第41話 白銀の燐光
カルロスは倒した。けれど俺も瀕死の重傷だ。今も生きているのが不思議だと思うくらいの状態だ。
カルロスの口から左腕とバルムンクを回収し、痛む体を引き摺るようにして壁際に移動する。壁に背を付け、ズルズルとゆっくり座り込む。
「極夜、魂の損傷率は?」
『報告。現在の損傷率は、八十七%です。損傷は尚も進行中』
「そう、か」
損傷率八十%超え。つまり、もう俺が助かる見込みはない。創造神であるアレクシアは転生も司っているらしいが、魂が消滅してしまえば転生もできない。このままただ消滅するのを待つだけ。
驚きはしない。アレだけ怪我を負って、しかも最後は片腕を失ったのだ。八十%以上損傷していて当たり前だ。
血を失い過ぎたせいか、それとも魂の損傷が進行している影響か、頭がボーッとする。ぼんやりとした頭で自問自答する。
「これから、どうしようか」
これから? これからなんてないのに?
「ここから、出ないとな」
出たところで居場所なんてないのに?
「ここから出て、それから……」
それから、どうするんだ?
アイツにケジメを付けさせるか?
避難したアイツは王城にいるだろうに、どうやって?
王城に忍び込むか? 無理だろ。
忍び込んだとしても、アイツの周りには三十九人の勇者がいる。
さすがに王を守護する近衛騎士が出てくることはないだろうが、騎士団や魔術師団は出張ってくるだろう。ケジメを付けさせる前に俺がやられる。
孤立無援。四面楚歌。そんな状況で、力も足りないのに、何かを成せるとでも?
「……」
グッと、俺は力の入らない手を握り締める。
クラスメイトたちを逃がすことはできた。佐々崎さんの『クラスメイト四十人を地球へ帰す』という理想も守ることができたはずだ。俺の目的は、半ば達成できたと言って良いだろう。
俺を殺そうとしたアイツも、目的はあくまでも俺だったんだから、他のクラスメイトたちに刃を向けることはないだろう。
……けれど、こんなところで、アイツにケジメを付けさせることもできないまま死ぬなんて、悔しいじゃないか!!
「死にたく、ない」
誓いを貫いた上で死ぬなら、本望だ。俺は満足して死ねる。けれど、こんなのってないだろ。
こんな死に方なんて、理不尽過ぎるじゃないか。
「……」
憎い。悔しい。情けない。辛い。苦しい。悲しい。寂しい。怖い。
そういった様々な感情がない交ぜになって、重く圧し掛かってくる。
胸の辺りが重苦しくて、ぐったりと力なく項垂れる。
いっそのこと、魂が完全に消滅する前に自分で始末を付けようか。
そうすれば、うまくいけば魂の消滅は免れて転生できるかもしれない。
そう考えて極夜を逆手に持ち、自身の心臓に突き立てようとする。けど、そこから動くことができなかった。
「……もう、いいじゃないか」
ここで終わっても……問題ないはずだ。
修司も委員長も姫川さんも強い。俺の助けなんかいらないほどに。アイツらなら大丈夫だ。王国側の不審に気付いて、きっと無事に地球へ帰ることができる。
だから、心配するようなことはない。憎しみはあるけれど、憂いはない。後悔もそんなにない。
ない、はずだ。
何の問題も、ないはずなんだ。
なのに。
それなのに、何で……
「セツナの顔がチラつくんだ……!!」
先輩、先輩と俺のことを呼ぶ彼女の顔が脳裏に浮かぶ。思い出される彼女は黄金色の髪を靡かせ、こちらまで幸せな気持ちになるほどの咲き誇るような笑顔を向けていた。
『また会いましょう、先輩』
彼女と交わした言葉がリフレインする。
あぁ、そうだ。そうだった。
「……約束、したもんな」
約束は、守らないとな。
なら、生きないと。生きて、もう一度会わないと。
仄暗い感情は消えていない。けれど、少しだけ胸が軽くなったような気がした。
「……死ぬわけには、いかないな」
バルムンクを【虚空庫の指輪】に入れ、極夜を鞘に戻して立ち上がろうとした時だった。
「生きたい?」
少女の声で放たれたそんな言葉と共に、目の前に白銀色の燐光が唐突に現れた。
「っ!?」
緊張が走り、臨戦態勢を取ろうとしたが、上手く立てずまた座り込んでしまった。せめて、と思って極夜の柄に手をかける。
その燐光は人の形をしていた。けれど、完成に人にはならず、まるで正体を隠しているみたいだった。それが俺の中の警戒心を引き上げていた。
俺は眉を顰める。
殺気もないし、敵意も悪意も感じない。
俺を害するつもりじゃない?
