第19話 雲の切れ間
およそ半月が経って、六月に入り夏の訪れを感じ始めた頃。カフェの準備は順調に進み、いよいよ来週にオープンが迫っていた。
内装も店として新たになった空間に、AFTのメンバーは全員集まって一つのテーブルを取り囲んでいた。
「……一応レシピ通りに作ってみたけどどうかしら?」
ヴァージルがテーブルにいくつか料理を置く。ローエンが作ったレシピをヴァージルとコゼットが作ってみた。
「見た感じは同じだね」
「普段するお料理よりも手が混んでて大変だったわ……」
「慣れればそうでもないよ」
ローエンは片眉を上げ、パスタを皿に取って食べる。
「うん、悪くない」
「ほとんどお父さんの味……! ……だけどちょっと違うような」
食べて、首を傾げるソニア。
「美味けりゃいいんだよこういうのは。十分出せるだろ」
「でもすごい、お父さんの料理はお父さんにしか作れないんだと思ってた」
「そんなわけ無いだろ、誰にでも出来る。お前にだって作れるよ」
「お母さんは作れないよ?」
「………あいつは昔から特別ダメ……」
ルーカスはどうなんだろうな、とふと思う。彼はまだ包丁を握り火を扱うには幼い。料理上手の父と料理下手の母の両極端の間に生まれた息子はいかなる才を持っているのか……。
「すげーなヴァージル、これお前が作ったのか」
「そうよ」
「今まで食ったことねェくらいうめー!」
「ふふ、ありがとう姉さん」
隣にはマフィンも置かれている。チョコレートとプレーンの二種類で、これはコゼットの作ったものだ。
「私のはオリジナルだけど、どうかな?」
「うん、程よい甘さで美味しいよ」
食べてにこりと笑うローエン。コゼットは両手を合わせて喜ぶ。その様子を見てアントニオは眉を顰める。
「アンタ女子にはやたら優しいのなんなの……?」
「……紳士たるもの女性には優しくだ少年」
「何だその口調」
アントニオはため息を吐きながらまだギプスの取れない手を恨めしそうに見る。
「………俺も早く治さないと……」
「焦ったって治んねーよ。出来ることからやって行けばいい」
「注文くらいは取れそうだな。スラムに行くのは危ない気がするから俺は店番するよ」
「そうしろ。しばらくはリアンも手伝えるし」
マフィンを一つペロリと平らげ、ローエンは周りを見渡す。
「店番とスラムの活動担当は全員決めてるのか?」
「大体はな。シフトで交代するところはするけど」
と、アントニオはブルーノの方を見る。その気配を感じたのか、彼ははっとして口を開く。
「そうだね。僕は店の方を手伝うのは難しそうだから今まで通りスラムの活動をするよ」
「半々かスラムの方が少数になるかな。アンタもその方が良いと思うだろ」
「まぁそうだな」
と、ローエンは娘の方を見る。
「お前は?」
「私はスラムかな。ほら、お父さんほどじゃ無いけど戦えるし」
「……お前アントニオを殴った奴らをぶっ飛ばしたんだってな」
「ぶっ飛ばしてないよ! 追い払っただけ!」
必死であんまり覚えてないけど、と頬を掻くソニア。
「あの人達のことも気になるな……」
「その件については大丈夫だ。俺の方で何とかする」
「ほんと?」
「あぁ。任せとけ」
この半月でリアンがそれなりに情報を集めている。活動時間やおおよその組織規模、拠点がどの辺りにあるかまで─────正確な場所までは割り出せていないが。組織の首謀者の情報もまだ掴めてはいない。
「ここしばらく変な人たちは見なかったのにね」
「あぁいう手合いのは探さなきゃ見えて来ないんだよ」
いつの時代も上手く隠れているものだ、とローエンは思う。当然と言えば当然か。スラムにはメディアも入らない。ニュースにならなければ大々的にも知られない。やれやれと首を振り、ローエンはアントニオに視線を戻す。
「話は変わるが、店名……“café AFT”って何の捻りもないが良かったのか」
「別に良いだろ分かりやすくて」
「そもそもAFTって何の略なんだ?」
「……えーと……」
アントニオが斜め上を見て言葉に詰まっていると、ブルーノがくすくすと笑う。
「創設者が忘れてるみたいだから僕が言うね。“Assist Friends Team”……“友を助けるチーム”って意味さ」
「あーそう、そうだった」
ぽん、と手を叩くアントニオ。ローレルがその背中をバシッと叩く。
「いってぇ!」
「しっかりしろリーダー。アンタが言ったんだぜ、そういう名前にしようって」
「そうでした……」
首を縮めるアントニオ。ローエンはふふっと笑う。
「良い名前だな。お前らしい」
「おっ……なんだよそれ!」
「褒めてるんだよ」
