第26話 レッツ、逢引き!
◇◆◇
午後一時ちょうど。
私――姫川紗菜は阿頼耶君と約束していた王城の門の前に向かっていた。
服装はこちらの世界の服装。ブラウスに膝丈のスカート、ストールだ。
ただでさえ異世界人は目立つから、町娘風の恰好をしたんだけど……変じゃないよね?
優李ちゃんにも確認してもらったし、大丈夫とは思うけど……ダメ。一回気にするとずっと気になっちゃう。
「や、やっぱり一度部屋に戻って確認を……」
「何を確認するんだ?」
「わひゃああああああ!!!!」
いきなりの声に驚いて後ろを振り返ると、そこには阿頼耶君が立っていた。
な、何で阿頼耶君がここに!?
いや、約束してた場所の門の前に向かう途中だろうから遭遇しそうではあるけど!
それでも何で!?
「ていうか、何で気配を消すの!? ビックリしたよ!」
こっちでの訓練のおかげもあって、私は【気配察知】スキルのレベルが2になった。まだ優李ちゃんほどの精度はないけど、それでもある程度気配を感じることはできる。なのに、阿頼耶君の気配は感じなかった。それはつまり、彼はあえて気配を消して話しかけてきたということになる。
「何でって、そんなの……普通に話しかけたら面白くないからに決まってるだろ」
「確信犯!?」
そんな良い笑顔で言われてもやってることはただの意地悪だからね!?
「まぁそれは置いておいて。その恰好ってこっちの世界での服装か?」
酷い。割と雑に流された。
阿頼耶君って根っこの部分は優しいんだと思うけど、本当はサディストだと思う。
たまにこうやってイジメてくるし。
まぁ、こういう一面も持ってるから、責めネタとして扱えるんだけど。
気を取り直して「こほん」と咳払いをする。
「えっと、どうかな? 似合う?」
問われ、阿頼耶君は全体的に私の姿を捉えるために一歩下がる。一瞬で目付きが鋭いものに変わり、顎に手を当てて頭から爪先まで視線を流す。
じ、自分で似合うかどうか聞いておいて何だけど、改めて見られるとちょっと緊張するなぁ。
普段の阿頼耶君もたまにポロっと辛辣なことを言う時があるけど、こういう時は絶対に容赦のない評価を下すんだよね。しかも似合わなかったら「似合わない」ってバッサリと真正面から斬ってくる形で。
まぁ、忌憚のない意見だし、こうした方が良いって助言もくれるからありがたいと言えばありがたいんだけどね。その度に心が折れそうになるけど。
しばらく観察した彼は満足したように「ふむ」と息を吐いた。
「良く似合ってると思う。まるで良家のお嬢様みたいだ」
「そ、そっか。うん。良かった」
本当に良かった。
やっぱり、優李ちゃんにも手伝ってもらって良かったよ。
「あぁ、そうだ。忘れるところだった」
そう言って、彼はポケットから何かを取り出してそれを私に差し出した。
それを見た瞬間――
「きゃああああああああああああ!!!!」
私はさっきよりも甲高い叫び声を上げて、彼からそれ――私のネタ帳(BL内容ギッシリの)を奪い取った。
「何で!? 何で阿頼耶君が私のネタ帳を持ってるの!?」
「さっき部屋を出ようとしたら見付けたんだよ。たぶん、今朝俺の部屋に来た時に落としたんじゃないかな?」
あの時に!?
確かにいつも持ち歩いてるけど、まさか阿頼耶君の部屋で落とすなんて……こんなことなら置いて来ればよかった。
そう後悔していると、ふとあることに気付いた。
「……ま、まさかだけど。中身見た?」
問われた阿頼耶君は一拍置いて口を開く。
「……いくら異世界に来たからって騎士団長と第一王子の禁断の恋なんて書かなくてもいいと思うな」
「いやーーーーーーーーーーーー!!!!」
久々の阿頼耶君とのデートは、私の絶叫で幕を開ける羽目になった。
落ち込んだ気持ちを引き締め直して、王都へと出た私と阿頼耶君は一先ず道具屋に足を運ぶことにした。
「それだったら安くて品揃えの良い店を知ってるぞ」
「それって、『ライナー武具店』のこと? 豊富な品揃えと高い品質が売りで、王都でも一番のお店なんだよね」
「良く知ってるな。けど残念。俺が言ってるのはそこじゃない」
え? そのお店以外の所に行くの?
ダンジョンに潜るんだし、良い物を買った方がいいと思うんだけど。
「『ライナー武具店』じゃダメなの?」
「別にダメってわけじゃないけどな。あそこは確かに品質も品揃えも良いが、代わりに値段が割高なんだよ。武器や防具ならあの店が良いけど、回復薬や薬なんかの消耗品を揃えるなら、できるだけ安い方がいい」
「阿頼耶君の知ってるお店なら、安く買えるの?」
「あぁ、それに品質も充分だからな。冒険者の間だと割と有名な店だ」
……冒険者?
「何で阿頼耶君が冒険者事情を知ってるの?」
「……まぁ、いろいろとな」
「ふぅん?」
彼も王都に出てたし、その時にこっちの世界の人と話でもして知ったのかな?
「見えてきたな。あの店だよ」
その方向に視線を向けると、そこには民家にしか見えない建物があった。
ここが、そのお店なの?
ていうか本当にお店なの?
「ここがそのお店なの? 看板も何もないよ?」
「民家をそのまま店にしたからこんな外観らしい。けど、普通の店だから心配はいらない」
あ、だから見た目は民家なんだね。
けど、すぐにお店だって分からないんだから建て直せばいいのに。
お金がなかったとか?
