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Dead Line ——境界の儀  作者: 一条信輝


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61話 分家の家

 朝、目が覚めた。


 社務所の畳。秋の冷気。陽太は身を起こした。昨日の戦闘の代償が、まだ体に残っていた。鼻血は止まっていたが、頭が重かった。逆流の七秒の影響。だが、立てた。動けた。


 男が壁にもたれて立っていた。陽太を見て、薄く笑った。


 「御影に、会いに行く」


 陽太が告げた。


 「同盟の話、するのか」


 「ああ。昨日の今日で、御影が応じるかは分からない。だが、進めなきゃいけない」


 男が薄く笑った。


 「お前、変わったな」


 陽太は答えなかった。だが、確かに変わった、と自分で思った。受動的に待つのではなく、自分から動く。それが、第七陣営に焦点を合わされた者の責任だった。


 「だが、御影の連絡先、知らねえだろ」


 男が問うた。


 陽太は黙った。確かに、知らなかった。御影は、これまで陽太の前に現れる人物だった。御影が陽太に会いに来た。陽太が御影を訪ねたことはなかった。電話番号も、住所も、知らなかった。


 「葛城に聞くか」


 男が呟いた。


 陽太は首を振った。御影の指のジェスチャー。葛城本家には、御影との関係も知られたくない。


 「探すしかない」


 陽太が答えた。


 「葛城家の分家、って言ってたな。本家の場所を調べれば、分家の住所も辿れるかもしれない」



      *



 陽太と男は嵐山を出た。電車。市街地へ。


 陽太は図書館に向かった。京都市立図書館。京都の旧家について調べた。


 名家録の棚を、陽太は丁寧に辿った。葛城家の系譜。記録は、思ったより古かった。江戸初期から、葛城家は京都の旧家として記されていた。分家の数は、思ったより多かった。十を超える分家が、京都市内に散らばっていた。


 御影の苗字は、葛城家の分家の一つとして、記録に残っていた。御影家。京都市内、中京区。住所まで明記されていた。


 「あった」


 陽太が呟いた。


 葛城家という存在が、京都の歴史の中で、長く根を張ってきた。それが、儀式を四百年継承してきたことの重みでもあった。


 「行くか」


 男が問うた。


 「ああ」



      *



 御影家に着いた。


 中京区。古い京町家。表通りから一本奥に入った、静かな住宅地。京町家らしい格子戸。屋根は瓦。表に「御影」という小さな表札があった。


 陽太は表札を確認した。


 「ここか」


 男が呟いた。


 「ああ」


 陽太は呼び鈴を押した。


 しばらく待った。誰も出てこない。もう一度押した。家の中で、誰かが動く気配がした。


 格子戸が、わずかに開いた。


 御影 凛花が、立っていた。


 私服。きつめの目。陽太を見て、わずかに目を細めた。


 「来たわね」


 御影が、淡々と言った。


 「ああ」


 「武蔵が、感じてた。あんたが、こっちに向かってきてるって」


 御影は、陽太が来ることを、武蔵の気配で察知していた。


 「入って」


 御影が、格子戸を開けた。


 陽太と男は、御影家に入った。



      *



 古い京町家。畳の和室。秋の昼の光が、障子から差し込んでいた。空気が、落ち着いていた。葛城本家のような威圧感はなかった。だが、長年の家の重みがあった。代々受け継がれた家。


 壁際に、古い書棚があった。和綴じの本が並んでいた。葛城家の分家として、儀式の歴史を継承してきた家。陽太は、書棚を見て、御影が「儀式の構造の一部を知ってる」と言った理由を、改めて理解した。御影の知識は、付け焼き刃ではない。家系で代々伝わってきたものだった。


