第3話
今日朝起きてみると、昨日の風邪が嘘のように治っていた。昨日の瑞穂の卵粥のおかげだろうか?
うまかったもんな~。怒って帰ってしまったみたいだったから、瑞希の手料理はしばらく食べれないだろう。
そういえば、瑞希はなぜ怒って帰ってしまったんだろう? お礼を言ってなかったからか?
まあ、今日会ったら言っておこう。
そう思って学園に来たのだがなかなか時間が取れず、昼休みになってしまった。
今日はパンの気分だな。
「周、今日はパンにしようぜ!」
「パンか、今からだとまともなの残ってないだろ?」
購買部のパンは競争率が高く、チャイムが鳴ったと同時にダッシュしても欲しいものが手に入るかわからないくらいだ。
「大丈夫だよ。人気のあるのは取れないだろうが、結構いろいろ残ってるから。それに奥の手もあるしな」
「そうか。じゃあ、そうしよう」
ほとんど使うことはないが、購買部には裏の入手ルートがある。知っている人は少ないが、今も存在するはずだ。
購買部、そこは学園の中にある最強最悪の戦場の名前だ。そこでは、性別、学年など関係なく戦闘を繰り広げている。
ここで勝利を挙げたものは午後の平穏を約束され、敗北したものは飢餓に苦しむ。
そこに情け容赦などなく、誰一人他人を気遣う余裕などない。
学食も人がごった返しているのだが、ここは比べ物にならない。
俺たちはこの地獄絵図を目の当たりにして言葉を失った。
「購買ってこんなにひどかったか?」
「俺らが来てた時はここまでではなかったよ。最近、新作のパンを販売するようにしたら人が激増したらしい」
こんなことなら、学食にしとくんだったな。
「どうする?」
「今からじゃあ、学食に行ったって席はとれないぞ」
俺らはこの戦場で敗北と今にも突きつけられようとしている時、そいつは現れた。
まあ、裏ルートはなるべく使いたくなかったし。
「悠木、何をしてるんだ?」
「お前は、マキ……じゃない。ミキだな」
マキとは雰囲気が少し異なっている。
「ほう、私たちの区別がつくのか。それで? 見たところパンを買いたいみたいだな」
「お前もパンを買いに来たのか? 池宮城とマキとで弁当じゃなかったか?」
前に紅葉と三人で弁当を食べているのを見たことがある。
「そうだな。だが、パンを買いに来たんだ」
「足りないのか? そんなに食べるようには見えないが……」
ミキはマキと同じでそんなに大きくない紅葉より、一回り小さいほどの小柄な女だ。弁当プラスパンなんて想像できない。
「そんなに食うのに小さいんだな」
そう言った瞬間、周はミキに睨まれた。ミキは体が小さいことを気にしているらしい。口にしなくてよかったよ。
「私は運動をしているからな。ある程度エネルギーが必要なんだ」
「何をやってるんだ?」
ミキが何かの部活に入っているなんて聞いたことがない。
「武術を少しな。お嬢様の護衛として日々鍛錬をしているんだ。ここでパンを買うことはいいトレーニングになる」
「それで、どうやってこの状態でパンを買うんだ?」
ミキと話し込んでいたが人は一向に減っていない。
「私を甘く見てるだろう。私にかかればそんなことは余裕だ。そうだ、お前の分もついに買ってきてやろう。なにがいい?」
「総菜パンかな。三つ頼む」
「いいだろう、そこで待っていろ!」
そう行った直後ミキは人ごみに消えていった。
「俺の分はー!」
隣で叫ぶ周。自業自得だな。
昼飯はミキのおかげでかなりいいものが食えた。中には人気の焼きそばパンなどあの時間には存在していないものまで。
もしかしたらミキも裏ルートを使ったのかもしれない。それだったら、悪いことをしたな。
もちろん周は昼飯なし。分けてくれーと叫んでいたが、穂乃香ちゃんの手作り弁当を早弁したんだからいいだろということで、無視した。
そして放課後。ミキに呼び出され下駄箱のところに出向いた。
そこにいたのはミキ、マキ、そして紅葉だ。
「よう。今日の昼は助かったぜミキ!」
「それはよかった。嫌いなものじゃなかったみたいだな」
あそこの総菜パンはどれもおいしい。よほどの嫌いなものが挟んでいない限り、誰もが全部好きだろう。
「ああ、うまかったぜ。それで、あの人気の総菜パンはどうやって手に入れたんだ? あの時間にはもうなかっただろう?」
「それは企業秘密だよ」
やっぱり裏ルートを使ったのか。まあこいつなら大丈夫だろうが、その内何かしてやらんとな。
「ミキ、そろそろ本題に行っていい?」
今まで黙っていたマキが口を開いた。
「うん。わるいわるい」
「それで本題なんだが……」
こいつらからの話なんていい予感がしない。また、振り回されることになるだろう。
「お嬢様がこの前の埋め合わせをしたいと申されるんだ」
ミキの横にいる紅葉が頷く。
「気にしなくてもいいのに。お前だって、急に予定が入ったんだろ?」
「貴様、お嬢様に向かって『お前』だと? 命が惜しくないと見える!」
ミキとマキが怒りをあらわにしている。
「じゃあ、俺はなんて呼べばいいんだ?」
「お嬢様か紅葉様だろうな」
俺は紅葉の家臣じゃないんだけど。
「なら、紅葉で」
俺が『様』とかつけても似合わんからな。
「貴様!」
「それで構いません」
今にも噛みついてきそうなミキ、マキを押さえて紅葉が許可してくれた。
「ですが!」
まだ、納得できないらしい。当たり前といえば当たり前かもしれないが。
「今はそれより本題です。こんなことをしていたら時間がなくなってしまいますわ」
「「はっ!」」
紅葉の鶴の一声でミキ、マキはおとなしくなった。
「それで紅葉。埋め合わせはしなくてもいいぞ?」
「そうはいきません! 私は高貴なる池宮城の娘。約束を破ってそのままなどとはできません!」
さすがに池宮城財閥のご令嬢ともなると、譲れないのもがあるらしい。
「まあ、紅葉がいいならいいけどな。で、どうするんだ?」
「では、食事に行きません事? そうすぐ私は夕御飯の時間ですので」
飯と言えば、最初のときも飯だったな。今度はあんな気まずい食事じゃないといいが……。
「それなら、俺が場所を決めていいか?」
「はい、構いませんよ? 和食でもフレンチでもイタリアンでも、なんでもかまいません」
俺はそんな高そうなところ知らないがな。
「なら、俺がいつも周と行くとこにしよう」
「お前、まさかお嬢様を庶民が行くようなところに連れていくのではないだろうな?」
マキが小声で言ってきた。多分お前の想像通りだと思うぞ?