阿頼耶君に続いてお店の中に入ると、私は目を見張った。
ひっそりと静まり返った店内の壁一面には商品棚が並んでいる。その中には回復薬や魔力回復薬の他にも傷薬、腫れ止めといった薬も並べられていた。その他にも透明な瓶の中にホルマリン漬けにされた蛇の魔物や、何に使うのかよく分からない道具なんかもあった。
総合的に判断して、完全に怪しいお店だった。
「(阿頼耶君! これのどこが普通のお店なの?)」
あまり大声を出さないように声量を抑えて阿頼耶君に抗議するけど、彼はしれっとしていた。
「貧民街にある闇市よりは普通だと思うけどな」
「(何で凄く物騒なものを比較対象に選んでるのかな!?)」
ヒソヒソと話をしていると、お店の奥にいた店員さんが声をかけてきた。
「いらっしゃい。今日は何をご所望で?」
話しかけてきたのは眼鏡をかけた女性だった。年齢は私たちより少し上くらいで、穏やかな雰囲気を出している。このお店の雰囲気とは全く合ってなかった。
「回復薬と魔力回復薬、解毒薬をそれぞれ中位の物を三本。それと傷薬と腫れ止め、縫合のための針と糸をください」
彼の言葉に私は目を丸くした。
え? そこまで買うの!?
「ちょ、ちょっと阿頼耶君、買い過ぎじゃない?」
「そんなことはないよ。ダンジョンに潜るんだし、これくらいはないと」
「おや? お客さんたち、ダンジョンに潜るんですか? でしたらそちらのお兄さんの注文の量は間違いじゃないですよ。ダンジョンには凶暴な魔物はもちろんのこと、罠なんかもありますからね。何が起こるか分からないですよ」
……そういうものなの?
「お連れのお客様はダンジョンに潜るのは初めてみたいですね」
「あぁ。彼女には俺の注文した内容の他にも小型ナイフ、ロープ、フック、ランタン、火口箱、調理道具と食器を一式、小型ハンマー、楔を十本ほどお願いします」
「ご用意はできますけど、持ち運び用の背負い袋はどういたしますか?」
「俺も彼女も【虚空庫の指輪】を持っているので、大丈夫です」
「あ、じゃあ問題ありませんね。すぐにご用意しますので、少々お待ちください」
軽く頭を下げた後、店員さんは奥に引っ込んでいった。
私は自身の右手に視線を落とす。
右手の人差し指には単純な細工が施された指輪があった。亜空間に物を収納することができる魔道具【虚空庫の指輪】。オクタンティス王国側から支給された物で、勇者全員が持っている。阿頼耶君も貰ってるみたいで、彼の手にも【虚空庫の指輪】が着けられていた。
このお店だけでかなり買うことになるけど、容量は大体十畳ほどみたいだし大丈夫だよね?
「さて、準備ができるまで時間がかかるだろうし、少し店内を見ようか」
「……この店内を?」
こんな、おどろおどろしい店内を?
見て周っても、危ない物しかないように見えるんだけど。
「まぁ、見た感じはアレだけど、命に関るようなものはないよ。そういうのは厳重に管理してるみたいだから」
そう言って笑った阿頼耶君は店内を見て周りに行ってしまった。
命に関るようなものは厳重に管理してるって言われても、そうじゃなくても危なそうなのはあると思うんだけどなぁ。
しょうがない。私も店内を見て周ろう。
◇◆◇
どうやら姫川さんも店内を見て周ることにしたようで、俺――雨霧阿頼耶は内心でほっとした。
危なかった。うっかり冒険者のことを口にして、俺が冒険者として活動していることが悟られるところだった。幸い、姫川さんは深く追求してくることはなかったから大事には至らなかったけど、言動には注意しないとな。
一緒に出歩いているから、知り合いに見付かったりしたら面倒そうだけど。
クラスメイトたちはもちろんのこと、俺が受けた依頼の依頼人だったり、顔見知りの冒険者だったり、気を付けることは多そうだ。
【気配察知】と【魔力感知】のスキルを駆使すれば、まぁどうにかなるだろう。
改めて店内を見る。この店には一度セツナと共に訪れたことがある。ダンジョンに潜る前、道具を揃える時に利用した店だ。今日は眼鏡をかけた年上の女性が対応してくれたが、セツナと来た時は骨のように痩せた老婆が対応してくれた。店の雰囲気と相まって不気味な人だったが、話せば意外と普通の人だった。
どうやら先程の女性と老婆の二人で経営してるみたいだな。今日はいないから姫川さんに悟られる心配もないので、俺は安心した。
「……ん?」
店内を歩いていると、古びた本に目が止まった。
ハードカバーの本並みに大きく、分厚い本だ。
魔力を感じるな。これ、魔導書か?