「ねぇ? 生きたいかって聞いてんだけどー?」
目の前の存在が何なのか考えていると、同じ質問をされた。どことなく、不機嫌そうな声音が含まれていた。反応しなかったからか?
「生きたいさ。けど……」
すでに俺の魂は八十%以上損傷している。そこからどうやって生きることができるのだろうか。もしかして目の前の存在は俺の魂の状態を知らないのでは?
そう疑問に思っていたが、次に発せられた言葉に俺は目を見開いた。
「魂の損傷を治す方法があるんだけど、どーする?」
「っ!?」
な、え? 治す?
治せるのか!?
「っと、その前に損傷の進行を止めないとだし。――【崩魂の停滞】」
スッと彼女(声が女性のものなので仮に彼女と呼称する)が右手を真横に振ると、魔法陣が展開され、俺の体に吸い込まれていった。
「良ーし。それで落ち着いて話せるわね」
彼女の声はどこか満足げだった。
……極夜。
『報告。損傷率が九十%で停止しました』
極夜の報告に驚く。実感はないが、本当に今の魔術で損傷の進行が抑えられたみたいだ。
立て続けに起こる事態に訳が分からず呆然としていると、彼女は俺に見せるように魔法陣を展開した。
それはとても複雑な術式をしていて、一目で分かったのは、複数の術式を一つに統合しているということと、書かれている魔術言語がルーン文字ではなくエノク語だということくらいだった。
複数の術式を一つに統合する構成の魔術はすべからく上級以上のもので、エノク語で書かれている魔術は神聖属性魔術に他ならない。
ということは、彼女はかなりの腕前の魔術師ってことなのか?
「上級の神聖属性魔術【御魂の施し】。他者の魂を移植する魔術なんだけど。これを使えば、キミの魂は修復され、生きることができるたりするわけ。本来は複数人の魂から少しずつ欠片をもらって、それを損傷した魂に移植する魔術なんだけど、今回は人もいないから、これを使っちゃおーか」
まるで女子高生のような喋り方をする彼女は術式を展開している方とは反対の手を上に向けた。すると、そこには純白色の、人魂のようなものがあった。
「……それは?」
「そこの黒龍――カルロスの魂よ。天に連れて行く前に一旦預かっているわけ。この魂を使ってキミの魂を修復するわ。あぁ、許可は取ってあるからダイジョーブよ。「敗者の処遇を決めるのは勝者の特権だ。好きに使え」だって」
武士かっ! 潔過ぎるだろ!
もっとよく考えろよ、カルロス!!
「ただ、ちょろっと問題があんのよねぇ」
大雑把なカルロスに頭を抱えたくなっていると、彼女は少し困ったように言った。
「異種族の魂――しかも龍族の魂を使うから、どんな副作用が出るのかが分からないのよ。ついでに言うと、たぶん修復中は物凄く痛いと思うし、そもそも成功率が0.1%以下だし」
「……その副作用って、命にかかわるようなものなのか?」
とりあえず話を進めるために聞くと、彼女は「いいえ」と否定した。
「さすがにそこまでのにはならないと思うけど。けれど、日常生活にちょっとばかり問題が出るかもねー」
それでもやる?と彼女は問いかけてきた。
彼女の説明は理解できた。確かに、それなら俺は生きることができるだろう。けれど、分からないことがある。
「何で、俺を助ける」
「ん?」
「俺とお前は今会ったばかりだ。俺を助ける理由なんてないだろ。なのに、何で俺を助けようとする」
彼女の正体、というか種族は何となく察しがつく。けれど、それだけで彼女個人が俺を助ける理由にはなり得ない。何かしら目的があるんじゃないだろうか。
「ちょっと不憫に思った、ってのが正直なとこ。誰かを救うために必死になれるのに、仲間に裏切られて死ぬなんてあんまりじゃん」
まるで見てきたかのようなその言い草に眉を顰める。それを見た彼女は肩を竦めたように見えた。答える気はないみたいだ。
だが少し好感は持てた。これで「誰かを救うのに理由なんていらないでしょ」みたいな何も考えていない、薄っぺらい綺麗事を言っていたら、俺は彼女を信じなかっただろう。
