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トワとタマキとセレスの休日  作者: ぶらっくそーど


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1/3

「ただいま」


 六月の水曜日。


 冬夜はいつも通りの時間に退社して、いつも通りの電車に乗って、いつも通りの道を歩いて帰ってきた。社会人になって三ヶ月。通勤路はもう足が覚えている。BCOの一万時間に比べれば、三ヶ月の通勤路なんて散歩の始まりにもならない距離だ。


 靴を脱いで、鞄を置いて、スマホを見た。


 画面の隅に、小さなセレスが座っている。


 BCOの公式アプリ。誰よりも長く歩き続けた報酬としてトワに配布された、BCO Companionだ。トワのスマホとBCOのデータは同期していて、リアルタイムで会話することができる。


 セレスが常駐していて、画面の下端からメブキの双葉が覗いていて、ルーナは画面のどこかの影に潜んでいて、テンは通知ランプのあたりで時々光っている。



「トワ、おかえり」


 スピーカーからセレスの小さな声が聞こえた。


「ただいま」


「きょう、しごと、ながかった?」


「普通の長さだ。八時間だ」


「はちじかん、ながい。こっちのせかいであるいたほうが、たのしーのに」


「仕事と散歩は比べるものじゃないだろう。飯を食ってからログインする」


「はやくたべて」


「急かすな」


「ダメ、食べて」


「……仕方ないな」



 冷蔵庫を開けた。宮瀬が週末に作り置きしてくれた肉じゃがが残っている。電子レンジで温めて、一人で食べた。味が沁みていて、二日目の方がうまい。宮瀬に言ったら喜ぶだろうなと思ったが、言うとまた「久坂くんに言われて嬉しいセリフ」のカウントが増えるので黙っておく。



 20時半。食器を洗って、VRヘルメットを手に取った。



「セレス、行くぞ」


「やった!」


 スマホの画面の中で、セレスの角がぴょこっと跳ねた。


 ヘルメットを被った。



    ◇



 始まりの町リベルタ。


 ログインすると、噴水広場に立っていた。夜のリベルタだ。街灯と月明かりが石畳を照らしている。平日の夜だからプレイヤーの数は少ない。酒場の窓から暖色の光が漏れていて、どこか遠くからNPCの弾くリュートの音色が聞こえている。


 肩の上に、セレスがいた。スマホの中の豆粒サイズではなく、いつもの大きさのセレス。銀色の髪と、月の角と、きらきらした瞳。



「トワ。リベルタのよる、すき」


「俺も好きだ」



 一歩踏み出した。石畳に金色の足跡が残った。灯歩(とうほ)の起点の称号効果。一万時間を歩いた旅人だけに与えられた金色の光。


 フレンドリストを開いた。タマキはまだログインしていない。宮瀬の方が帰宅が遅い日もある。調剤薬局は閉局時間が読みにくいと言っていた。



「タマキ、まだだな。先に歩くか」


「あるこ! きょうは、どこいく?」


「そうだな。星花(ほしばな)の湖はどうだ。夜は静かだと聞いた」


「ほしばなのみずうみ! いく!」


 メブキが頭の上で双葉をぴこぴこさせた。


「みずうみ、すき! ねっこがのびるから!」


「メブキは水辺が好きだな」


「みず、すき。つちもすき。みずとつちがあるばしょ、めぶきにとってさいこう」


 ルーナは影の中にいる。声は聞こえないが、気配がある。テンはブーツの上で淡く光っている。


 いつもの四体。


 リベルタの南門を抜けて、草原の道を歩いた。夜の草原には虫の声がする。BCOの環境音は細かくて、季節や時間帯で虫の鳴き方まで変わる。六月の夜はコロコロという低い音が、草の間から足元に近い位置で聞こえてくる。


 星花(ほしばな)の湖。リベルタから徒歩二十分ほどの場所にある小さな湖だ。灯火の章の前は闇の汚染で立ち入れなかった時期もあったが、今は完全に浄化されて、水が透明に戻っている。


