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トワとタマキとセレスの休日  作者: ぶらっくそーど


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4/4

「日曜日」


 日曜日の朝。


 冬夜は八時半に起きた。昨日の土曜日はゼクスと昼から釣りをして、その後タマキと湖畔でお茶を飲んで、夜は一人でまた少し歩いた。よく遊んだ休日だった。


 トーストを焼いて、コーヒーを淹れた。宮瀬がいない朝は品数が少ない。卵焼きは宮瀬が作ると綺麗な形になるが、冬夜が作ると崩れる。理由は不明だが、火加減の問題らしい。


 スマホが鳴った。宮瀬からだ。


『おはよう! 今日、散歩しませんか? 紫陽花が見頃だって、テレビでやってました』


『いいぞ。どこの紫陽花だ』


『駅の南側の遊歩道。去年も行ったところ!』


『覚えてる。十時に駅でいいか』


『はい! 楽しみ!!』


 エクスクラメーションマークが二つ。


 スマホの画面の隅で、セレスが起きた。欠伸をしている。


「トワ。おでかけ?」


「宮瀬と散歩だ。現実の方の」


「げんじつのさんぽ。セレスもいく」


「お前はスマホの中だろう」


「スマホのなかから、いく。いっしょにあるく」


「なら、いくか?」


「いく」



    ◇



 十時。駅の改札前。


 宮瀬が立っていた。白いブラウスに薄いカーディガン。六月だからか、足元はサンダルだ。小さなショルダーバッグを斜めにかけている。


「久坂くん、おはよう!」


「おはよう。早いな」


「五分前に着きました。久坂くんが時間ぴったりなのは知ってるので」


「時間ぴったりは普通だろう」


「普通なんだけど、久坂くんらしいなって思う。BCOでもログイン時間が正確だし」


「ゲームは時間が限られているからな。一分でも無駄にしたくない」


「わたしとの散歩も、一分も無駄にしたくないですか?」


「……歩くぞ」


「あ、逃げた!」


 駅の南口を出て、遊歩道に向かった。住宅街を抜ける道。日曜日の朝で、犬の散歩をしている人や、ランニングをしている人がちらほらいる。


 ポケットの中のスマホから、小さな声がした。


「トワ。おそとのかぜ、スマホのなかにもくる?」


「来ないだろう。お前はそっちの世界にいるからな」


「そっか。ざんねん。でも、トワがあるいてるの、わかる。ゆれてるから」


 宮瀬が冬夜の胸ポケットを見た。


「セレスちゃん?」


「どうやら一緒に散歩したいらしい」


「可愛いですね。ふふっ……セレスちゃん、おはよう」


 冬夜がスマホを取り出して宮瀬に見せた。画面の隅でセレスが手を振った。


「タマキ、おはよ。きょうは、げんじつのタマキ」


「はい、現実のタマキです。今日は薬師の鞄なしですよ」


「くすしじゃないタマキ。めずらしー」


「薬師じゃなくても、わたしはわたしだよ」


「そうだね。タマキはタマキ」


 冬夜がスマホを胸ポケットに戻した。歩き出した。宮瀬が隣に並んだ。



    ◇



 遊歩道に入った。


 道の両側に紫陽花が咲いていた。青と紫と薄桃色。梅雨の時期に咲く花だ。水を含んだ花弁が、朝の光を受けて透き通っている。


「きれい……」宮瀬が足を止めた。「去年来た時は、まだ咲き始めだったよね。今年はちょうど満開だ」


「去年は七月に来たからな。今年は六月。タイミングが良かった」


「タイミングっていうか、わたしがテレビで見て誘ったんですけどね」


「宮瀬のタイミングが良かったということだ」


「えへへ……褒められてるのかな、これ」


「本当のことを言っただけだ」


「久坂くんの『本当のことを言っただけ』は、だいたい褒め言葉です。宮瀬辞書に載ってます」


「宮瀬辞書の項目が増え続けている気がするが……」


「久坂くんが新しい素材を提供し続けてくれるからです」


 紫陽花の道をゆっくり歩いた。道幅が狭くて、二人並ぶと肩が触れそうになる。宮瀬が少しだけ冬夜の方に寄った。冬夜は避けなかった。


 ポケットの中からセレスの声がした。


「トワ。いま、なにいろ?」


 冬夜がスマホを取り出して、紫陽花にカメラを向けた。セレスが画面の中から花を見た。


「あお。むらさき。きれいないろ」


「紫陽花だ。雨の季節に咲く花」


「あめのはな。セレスのつきとは、ちがういろ。でも、きれい。あめにも、きれいないろが、あるんだね」


「ああ、雨にも色がある」


 宮瀬がスマホの画面を覗き込んだ。


「セレスちゃんに紫陽花を見せてあげてるの?」


「カメラを向けたら、見えるらしい」


「優しいね、久坂くん」


「カメラを向けただけだ」


「カメラを向けてあげよう、って思ったのが優しいんだよ」


 冬夜はスマホをポケットに戻した。何も言い返さなかった。宮瀬もそれ以上は言わなかった。紫陽花の道を、二人の足音だけが続いた。



    ◇



 遊歩道を抜けたところに、小さなパン屋があった。


 去年は気づかなかった。今年オープンしたらしい。木の看板に「日曜日のパン屋」と書いてある。ガラスの向こうに焼きたてのパンが並んでいた。


 ポケットの中のセレスが反応した。


「トワ。パンのにおい。する。スマホのなかでも、する」


「匂いは来ないだろう」