彼ならば本当に、スラムを真に救済するかもしれないと、ローエンは仄かに期待していた。ここに集まる彼らも、アントニオと志を同じくして集まっている。
(……コイツらが懸念なく安全に活動出来るように、俺らが頑張らなきゃな)
自分に出来ること。それは明るい未来への橋渡しだと、ローエンは心の中で拳を握りしめた。
*
AFTの皆と別れ、事務所に帰る前にローエンは一人スラムを訪れていた。リアンに貰った情報を元に、拠点があるらしき地域を回る。町を南に下った工業地区跡地。ここは昔から何かしらが棲みつきやすい。スラムは北の新市街から離れるほど治安が悪くなる。中心を通る水路もすっかり淀んでいる。生き物の気配はカラスやネズミくらいで、スラムの住人もこの辺りには近付かない。
(……また地下水道とかはカンベンだぜ本当……)
建物の屋根の上から辺りを見渡す。見慣れた景色。活気のない捨てられた街。そう言えば、全てが終わったのもこの辺りだった、とそんなことを思った。──── 一人だとどうも感傷的になる。
(ここで色んなことがあった。……俺の人生の半分だ)
拳を握りしめる。家を飛び出して、アザリアへやって来たきっかけはそう、ただの喧嘩目的だった。
ここなら人を殴っても、怪我させても、たとえ不可抗力で殺しても咎められないと─────対象こそスラムの住民ではなかったが、動機だけで言えばここにやって来る無法者たちと変わらなかった。
少し間違えれば、自分はあの神父の手によって消されていた可能性は大いにある。手を下すのが白き死神だったかもしれない。
今となっては懐かしい、彼にかつてコテンパンにされたことを思い出す。今なら勝てるだろうか、とそんなことを思い首を振る。無意味だ。彼はもういないのだから。
何かの気配に視線を落とす。狭い路地に三人の男たちが入って来た。休憩だろうか。壁に背を預けてタバコをふかし始める。見ない顔だ。リアンに貰った写真の中には無かった。
たん、とローエンは屋根を蹴って宙に飛び出す。リアンに出来ないことをする。彼は戦闘を得意としない。特にこういう、多対一の場面なんかは。
ダン、と路地の入り口にローエンは着地する。びっくりしてタバコを取り落とした一人が何か言う前にローエンは立ち上がって口を開く。
「ここへ何しに来た。スラムの住人を助けたいならこの辺りにはいねェぞ」
「ひっ…! お前………“悪魔”か……⁈」
「……その名前を知ってるってことはぶっ飛ばして良さそうだ」
パキ、とローエンは指を鳴らす。
「おっ、俺らに手ェ出したらボスが黙ってねェぞ!」
男が後退りしながら裏返った声で言うので、ローエンは首を鳴らす。
「スラムじゃ人が消えるなんて日常茶飯事なんだよ。見たところ下っ端だろ? 何かあったって血眼になって探しゃしねーよ」
ローエンは一歩二歩と距離を詰めていく。男たちは後ずさるうち、一番奥の男が腰を抜かした。
「ひぃっ! たっ、助けてくれ!」
「─────じゃあこうしよう、お前ら。このままこの世から消えるのと、俺に洗いざらい吐いてこのスラムから消えるのとどっちがいい」
「吐く! 吐きます! だからっ……」
「は⁈ お前何言っ」
腰を抜かした男を振り向いた男は、一瞬で距離を詰めたローエンに拳を腹に叩き込まれて崩れ落ちる。それを見た残る二人は叫び声を上げる。
「こうなりたくないだろ? ほら吐けよ。お前らが何者で何をしようとしてるのか……全部な」
闇色の目が二人を射竦める。震え上がった男たちはガクガクと頷いて次々に口を開いた。
*
たん、と机の上に置かれたメモ書きを見て、リアンは目を細める。手に取って見てみると、自分の知ってる情報と知らない情報があった。
「……えー……お前さーこれ……」
「スラムで見かけた奴らを脅したら全部教えてくれたよ」
「俺の半月の意味は?」
「あるよ。だからそいつらに会えた」
向かいのソファで腕を広げるローエン。リアンは腑に落ちない顔をしてため息を吐く。
「……どーせ暴力に頼ったんだろ。殺してないだろうな」
「してない。殺したような偽装はしたけど……三人とも警察に連れてった」
「相手にしてくれんのか?」
「物好きなおっさんが一人いるんだよ」
ダミヤのやれやれとした顔が思い浮かぶ。あとは彼が何とかしてくれるだろう。
「狙い通り例の人攫い集団だった。ま、下っ端の三人くらいが消えても何かトラブルに巻き込まれて死んだって思うだけで、大した警戒はしないはずだ」
「本当にそう? 普通はするだろ」
「そういう奴らだよ、スラムなんて無法地帯に足を踏み入れるのは。大きな組織なんかは特にそうだ。下っ端は使いっ走りの捨て駒だ」