 湖畔に着いた。


 月が水面に映っている。波紋もない。夜空の月と水面の月が、上下に並んでいる。


「きれい」


 セレスが角を傾けた。月光を受けて、角が淡く光る。


「トワ。ここ、しずかだね」


「モンスターも出ない。浄化されてからは、ただの湖だ」


「ただのみずうみ、いー。たたかわなくていー。すわっていー。それが、いー」


「そうだな」


 湖畔の草の上に腰を下ろした。少し湿っている。六月の草だ。


 メブキが頭の上から降りて、地面に根を張った。


「くるくる……いいつち。みずがちかいから、やわらかくて、あったかい」


 双葉がゆったり揺れている。


 その時、湖面が揺れた。


 ぱしゃん。


 魚が跳ねた。銀色の鱗が月光を反射して、一瞬だけきらりと光って、水に落ちた。


「あ」セレスが指を差した。「おさかな!」


 もう一匹跳ねた。ぱしゃん。水面に輪が広がっていく。


「おさかな、とんでる」


「跳ねてるだけだ。水面に出た虫を食べに上がってくるらしい」


「むしをたべにくる。おさかなも、もぐもぐするんだ」


 メブキの双葉がくるくる回った。


「くるくる! おさかな、そらをとぶの!? おさかなには、はねがあるの!?」


「羽はないよ。ジャンプしてるだけだ」


「じゃんぷ! めぶきも、じゃんぷできる?」


「メブキは根があるからな。根を張ったままでは跳べないだろう」


「ねっこ……ぬけない……じゃんぷ、できない……」


 メブキが双葉をしょんぼり垂らした。三秒後に持ち直した。


「でも! ねっこがあるから、めぶきはめぶき! じゃんぷは、おさかなにまかせる!」


「その切り替えの速さは見習いたいものだな」


 ルーナが影の中から、小さく笑った。


「……メブキ、かわいい」


「ルーナにかわいいっていわれた! くるくる!」


 魚がまた跳ねた。今度は三匹続けて。ぱしゃん、ぱしゃん、ぱしゃん。水面がしばらく賑やかになって、また静かに戻った。


「おさかな、たくさんいる。トワ、つかまえられる?」


「釣竿がないと無理だな」


「てで、つかめない?」


「素手では厳しいだろう。ゼクスなら影の中から掴めるかもしれないが」


「ゼクスに、たのんでみよ」


「ゼクスを魚釣りに呼ぶのか?」


「いやかな、ゼクス」


「嫌がりはしないだろうが、無言で釣り糸を垂らすだけになりそうだな」


「それはそれで、よさそー」


「……まあ、そうかもな」


 セレスがトワの肩から湖を見ている。金色の足跡が、湖畔の草の上にぼんやり光っていた。



 パーティチャットが鳴った。



 タマキ:「ログインしました! どこにいますか?」


 トワ:「星花の湖。座標を送る」


 タマキ:「湖! いいですね、すぐ行きます!」



 五分後、タマキが走ってきた。薬師の鞄がガシャガシャ鳴っている。


「トワさん! おまたせしました!」


「走らなくてもよかったのに」


「平日にログインできる時間は、一時間しかないんですよ。一分でも惜しいんです」


 タマキが隣に座った。息を整えて、湖を見た。


「わあ……きれい。月が水面に映ってますね」


「さっきから魚が跳ねている。セレスが気に入った」


「おさかな、ぱしゃぱしゃするの」セレスが教えてあげるように言った。


「ぱしゃぱしゃ」タマキが笑った。「セレスちゃん、可愛い」


「かわいくない。ほーこくしてるだけ」


「その報告が可愛いの」


 魚がまた跳ねた。タマキが目を細めた。風が湖面をなぞって、水面の月がゆらゆら揺れた。


「トワさん。こういう時間、好きです」


「俺も悪くないと思っている」


「『悪くない』じゃなくて、『好き』って言ってほしいです」


「……好きだ」


「えへへ……」


 セレスがトワの肩の上から、じっと二人を見ていた。


「トワ。タマキ。なかよし」


「仲良し、かどうかはわからないぞ」


「ダメ、なかよし。セレスもまぜて、まぜて」


「セレスちゃんは最初からいるでしょ」


「いるけど、まぜて、っていいたかった」


「じゃあ、まぜてあげるね」


