第47話 帰還と回想
目覚めて、リビング────といっても、古びた机とソファを設置しただけの簡易な生活空間だが────にやって来たファウストは、そこに座っている同居人の姿にぎょっとした。
「……何で上脱いでんの?」
「服がダメになった。……見ろよこれ」
ローエンは胸の傷痕をファウストに見せる。アランにやられた傷からさらに上に大きく残っているが綺麗な一本の線になっている。
「うわ、何だそれ。何にやられたらそうなるんだ」
「刀傷だよ。この体質じゃなきゃ死んでただろうな」
「……冷静だね。相当再生にも痛かったろうに」
「相手は達人でね。綺麗に斬れたから、さほど」
どか、とファウストはソファに座る。
「…………というか、襲われたのか?」
「襲われたと言うか、襲ったと言うか。追われて仕方なく」
「お前さんが逃げるなんて。相手は何者だ?」
「…………」
「だんまりか。まぁ深掘りはしないがよ」
ファウストはローエンの横に置かれた彼の衣服に気がついて、立ち上がってそれを手に取った。
「……あーあ。こりゃ新調してやらなきゃか。なかなかイカしてたのに」
「すまない」
「いいけどよ。お前さんが無事なら……おい、ちょっとその傷よく見せろ」
無遠慮にファウストは体を触って来る。傷痕をなぞり、彼は感嘆の声を上げる。
「ほォ、すげぇな。綺麗にくっついてやがる。刀の斬れ味ってのはめちゃくちゃ良いんだな」
「足の方が痛い。弾は多分抜けてるが」
「何、撃たれたのか。銃創は火傷もあるからな、診せろ」
テーブルに右足を上げ、足首を捲って見せる。赤く銃痕が踵側に残っている。
「ふむ。貫通はしてないな。再生時に出たのか。……火傷もなし。しっかし夜だろ? よく当てられたな」
「相手もなかなかの怪物だったんだよ」
「ふぅん。それにしたって、気をつけろよ。いくら再生力があるからって、欠損までは治せないからな。腕が飛んだら傷口がそのまま塞がって、二度とくっつけられもしねェんだから」
「分かってるよ」
そう言って、ローエンは眼帯に手を当てる。左目はもうない。アランに刺されてダメになった。複雑な部分は上手く治らないらしい。
「それで? 今日の検体は?」
「追われた状態で持ち帰れると思うか。殺す分は殺したがそっちはダメだ。多分もう保護されてるだろうし……」
「保護。その件の追手にか?」
「……そういう奴らだ。…………俺の正体が割れた。多分また来る」
「へえ。厄介だね。邪魔なら殺せば?」
「そういう訳には……いかない」
俯いた彼に、ファウストは肩を竦めた。
「なるほど。そいつらは元々の仲間ってわけだ」
「…………」
「なぜ? 求められるなら帰ればいい」
「俺がいると困るんだって、言っただろ。それに、殺しかけた」
「優しいんだか非情なんだか。分からないね、お前さんは」
「よく言われる」
苦笑し、ローエンは顔を上げた。
「それに、まだアンタは俺に帰って欲しくないはずだ」
「別に。いてくれるならそれでいいけどよ。どうしても帰りたいって言うなら止めはしないぜ。たまに顔は出して欲しいけどな」
「どの道、この体じゃあまともには暮らせない。……あいつらに見られたな…………倒れるフリでもするべきだったか」
ローエンは考えるが、それではきっと捕まるし、優先すべきは逃げることだった。結果、彼らはあれ以上追って来なかった。
「とにかく、俺はもうしばらくここにいるよ」
「そうかい。まぁ好きにしな。お前さんの体のデータが取れるなら大いに助かるしな……そのうち、薬を改良すれば完全に欠損部位も治せるようになるかもしれない」
「そこまで怪物になる気はない」
「何言ってんだ。これが完成すれば手足を失った人間が元の体を手に入れられるかもしれないんだぞ」
「今の所出来てるのは、細胞をめちゃくちゃに破壊するだけの毒薬だろ」
「…………手を加えたら上手く行かなくなってな……」
うーん、とファウストは渋い顔をする。ローエンはため息を吐いた。
「わざわざ人間を使わなくたって、ネズミでなんとかならないのか。今までもそうして来たんだろ」