魔導書とは魔術の手引書のような物で、様々な魔術の術式だったり呪文だったり必要な触媒だったりが書かれている。魔術師にとっては喉から手が出るほど欲しい物らしいのだが、どれもこれも高額であるため中々手が届きにくい代物だ。
魔導書の中には持っているだけで危険な物もあるみたいだが、さすがにこの魔導書はそんな危険な物ではないだろう。そんな物をこんな目の付く所に置くわけもないし。
試しに手に取って中身を見てみる。情報流出を防ぐために魔導書事態に何からしらの魔術をかけているようで、ほとんどの内容が黒く塗り潰されていた。おそらく購入したら見れるようになるのだろう。だが、僅かに見れる術式の羅列を見て、俺は思わず眉を顰めた。
これは何だ? 見たことのない言語で書かれてるぞ。
こっちの世界の公用語であるユルド語でも、魔術言語であるルーン文字でもない。もちろん、日本語でもない。
困ったな。
魔導書だからルーン語で書かれてると思ってたんだが、全然読めない。
「どうしたものか」
魔導書は貴重なものだ。中々お目にかかれない。だから術式の一部でも見ることができればなと思ってたんだけど……いや、待てよ。もしかしたら彼女なら分かるかもしれない。
早速、俺は彼女を念話で呼び出すことにした。
『セツナ、聞こえるか?』
初めて念話を使うが、これで良いはず。ちゃんと伝わっていれば良いんだけど。
『はい。聞こえますよ、先輩。どうかしましたか?』
鈴を転がしたような綺麗な声が頭に響く。
あぁ、良かった。ちゃんと伝わっていたみたいだ。
『前に寄った道具屋で魔導書を見付けたんだけど、中身がユルド語でもルーン文字でも書かれてなくて読めなかったんだ』
『それでどうして私に?』
『ほら、セツナは魔術学園に通ってただろ? だからもしかしたら読めるかもって思ってな』
答えると、「あぁ」と彼女は納得したようだ。
『そういうことですか。どんな文字なんです?』
『こんな文字なんだけど』
念話を通じて魔導書に書かれている文字をイメージしてセツナに伝えると、彼女は驚いたような反応を示した。
『これ、エノク語じゃないですか!』
『エノク語?』
はて、それはどんな言語なんだ?
『エノク語とは天使語とも呼ばれ、その名の通り天族が使う言語のことです。天族は神の眷属で、その役割は死した魂を神の元へと導くことと言われています。そのため、エノク語で書かれている魔導書には魂に関わる魔術が記載されているんです』
魂の魔術か。それはまた凄いな。
『ただ、エノク語の魔術は例外なく神聖属性の適性がないと使えないので、実質、天族、龍族、神族の三つの種族にしか使うことができません』
『じゃあ人間族の俺が読んだところであまり意味はないのか』
『学術的な価値はありますけど、戦闘面では役に立ちませんね。使えませんし。けど、術式を構築する参考にはなるのでは? 既存の術式を組み替えることができる先輩なら、有効に活用できると思いますよ』
『なるほどな。セツナはエノク語を読むことは?』
『できますよ。念話越しですが、読み方と意味を教えますね』
注文の品が用意できるまで、俺はセツナにエノク語を教えてもらうことになった。
道具屋で準備を済ませた俺たちはお店の外に出た。
店内が薄暗かったせいか、外に出たら陽の光が眩しくて思わず目を細めた。
「ほとんど揃っちゃったね。他に必要な物ってある?」
「いや、特にはないかな。他の奴らも準備はしてるだろうし、これだけあれば充分だろう」
本当はセツナが持っていた結界を張ることができる長距離旅行用のランタンも買っておきたかったが、アレは一人や二人とか人数の少ない時にこそ必要な物だし、今回は基本的に三人一組だしな。交代で見張りを立てれば問題ないから見送った。
さて、これからどうしたものか。
王都に出てから一時間しか経っていない。
城に戻るには早すぎるし、かと言ってすることもない。
ギルドに行って、依頼でも受けようかな?
「これからどこに行こっか? どこかオススメの場所とかあったりする?」
どうやら姫川さんはこのまま俺と王都を周るつもりらしい。
まぁ、特に用事もないし問題はないけどな。
ただ、オススメの場所と言われても困る。
俺はギルドで依頼ばかりしてたから、そういうのには疎い。
「適当に歩いてみよう。それで気になる店があったら入るっていうのはどうだ?」
「決まりだね。じゃあ、早速行こう!」
声高らかに、姫川さんは歩き出した。
それから二時間後。王都の南にある広場の噴水に腰掛けた俺は深く息を吐いた。
疲れた。
俺から提案したこととはいえ、まさか目に入る店のほとんどを回ることになるとは思わなかった。ランジェリーショップに連れて行かれそうになった時は逃げようかと本気で思った。体力的には問題ないが、精神的にドッと疲れたな。
「ムフフ~」
グロッキーな俺とは正反対に、隣に座ってクレープを食べる姫川さんはご満悦だった。
今まで姫川さんや委員長とは出掛けることを避けてたけど……こんなに喜ぶんだったら避けるんじゃなかったな。
「美味いか?」
「うん! とっても!」
「そりゃ良かった」
それだけ喜んでくれるんだなら、奢った甲斐があったってもんだよ。
「異世界、かぁ」
クレープを食べていた姫川さんは、ふと言葉を漏らした。
「不思議だよね。漫画や小説で異世界ものの話は何度も見たけど、まさか自分が異世界転移するなんて夢にも思わなかったよ」
「まぁ、普通は想像できないよな」
「今でもあまり実感がないよ、ここが異世界だなんて。他の種族も見たことないし」
アストラルには大別すれば人間族、獣人族、巨人族、妖精族、魔族、天族、龍族、神族の八種類の種族が存在する。
それなのに彼女が未だに他種族を見たことがないのは、このオクタンティス王国が人間優位の国家で他の種族が少ないからだろうな。
