からない。
「…………それで、俺に会いに来たあんたは満足したのか」
「……それは……いいや、何か、何か償いをさせてくれ」
「償い……」
「そうだ。それでも許されないのは分かっている。だが、せめて……お前の為に何か出来ないか。私に出来る事なら何でもする」
その時、ローエンの心は静かになった。そして、何か黒いものがじわじわと染み出て来た。
「……一つ。俺はあんたを“父さん”とは呼ばない」
「……あぁ」
「二つ目。……あんたボランティアに投資しろ」
「え」
「あえっ、お前何言ってんの……」
リアンがドキッとする横で、ローエンはただ真っ直ぐにアルベールを見て、言う。
「俺の娘が……この街のスラムで活動してるボランティア団体に入ってる。その団体は今資金不足だ。あんた金はあるだろ、だから資金提供をしてやって欲しい」
「ボランティア……とは」
「スラムの貧しい住民達を助ける団体だ。俺もそこに協力してる。慈善活動に奉仕出来るなら悪い話じゃないだろ」
(うわー……悪いコだなこいつ)
リアンはローエンのその心の内に気付いていた。完全に、利用する気でいる。それを知ってか知らずか、アルベールは頷いた。
「あ、あぁ……それで良いなら協力しよう、どれくらい出せばいい」
「……その辺の相場は俺は知らねェけど……」
食料費に医療費に……と、そこまで考えてふと気付いた。
「あとそう……医療品の類を少し欲しい。出来る範囲で構わないが、風邪薬とか傷薬とか」
「そこはタダで……というのは難しいが」
「分かった。そこは買うとする。でも安くは出来るだろ?……まぁ俺は責任者じゃないから詳しい話はまた」
「……そうなのか」
「俺はただの護衛」
と、ローエンが腕を組み言うと、アルベールは眉根を寄せる。
「……しかし、それで本当に良いのか?」
「ん」
「私はお前には何もしてやれない」
「しなくていーよ、俺が欲しいものはもう持ってる。それに、俺が今望むのはスラムがより良くなる事だ」
「……本当かなぁ」
と、ぼやくリアンの脇腹をローエンは強めに肘で小突いた。
「………っ……」
「俺みたいなロクでなしよりも、弱い人達を助けてくれ。弱い俺を助けなかった代わりに」
「…………」
アルベールは、俯いた。そしてしばらくして、ぽつりと言った。
「……一つ聞いても良いか」
「あぁ」
「メリンダは……今……」
「死んだよ」
「!」
「10年も前に……」
未だ脳裏に焼き付いている。自らの体を爆散させる直前の、あの母の顔が。『今のあなたを見てるとね………あの人を思い出すのよ』……と、そういう言葉も覚えている。
「……あんたをずっと恋しがってた。俺を見てるとあんたを思い出すって」
「……どうして彼女は」
「俺が母さんの思い通りにならなかったから」
そこで初めて、ローエンは笑った。しかし、どちらかと言えば暗い笑みだった。
「最期まで……狂ってたよあの女は。まぁ正直あんたが逃げたのも分からなくはない」
「リタ」
「それは“俺”の名前じゃない。母さんが愛した別の少女の名だ」
「!」
「……つってもな。あんたが俺の親じゃそう呼ぶ他ねェか。……怒鳴って悪かったよ」
ローエンが頭を掻きながら言うと、アルベールは複雑な顔をして言った。
「お前の名は……二人でつけた。私とメリンダの二人で」
「!」
「ただ、私はその気は毛頭なかったのだ。……男性として素敵な名だと、私は思うが」
「俺にとっては呪いだ」
「……そうか」
少し悲しそうなアルベール。しばらくの沈黙、やがてローエンが口を開いた。
「……名前を提案したのは?」
は、とアルベールは顔を上げ、申し訳なさそうに笑った。
「私だ。お前は彼女に似て綺麗な顔をしていたから。それがお前を苦しめていたのなら……申し訳ない」
「あんたが謝るな。悪いのはあの女だ」
そうでなければ、少しからかわれたくらいではそこまで突っかかる事もなかっただろう。ただ、いつも悪夢を思い出すから嫌なのだ。
「……ところで……」
「何だ」
「お前結婚してるのか」
「……あ、あぁ、まぁ」
と、ローエンは左手を開いて軽く上げた。
「子供は」
「養子の娘が一人と実子の息子が一人……」
「養子?」
「色々あってな」
普段はあまり人に言う事ではないが、彼には言っておくべきかと思った。
「…………そうか、もう私も祖父か」
アルベールは笑った。そしてハッとすると遠慮がちに言った。
「……その……顔を見に行っても良いだろうか」
「あぁ」
ローエンは今度は柔らかく、父へ笑い返した。
「……それくらいの権利はあんたにもある」
それを聞いて、アルベールはホッとした表情をした。
(…………親子って難しいなァ……)
と、外野から見ていたリアンは思った。突き放すんだか、認めるんだか…………。しかしやはり、彼を『父』と呼ぶ気は無さそうだ。
(俺にはよく分からん)
リアンは両親とは長い間疎遠になっている。今何をしているのか、生きているのかも分からない。家族の柵は無く、今ある関係は女と、仕事の相棒だけだった。……相棒と呼んでいいのか分からないが。
「さて、そろそろ行くよ。またお前にも会いに来る。ボランティアの援助の件についても用意しておくから、またよろしく頼むよ」
「あぁ。何なら依頼でも持って来てくれ」
なんだかんだで打ち解けている。リアンにはそう見えた。しかしどこか、ローエンには腹黒いところがあるように思えた。……何なのだろう。
アルベールは一礼して事務所を出て行った。見送っていたローエンに、リアンは言う。
「……つーか調査はもういいのかよ」
「何が」
「ボランティアのだよ」
「AFTはとりあえず除外だ。俺がいるから。スラムの為にも潰れてもらっちゃ困る」
「……あっそう」
「他の団体の調査は続けるけどな」
時計を見る。とっくに正午を過ぎていた。
「昼飯食うか」
「お!マジ⁈」
「お前さっき食ったばっかだけどいけるか」
「いけるいけるー、いくらでも入る」
「…………よしじゃあ何にするかな」
「あ、でも冷蔵庫何もない……」
「じゃあ買い出しからだな」
「うえぇぇ腹減った」
「俺が行ってくるから待ってろ」
「ワン……」
「犬かよ」
「お前が犬っつったんじゃん」
はぁ、と一つため息を吐いて、昼飯は何にしようかと考えながら、ローエンは事務所を出た。
#10 END