「くる。セレスにはわかる。パンのにおい。ぜったいする」


「BCOのパン屋に反応する時と同じテンションだな」


「パンはパン。げんじつでもBCOでも、パンはパン」


 宮瀬がふふっと笑った。


「入ろうか。セレスちゃんがこんなに主張してるし」


「俺もちょうど何か食べたかった」


 店に入った。小さな店内に、パンの甘い匂いが充満していた。くるみパン、クロワッサン、あんぱん、ベーグル。棚にぎっしり並んでいる。


 冬夜がくるみパンを手に取った。


「……BCOの夜の屋台で買ったのと同じだな」


「確かに……ちょうど同じでしたっけ?」


「セレスが見つけたんだ。夜の散歩の帰りに、NPCの屋台で、セレスが『パン! トワ、パン! パン!』と言って」


「あはは、セレスちゃんなら言いそうですね」


「三つ買った。タマキの分も」


「わたしの分も買ってくれたんだ。嬉しいな」


「セレスが三つ買えと言ったんだ。タマキの分もって」


「セレスちゃんが気を遣ってくれたのか、久坂くんが気を遣ったのか。どっちだと思います?」


「セレスだ」


「ほんとに?」


「……さあ、パンを選ぶぞ」


 くるみパンとクロワッサンを二つずつ買った。店の前のベンチに座って、食べた。


 冬夜がくるみパンを齧った。温かくて、くるみの香ばしさが口に広がる。


「……うまいな。BCOのくるみパンより、パンの食感がはっきりしている」


「現実のパンの方が美味しいですか?」


「どっちもうまい。比べるものじゃないが、現実のパンは歯触りが違う。BCOのパンは味の再現度は高いが、噛んだ時の音が少し足りない」


「噛んだ時の音まで気にするの、久坂くんくらいだと思います」


「一万時間歩いてると、足音にも敏感になる。パンの音も同じだ」


「……久坂くんって、面白い人だよね」


「面白いかどうかはわからない」


「面白いよ。わたしにとっては、世界で一番面白い人」


 冬夜はクロワッサンを手に取った。一口齧って、少し静かになって、それから言った。


「……宮瀬も、面白い人だと思う」


「わたしが?」


「ゲームの中で薬を作り続けて、現実でも薬の仕事をして、休日は俺と紫陽花を見ている。そういう人間は、あまりいない」


「それは面白いっていうか、変わってるだけじゃ」


「変わっているのが面白いんだ。……宮瀬と一緒にいると退屈しない。それは……本当のことだ」


 宮瀬がクロワッサンを持ったまま、少し固まった。


「……久坂くん」


「何だ」


「今の、すごく嬉しかったです。宮瀬辞書に太字で載せます」


「太字にしなくていい」


「します。赤字で、太字で、アンダーライン付きで」


「どんな辞書だ」


「久坂くん専用辞書です」


 ポケットの中から、セレスの声が聞こえた。


「トワとタマキ、なかよし。パンおいしー。いーにちよーび」


 冬夜がスマホを取り出して、画面を見た。セレスが画面の隅で、にこにこしている。


「セレス。パンの匂いは来ないと言っただろう」


「こない。でも、トワとタマキがおいしそうにたべてるの、みえた。みえたら、おいしーきもちが、セレスにもきた」


「見えたら美味しい気持ちが来るのか」


「くる。セレスのじてんに、かいてある。『みるだけで、おいしい』、のこーもく」


「セレス辞書に新しい項目が増えたな」


「ふえた。タマキのじしょと、セレスのじしょ。たくさん、わくわく」



    ◇



 パン屋を出て、遊歩道を戻った。


 帰り道の紫陽花は、行きとは逆側から光が当たっていて、色が少し違って見えた。同じ花なのに、角度で色が変わる。


「ねえ、久坂くん」


「何だ?」


「今日、楽しかったです」


「ああ……俺も悪くなかった」


「また『悪くない』だ。前も言ったけど、『楽しい』って言ってほしいな」


 冬夜は少し歩いて、それから言った。


「……楽しかった」


「えへへ……」


「ゲームの中でも同じことを言わされた気がする」


「言わされたんじゃないよ。久坂くんが、自分で言ったんだよ」


「……まあ、そうだな」


 駅に着いた。改札の前で立ち止まった。


「来週の日曜日も、散歩しますか?」


「する。来週はどこにする?」


「久坂くんが選んでよ」


「俺か。……考えておく」


「久坂くんの『考えておく』は、ちゃんと考えてくれるやつだから、楽しみにしてますね」


「……プレッシャーだな」


「プレッシャーはかけてないよ。信頼してるだけ」


 宮瀬が手を振って改札に入っていった。冬夜はそれを見送ってから、自分も改札を通った。


 帰り道。スマホを見た。画面の隅で、セレスがうとうとしていた。散歩が終わって、満足して眠りかけているらしい。


 テンが通知ランプのあたりで、一回光った。


 日曜日が終わる。明日は月曜日で、仕事がある。電車に乗って、会社に行って、VRインターフェースの描画最適化をする。


 でも、明日の夜にはまたヘルメットを被る。セレスが待っている。タマキが走ってくる。


 現実もBCOも、歩いている場所が違うだけで、やっていることは同じだ。隣にいる人と一緒に、どこかへ向かって歩いている。


 悪くない日曜日だった。


 いや。楽しかった。宮瀬に言われなくても、それくらいは自分でわかる。

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