「私はどこでもかまいませんよ? この前の埋め合わせなのですから。ところで何を食べますの?」
「たぶん、紅葉は食べたことがないだろうな」
マキとミキは気付いたらしい。もう止めようとはしてこないが、正気かと視線を送ってくる。
「何事も経験だ。もう食べることはないだろうし、庶民の食べ物を人生で一度くらい食べておいても損はしないんじゃないか?」
俺が紅葉たちを連れていったのは有名な某バンバーガーのチェーン店。少し奮発して高い方へ行った。
高い方と聞いて何個か思いつく方がいるかもしれないがそれは想像にお任せします。
紅葉とマキを席に座らせ、ミキとハンバーガーを買いにいく。
ちなみに代金は俺が四人分俺が出す。今月の小遣いが飛んでしまうが、ここはケチってはいけないところだろう。
「お嬢様が、学食のご飯を食べてまずいとおっしゃっておられたのを忘れたのか?」
隣にいるミキが口を開いてきた。
「そうだな。でも、俺は紅葉の口に合うようなところには行かないし、背伸びしても仕方がないかなって」
「お嬢様は、池宮城グループで作られた最高級の食品しか普段食べられないんだ。お屋敷には専属のコックもいるしな。そんな、お嬢様にハンバーガーとは……。飽きられても知らないぞ?」
こいつらは、俺と紅葉をくっつけようとしているんだから、俺と紅葉がうまくいくように言ってくれてるのか?
ハンバーガーを持っていくと借りてきた猫になっている紅葉が目に入ってきた。どちらかと言えば、猫と言うより猫の置物だ。何世代にもわたって完成させられたであろう白く一点の曇りもない肌。絹糸を思わせるサラサラとした長い髪。そして、見つめていると吸い込まれそうになる澄んだ瞳。そのすべてを自然が作り出せるだろうか?
俺は紅葉にできるだけ自然に話題を振った。
「なんで、ハンバーガーショップで緊張してるんだよ?」
「私は普段こんなに騒がしく、他人のいるところで食事をしませんから」
「そうなのか」
普段食べるときは執事が周りで見ていて、パーティーとかもあるだろうから、そういうのには慣れてると思っていたな。
「私は普段、ミキとマキとで食べますし、パーティーでは料理を手に取りませんもの」
「それなら、学園の学食はどうなんだ? 普通に食べているように見えたが?」
最初に会った時は今みたいには緊張していなかった。周りの迷惑を顧みず文句を言っていた気がする。
「学園はもう慣れましたもの。でも、最初の内はあんなところ入ろうとは思えませんでしたわ」
そんな会話をしながら、紅葉はハンバーガーを見た。
「これはどうやっていただきますの? フォークもナイフも見当たりませんけれど?」
「これはな、こうやって手で持ってそのまま食べるんだ」
紅茶は目を丸くして驚いている。
「手で食べるのは中東のそういった文化のお国だけだと思っていましたわ」
紅葉は庶民の事をまるっきり知らないらしい。まあ、あの学園なら金持ちだけと付き合ってやってけるしな。
「さあ、食べてみな」
そう言うと紅葉は頷きバンバーガーを正面に構え深呼吸して始めた。
はむっ!