「お父さんとお母さんは元気かな?」
「ご両親なら元気だろう。陽気な人たちだからな。ただ、かなり心配してるだろうな」
「……そう、だよね」
心配してるだろう、という俺の言葉に彼女は一気に落ち込んでしまった。
しまった。悲しませるつもりはなかったんだが、つい口が滑った。
こういう時、ズケズケと言ってしまう自分の性格が恨めしく思う。もう少しオブラートに包むことができれば、無暗に傷付けることもないんだがな。
「私たち、地球に帰れるかな?」
「今のままだと無理だろうな」
また傷付ける。そう分かっていても、俺は本当のことを口にした。
オブラートに包む言い方が分からないというのもあるが、それ以上に、こういうことはハッキリ言った方が良いと思ったからだ。
「地球に戻るには、魔王が知っているらしい【勇者送還の儀式】って奴を聞き出すしかないと王国側は言ってる。そのためには、魔王軍と魔王を倒さないといけない。今のままじゃ、そこら辺の兵士にだって負ける」
そんな奴らが魔王を倒すことなんて夢のまた夢だ。
「そうだよね。……今の私たちには、圧倒的に力が足りないよね」
「だから他の方法がないか探す」
「え?」
俯いてた顔を上げた姫川さんは目を丸くして驚いていた。
「どうやらこの世界は異世界人の存在が高く認知されているみたいだ。中には今回みたいに【勇者召喚の儀式】で呼ばれた異世界人もいれば、神隠しみたいに全くの偶然でこっちの世界に紛れ込んだ異世界人、あるいは地球で死んでこっちの世界で転生した異世界人もいるらしい」
ちなみに、俺たちのような世界を超えて渡る者を【転移者】と呼び、異世界で生まれ変わる者のことを【転生者】と呼ぶらしい。
「これがどういうことか分かるか?」
「え? えっと……それって、召喚される以外にも世界を渡る方法があるってこと?」
「そうだ。そして召喚以外で地球からアストラルに来ることができるなら、その逆もあるのが道理だ」
そこまで言って、姫川さんは合点がいったのだろう。彼女は「あっ」と声を漏らした。
「つまり、【勇者送還の儀式】以外にも地球に帰る方法があるってこと!?」
「何の証拠もないから確証はない。けど、全くないとも言い切れないだろうな」
「阿頼耶君はそれを調べてるの?」
彼女の言葉に俺は肩を竦める。
「調べてはいるけど、上手くいかなくてな」
今も【勇者召喚の儀式】に関して調べようとしているが上手くいっていない。さすがに国家機密レベルの情報を調べるのは簡単じゃなかった。俺たちを召喚した儀式場にも足を運んだが、どうやら一度の召喚で術式や触媒は消滅してしまうようで、儀式場には何も残っていなかった。
ならば蔵書室には?と思って漁ってみたがそこにも詳しい術式を記載した書物は見付けられなかった。ただ、蔵書室の最奥には禁書庫という、閲覧禁止の部屋がある。おそらくそこになら、【勇者召喚の儀式】が詳しく記された書物があるかもしれないが……まぁ、普通に考えて閲覧を許可してくれるわけないよな。そういった所にはこの国の政治に関わる書物なんかもあるだろうし、閲覧許可を出して見られてはいけないものを見られましたなんてことにもなりかねない。
もしそんなことになったら間違いなく俺は消されるだろう。
はてさて、どうしたものか。
消されるのは御免被るが、かといって【勇者召喚の儀式】の情報は欲しいとなると……仕方ない。忍び込むか。
不法侵入なんてしたくはないが、向こうが隠すのだから仕方ない。ということにしておこう。
問題はどうやって忍び込むかだ。警備の時間や、禁書庫への侵入方法、警戒レベルなんかも調べないといけない。今回のダンジョン探索が終わったら、早速調べてみるか。
「何も分かってない状態、か。でも望みはあるんだよね?」
「そう思って大丈夫だと思う」
姫川さんの言葉に俺は頷く。
少なくとも、【勇者召喚の儀式】を調べれば、そこから逆算して反対の術式――つまり地球に帰るための術式を組むことができるだろうしな。
「そっか。そっか。良かったぁ」
不安が晴れたように、姫川さんは満面の笑みを浮かべた。
早く地球に帰してやらないとな。
俺はもう地球に帰るつもりはサラサラないし、親も俺がアストラルに行くことは知っているが、姫川さんたちはいきなりこっちの世界に来て、しかもそのご両親たちは何も知らない。
きっと、行方不明扱いされていることだろう。心配もしているだろうし、何より帰るのが遅れれば、その分だけ学力的にマズいことになる。一ヶ月程度の今ならまだどうにかなる。けれど、これが二年、三年と伸びれば、帰った時、学力的に周囲と差が開き、留年という扱いを受けることは大いに予想できる。
それは避けられないかもしれないが、できるだけ早く帰してやりたい。
「さて、そろそろ行こうか。次はどこに行く?」
「そうだね。……ん?」
立ち上がって姫川さんに聞くと、悩んだ彼女はふと何かに気付いたような声を上げた。
「どうした?」
「アレ、何だろう?」
彼女が指差した方を見ると、そこには人だかりが出来ていた。
何だ?
「行ってみようよ、阿頼耶君」
姫川さんに連れられ、その人だかりに向かって行った。
◇◆◇
人混みを掻き分けて前に出た私――姫川紗菜は目の前の光景に唖然とした。
人だかりの原因は喧嘩なんかじゃなかったけど、ある意味では喧嘩よりも酷かった。目の前で行われているのはカードゲーム。多分ポーカーだと思うけど、それを四人の男性がテーブルを囲んでゲームをしていた。
ただ、その一人に問題があった。
「お、岡崎君?」
クラスメイトの岡崎君がそのゲームに混ざっていた。下着姿で。
バッと私は顔を逸らして手で顔を覆う。
え? え??
な、何がどうなってるの!?
何で岡崎君、こんな所で下着姿になってるの!?