「ネズミを飼うのもタダじゃない。ここならタダで検体が手に入る。お前さんは簡単にそれを取ってきてくれるし……」
「人の命だってタダじゃない」
「金が掛からなきゃ何だっていい。こんな所に足を踏み入れる奴は誰も探しゃしない。どうせ人の命を何とも思ってないクソ共だ。利用してやったって文句は言えないってもんよ」
「…………」
眉間にしわを寄せるローエン。ファウストは肩を竦めた。
「本当に、お前さんはよく分からないな。人の情を持つのはらしくないぜ、メフィスト。お前さんはおれと契約した“悪魔”だろう?」
「────人を殺すのは構わない。俺だって奴らの惨さは知ってる。ただ────無闇な実験で検体を無駄にするな。俺の労力だってタダじゃないんだぞ」
「それは……そうだな。その通りだ」
うん、と頷くファウスト。ローエンはもう一つため息を吐いた。
「とりあえず、新しい服を用意してくれないか」
「それもそうだ。うん、待ってろ。すぐに用意してやる」
そう言って、ファウストは部屋を出て行った。ローエンはその後ろ姿を目で追って、見えなくなると机の上に上げていた足を下ろした。体の傷痕を指でなぞる。ダミヤにやられた傷は、薄く残ってはいるが実に綺麗にくっついている。アランの傷痕と比べると斬れ味の良さが窺い知れる。
(……名実共に怪物か)
撃たれても斬られても簡単には死なないし、動きに支障も出ない。普通の体なら、ダミヤに斬られる前にフィンリーに足を撃ち抜かれた時点で終わりだった。それにしても彼女に勝てたことが、自分でも意外だった。殺す気はなかった。殺すくらいでなければ勝てないとは思っていたが。
それよりも、あの時うっかり腕を出してダミヤに斬り飛ばされていたらと思うとゾッとした。
(……おっさん、本気で斬って来たな)
あの後動揺していたが。自分でもどうして斬ったか分からないようだった。斬られる直前に合った目が、ローエンの脳裏に焼きついている。鬼神の如き怒りを宿した目だった。理由は分かる。ローエンはフッと笑った。
(良かったなフィンリー。お前、十分愛されてるよ)
彼女は無事だろうか。手加減はしなかった。しなかったが、僅かに受け身を取られて威力が軽減された。それは想定済みだったし、案の定彼女は意識を失いすらせず足止めをして来た。だから、その上で気絶させるためにやむを得ず蹴りを入れるつもりだったが────。
(未だおっさんには勝てる気しねェな)
得物持ちは昔から苦手だ。あのレベルの達人ともなれば、まともにやり合えば確実に四肢を持って行かれる。彼とはやりたくない。色んな意味で。
(……でも多分またきっと来るんだよな……)
ここが割れる日も近いか。そう思いながら、ローエンは大きなため息を吐いて項垂れた。
* * *
ダミヤは静かな病室で、丸椅子に座ってじっとしていた。
ピッ、ピッ、と心電図の音だけが耳に届いている。かつて自分がこうして目覚めを待たれていたことを思い出した。エリオットもアナスタシアも、そして娘のロジーも元妻のレーニャも、こうして気が気でなかっただろうとそう思った。
「……フィン……」
病院に着いた時には、彼女の意識はなかった。いつもはつらつとして、自信に溢れていて、無敗の彼女がぐったりとしている姿はダミヤの心を酷く焦らせた。
幸い一命は取り留めたが、フィンの容体を聞いた時は血の気が引いた。頭蓋骨骨折と、少なくはない脳へのダメージ。────ローエンが逃げて、フィンリーが一人で先に追って行った時、二人が戦闘になることは想定内だったが、彼がそこまでやるとは思っていなかった。だから、フィンリーが地に倒れているのが信じられなくて────。
(……あれがローエンやなんて、俺は思わへんかったんや)
全身の毛が逆立つのを感じた。湧き上がる激しい衝動のまま、気が付いたら刀を抜いていた。両断しようとした。……殺そうとした寸前の所で、無意識下の理性が踏み込みを一歩止めた。でなければ、彼はきっと真っ二つになっていた。
(斬っといて大丈夫か、とか、頭おかしなるけど。……実際、何で平気そうやったんや?)