紅葉が小さな口を精一杯開いて食べようとするが、全部入りそうには到底思えない。小さく整った手でバンバーガーをローズマリーの花弁のような淡い赤色をした口へ持っていく。そんな何気ない動作一つとっても様になっている。
仕方なく上半分をまず食べることにしたようだ。
「あら? おいしいですわ! こんなもの初めていただきました」
「気に入ってくれてみたいでよかったよ」
実は紅葉達に買ったのは最近クラスの女子がおいしいと話していたもので、俺が食べているものより150円ほど高い。
「お前たちは食べないのか?」
まだ、ミキとマキが口をつけていなかった。
「いや、いただく」
食べた始めた二人は食べ慣れた様子で紅葉のように苦労することもなく、やはり小さい口で少しずつ食べていく。
「お前らは食べたことがあるのか?」
「私たちの食生活は多分お前のものと変わらないと思うぞ」
いくら池宮城の家臣でもそんなにいい生活はしてないんだな。
「同じ家臣の中でも、良家出身でいいものばかり食べている方もいらっしゃるけどな」
相槌をしながら紅葉を見てみるとハンバーガーが崩れかけていた。
「紅葉、中身が落ちるぞ」
「食べているとどうしても崩れてしまって」
確かに、紅葉が食べているハンバーガーは崩れやすそうな形をしている。
「ミキ、マキの食べ方を参考にして食べてみろよ。ほら、口の周りにソースがついてるぞ」
紙ナプキンを使い紅葉の口元をふきとってやる。紙ナプキン越しに触れた紅葉の唇はマシュマロのように柔らかく、それでなおかつ張りがあり俺の指を強く押し返してきた。
「なっ! 何をするんですか。それくらい自分でできますわ!」
紅葉は顔を真っ赤にしている。ミキ、マキも顔が少し赤くなっている気がする。
こういった女の子らしい行動をされると、俺もどうしていいか分からなくなってくる。瑞希が相手だったらこんなことはないだろうが……。
「悪い、気遣いが足りなかったな」
「いえ、気にしてませんわ」
紅葉はそう言っているが、顔の紅潮は一向に治らない。
なんか俺まで恥ずかしくなってきた。
「私はもうこれでいいですわ」
紅葉のハンバーガーを見てみると、半分も減ってなかった。
「遠慮しなくてもいいんだぞ? それとも、やっぱり口に合わなかったか?」
「そんなことはありません。私はいつもこれくらいしかいただきませんから」
女の子ってそれだけで足りるのか? 俺は一セットだけじゃ足りないくらいだからな。
「マキももういいのか? じゃあ、ミキ食ってやれよ!」
「私はそんなに食べないぞ!」
「お前はかなり食うだろう!」
昼休みも弁当とパンを食べてたからな。ワンセットだけじゃ足りないだろ。
「私は昼は食べるが、夜はそんなに食べないんだ。太るからな」
「お前は少しくらい多く食べて身長伸ばせよ」
「奏音、ミキは身長は気にしてませんからそういうこと言ってはいけませんよ」
紅葉が口を紙ナプキンで拭いた後、そっとつぶやいた。てか、紅葉に名前呼ばれたの初めてじゃね?
「いつも残してるのか?」
三人ともそれしか食べないなら、かなり少ない量で済んでしまうだろう。
「量は調節してもらいますが、食べられないときは捨てさせていただいてますわ」
「いいもん食ってんだろ? もったいないなぁ」
最初の食事会の事はあまり覚えていないが、かなりいいものを食べさせてもらったのか?
「もったいないのですか? お金を払って買っているのですから、食べ残してもいいのではないでしょうか?」
「そんなこと言える奴、なかなかいないぞ」
同じ日本にも生活に苦しんでいる人も今日は多いんだから。
「学園の半分以上の生徒は言っていると思うぞ?」
確かにあの学園は金持ちが多いからな。
「じゃあ、そろそろ店を出よう。ここで話し込むのも、庶民の若者がよくやることだが紅葉にはまだ早そうだしな」
紅葉は少しこの雰囲気に慣れたみたいだが、まだ緊張が残っているように見える。
かたずけをして店を出ると、店の前には黒塗りの高級車が止まっていた。
「ここまでか……」
最初はどうなる事かと思ったが、以外に楽しむことができた。
楽しい時間が終わるのは何度体験しても慣れることがない。
「お嬢様、お迎えに上がりました」
正装をしてる初老の執事が車の扉を開ける。
「今日は楽しかったですわ、それではまた機会がありましたらお願いしますわね」
そう言って紅葉が車に乗り込んでいく。最後に紅葉が見せた笑顔は純粋で、どこまでもかわいくて……。俺はこの一瞬の為に今日一日を頑張ってきたのだ、とそう思えた。
「じゃあな」
「今日はありがとな」
ミキとマキも紅葉に続いた。
三人が乗り込むと執事は扉を閉め、俺に一礼すると助席に乗り込んだ。
俺は紅葉達の乗った車が見えなくなるまで見送り、帰宅することにした。
「うぉりゃー!」
覇気まとった掛け声とともに、ミキが俺に向かってボールを投げてきた。日々鍛錬していると自分で言っているだけあって、彼女の投げるボールはそこらの男子が投げるものよりも数段速く、重みがある。
普通ならこうやって俺を一直線に目指してきたボールを受け止めるのが男なのかもしれないが、俺はミキのボールを受け止めるほどの自信がないのでうまくかわすようにしている。
「ぐはっ」
俺の後ろで頑張って受け止めようとした男子が、俺の代わりに餌食になってしまったらしい。これでもう五人目だろうか……。
さかのぼること十五分。今日の体育の授業は三組と合同かつ男女合同でドッジボールをすることになった。このメンバーの担当教師は四人なのだが、授業をするのが面倒くさかったのであろう。一番下っ端である一組女子担当の教師一人に押しつけて自分たちは教官室で話し込んでいる。
それが今回の出来事の真相だ。
「チームは一組対三組でいいな」
一番下っ端と言っても体育教師であることには変わりがない。一々反抗しようなどという生徒は余程の馬鹿でもない限りいない。
すんなりとチーム分けが終わり、さっそくゲームを始める事になった。
相手には当たり前だが紅葉およびミキ、マキがいる。
紅葉はかわすことすら難しい。だから、紅葉を狙ったボールはすべてミキが取り狙った相手に報復を与えている。
紅葉を狙うとか度胸あるな……。あの会長に知れたらどうなるかわからないというのに。
「だぁー!」
「ぐぼっ」
また一人餌食になったか。男でもミキのボールを取るのは至難の技だ。
それだけのリスクがあっても紅葉を狙いたいという男子が後を絶たないのは、それだけ紅葉に魅力があるということだろうか。
普段紅葉は周りの学生たちを会話すらしないので、男子共はこの機会を使って話すきっかけを作りたいのだろう。ごめん。痛くなかった? とか言ってな!
