第11話 夢の中の幸福
「という訳で、こちらが資金提供して下さることになったフィリアスさん」
「アルベール・フィリアスといいます、どうぞよろしく」
三日後、教会にて。朝。ローエンは隣に立つアルベールをボランティアの面々に紹介した。アルベールはやや緊張した面持ちだが、優しい笑みを浮かべていた。
「どっ……どうも、ありがとうございます」
突然の事に驚いたのか、アントニオは緊張した様子でそう言った。
「フィリアスさんは製薬会社の社長さんで、資金の他にも医薬品の提供も安価でして下さるそうだ」
「えっ、いいんですか」
「若い子達が頑張っているのだからね、私に出来る事ならいくらでも手助けをしよう」
にこにこと笑うアルベール。本当に嬉しいんだろうなとそれを横目で見たローエンは思った。根っからの善人……アクバールとは正反対の人間だと。
「本当にありがとうございます!助かります」
「いえいえ」
「あ、俺AFTのリーダーのアントニオ・レイモンドです。よろしくお願いします!」
「レイモンドさん。お若いのに偉いですね」
「いえいえそんな……」
「なかなか出来る事ではないですよ。私もこうして力を貸すことが出来てとても嬉しい」
「今日は活動の予定は無いので、ゆっくりして下さい」
ローエンは間を割ってそう言った。今日は顔合わせの為に集まってもらったのだ。
「おじさん、こっちこっちー」
と、コゼットがアルベールの手を引いて奥へ連れて行く。おっとっと、と少し躓いてはいるが満更でもなさそうだ。
「あっ、コゼット!あんまり引っ張るなよ!」
アントニオが慌てて追いかけて行く。他のメンバーもその後を追って歩いて行った。ステンドグラスがすぐ前に見える一番前の席に座って話をするようだ。
「お父さん」
「ん」
一人だけ残っていたソニアが、ローエンの方を振り向いた。
「あの人とどこで知り合ったの?」
そう言われて困った。少し考えて答える。
「俺の昔のツテっていうか……」
「アクバールさん?」
「いやそれとは別で」
「ふーん……」
単なる興味か、それとも何かを感じ取ったのか。しかしソニアはそれ以上は聞いて来なかった。
(ソニアは昔から勘が鋭いからな……)
隠し続ける必要は無いかもしれないが、すぐに明かしてしまうのは自分が気に入らなかった。あくまでも彼は自分を見捨ててあの悪魔のような女の元に置いて行った人間だ。許すには早過ぎる。
そんな事を、冷め切った心でローエンは考えていた。
*****
「ただいま」
「ただいまぁ〜」
「お帰り」
すっかり日も暮れた夕方、ローエンとソニアが家に帰ると仕事から帰ったばかりらしいヴェローナが出迎えた。そして彼女は二人の後ろにいるアルベールを見て首を傾げた。
「あらお客さん?珍しいわね」
「こんばんは、お邪魔します」
「フィリアスさん。ソニア達のボランティアに資金提供をしてくれる事になって」
軽く頭を下げたアルベールを、ローエンはそう紹介した。
「あらそうなの」
「今日は顔合わせの後こっちに寄って貰う事にした」
提案したのはローエンの方だった。これくらいの事ではヴェローナは怒らないだろうと判断し、その上ソニアもそれなりに懐いて歓迎していたからだ。
「お母さんルーは?」
「ルーなら部屋にいるわ」
「そっか」
ソニアは先に玄関を上がって行く。ヴェローナはアルベールに会釈して先に奥へ入って行った。
「……美人の奥さんだな」
「そうだろ」
「名前は何という」
「ヴェローナ」
「ルーというのは?」
「俺の実子の方……ルーカスっていうんだ」
「そうか」
ローエンが促し、二人は玄関を上がる。
「良い家だな」
「あぁ」
ヴェローナと入籍してから新たに買った新築の家。四人暮らしで少し広いくらいだ。今は築10年ほどになるがまだまだ綺麗なものである。
「今から飯作るから座って待っててくれ」
「お前が作るのか」
「ヴェローナの奴料理出来ねェから」
部屋の片隅に置いてあった丸椅子を机の短い辺の方に置いた。ヴェローナは先に台所で整頓をしていた。
「ありがと。代わる」
「何か必要なものはございますか旦那様」
「………じゃあ─────」