不思議だった。確かにしっかりと斬った感触があったし、返り血も浴びた。あれで彼が動けるとは思えない。地面を蹴って高く跳んで、屋根の上に消えて行くなんて。
「アカン……ほんまにおかしなりそうや」
頭を抱える。一人で考えていると良くない。とにかくフィンリーのことが心配だった。周りに内緒で作戦を敢行した以上、部下たちに知れたら確実に怒られる。……いや、ここが警察病院である以上は既に知れていることだろう。その内見舞いにやって来るに違いない。
顔を上げる。ハッとする。寝台に横たわるフィンリーの目が開いていた。
「…………フィン!」
「……ダミヤくん……」
彼女が酸素マスク越しに言葉を発した。それを外して体を起こそうとした彼女を駆け寄って止める。
「待て待て、動いたらアカン」
「……病院かここ、はは、情けな」
「先生呼んで来るわ、待っててや」
バイタルチェックが済み、再び病室に二人になった。上体を起こしたフィンリーを見てダミヤは安心する。フィンリーは深く考え込んでいるようだった。ダミヤは丸椅子をベッドの側に寄せて座る。彼女がこちらを向いた。
「……先走ってごめん。単独行動は死亡フラグや言われたのに……」
「死んでへんし。……お前の足に追いつかれん俺らが悪いわ」
「何でや。でも、ちゃんと追いついて助けてくれたやろ」
「…………」
その言葉に、険しい顔になる。それは肯定していいのか、ダミヤには分からなかった。その様子を見て、フィンリーは困ったように笑う。
「迷いなかったな。あんなズバーン行く思わんかったわ」
「……自分でもよく分からんのや。あれがローエンやて思ったらそんなこと……でけへんのに」
「ローエンやなかったんちゃう。ウチが負けるとか……」
言葉尻が萎む。いつも自信に溢れた目の光が弱い。────彼女の目はこんなにか弱かったかと、ダミヤは胸の奥がズキリと痛んだ。フィンリーはそんな目をしたまま、無理したような笑みを作る。
「なんて。そんな訳ないな。ちゃんと話したし…………話したけど」
「……なんも分からんままや。あいつは敵になってしもたんか。向こうから仕掛けてきたんか」
「当たり前やろ。ウチは……追いかけて、止まらんから………足撃ったけど」
「当たったんか?」
「当たったよ、やから足止めてウチと戦闘になったんや。足も引きずってた……はずなんやけど」
「手負いの状態やったんか?」
「どう見ても足怪我してる動きやなかった。片足庇って戦う奴に、ウチは遅れは取らへん」
頷いてそう答えるフィンリーに、ダミヤは顎に手を当てる。
「────斬っても平気そうやったし、何なんや?」
「それもや。なんや……ほんまに銃も剣も効かへんとか……」
「……一回死んだ言うてたな。マジでゾンビやったら、どうする」
「ゾンビ? んな訳あるかい、温度のある生きた人間やったわ」
「まぁ、そうやんな……」
馬鹿げた想像をダミヤは掻き消す。だが、代わりに思い出した。
「────“悪魔”……か……」
ディアボロ。“悪魔のローエン”。それはかつて追っていた殺人者だ。あの時はただの、殺し屋としての通り名だったが。
「奇妙やな。とりあえず、話すより先にとっ捕まえるべきや。ウチとダミヤくん二人がかりならいけるかな?」
「そらさすがに。俺ら二人で怖いもんなんかないわ。そうやろ?」
フィンリーの目に、光が戻った。いつものように彼女は笑うと、ダミヤの手を取った。
「そうや。二人やったら絶対負けへん。ダミヤくんと一緒なら、ゾンビやろうが悪魔やろうがぶっ倒せるわ」
「そのためにもまずは怪我治し。リベンジはそれからや」
「そうやな。居場所の方はリアンが調べてくれるやろうし……ゆっくり休むわ」
リアンはダミヤと共にフィンリーをここに送り届けた後、事務所に帰って行った。『俺一人で出来ることはする』と言っていたし、彼に任せておけばローエンの潜伏場所もその内割れるだろう。
「ほな俺は一度署に戻るわ。セリンたちにもちゃんと伝えとかなな」
「顔は出さんでええで。やれることやっとき。暇やないんやから」
「……それも伝えとくわ。ほなな」
立ち上がり、病室を立ち去ろうとするダミヤ。はたと思い立って、フィンリーはその背中を呼び止める。
「あ、ダミヤくん」
「ん?」
振り向いた彼に、フィンリーは笑う。
「……助けてくれたん、嬉しかったで。ありがとう」
「…………んなの、何度やって助けたるわ」
キビキビと歩いて出て行くダミヤ。フィンリーはくすりとする。照れ隠しなのが見え見えだった。
フィンリーは横になる。今出来ることは、しっかり寝て、しっかり食べて体を治すことだ。万全でなければ、あの“悪魔”には挑めない。ダミヤと一緒だとしても、彼の足手まといにだけはなりたくない。
目を閉じた。ここしばらくの疲れも溜まっているようだった。いい機会だ。そう思いながら、フィンリーは眠りへと落ちて行った。
#47 END