俺はそんなこと興味がなかったので、自分のところに来たボールのみをしっかりと避けて、あとはぼーとしていた。
いつの間にか敵味方共に人数が半分以下になっている。特にこちらのチームは男子が少なくなっていることが嘆かわしい。
「悠木、お前は私のボールを何度もかわすんじゃない!」
声のした方に目を向けてみると、ミキが怒気を張らせている。
俺は気付かないうちにミキのボールを何度かかわしていたらしい。
でも、ドッチボールでボールをかわされたからって怒るなよ! そういうゲームだろ?
「喰らえ!」
ミキは今まで力をセーブしていたのか、今までより速い球が俺を襲ってくる。
「喰らえって言われて素直にくらう奴がいるかよ!」
いくら速くても、しっかりと見ればかわせないボールじゃない!
「がはっ!」
俺の後ろにいた男子が餌食になってしまった。
「こいつ」
ミキは俺を当てられなくて、地団駄を踏んでいる。
そんな俺たちを見てミキの後ろで微笑んでいる紅葉とマキ。
「いけー、いけー!」
こいつらもかなり楽しんでるし。
一組の仲間たちまでも悪乗りして、ミキにボールをパスしてやがる!
「悠木なんてやっちまえ!」
これって俺をいたぶるゲームでしたっけ?
「ぶごっ!」
顔面にミキの渾身のボールを受けた俺はその場に倒れこんだ。女子は顔面なしだというのに、男子はありなので俺は当たったことになる。
「よし!」
ミキはガッツポーズをした後、紅葉とミキとハイタッチをしている。
「よくやった!」
「悠木なんてこれくらいされなきゃ、割に合わないだろ」
「いい気味だぜ」
うぉーい、君たち同じチームだよね? ひどくない?
結局、このかなり盛り上がったゲーム(俺にとっては最悪のゲーム)は、俺以外に八人の犠牲者を出して幕を閉じた。
朝学園に行くとクラスの雰囲気がいつもと違っている。何故か皆席を立って騒いでいるではないか。
「瑞穂、おはよ。この状態はなんだ?」
皆の輪の中に入っていなかった、瑞穂に挨拶ついでに聞いてみる。
「そこそこ。机が一つ増えてたんだって。転校生が来るんじゃないかって皆話してるよ」
「お前はあの輪に入らなくてよかったのか?」
いつも瑞穂と仲良くしている娘も輪の中に入っているため、瑞穂は一人になっているのだ。輪の中に入って話してくればいいと思うが。
「穂乃香ちゃんの宿題がまだ終わってないから」
そう言って恋愛小説を俺に見せてくる。また穂乃香ちゃんに薦められたな。彼女はいろいろな人に本を薦めているらしい。
「今日中に読んで返そうと思ってるから」
ハードカバーのその本はまだ半分くらいあるようだ。瑞希ってそんなに本読むの速かったか?
「まあ、頑張ってくれ」
それ以上続ける会話内容もなかったし、瑞希も目を本に戻したので俺は席に着いた。
「奏音、転校生だってよ!」
「そうらしいな」
今度は周が輪の中から飛び出して俺のところに来た。
「なんだよ、そっけないぞ! あ~、そうか。嫁さんが決まっている奏音君には、興味のない話だったね」
嫌味ったらしいな!
「お前は穂乃香ちゃんがいるだろ! それに女子だって決まったわけじゃないんじゃないのか?」
「絶対に女子だね! それも絶品の!」
「どうしてそんなことわかるんだよ?」
職員室に見に行った奴でもいたのか?
「見た奴はいないが、俺のアンテナは美少女のオーラを感じた!」
周はワックスでツンツンにしている髪の毛を指差している。
「へー、それって触手だったんだな」
「ちげーし! 触手じゃねぇーし!」
まあ、冗談は置いておいて。
「あっちの女子は男子だって言ってるみたいだが?」
「ちょ、おまっ! 親友の言うことじゃなくて、あいつの言うことを信じるのかよ!」
「別にどっちも信憑性はないんだろ? それに親友とか言うなよ、虫唾が走る」
腕をさするジェスチャーをすると、周が泣きそうになっている。
「俺のハートは今、ズタズタになったぞ! どうしてくれるんだ!」
「はいはい。すみませんでしたね」
こいつはこうなると面倒だからな、放っておくのが一番。
「彼女ができると、友達付き合いが悪くなると言うが本当なんだな……」
周は遠い目をしながら自分の席に帰っていった。
することもなくなったので、席についてぼーっとクラスを眺めている。ほとんどの奴らはまだ転校生の事で騒いでいるが、さっきよりは減ったようだ。
まあ周がさっきの女子と転校生の性別について言い合ってるのを、周りの奴らが騒ぎ立てているだけみたいだが。
今度は瑞希を見てみると、さっきの恋愛小説を集中して読んでいる。瑞希はポニーテールの活発な女子という見た目なので、本を読むのは意外なのかもしれない。前にあいつの部屋に行ったときに恋愛小説だけで本棚三つ使っているのを見たが、そんな瑞希の部屋は誰にも想像できないだろう。
瑞希自身は、穂乃香ちゃんに比べたらまだまだだよ! 、とか言っていた。そんなこと言ったら、穂乃香ちゃんの部屋は本だけでいっぱいにならないだろうか?甚だ疑問である。
今度、周にでも聞いてみるか。
もうHRの時間になった。しかし教師はまだ来ない。転校生がいると何かとやることが多いのだろう。さっきからずっと瑞希を見ていたのだが(別に好きだから見ていたわけではございません、とだけは言っておきたい)、かなり面白かった。瑞希は気付いていないが、面白い場面になると頬笑み、悲しい場面になると目じりをハンカチで拭く。瑞希を見ているだけで、今どんな場面かが理解できるのだ。
でも見ていて思ったが、そんなに場面の変化が激しい本なのか? 数十ページで面白い場面と悲しい場面を二回は行き来していたぞ?