「……何してるんだよ、修司」
呆れた声で阿頼耶君が岡崎君に声をかけた。
指の間からチラリと様子を窺うと、阿頼耶君の声を聞いた岡崎君は後ろを振り返り、そして涙目を浮かべた。あ、こんな岡崎君を見るの初めてかも。
「あ、阿頼耶ぁぁ~」
「あぁ、もう。情けない声を出すな。何があったのか説明しろ」
「じ、実は午前中に王都に出て散策をしてたんだけど、その時にこの人たちにポーカーをしないかって誘われて……そうしたらみるみるこんなことに」
それを聞いて阿頼耶君は手で顔を覆い、天を仰いだ。
それって、もしかして……
「カモられたのか」
あぁ、やっぱりそういうことなんだね。
「おいおい兄ちゃん。逃げんなよ?」
「男なら最後までやっていこうぜぇ」
「ほら、次は何を賭けるよ」
三人の男性は下卑た笑みを浮かべて岡崎君を勝負に誘う。
身包み全部剥ぎ取ったっていうのに、これ以上何を取ろうっていうんだろう。
何とかやめさせようと口を開いた所で、阿頼耶君がテーブルの上にドサッと金袋を一つ置いた。
え? 阿頼耶君?
「その中に百万入ってる。修司の身包み全部とそれを賭けて俺と勝負しないか?」
彼の言葉に周囲が絶句する。
「お、おい。百万って本当か?」
「どう見たってガキだぜ? いくら何でも嘘だろ」
「いや、でもアイツって確か最近Bランクになった冒険者の……」
周囲の野次馬がざわざわと騒ぐ。岡崎君をゲームに誘った三人も百万もあるなんて思わなかったようで、金袋の中を確認したが目を丸くした。
「おいおいマジかよ。マジで百万あるぜ」
っ!?
ほ、本当に百万もあるの!?
ちょっと阿頼耶君!? どうやってそんなお金を稼いだの!?
疑問をぶつけたかったけど、それより状況が先に進んでしまう。
「いいぜ。気に入った! そっちの兄ちゃんにチェンジでゲームを再開するぜ!」
「ま、待てよ! 阿頼耶は関係ねぇ! やるなら俺が……!」
岡崎君は阿頼耶君を巻き込まないようにしようとするけど、阿頼耶君自身がそれを阻止した。彼を半ば無理矢理立たせ、立ち位置を交代する。
「まぁここは任せとけ、修司」
「け、けど阿頼耶!」
「姫川さん、修司を頼む。ほら、修司。このコートでも着てろ」
そう言って【虚空庫の指輪】から黒いコートを出して岡崎君に投げ渡した彼は席につく。岡崎君は不承不承といった感じでコートを着用し、私の隣に立った。その顔は不安と焦燥に染まっていて、どこか後悔しているみたいだった。
けれど、私は心配なんてしていなかった。
「大丈夫だよ、岡崎君」
「大丈夫って……だってあの三人は」
「分かってる」
きっとあの三人はグルでイカサマして岡崎君は嵌めたんだ。じゃないと一人だけ身包みを剥がされることになんてならないもん。だから岡崎君はそのことを言おうとしてたけど、それでも問題ないんだよね。
「大丈夫。あの程度で負けるくらいなら、私は救われることなんてなかったから」
私の言葉の意味が分からなかったみたいで、岡崎君は眉を顰めたけど、それは一時間後に驚愕の表情に変わることになった。
一時間後。
形勢は逆転していた。
「コール」
阿頼耶君の言葉で四人が手札を晒す。三人の内、一人はワンペア、一人はスリーカード、一人はストレートだったけど、対する阿頼耶君はフルハウスだった。
「はい。また俺の勝ちだな」
「「「ぐあああ!! ちくしょう!!!!」」」
下着一枚になって身包み全部剥がされた三人はカードを放り投げる。
そう。阿頼耶君はゲームを始めてから一度も負けず、三人に圧勝したのだ。
「さぁ、どうする? まだやるっていうんなら、ケツの穴の毛までむしり取ってやるが?」
うわぁ。あくどい顔してる。
ニコニコと笑顔で言ってるけど、目が全然笑ってないよ、阿頼耶君。
続けるなら本当に根こそぎ奪い取る気だよね。
「「「ひっ!? す、すいません!! 勘弁してください!!!!」」」
その笑顔に危険を感じたようで、三人は引き攣った顔で土下座する。その後、阿頼耶君は岡崎君の荷物を全て回収し、三人の男性はそそくさと逃げて行った。その時に岡崎君は三人の男性に荷物を返していた。優しいね、岡崎君。阿頼耶君は不満そうだったけど。
ゲームが終わったと判断した野次馬たちも蜘蛛の子を散らすように去っていく。
「本当にアイツらに荷物を返して良かったのか、修司?」
全員がいなくなって、私たちは三人で王城へと向かいながら歩いていると、阿頼耶君は岡崎君にそう訊いた。
「あぁ。俺の荷物は戻って来たし。そもそも俺が迂闊だったのが原因だったしな。けど阿頼耶、お前があんなにギャンブルが強いだなんて知らなかったぜぇ」
「だってイカサマしてたし」
「……は? い、イカサマ!?」
驚いて目を丸くする岡崎君に対し、阿頼耶君は何でもない感じで肯定した。
「昔ちょっといろいろあってな。イカサマの技を磨く機会があったんだよ。そもそもあの三人の手癖の悪さも稚拙だったからチョロかったけどな。まぁそうでなくても、カードで負ける気なんてしないが」
「そ、そんなことしてたのかよぉ」
「先に仕掛けてきたのは向こうだ。博打なんて勝てば良い。あっちだって三人グルでやってきたんだから文句を言われる筋合いもないしな。容赦なんかしない」