茶化して言うヴェローナにローエンは指示を出す。その後ろ姿を眺め、アルベールは不思議な気持ちになっていた。彼の記憶にあるのは、まだまだ幼かったリタの姿だった。メリンダに着せ替え人形のようにさせられて、女児の服を着せられていた。その当時は彼自身は意味もよく分かっていなかったろう。だがアルベールはとても見ていられなかった。やめさせようにも、あの女が恐ろしかった。
……どこでおかしくなったのだろうと、幾度も悩んだ。初めはそんな女でないはずだった。だのに……。
────苦悩に耐え切れず逃げ出したアルベールは、次にまた別の苦悩に苛まれた。幼い息子を連れ出して来れば良かった。だが、自分一人の手で幼い男児を育てられる自信も無かった。何より、あの女と戦うことが怖かった。
(……私は臆病者だった)
何年か経って、忘れたつもりだった。だが、数ヶ月前ローエンという名の探偵の噂を聞いてから────結局居ても立っても居られなくなってこの街へやって来た。恨まれているだろうことは承知の上だった。いくらか殴られたって仕方ない。そんな覚悟で彼の前に現れた。だが。
(お前が私を父と呼んでくれなくとも、今こうしているだけで私は幸せだ)
伴侶を見つけ、立派に家庭を築き、職にもちゃんと就いて彼は生活している。それを知れただけでもアルベールは満足だった。優しい男に育って良かったと、心からそう思っていた。
アルベールはまさか、自分の息子がかつて“悪魔”とさえ呼ばれていた程の殺し屋だったとは思いもしなかった。
「おなか空いた〜父さん早くご飯……」
階段を降りて来てリビングに入ったルーカスが、アルベールを見て固まった。
「こ、こんにちは」
「こんばんは、お邪魔してます」
「あっ、こんばんはだった……」
見慣れない来客に明らかに動揺しているルーカスの後ろから、ソニアが現れその頭を拳で小突く。
「もー、お客さん来てるよって」
「聞いてないし……」
「私が言う前にルーが部屋出ちゃったんじゃん!」
そのやり取りで緊張が解れたのか、ルーカスはすたすたと歩いて行ってテーブルの前に座った。そして、同じくテーブルの前に座っているアルベールに言う。
「……おじさん誰?」
「私はアルベール。……君のお父さんの知り合いでね。今日は少し寄せてもらうことになった」
「そっか。おれ、ルーカス」
「ルーカス君だね。よろしく」
小さい頃のリタにそっくりだ、とアルベールは密かに思った。
「ルーカス君は今いくつだね」
「おれ?8才だよ」
「そうか、大きいね」
「おれそんなに大きくないよ」
ふふ、とアルベールはおかしそうに笑った。これが孫か、と思うと嬉しかった。
「ハイお待たせ」
「わ」
「今晩のメニューはパンとミネストローネでーす」
芳ばしく香るバケットと、トマトとブイヨンの良い匂いがするスープが食卓に並ぶ。
「時間が無かったから献立少ないけど」
「お代わりある⁈」
「食べる前から言うな」
あるよ、と答えるローエンに、ルーカスはわーいと喜ぶ。皆が食卓に揃うや否や、頂きます!と手を合わせて食べ始めた。
「………なかなか美味いな」
「父さんの料理は世界一なんだぜ!」
一口食べて呟いたアルベールに、ルーカスが自慢気に言った。そうか、と笑い、すぐ右前に座るローエンに言う。
「料理はどこで?」
「別に、独学だけど。一人暮らし長かったし」
「すごいな」
「そうかな……」
「私は料理などはからきしだからな」
「……そうですか」
二人の会話を、外側から見ていたヴェローナ。じっとローエンの横側を見つめ、そしてアルベールの方を見た。
(……んー……)
「?……どうしたヴェローナ」
「え、あぁいえ、何でもないわ」
ローエンに気付かれて慌てて笑い、自分の皿に目を落とした。スープの表面にキラキラとした油が浮いている。
(…………気のせい……にしては)
スープのカップを持ち上げ、飲んだ。トマトの甘酸っぱさが程良い美味しさだった。