なんだかんだで、待つこと十分。やっと教師Aがやってきた。
「おい、席着けよ! 欠席にするぞ!」
えっと、だんだんレベル上がってませんか?
「この雰囲気だとお前らも知っていると思うが、今日転校生が来た」
「いぇーい!」
「美少女! 美少女!」
「イケメン! イケメン!」
クラスが異様な雰囲気を醸し出している。
「てめーら黙れや!」
ドスのきいた声で、生徒を黙らす教師A(女)。クラスは一瞬で呼吸音一つしなくなった。
「はい、転校生君入ってきなさい!」
ガラガラっと音がした後入ってきたのは男だった。
あいつ、どこかで見たぞ?
「やったー! イケメンよ!」
勝負は女子の勝利になったようだ。周はもう興味がなくなったと見えて寝始めた。
「今回転校してきた、河原林玲央だ。以後よろしく」
「河原林っていうと、池宮城、花山院と並ぶ財閥の?」
「そうだな。私は河原林の時期会長だ!」
なんというか、気の早い奴。
「ってことは、この学園には二つの財閥の御曹司と御令嬢がいることになるの?」
「二つ……? そうだな、この先どうなるかはわからないが。さて教師よ、私はどこに座ればいいのかね?」
教師Aに対しても大きな顔をするが、彼女は何も言わない。権力の犬め!
「後ろの席が空いているから座りなさい」
「わかった」
玲央は席に向かって歩き出したが、俺の席の前で止まった。
「君はこの前の。このクラスだったのだな」
「どこかで、会ったか?」
確かにあった気がするがどこだったかな?
「このクラスはこの学園で一番頭がいいクラスと聞いたが、君がいるなら大したことなかったみたいだね」
「知り合いだっけ? んー、人違いじゃないかい?」
こんな印象に残る奴覚えてないはずがないだろう。
「お前は悠木奏音だろう。私を忘れたと言うのか? あんなにも邪魔をしてやったのに!」
邪魔? 邪魔なんかされたか? されたなら余程小さい邪魔だったんだな。
「土曜日にスーパーで邪魔をしてやったじゃないか!」
「あーあーあー、あの時の。そういえば、おばちゃんに大人気の野郎がいたな」
「やっと思い出したか! 私は紅葉さんがいるからこの学園に転校してきたのだ。お前は紅葉さんとお付き合いをしているらしいな? 立場をわきまえないか! 私が彼女を幸せにするのだから!」
はいはい、もう勝手にして。
放課後になった。今日一日玲央に付きまとわれた俺はもうクタクタだ。
奴ときたら休み時間になると俺のところにやってきては、自分の自慢をずっとしている。その上、トイレにまでついてきやがった。
「お前は何がしたいんだよ!」
「私の目的はお前を紅葉さんと別れさせることだ。だから、お前に私の素晴らしさを教えて敵わないと思わせることで別れさせようとしてるのではないか!」
別にお前の素晴らしさとか知りたくないし。
「お前は誰に俺と紅葉が付き合っていると聞いたんだよ?」
「誰って? 池宮城の会長に聞いたんだ。あの人は俺がせっかく婚姻を申し込んでやったのに、紅葉さんには付き合っている人がいるから無理だとか言いなさる。自分の立場をわかってないんじゃないか?」
やっぱり会長かよ! ってか、こいつはなんで会長を下に見てるんだ?
「立場ってどういうことだよ?」
「あまり公表してはいけないことだけどな、今池宮城は傾いているのだ。私の力を貸してやる代わりに紅葉さんをくれと言っているのに断る? どうしたらそんな考えができるんだろうな」
あれだけの規模の池宮城が傾いている? それが本当だったら、この国は大変なことになるぞ! 少なくとも数十万人規模で仕事を失う人が出てくるだろう。
「私が池宮城を吸収して世界最大の財閥を作り上げるのだよ! できた暁には、お前を雇ってやらないこともないぞ?」
「別に雇ってほしくないし」
なんでこいつの下で働かねばならんのだ!
「後から後悔しても遅いからな! それで? 紅葉さんを私に渡してくれる気になったか?」
「本人に聞いてみろ。それでいいって言われたならいいんじゃないか?」
俺ら付き合ってないしな。
「そうかそうか。紅葉さんが私を認めないわけがない! これで池宮城も私のものだな!」
一緒にいて恥ずかしいほど大声で笑い始める玲央。こんな奴に付き合う理由もないし、さっさと帰ろう。
鞄を持って何も言わずに教室を出ようとすると、玲央が俺の前に回り込んで静止を求めてきた。
「待て待て。私の話はまだ終わってないぞ!」
こいつ、まだ続けるつもりかよ!
「お前のすごさはわかったから、もう帰っていい?」
「だめだ! 今から私の仕事での功績を教えてやる。心して聞け!」
聞きたくねぇーし!
「あっ!」
タイミングの悪いことに紅葉達が教室から出てきたところに鉢合わせした。
「これはこれは、紅葉さん。今日もいつもながらお綺麗で!」
「ありがとうございます。奏音、この方はお友達ですか?」
「違う。付きまとわれてるだけだ!」
「紅葉さん、私ですよ! 以前に何度もお会いしましたよ」
玲央はそう言うが、紅葉は首をかしげる。紅葉が首をかしげたときに髪がサラサラと流れ、フローラルなスズランの香りが漂ってきた。
紅葉のような金持ちになれば、香水とかシャンプーとかはすごくいいものを使ってるんだろうな。
「この方は河原林の御曹司ですよ」
どうしても思い出せない紅葉に、耳打ちして教えるマキ。結構金持ちは会う機会があるんじゃないのか? 覚えておけよ!