でなきゃやってらんねーんだよ、とローエンは言う。リアンは嫌な顔をして顎に手を当てる。
「………ヤなもんだね」
「……お前…………妙な所で優しいよな」
「何が」
「いや。甘ちゃんなのか。人でなしの中で暮らしてたとは思えないくらい」
リアンはきょとんとして、そして眉を顰める。
「まぁ確かに。俺はお前らとは違う」
「自覚はあるのか」
「理解して割り切ったふりをしてるだけだよ。何も納得しちゃいない。そんな人でなし共のことなんて……」
「でも殺せるんだな」
「だからだよ。…………その時目にするものが、たまらなく辛いこともあったけど」
思い出して、胸の中を抉られるような気持ちになる。おぞましい記憶がいくつもある。それを、平然と見過ごして仕事をする仲間の姿も。
「……いくつも酷いものを見た。お前だって見て来ただろ」
「そうだな」
「その度に、そんなことをする奴らが憎くて、怖くて、信じられなくて……吐いたことだってある。どうしても腹の中が気持ち悪くなって」
リアンは口元に添えていた指を噛む。そして目の前の暗闇の中にいるような男を睨むように見る。
「……お前は逆だ。優しいようで…………その本質は冷たい」
「どうだか。どっちが本質かなんて俺にも分からないよ。第一あんな所で働くのに、一々そんな惨状に心を動かされてちゃ保たない」
「そういうところだよ」
リアンは距離を取るように、ソファの背に身を預ける。
「───……何でお前だったんだろうな」
「は?」
それはローエンに向けた言葉ではなく、ただの独り言だったのだろう。消え入るような小さな声だったが、ローエンは耳に届いたその言葉を聞き返さざるをえなかった。
「………何が?」
リアンはローエンを探るように首を捻ると、目を伏せて立ち上がった。
「何でもないよ。さぁ、お前が持って来た情報を元に作戦を練ろう。メンバーは? どうするんだ」
「………」
ローエンはリアンの顔を見上げると、一つため息を吐いた。
「スラム地区担当の警察官四人と、俺と、それから手伝ってくれるならお前もだ」
「何で俺は枠外な感じなの?」
「嫌なんだろ、現場を見るのは」
「それとこれとは話が別。やるよ。やらなきゃ」
腕を広げるリアンに、ローエンは眉を顰める。
「お前戦うのも苦手だろ」
「そう言うなら何で俺に護衛を頼んだんだ? 人並み以上には出来る」
「……まぁ、そうだな」
そう言われればそうだ。彼に心得があるから頼んだ。
「じゃあ、今度顔合わせしよう。会ったことないだろ、お前」
「無いね。出来れば会いたくないけど。警察官」
「今の俺たちは殺し屋じゃねェんだ、後ろめたいことはないだろ」
「あるよ。ありますよ。ハルっちのこととか。その人でしょ、だって」
「………あー、言わなきゃ分かんねーよ」
そんなこと言ったら俺たちの関係はどうなるんだ、とローエンは思う。ため息を吐きながら、右手で二本指を立てる。
「……女性警察官が二人だ。どうだ」
「嫌な思い出しかない」
「何だよ」
「俺が見境ない女好きだと思ってない? ねぇ」
「実際そうだろ」
「失礼な」
片頬を膨らませるリアン。可愛くないぞと言いながら携帯を取り出すローエン。
「てかいつ?」
「明日以降だな」
「急ぐねえ」
「そりゃそうだ」
理由はリアンも察する。ソニアだ。娘の行くところはできるだけ安全にしておきたいのだろうとリアンは思った。
「そうだな。未来ある若人のためだ。それならおじさんも一肌脱ぐってもんよ」
「………明日会えるってよ。行くか」
「もう連絡したの、返信はや! ……しゃーないね」
「朝10時だ」
「わーったよ……」
警察署に出向くのはどうあれ気が引けるリアンだった。しかも相手は蛇のことを嗅ぎ回っていた人物。そしてかつての仲間と一線交えた人物。仇敵だ。……その依頼主は、この目の前の男だったわけだが。
「複雑なもんだ」
「何を今さら」
ローエンは携帯をポケットにしまうと立ち上がる。そして事務所の扉に手をかけると、じゃあまた明日、とリアンの返事も待たずに扉を開けて外へ出た。
階段を降りながら、ふと思い返す。
『───……何でお前だったんだろうな』────……
(何がだよ。俺が何を……)
リアンを助けたこと? アクバールに拾われたこと? AFTの手伝いをしてること? それとも……。
電気が明々と付いている事務所を見上げる。リアンの影は見えない。
(お前、俺に何を隠してる)
嫌な予感がする。いつだって、崩壊の前にはこんなモヤモヤがする。
湿った風が吹く。見上げれば、真っ黒な空に雨雲が覆っている。一雨来そうだと、ローエンは帰路を急いだ。
#19 END