*****
夕食が済み、ソニアは学校の宿題をしに二階へ、ローエンとルーカスは風呂に入っていた。ヴェローナは台所で片付けをし、残るアルベールは新聞を広げて読んでいた。アザリアのローカルな新聞だが、国のニュースもちらほら載っている。物騒な事件も中にはあるが、この街のスラムの事は一切書かれていなかった。アルベールもこの街に来るまではそんな所がある事も知らなかった。アザリアがその昔、北側の森を開拓し新しく街を作った事は知っていたが……。
(……旧市街があそこまで廃れていたとは)
アルベールが見たのは“壁”だった。あれはただ、街を区切るものではない。社会から切り離された別世界。人の目から隠してしまう壁だった。
(もっと認知度が上がれば、ボランティアへの支援も増えるだろうに)
彼は会社以前に裕福な家庭に生まれ、両親は既に他界し一人息子だった為全ての財産を引き継いだため金はかなりあるが、それでも一人で出来ることは知れている。
(私がその点でも役に立てれば良いのだが……)
「……フィリアスさん?」
「!」
気付くと、ヴェローナが後ろに立っていた。作業の為に髪を高く括っているので最初とはまた印象が違って見えた。
「何でしょう」
「何だか難しい顔をされてたものですから。何かありました?」
「……いえ、この街のことを考えていました」
アザリアは良い街だ。表だけ見れば。しかしその裏で一体どれだけの人が苦しんでいることだろう。そう思うとアルベールは苦しかった。
「スラム街、見てきたんですか」
「えぇ。酷い所でした」
「主人はよく行きますけど、私はあまり立ち入ったことは無いんですよね」
「あなたのような人は行かない方がいい」
「……そうですね。色々と」
ヴェローナはアルベールの隣に座り、髪を解いた。手櫛で髪を直しながら彼女は言う。
「私はこの街で育ちました。……学生時代までは良い暮らしを送ってたんですけどね。大人になってから……母は体を壊して父の勤めていた会社は倒産して」
「…………」
「お金を稼ぐ為に……私は夜の仕事に就いて毎晩知らない男の相手をして。妹は真っ当に仕事に就いたけれどその頃はあまり稼げるようなものでも無かったし……初めはね、こんな生活嫌だって思ってたんですよ。地獄のようだって。私は世界で一番不幸だって…………。──若かったから。今思えば馬鹿だなぁって思うんですけど」
なぜそんな話をするのだろう、と思いながらもアルベールは聞き続けた。興味だろうか。この世界の裏側への。
「────でも、そんなある日リタが現れて。出会い方はそんな良いものじゃなかったですけど。ただの客の一人だったし、最初に見た時は“何だこの生意気そうな男は”って思ったりして」
ヴェローナの脳裏には、先にベットの淵に座っていた若い男の姿が映っていた。まだ大人になりたてで、自己陶酔的な目をしていた。
「……それから何度か会うようになって……スラム街のことを知りました。小さい頃からあの壁は何だろうって思いながら過ごして……今じゃスラム街の事は学校では教えられるみたいですけど、その当時は無かったんですよ、全然。彼はそこの人達の為に働いてて、そこがどんなに酷いかとか……愚痴のように度々聞かされました。私が卑屈だったのもあったんでしょうね。挙句言われたのが『俺に出会えたのに不幸なのか?』って」
クスッとヴェローナは笑う。アルベールも釣られて笑った。
「おかしいでしょ。……それから私は自分の人生を見直しました。私は全然良い方だって」
「……そんな事はない、あなただって苦労して来た」
「いいえ、住む家があって、家族がいてこうして働いているだけでも幸せなことなんです」
「…………」
「実はソニアはスラム出身の子なんです」
「!」
驚いた。養子だとは聞いていたが、そうだとは思わなかった。
「私は直接は知らないですけど、リタが酷い所にいたあの子を拾って。…………ふふ、あの頃の彼はすっごく子供嫌いだったなぁ」
思い出し、懐かしそうに笑うヴェローナ。その横顔に、アルベールはどこか魅入ってしまっていた。
「……どこがどう好きになったんだろうって考えてたけれど、やっぱりそういう所なのかな。カッコつけだし怖い所もあるけれど、根が優しいんです、リタは」