「河原林様は、別の学園に通われていたのではありませんでした事?」
さっきまでとは違い、少し緊張した様子で玲央に言った。
「紅葉さんに会いたくなりましてね、私は転校してきたのですよ。そうそう。貴方のお父様からお聞きしたのですが、紅葉さんはこいつと付き合っているのですか?」
こいつと言ったところで俺を指差す。
「私と奏音が? そうなのですか、奏音?」
紅葉の頭の上に?が何個も浮かんでいる。
「俺に聞くなよ!」
「もしかして二人は付き合っていないのですか? なら、話は早い。紅葉さんは今日から私の婚約者です」
「えっ! なぜ私が貴方の婚約者にならなければなりませんの?」
紅葉の当たり前の疑問を玲央は理解できないようだ。
「私が紅葉さんと結婚したいからですよ」
「紅葉はどうしたいんだ?」
困り果てて、俺の方を見てきた紅葉の気持ちを聞いてみる。
「私はまだ学生ですし、貴方の事もよく知りません。急に婚約者と言われても……」
「私なら貴方を幸せにできますよ」
ミキ、マキは俺に目で合図を送ってくる。助け船を出せということだろうか? 仕方ない、今回くらいは助けてやらんとな。
「俺は紅葉と付き合ってないとは言ってないぞ! 今は俺がいるんだからそういうこと言うのはやめてくれないか?」
付き合っているとも言ってないが……。
「何を今さら! 君たちが付き合っているようにはとても見えないぞ!」
何をもって付き合っているように見えないと言っているのかわからないが、当たっているのは紅葉の事が好きだからできる技だろうか?
「じゃあ、どうしたら信用してくれるんだよ?」
「そうだな……、ではデート風景でも見せてもらおうじゃないか」
そんな理由で俺は紅葉との二度目のデートをすることになった。
さて、今回はどうしようか? 紅葉が喜ばないようなところに行ったら、紅葉の事がわかっていないって玲央に言われてしまうかもしれない。
「紅葉は行きたいところはあるか?」
「いいえ、特にありませんわ。奏音に任せます」
はい、来た! 一番困る返し! 俺に紅葉が喜ぶことなんてわからないぞ!
「早く行き先を決めないか! 紅葉さんを待たせるんじゃない!」
こいつはうざいなぁ。ん~、よし。決めた!
「じゃあ、買い物に行かないか? 最近何か欲しいものはない?」
「そうですね」
「お嬢様が欲しいものがあれば、すぐに用意しますから買いに行く必要なんてありませんよ」
紅葉ほどのお嬢様になると、買い物すら自分でしたことがないのか。
「じゃあ、洋服を見に行かないか? 紅葉がどういう服が好きなのか興味あるし」
「でも私、あまり買い物したことがありませんのでよくわかりませんわ」
「気にしなくていいって! とりあえず、こっちにいい店があるから行こう」
俺は歩き出そうとして、ふと思った。俺が紅葉の彼氏なら紅葉の手を握って歩いたほうがいいのだろうか?
紅葉の方を見てみると歩き出さない俺を不思議そうに見てきた。
「どうしましたの?」
「手を繋ごうか……」
言っていて恥ずかしくなってきた。紅葉も恥ずかしかったのだろう。うつむき無言でうなずくと手を差し出してきた。
紅葉の手は赤ちゃんの肌のように柔らかく、ずっと握っていたいと思ってしまう。
しかし、紅葉の手を握ったのは失敗だと気付いた。手を繋いでいるということはそれだけ距離が近くなることを意味する。紅葉の髪からはスズランのいい香りはするし、美術館に飾られていてもおかしくないであろう石造のように整った美しい顔は近くにあるし、その上紅葉の呼吸音まで聞こえてくる。
俺の速くなった鼓動が手を握っていることで紅葉にばれていないか、顔が赤くなっているかばれていないかが心配で仕方がなかった。
紅葉を連れて行ったブティックは、前に瑞穂と穂乃香ちゃんに連れてかれた店だ。ここら辺では一番お洒落で若者に人気がある店らしい。
俺たち二人のすぐ後ろにミキ、マキが、その後方三メートルに玲央がいる。玲央は何も言わずに俺たちをずっと見てくる。すごく気になるんですけど!
店に入るとそこには色とりどりのかわいい洋服が並んでいる。
「紅葉は普段どういった服を着ているんだ?」
「私の普段の洋服ですか? お屋敷ではだいたいワンピース、パーティならドレスです」
何というかイメージ通りだな。紅葉のドレス姿はかなり様になっているだろう。一度お目にかかりたいものだ。
「ならワンピースを見てみよう。紅葉が着ているのはやっぱりレースがたくさん付いたようなやつなのか?」
「いいえ、そういったものはパーティのドレスで着ますので、普段のワンピースはシンプルなものですわ」
紅葉の話を聞きながらワンピースを眺めていると、紅葉に似合いそうな薄いオレンジ色の落ち着いたワンピースが目に付いた。
「これなんて、似合うんじゃないか?」
「私にこのような大人らしい洋服が似合いますか?」
紅葉は少しこの服を着ることに自信がないらしい。紅葉ならどんな服を着ても似合うと思うのだけれどな。
「とりあえず試着してこいよ」
俺がそう薦めると紅葉はミキ、マキを連れて着替えに行った。
「これで納得したか?」
後ろで腕を組んでいる玲央に話しかけてみる。
「確かに恋人らしかったが、お前紅葉さんの事をあまり知らなそうだな? 本当に恋人なのか?」
紅葉と初めて会ってからまだ二週間もたってないんだから仕方がないだろ!
「まだ、付き合い始めて間もないからな。これからいろいろ知っていくんだよ!」
友達としてだけどな!