救いたいという思いが自身のエゴであることを自覚している。なら、ある程度は信用できる。
そして、それを自覚して尚、救おうとする。そこに彼女がどういう人柄をしているのかが分かる。
「優しいんだな」
「そんなんじゃないし。ただの同情心だし」
それでも命を拾ってくれようとしていることには変わりない。
このチャンスは逃せないな。
「やってくれ」
「……良いの?」
彼女の言葉に頷くと、魔法陣が輝きを放つ。
「じゃあ、やるから。痛みのショックで気を失わないでね」
そして術式が発動した。
物凄く痛いなんてものじゃなかった。
エルダーリッチの召喚した【骸骨騎士】が持っていた剣に貫かれた時以上に痛み、体がバラバラにされるんじゃないかと思った。
たぶん、無様に叫び声を上げながら転げ回っていたのではなかろうか。痛みのせいで気を失うこともできず、俺は修復が終わるまで激痛を味わうことになった。
しばらくすると、ようやく激痛は収まったが、カルロスとの激しい戦闘の直後でのことだったので疲労がピークに達していたのかもしれない。俺の意識は朦朧としていた。
「ヤッホー。聞こえる?」
「う、あ……?」
いつの間にか横たわっていたらしい。俺は視線を彼女に向ける。燐光で姿を隠したままなので本当にそうなのかは分からないが、まるでこちらを覗き込んでいるようだった。
「術は無事に成功したよ。これでキミは生きることができる。まさか副作用がこんな形で現れるとは思わなかったけど、まぁ生きる分には問題ないんじゃない? 戦闘においてはむしろ大いに役立つと思うし。私生活には問題が出そうだけど」
ふくさよう? あぁ、副作用か。
そうか。結局、副作用は出たのか。
「ここから外に出るには……水路のルートがあるじゃん。しかも直通で外の川と繋がっているみたいだし、ラッキー」
独り言のように言う彼女に、俺は嫌な予感がした。
ちょっと、待て。
一体何をしようと……
「え、ぁ……」
不穏な空気に苦言を呈しようとしたが、上手く言葉にすることができない。そんな俺を尻目に、彼女は魔法陣を展開する。
「ついでだから外に出して上げる。今のままだと衰弱死しちゃうし、人が近くにいる場所まで流すわ。水中でも息ができるようにしておくから安心して。――【海王の激流】」
待てそれ中級の水属性魔術っ!!
思った瞬間、ダンジョンの向こう側からドドドドッと激流が流れ込んできて俺を飲み込んだ。激流はそのままこのフロアの端にある地上への近道になっている水路へと入っていく。
当然、俺もそこへ流されていく。
「じゃ、頑張ってね」
あまりにも雑過ぎる脱出方法に憤慨しながら、俺はそんな言葉を聞いたのだった。
錐揉みのように体を揺さ振られながら流され、前後不覚状態になりつつどうにか耐えて、ようやく陸地に打ち上げられた。上半身は砂利の感触が、下半身は緩やかに流れる川の流れを感じる。
ここはどこだろうか。随分と長い間流されていた気がする。
周囲に木々が生い茂っているから、森の中だろうか。
ならすぐに移動しなければ魔物や肉食動物に喰われてしまう。
頭では分かっているのに、体は指一つ動かない。それどころか、今にも気絶しそうな状態だった。
その時、何かが近付いてくる気配を感じた。
魔物? いや、これは――人か。
予想を立てていると、木々の向こうからその気配の主が姿を現した。視界がぼやけてしまって、わずかに輪郭が分かる程度にしか認識できなかったが、現れたのは人だった。
「――!? ――!!」
その人物は俺を見付けて何かを叫んでいるようだったが、それを上手く聞き取ることができず、何を言っているのかさっぱり分からない。けれど、聞こえてきた鈴の音のようなその声に、俺は懐かしさを感じた。
その人物はこちらに駆け寄って来るが、俺の意識はドンドン遠退いていく。
「……」
完全に気を失う直前に見た、風に揺れたその長髪は、どこか見覚えのある綺麗な黄金色だった。