そこでばちりと目が合った。目が合った時、思わずアルベールはどきりとして血の気が引いた。その時やっと気付いたのだ。
「…………君は……」
「やっぱりね、そういうところだろうと思ったのよ。……あの人の事だから何か事情があるんだろうけど」
ヴェローナは優しい目をしていた。アルベールは引きかけていた血がまたゆっくりと巡り始めるのを感じた。
「リタはお母さんの事大嫌いだったみたいだから……お父さんの事もきっと好きになれないのね」
「……私が悪いのだ、恨まれても仕方ない」
「あなたは悪い人じゃないわ」
ヴェローナが真面目な顔で言うので、アルベールは面食らった。
「しかし……」
「私、男の人を見る目はあるんですよ、仕事柄」
もうやめましたけどね、とそう付け加えて彼女は悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
「多分フィリアスさんの事も……いきなり現れたからどうしていいか分からないだけです」
「うむ……それは」
「だからってねぇ、赤の他人を装って家族に紹介するって」
「わ、私には彼に父と思われる資格など無い」
「フィリアスさんは後悔してるんでしょ?」
「…………勿論」
「ならきっと分かってくれるわ」
「……そうだろうか」
「リタも本気で今も怒ってる訳じゃないと思うわ、でなきゃこうして家に呼んだりなんかしないはずだもの」
アルベールの中で、固まっていたものがじんわりと溶けていくようだった。
「……あなたはまるで太陽のようだ」
「あらありがとう」
そういう所がリタにそっくりだな、とそう思ったが口には出さなかった。
その時、風呂場の方から「上がったぞー」という声がした。「はぁーい」とヴェローナは答える。
「お先にどうぞ。お疲れでしょう」
「……あぁ、そうさせてもらおう」
立ち上がり、そこでハッとしてアルベールは彼女に言う。
「あ、あぁその……出来れば私がそういう者である事は秘密に」
「そうですね。……私が知ってるって事も内緒にしておきます」
「あぁ……」
出来る事なら身の上を明かし、ソニアやルーカスとも祖父と孫として触れ合いたい。……だが、まだそれは早いような気がした。何よりローエンがそれを許さないだろう。
「おーい次誰……」
「あぁ、私だ」
リビングに現れたローエンと入れ違いに、アルベールが出て行く。ドタドタと二階へ上がって行く足音はルーカスだろう。
「籠に一式あるから使ってくれ」
「あぁ」
彼が去り、後にはヴェローナとローエンだけが残った。ローエンは何となく、そこに残る妙な空気を感じ取った。
「…………何話してたんだ?」
「聞こえてたの?」
「いや、二人でいたんなら何かしら話すだろ……」
「……そうね、他愛ない話よ」
「…………俺の事とか」
「そんな感じかしらね」
しれっとして答えるヴェローナ。ローエンはムッとした。
「お前……」
「何?」
「………いや」
その時上からドタドタと足音がやって来て、ローエンの横を通ってルーカスが入って来た。
「あー!喉乾いた!ジュース!」
「はいはい」
ローエンはルーカスと一緒に冷蔵庫の前に立つと、自分のビールの缶とオレンジジュースの缶を取ってジュースの方をルーカスに渡した。
「うっし」
「転けんなよ」
「大丈夫!」
またドタドタと二階へ引っ込んで行くルーカス。再びリビングには二人になった。
「……お前隠すの下手だよなー」
「それはあなたもおんなじよ」
「違う、お前が鋭いだけ」
「あんたの事なら何でも分かるのよ」
「俺だって分かる」
プシ、と音を立てて缶を開け、ぐびっと飲んだ。風呂上がりの熱い体に冷たさが染み渡る。
ソファに座り、テレビをつける。その背中にヴェローナは少し寂しさを感じた。
「……ねぇ」
「ん」
「リタは今、幸せなの?」
リビングにテレビの賑やかな音だけが響いた。その一瞬、ヴェローナにはローエンが息を止めてしまったように見えた。
「──────…………勿論」
停滞していた空気が小さく動いた。その四音はヴェローナが期待していた答えではあったが、その直前の賑やかな沈黙が彼女の心に深く突き刺さった。
#11 END