「なに! では私がもう少し早くこちらの学園に来ていれば、紅葉さんはすぐに私のものになったのか!」
「そうかもしれないな」
お前みたいのとは付き合いたいとは思わないだろうけどな。
そんな事を話しているうちにミキが呼びに来た。紅葉が着替え終わったらしい。
試着室から先ほどの服を着た紅葉が出てきた瞬間、周りの空気が変わった気がした。紅葉がそこにいるだけで周りの空気が澄んでいくような錯覚を覚えたのだ。紅葉の透き通った白い肌とワンピースの淡いオレンジ色の組み合わせがとても美しかった。確かにこの服は紅葉に似合いだろうと思って薦めたが、ここまで似合うとは思ってもいなくて、紅葉を見た瞬間言葉を失ってしまった。隣にいた玲央も同じのようだ。
「似合っておりませんか?」
何も言わない俺たちを見て不安に思ったのだろう。紅葉が心配そうな顔をして尋ねてきた。
「いや、とっても似合ってるよ。あまりに似合いすぎてるから言葉を失ってしまったんだ」
「そんな! 冗談は止してください」
別に冗談で言ったつもりは全くないのだけれど……。
「紅葉はその服は気に入ったか?」
「はい。すごく感じのいい服で気に行ったのですけれど、私には似合わないのではないかと……」
「そんなことはない。とっても良く似合ってる」
なんか、本当の恋人みたいだな。
「そうですか……」
俺たちはミキ、マキに促されさっきいたところに戻ってきた。
その間も玲央は何も話さない。
「おい、玲央! どうしたんだ!」
「私の事を呼び捨てにするな!」
やっと反応があったか。
「どうしたんだ?」
「紅葉さんが美しすぎて我を失っていたよ」
確かに美しかったがそこまでとは、おぼっちゃまは耐性がないのかな?
そこに紅葉がワンピースから制服に着替えて戻ってきた。
「そのワンピースは買うのか?」
「はい、奏音に褒めていただいたので購入したいと思います」
そのときミキ、マキ、玲央の三人からの視線を感じた。俺に買えってか! そんな金ねぇよと言いたいところだがここで玲央に指摘されたら今までやってきたのが水の泡になってしまう。ここはやむを得ないか……。
「俺がプレゼントするよ」
「いいのですか?」
確か財布の中に隠し財産の諭吉さんがあったはず! えっと、いくらだ? なっ! 一万四千円だと! あったかな……。
財布の中を確認すると小銭を合わせれば足りそうだった。
結局財布の中に残ったのは二十三円。足りたのが奇跡だった。レジのお姉さんには苦笑されたが。
「ありがとう、大切にしますわ」
「どういたしまして。さて、玲央。これで満足したか?」
「呼び捨てにするなと言っているだろう! 紅葉さんとお前が恋人だと認めざるおえないな。でも、私はまだ諦めないぞ! いつか紅葉さんをこの手に!」
こういうと玲央は何時からあったのかわからないが、黒塗りの高級車に乗って消えていった。
今日の午前中は何事もなく終わった。まあ、相変わらず玲央はうざかったが……。
昼休みになると、ミキ、マキに呼び出された。
「なんなんだよ、まだ飯食ってないんだぞ! それに紅葉を置いてきていいのかよ!」
「お嬢様の事は問題ない。信頼できる方に頼んできたからな。それよりもそんなに腹が減っているのか? 一応弁当をお前のも用意したんだが、これでは足りないかもしれんな」
そう言ってミキが出してきた重箱のような弁当箱。すみません、足ります。いえ、多すぎです。
「どうしたらこのサイズの弁当を一人で食べきれるんだよ!」
「男子はたくさん食べるんだろ? 料理長に頼んだらこれぐらいないと足らないって言うから」
「ちなみにその料理長さんは男性?」
「女性だ」
男もそんなに食べないって教えてあげて!
「本題に入っていいか?」
マキはが少しいらだっているように感じた。
「早く入ってくれ。そして早く帰してくれ」
「そんなに早く帰りたいならこの弁当はいらないな?」
ミキが残酷に言い放つ。
「欲しいです。弁当欲しいです。何時まででもここにいますから!」
「じゃあ、一生いろ! それで本題なんだが、玲央はどうしてる?」
ミキとマキは自分たちの弁当を開いた。
「玲央? 玲央がどうしたんだ? 奴は昨日とかわらんが?」
昼休み入ってすぐに俺のところに来るものだから、奴を巻くのが大変だった。
「昨日の捨て台詞が気になってな。何かやってくるんじゃないかと……」
「特に何も考えてないんじゃないか? そんな素振りはなかったぞ?」
それにどんな方法があるって言うんだ? 親にでも頼むのか?
「何時どんなことをしてくるかわからないからな。旦那様も言っていたぞ、河原林は花山院とは違い注意してもし足りないと」
「そうだ、今までどれだけ池宮城の傘下の会社を狙われたことか……」
あの滅茶苦茶の会長にそう言わせるのだから、河原林は相当なものなのだろう。
「何かやってくるとしても、どうしろと言うんだ?」
奴がやってくることなんて検討もつかない。
「とりあえず、奴が何か不自然な行動をしたらすぐに我々に知らせてくれ!」
「何かができるわけではないが知っているだけで違うかもしれないからな」
この真剣な雰囲気の中では心配しすぎだろとは言えなかった。
「でも、奴も紅葉の気持ちを無視してまではやらないんじゃないか?」
玲央が本当に紅葉の事が好きなら紅葉の気持ちは無視できないだろう。
「奴の言動からお嬢様の事を思っているように感じたか?」
「……まあ、何も起きないさ」
そんなはずはない。
「そんな話はやめて飯にしようぜ。何が入ってんのかなって!」
弁当の中を見て驚かずにはいられなかった。ミキ達の弁当の中身は普通だったので、この重箱弁当も中身は普通だと思っていたのだ。しかし、中から出てきたのはデパートのおせち料理よりも豪華な料理の数々! 金粉とか振ってあるし!