「やった」


 セレスがトワの肩からタマキの膝に飛び移った。タマキがそっと受け止めた。


「セレスちゃん、軽いね」


「せーれーだから、かるい」


「精霊は軽いんだ」


「かるい。でも、きもちは、おもい」


「……セレスちゃん、たまにすごくいいこと言うよね」


「たまにじゃない。いつも、いー」


「はい、いつもいーです」


 テンがブーツの上で一回光った。同意の光だった。



    ◇



 21時15分。


 帰り道。リベルタに向かう草原の夜道を歩いていると、セレスが急に声を上げた。


「トワ。あっち。あかりがある」


 道の先に小さな灯りが見えた。NPCの露店だ。夜のこの時間にまだ開いている店は珍しい。


 近づいてみると、小さな屋台だった。パンを売っている。木の看板に「夜歩きの旅人さんへ」と手書きの文字がある。


「よあるきのたびびとさんへ。これ、トワのこと」


「俺だけに向けた店ではないと思うが」


「トワのことだよ。よあるきで、たびびとで、おなかすいてるの、トワだもん」


「腹は減っていないが」


「セレスは、へった」


 NPC店主のおじいさんが、にこにこ笑っていた。


「いらっしゃい。夜の散歩帰りかい。焼きたてのパンがあるよ」


 セレスの目が輝いた。


「パン! トワ、パン! パン!」


「わかった。二つくれ」


「みっつ! タマキのぶんも!」


「三つだ。くるみパンを三つ」


 焼きたてのくるみパンを三つ買った。手に持つと温かい。NPCの屋台で焼きたてが出てくるのは、BCOの芸の細かさだ。


 セレスがパンを受け取って、両手で抱えた。セレスの体の三分の一くらいの大きさがある。


「もぐもぐ」


 一口齧った。角がぴかっと光った。


「おいしい! よるのパン、おいしい!」


「朝のパンと味は変わらないだろう」


「ちがう。よるにたべるパンは、よるのあじがするの」


「夜の味とは」


「つきのあかりと、くさのにおいと、おさかなのぱしゃぱしゃが、まざったあじ。ぜんぶまぜると、よるのあじになる」


「それは味ではなく雰囲気だと思うが」


「ふんいきも、あじのうち。セレスのじてんに、かいてある」


「セレス辞書か。宮瀬辞書と同じくらい自由な辞書だな」


 タマキがパンを齧りながら笑った。


「わたしの辞書とセレスちゃんの辞書、どっちが正しいんですか」


「どっちもただしい。せかいには、じしょがふたつある。ふたつのじしょがただしいせかいは、いいせかい」


「ふふっ……なんだかすごく大きな話になっちゃったね」


 金色の足跡が、夜の草原に連なっていた。



    ◇



 21時半。


 リベルタの噴水広場に戻った。


「ログアウトするか」


「はい。おつかれさまでした、トワさん。今日の散歩、楽しかったです」


「ああ、明日もログインする」


「わたしも。明日は少し遅くなるかもしれないですけど、待っててくださいね」


「待っている」


「えへへ……」


 タマキがログアウトした。青い光になって消えた。


 セレスがトワの肩の上で、ぽやっとしていた。パンの最後のひとかけらを齧り終えたところだ。


「トワ。きょうのさんぽ、よかった」


「ああ、よかった」


「あしたも、あるこうね」


「もちろん、歩こう」


「げんじつでも?」


「現実でも」



 ログアウトした。


 VRヘルメットを外した。現実の部屋。時計は21時半を過ぎたところだ。


 窓を開けた。六月の夜風が入ってきた。少し蒸し暑いが、風は悪くない。


 スマホを見た。画面の隅に、セレスが座っている。BCOの中で肩の上にいたセレスが、今はスマホの画面の中にいる。場所が変わっても、同じ顔で、同じように笑っている。


「トワ。おやすみ」


「おやすみ、セレス」


「あした、おしごとおわったら、またあるこうね」


「また歩こう」


 テンが通知ランプのあたりで、一回だけ光った。


 おやすみの合図だった。

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