はっはっはっはっはっ!と阿頼耶君は悪役のように高らかに笑うけど、岡崎君は若干引いていた。
岡崎君、阿頼耶君が凄腕のイカサマ師だってことを知らなかったんだね。知らなくてもいいことを知られちゃったし、何だか悪いことしちゃったな。
「姫川は、阿頼耶がイカサマできることを知ってたのか?」
「え? あー、うん。まぁね」
ていうか、彼がイカサマの技を磨くことになったのは、私のせいでもあるし。
目の前を歩く阿頼耶君の後ろ姿を見ながら、隣を歩く岡崎君に話す。
「中学二年生の時だから、三年くらい前になるかな。その頃、私の家は借金を抱えていたの」
「借金を?」
「うん。確か、三千万円くらいだったかな? お父さんが古いお友達の連帯保証人になってね。借金を作ったまま逃げちゃったの。そのせいで私の家に被害が出て、家の家財道具は差し押さえ、一家離散間際、私自身も売り飛ばされそうになったの」
売り飛ばされそうになった、という言葉に驚いたのかな。岡崎君は目を丸くした。
「借金を返す当てもなくて、もうどうしようもなくなった時、阿頼耶君がやってきたの」
あの時の阿頼耶君は私と優李ちゃんから逃げてたから、私の事情を知る機会なんてなかったのに、どうやってか知って、私の前に姿を見せた。もう一度会いたいなって思ってた時に、会いたかった人に会えた。それだけで充分だったのに、彼は救いの手を差し伸べてくれた。
「『家の事情だからなんだ。そんなものが手を差し伸べちゃいけない理由にはならない。俺がきっとどうにかしてみせる。キミは一言、言うべき言葉を言えば良い』」
「……阿頼耶らしい言葉だな」
岡崎君も阿頼耶君に救われた過去を持っている。その時のことを思い出しているんだろうね。懐かしそうな顔を浮かべている。
「だよね。それで私は彼に助けを求めて、彼は『承った』って言ってくれた」
そして言葉の通り、私を救い出してくれた。
「違法賭博場に潜って、イカサマをして三千万円もの大金を稼いで借金を返済してくれたの」
「その違法賭博場はどうなったんだ?」
「後で知ったんだけど、匿名でタレコミがあったみたいでね。摘発されて潰れたみたいだよ。多分、阿頼耶君がお金を貯めた段階で密告したんだと思う。それにそれだけじゃなくてね。お父さんのお友達がお金を借りてた所も、いわゆる闇金融だったみたいでね。そこも警察のご用になってたよ」
「……何か、手際良すぎじゃね? 当時の阿頼耶って十四歳だったんだよなぁ?」
「あ、あはは」
思わず乾いた笑みが零れる。
あの時から阿頼耶君って、普段はのんびりしてるのに、いざとなったら年齢にそぐわないほどの頭の切れと、常軌を逸した行動力を見せてたからね。ホント、違法賭博場の場所だとか、闇金融摘発のための証拠集めとか、どうやったのやら。
違法賭博場のこととか、闇金融のこととかは刑事さんが教えてくれたから知ることができたけど、阿頼耶君自身が何をどうしたのかは、彼は未だに話してくれないんだよね。分かったのは、私たち姫川一家に事情を説明しに来てくれた刑事さんと阿頼耶君は知り合いみたいだってことくらいだったけど。
「けどまぁ、理解したぜぇ。阿頼耶のあのイカサマの腕は、姫川の問題を解決するために得たものなんだな。昔から、阿頼耶は阿頼耶なんだなぁ」
自分が知る前の彼も変わらず彼であったことに喜びを感じているみたいで、岡崎君は前を歩く阿頼耶君を見ながら嬉しそうな笑みを浮かべた。
「おーい! 何してんだ、二人共! 置いて行くぞ!」
前を歩く阿頼耶君が振り返ってこっちに手を振る。
話してる間に距離が離されてたみたいだね。
私と岡崎君は苦笑を浮かべて、阿頼耶君の方へと駆けて行った。
◇◆◇
午後七時半。
私――椚優李は自室から外の景色を眺めていた。
外はすでに暗く、夜特有の静けさに満ちていた。
「はぁ」
その静けさの中で私は溜め息を吐いた。
視線を外からテーブルの上にある紙に落とす。そこに書かれているのは、今日一日でクラスメイトたちがやらかした問題行為の数々だ。私が直接王都に行って目にしたものもあれば、住民たちや騎士たちから聞き取り調査をしたものもある。
「相変わらず、アイツらは碌なことをしないわね」
紙に書かれてある問題行為の大半は立川を筆頭とした問題児たちが起こしたもので、住民たちへの横柄な態度、暴力行為、無銭飲食など上げたらキリがない。
今回は珍しく岡崎も問題を起こしたけど、これはどちらかと言うと巻き込まれた感じね。カモられるなんて運がないわね。ま、阿頼耶のおかげで解決したみたいだけど。
またあの手癖の悪さで相手をボロボロに負かしたんでしょうね。
あのニヤリとした黒い笑顔が目に浮かぶわ。
まぁ、大事にならなかったからそっちは別に良いんだけど、それでも問題はまだ山積みなのよね。
特にこの……娼館通いって何よ!
男子ども、こんな所に行ってるの!?
本当にもう! これだから男は!
エッチなことばかり考えて!
異世界に来て、やることは山のようにあるってのに!
性病にでもかかったらどうするのよ!