 御影が、お茶を二つ淹れて、畳に置いた。湯気が、秋の光の中に立った。


 陽太は座った。男も、陽太の隣に座った。男は実体化したまま。御影の前に座って、斧を脇に置いた。


 御影は、対面に座った。武蔵は実体化を解いていた。御影の肩のあたりに気配だけ残っていた。


 「あんた、何しに来た」


 御影が問うた。


 「同盟を、組みたい」


 陽太が即答した。


 御影が、わずかに目を細めた。


 「あの斧の坊やに、相談したの?」


 「ああ」


 「で、坊や——いえ、あんたの英霊は、何て言った?」


 御影が、言い直した。「坊や」と呼びかけて、止めた。昨日の戦闘で、武蔵が認めた英霊への、わずかな敬意。


 「『それで、いいんじゃねえか』って」


 男が、横で軽く笑った。


 「悪くない判断だ」


 男が呟いた。


 御影が、男を見た。


 「あんた、いい英霊ね。前から思ってた。マスターの判断を、邪魔しない」


 「俺は、坊主の選択を見守る役だ」


 男が答えた。


 御影の口元が、わずかに緩んだ。船岡山の参道で見せた、感情の輪郭。



      *



 御影が、本題に入った。


 「同盟を組むって、具体的には、何をする」


 陽太が答えた。


 「お互いの情報を共有する。互いの戦闘を支援する。第七陣営に対抗する」


 「クリスの救出も?」


 御影が問うた。


 陽太は黙った。クリスのことは、御影に話していなかった。だが、御影は知っていた。


 「知ってるのか」


 陽太が問うた。


 「全部は知らない。だが、葛城本家が動いているのは知ってる。本家は、第七陣営の動きを察知して、儀式の構造を守ろうとしてる」


 御影が、葛城本家の動きについて、初めて踏み込んだ情報を渡した。


 「本家は、儀式を守る。私は、本家を許せない。だから、本家とは別の方向から、儀式を守ろうとしてる」


 御影の動機の輪郭が、もう一段、見えた。本家への復讐だけではなかった。御影は、本家とは違うやり方で、儀式を守ろうとしていた。


 「同盟を組むなら、私はあんたに、本家の動きを伝える。あんたは私に、第七陣営の動きを伝える。互いの戦闘を支援する。それでいい?」


 陽太は、一瞬、考えた。


 これまで、御影は陽太の前に現れる人だった。同盟を組めば、陽太から御影を頼ることになる。御影に情報を流すことになる。受動的な関係から、双方向の関係へ。陽太が初めて経験する、大人の交渉だった。


 「ああ」


 陽太が、頷いた。


 御影が、続けた。


 「ただし、一つ条件がある」


 「何だ」


 「あんたの箱の力を、私にも見せて」


 御影の目が、わずかに鋭くなった。


 「あの箱は、マリアの祈りが宿ってる。私の家系の伝承で、断片的に聞いてた。マリアって、四百年前に儀式に敗れた、バチカン系のマスターでしょ。その人の遺品。それが、第七陣営の影に対して反応してた」


 御影は、箱の存在を知っていただけでなく、マリアのことまで知っていた。


 陽太は息を飲んだ。


 「箱の力を、見せる?」


 「ええ。あんたが箱を持って、私が箱に触れる。何が起きるか、確かめたい」


 陽太は迷った。御影は、本家から箱を守るために、陽太に協力すると言った。だが、御影自身が箱に触れたら、何が起きるか分からなかった。


 男が、横から言った。


 「やってみろ、坊主」


 陽太が、男を見た。


 「御影は、敵じゃねえ。今日のところは」


 男の言葉が、静かだった。「今日のところは」という限定が、含まれていた。



      *



 陽太は、箱を畳に置いた。


 御影が、箱の前に座り直した。武蔵の気配が、御影の背後で、わずかに強まった。武蔵は、御影を守る位置にいた。


 御影が、箱に手を伸ばした。


 指先が、箱の表面に触れた。


 その瞬間——御影の指先が、わずかに光った。


 御影が息を飲んだ。


 「これ——」


 御影の声が、震えた。


 「マリアの祈りが、私を、認めてる」


 御影が呟いた。


 「認めてる?」


 陽太が問うた。


 「ええ。私を、敵だと見なしてない。むしろ——歓迎してる」


 御影の言葉が、低かった。


 「箱は、第七陣営の影に対して冷える。私に対しては、温かい。マリアの祈りは、味方と敵を、見分ける力を持ってる」


 御影が、箱の力の性質を、部分的に解明した。マリアの祈りは、敵を排除し、味方を認める。第七陣営の影は敵、御影は味方。それを、箱が判定する。


 御影が、しばらく黙った。指先がまだ薄く光っていた。


 御影は、家系の伝承の中で、マリアの存在を知識として知っていた。だが、今、初めて、マリアの祈りを体感した。知識と体感の差が、御影の中で揺れていた。


 「マリアって、本当に、いたのね」


 御影が、低く呟いた。


 「四百年前の祈りが、今でも、生きてる」


 陽太は箱を見つめた。マリアの祈り。四百年前にバチカンから派遣された女性マスター。彼女が箱に込めた力が、今、御影を「味方」と判定した。



      *



 御影が、手を箱から離した。


 「同盟、組みましょう」


 御影が告げた。


 「ああ」


 陽太が頷いた。


 「条件は、さっき言った通り。情報の共有、戦闘の支援。それから、私が、箱の力をもう少し研究させてもらう」


 「分かった」


 陽太が答えた。


 「ただし——」


 御影が、続けた。


 「私の同盟は、いつ破れるか、分からない。本家との関係が変わったり、第七陣営の動きが変わったり、状況次第で、私は別の選択をするかもしれない」


 御影が、自分の同盟に期限を設けた。永続的な同盟ではない。状況次第で破れる、と最初から告げた。


 「分かってる」


 陽太が答えた。


 陽太も、御影の言葉を受け入れた。永続的な同盟は、儀式の中ではあり得なかった。最後には、一組のマスターと英霊だけが残る。御影とも、いつかは敵対する。それまでの、限定的な同盟だった。


 御影が、わずかに笑った。


 「あんた、分かってきたわね」


 「ああ」



      *



 同盟が成立した後、御影が、陽太に語り始めた。


 「弟の話、聞いてくれる?」


 御影が問うた。


 陽太は頷いた。


 御影は、お茶をひとくち飲んでから、語り始めた。


 「弟は、私より一歳下だった。十一歳の時に、本家の儀式に巻き込まれた。本家の先代——葛城冬真の父親——が、儀式を失敗した。渡し場が、不完全に開いて、京都の一部に彼岸の影響が漏れ出した。その時、弟が、彼岸に引きずり込まれた」


 御影の声が、淡々としていた。だが、淡々さの奥に、何かがあった。


 陽太は息を飲んだ。十一歳。陽太の今より、六歳も下。


 「弟は、戻ってこなかった。彼岸の中で、消えた。本家は、その失敗を隠した。表向きは『事故死』として処理された。私の両親も、それを受け入れた。本家に逆らえなかったから」


 陽太は黙って聞いていた。何か言おうとして、言葉が出てこなかった。


 「葬式は、形だけ出した。棺の中身は、空だった。弟の体は、彼岸の中で、何にもならなかった。私は、十二歳だった。空の棺を見て、これは何かが間違っている、と思った」


 御影が、湯呑みを両手で包んだ。湯気が、御影の顔の前で、揺れていた。


 陽太は、自分の手のひらを見た。十二歳の御影が、空の棺を見ていた光景。陽太には、想像が及ばなかった。


 「私は、本家を許せない。だから、儀式に参加した。武蔵を呼んだ。本家を倒す。それが、私の動機だった」


 御影が、続けた。


 「でも、儀式を進めるうちに、別の動機が育った。本家が儀式を独占している限り、私の弟みたいな犠牲が、また出る。本家の方法じゃない、別の儀式の進め方を、私が示す。それが、もう一つの動機」


 御影の動機が、復讐から、構造の改革に進化していた。


 「だから、あんたと組む。本家は、儀式を独占する力を求める。覇道。アレクサンドロスの『世界征途』が、その象徴。一方、あんたの橋道は、独占ではなく、境界を守る力。本家のやり方とは、根本から違う。だから、あんたと組むことが、本家への対抗になる」


 御影の説明が、論理として整っていた。陽太は、御影の中で、儀式の構造が体系化されていることを感じた。葛城家の分家として、長年継承してきた知識。



      *



 夜になっていた。御影家での会話が、長くなっていた。


 陽太と男は、御影家を出た。


 御影が、玄関まで見送った。


 「明日からは、連絡を取り合いましょう」


 御影が告げた。


 「ああ」


 「私の連絡先、教えるわ」


 御影が、紙にスマートフォンの番号を書いた。陽太に渡した。


 陽太は紙を受け取った。これで、陽太から御影に連絡できるようになった。


 「気をつけて、帰りなさい」


 御影が、静かに言った。


 「ああ」


 陽太が答えた。


 男も、御影に短く頷いた。


 陽太と男は、御影家を後にした。秋の夜。中京区の静かな住宅地。



      *



 電車で嵐山に戻った。秋の夜。京都の街は普通に動いていた。


 社務所に着いた。陽太が灯りをつけた。畳。秋の夜気。


 陽太は箱を畳に置いた。マリアの祈り。今日、御影を「味方」と判定した力。


 陽太は準備リストを更新した。御影との同盟——成立。箱の力の解明——部分的に解明。


 新しい項目を、書き足した。


 「マリアの祈りの全容の解明」


 御影が「もっと知りたい」と言った。陽太も、もっと知りたかった。マリアが四百年前に、何を込めて、この箱を残したのか。


 男が、壁にもたれて立っていた。


 「悪くなかったな、今日は」


 男が呟いた。


 「ああ」


 陽太が答えた。


 陽太は、手の甲の紋を見た。橋道の紋。御影の刃道。二つの「道」が、今日、繋がった。同じ「境界」に関わる二つの力。


 御影の連絡先の紙が、マリアの遺品の箱の隣で、静かに息づいていた。

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