「あ~~~もう~~~!!」
ガリガリと乱暴に頭を掻く。
ダメだ。
あっちもこっちも問題だらけで頭の中がこんがらがってきた。
「こういう時は、運動するのが一番ね」
ぐちゃぐちゃした状態で考えても良案なんて浮かばない。一度スッキリした方が頭も回るわ。
場所は……訓練場で良いか。
あそこなら静かで余計な邪魔も入らないし。
部屋に置いてある木剣を持って外に出る。すると、珍しい人物と遭遇した。
「あれ? 阿頼耶?」
「よう、委員長」
道端で偶然会ったような調子で、阿頼耶は手を上げてこちらに近付く。
「アンタがこんな時間に出歩くなんて珍しいわね。いつもは部屋に籠って調べ物をしてるのに」
「明日はダンジョン探索だからな。同じグループの佐々崎さん、長瀬さん、結城の三人と打ち合わせをしてたんだ。今は部屋に戻ろうとしてる所さ。そういう委員長は……何か嫌なことでもあったのか?」
ふと、彼はいきなりそんなことを言い出した。
いや、まぁ確かに問題ばかり起こされて嫌な気分にはなってるけど。
「何で分かったの?」
「木剣を持ってるしな。お前のことだから訓練場にでも行って素振りをしようと思ってたんだろ? お前は昔から何かあると体を動かそうとするからな」
「……」
……いけない。顔がにやける。
私のことを理解してるって分かっただけで嬉しくなるなんて……こんなにチョロいつもりはなかったんだけどなぁ。
咳払いをしてにやけそうになるのどうにか堪える。
「な、ならちょうど良いわ。これから私に付き合いなさいよ」
「今からか? 明日に響くぞ?」
「そこまで激しくやるつもりはないわよ。ちょっとした手合わせ程度。それにダンジョンって暗いみたいだし、闇稽古してればちょっとは慣れるでしょ?」
一朝一夕でできれば苦労はないんだけどね。まぁ、やらないよりはマシよね。
私の言葉に阿頼耶は顎に手を当てて思案すると首肯した。
「委員長の言うことにも一理あるな。付き合おう」
私は心の中でガッツポーズをした。
真っ暗な訓練場に金属音が響く。
阿頼耶の持つロングソードと、私の聖剣アロンダイトがぶつかり合う音だ。明かりはない。闇稽古という名目の通り、明かりは一切排除して戦っている。
別に木剣でやっても良かったんだけど、どうせなら緊張感を持った方が良いだろうと思って真剣でやってる。
まぁ、怪我をしても【治癒】の魔術で治せるから問題もないしね。
上段からの攻撃を阿頼耶は剣身で滑らせて逸らし、そのままカウンダ―でこちらを攻撃する。私はそれを、顔を逸らすことで回避し、アロンダイトを下から斬り上げる。私の攻撃は阿頼耶の剣の柄に当たって、彼は強制的に両手を上げられる体勢になるが、瞬時に脇を絞って剣を戻して突きを放ってきた。
それを私は横に移動して回避しながらアロンダイトを振る。彼の剣を弾き、私たちはお互いに距離を取った。
「ふぅ……」
浅く息を吐く。
全く。暗いから姿はハッキリ見えないっていうのに、よくもまぁここまで動けるわね。
阿頼耶は五年のブランクがあるけど、それを感じさせないほど剣筋が鋭く、反応も迅い。普通は五年も剣を握らなかったら体が鈍って、こんなに動くことなんてできないんだけどね。やっぱり彼には剣の才能がある。
いや、剣の才能っていうよりも戦いの才能ね。夜月神明流を辞めずにずっと続けていたら、彼は私よりも強い剣士になれたんじゃないかしら?
ただ、ちょっとだけ違和感を覚える。
こうして手合わせをして分かったけど、私と阿頼耶の力量は拮抗している。五年のブランクやステータス値の差を考えたら信じられないことだけど事実だ。
けれど、何ていうか……手を抜かれてる感じがするのよね。反応速度も、剣術の技量も、膂力も、飛び抜けたものはないけど、あえてそう見えるように動いてるように思う。本気で戦っていない。そんな印象がある。
まぁ、違和感はそれだけじゃないんだけど。
「……よく分かったわ」
アロンダイトを下ろし、【光源】の魔術で明かりを灯す。それを手合わせ終了と受け取った阿頼耶も剣を下ろすけど、彼は怪訝な表情を浮かべていた。
「アンタ、何か私に隠し事してるでしょ」
「!?」
阿頼耶は目を見開き、驚愕の表情を浮かべた。何で分かったって言いたげな顔ね。
「どうして」
「そんなの、ちょっと手合わせすれば分かるわよ」
相手の気持ちが分かる、とまでは言わないけれど、剣を合わせればある程度は何となく分かる。
相手が何に意識を向けているのか。
どういう感情で戦っているのか。
そういうのが何となく理解できる。阿頼耶の場合だと、何か隠し事をしてる。それもこちらの世界に来てからの事情だ。というのが分かった。
「……委員長にはかなわないな」
「ふん。私に隠し通せると思ってる時点で間違いなのよ」
訓練場の壁際に移動し、地面に座る。ポンポンと軽く地面を叩いて座るように促すと、彼は私の隣に腰を下ろした。
「アンタが何を隠してるのかを聞く気はないわ。きっとそれは軽々しく話して良いようなことじゃないんだろうしね。ただ、あまり危ないことはしないでよ? 紗菜が悲しむわ」
言葉には出さないけど、私も悲しい。
「確約はできない。けど、死なない努力はするよ」
……そういうと思ったわ。
こっちの気も知らないで心配ばかりかけるんだから。
「全く。だからアンタは童貞なのよ」
「何でいきなりディスった!? それに童貞は今関係ないよな!?」
「何よ、それじゃ経験済みだっての? 一体どこの女とヤッた!?」
「未経験ですう! 女性経験なんて皆無ですよコンチクショウ!」
あ、何だ。未経験なんだ。良かった。
「……おい。あからさまに安心した顔するなよ。泣くぞ」
「そんな顔してないわよ。暗くて見間違えたんじゃない?」
「嘘付けガッツリ笑顔じゃないか」
知らないわね。きっと幻覚を見たのよ。
ふふん。そう。未経験なのね。良かったわ。
娼館にも通ってないってことね。安心したわ。
どこの馬の骨とも知れない女に阿頼耶の童貞なんて上げられないわ。
「……はぁ。まぁいいけど。それよりも、機嫌は直ったか?」
「ん? えぇ、一通り動いたらスッキリしたわ」
「そうか。なら良かった」
そう言って、彼は夜空を見上げた。
つられて私も空を見上げる。やっぱりというか、この世界の星は地球とは全然違って、地球で見覚えのある星座が一つもない。それに星の輝きが圧倒的に多くて、とても綺麗だった。
月も地球より大きくて、クレーターが見えそうなほどだ。
「綺麗な星空ね」
「あぁ、そうだな」
私の端的な言葉に、阿頼耶も短く答える。そのことに不快も不満もない。私と阿頼耶は言葉を重ねるよりも、剣で語り合う方が性に合っている。私は彼の心情をそれなりに読み取れるけど、それはきっと彼もそう。だから、私たちはこれで良い。
「そうだ。これを渡そうと思ってたんだ」
ふと、彼はそう言って【虚空庫の指輪】から長細い箱を取り出した。綺麗に包装され、リボンも巻かれている。彼はそれを私に手渡した。
「これは?」
「プレゼントだよ」
「あぁ、そう。なんだ、プレゼン……プレゼント!?」
あまりにも意外な言葉に素っ頓狂な声を上げてしまった。
「な、何でまたプレゼントなんて……」
これは、極めて珍しい。
阿頼耶は誰かを助ける時は呆れるくらい頭の切れが良くなるし手回しも手際も良くなるけど、それ以外だと基本的に気分屋で面倒臭がったりすることが多い。思い出せばプレゼントをくれたりはするけど、毎回欠かさず律儀に誕生日にプレゼントをすることなんてしない。
まぁ、バレンタインにチョコをあげたら三倍くらいで返ってきたこともあってさすがに驚いたけど。
……話が脱線したわね。つまりこの唐変木が何の理由もなく贈り物をするなんてありえない。
そして今日は私の誕生日でもバレンタインでもない。私にプレゼントを贈る理由がないのに、何で彼は私にプレゼントなんかを?
彼の性格からして、プレゼントをするのは何か理由があるから。
なら、その理由は?
何か面倒事を起こして、それを誤魔化すため? 私のご機嫌取りのためにプレゼントをしてきたとか?
ありえなくはないけど、理由としてはちょっと弱いわね。阿頼耶ならご機嫌取りなんて回りくどいことはせずに真正面から「すまん」って言ってくるだろうし。
だとしたらどうして?
何もないのにプレゼントするなんてまるでバカップルみた、い……いや、まさかね。いくらなんでもそれは考え過ぎよ。荒唐無稽。理屈も減ったくれもない考えだわ。
私が、阿頼耶のことが好きだなんて、この鈍感野郎が気付くわけがない。
そうよ。気付くわけないわ。もう、何を考えてるのかしら、私は。
いくら彼が身内や親しい人には甘いくらい優しいからって、そんなこと……ん?
ていうことはつまり……何もないのにプレゼントを贈ったってことは、え? まさか本当に? 本当にバレちゃったの!?
バレちゃったから、彼は私にプレゼントをして逆に告白してきたとか?!
わー! わー!
それだったらとっっっっっっても嬉しいけど! 心の準備ができてないわ!
あぁ! どうしよう!
「今日は土の月の七番。地球でいう七夕。年に一度、願いが叶う日だ。だったら、プレゼントをしたって良いだろう? あぁ、姫川さんと修司にもプレゼントしておいた。除け者にするわけにもいかないからな」
「……」
一瞬で冷静になった。
そうよね。阿頼耶だものね。色恋沙汰に疎いこの馬鹿がそんな結論に至るわけないじゃない。
あぁ、何考えてんだろ、私。変な妄想ばかり膨らませて、恥ずかしい。穴があったら入りたい。
「……見ても良い?」
「それは構わないけど……何でそんなに落ち込んでるんだ?」
放っておいてちょうだい。
渡された箱を開けると、中にはネックレスが入っていた。細い鎖に、長方形の板のような形を銀細工。その板には青い宝石が埋め込まれていた。
魔力を感じるから、魔道具なのよね。どんな効果があるのかしら?
ネックレスをまじまじと見ていると、阿頼耶が説明してくれた。
「それはタリスマンっていうやつらしい。基本的に一つの効果しか付与できないが、種類は様々なんだって」
「このタリスマンには何の効果があるの?」
「『邪悪なものからの保護』っていう、サファイアが持つとされる効力を持ってるらしい。それにサファイアの石言葉は『誠実』。生真面目で面倒見のいいお前にはピッタリだと思ったんだ」
確かにサファイアの石言葉には『誠実』があるし、他にも『慈愛』や『徳望』なんかもある。けれどそれ以外にも込められたメッセージがある。
それは『一途な愛を貫く』だ。
「……」
……コイツ、本当は私の想いに気付いてるんじゃないでしょうね?
気付いてなくてこれを贈ったのだとしたら、それはそれで性質が悪いなと私は溜め息を吐いたのだった。
次話は八月三十一日に更新する予定です。