「どうしたんだよ、この弁当!」
「だから、料理長がこれくらいの量が必要だって言うから」
「そうじゃねぇ。何なんだよ、この料理は!」
「こんな質素じゃ嫌だったのか? 屋敷の料理を食べたことあるからってそんなに口は肥えないだろ」
そういう意味でもない。こいつらはわざとやってるんだろうか?
「なんでこんなに豪華なんだよ! お前らの弁当と違いすぎだろ!」
「料理長がお嬢様の彼氏ならこういったものに慣れておかないといけないからって言って作ってくれたんだ。感謝こそされても、キレられる理由なんてないと思うぞ?」
彼氏じゃないってお前ら知ってるだろ! 弁当の量と一緒に料理長に教えろよ!
「俺が言いたいのはなんでお前らとそんなに違うのかってことだよ」
「それは私たちはただの使用人で、お前はお嬢様の彼氏だからだろ?」
二人して何当たり前の事を聞くんだという顔をしている。
「わかったよ。じゃあ、この弁当皆で食べないか? 俺一人じゃ食べきれないからさ!」
ミキ、マキは顔を真っ赤にして俺が望むならとOKを出してくれた。なんで顔を赤らめるんだよと思ったがその理由はすぐに明らかになる。
ミキ、マキが俺の弁当のおかずを取って二人して俺に向かって突き出してくるではないか!
「お前ら何がしたいんだよ!」
そう聞きながらもやろうとしていることなどわかっている。
「男と女、それに弁当ときたらやることは決まっているだろう? こっちも恥ずかしいんだ。早く食べてくれないか? それとも言わないとだめなのか?」
だめとかそういうことじゃなくて、根本的に間違ってるだろ! 俺たちそういう関係じゃないよね!
「「あ~ん」」
周囲の視線が刺さる。女の子二人に何をさせてるんだといった感じだろう。別に俺が望んだ事じゃないよね?
両側から箸を突き出され、俺に逃げ場はない。俺は諦めて口を開けると、二つの異なるおかずが同時に放り込まれた。味が混ざってよくわからないんですけど!
「おいしいか?」
「おいしかったよ」
俺がそう言うとミキ達は愁眉を開く。でも、この料理って料理長が作ったんだよね? お前らが気にしなくても……。
俺はそんな恥ずかしい昼食をなんとか食べきった。あの重箱弁当を食べきれたことに自分でも驚いている。
「ふう、何とか食べきったな。おいしかったって調理長に伝えてくれ!」
「わかった。それでは玲央のことは頼んだぞ!」
昼休みに玲央のことをミキ達に頼まれたが、特に気にする必要がなかったらしい。俺が教室に戻るとすぐに寄ってきて、いつもながら自慢話を始めた。
よくもまあそんなに自慢することがあるな!
奴の自慢話を聞かなくてもいい授業中がこんなにも嬉しく感じたのは、生まれて初めてであろう。
「奏音君、最近大変そうだね。噂を聞くよ」
何の前触れもなく、現れたのは穂乃香ちゃんだった。栗色をしたショートカットの髪は紅葉の様に見惚れるほどではないにしろ、すごく似合っていてかわいいという印象を受ける。周にあれだけのアタックをしていなければ、告白を受ける機会も多いだろう。本人がいいのなら何も言うことはないんだけどな。
「周のところに行かずに、俺のところに来るなんて珍しいな」
穂乃香ちゃんは俺らのクラスに来たら、ずっと周にべったりしている。結構よくやってくるので、周と穂乃香ちゃんの仲は知れ渡っている。
「今日はちょっと、奏音君に用事があるの。明日って開いてる? 一緒に遊びに行かない?」
「なんで俺なんだ? 穂乃香ちゃんには周がいるだろう。あいつもあれで穂乃香ちゃんの事を気にしてるんだから、他の男と遊びに行ったりしたら泣くぞ?」
泣くまではいかないかもしれないが……。
「いいの! 今は周君の事は置いておいても。周君との時間はいつもしっかりと取ってるから」
しつこすぎるくらいに付きまとってるからな!
「ん? 奏音、どうしたんだ? 穂乃香も来てたのか」
教室に入ってきた周が俺たちのところにやってきた。
「それがな、穂乃香ちゃんが明日遊びに行かないかって俺を誘うんだよ。俺は周と行けって言ってるんだけど……」
「別に穂乃香が奏音と行きたいなら行ってくればいいだろう。別に俺の事を心配する必要はない!」
そう言って教室の前の方を見た周の顔には動揺の色が見えた。平然と振る舞っていても、動揺していることがばればれだぞ。
「ごめんね。今度絶対に埋め合わせはするから!」
「別に気にしてないし……」
気にしてる様にしか見えませんけど!
「じゃあ、明日の午前十時に駅前の噴水のところに集合ね」
また、あの噴水ですか? いくらこの街の一番の待ち合わせスポットだからって、週一で待ち合わせするのはどうよ?
「あそこは嫌なの? それなら、家にまで迎えに行ってもいいけど?」
「すみません。それは勘弁してください」
「じゃあ、噴水に集合ね!」
穂乃香は周に一度抱きついてからクラスを出て行った。見てるこっちが恥ずかしくなるからそう言うのは公衆の場でやらないで!
周も恥ずかしかったみたいで真っ赤な顔をしている。周りの男子は目を真っ赤にして周を睨みつけていた……。
俺は今、駅前の噴水のところに来ている。時間は八時半。集合時間まではあと一時間半ある。前の待ち合わせのとき、マキに男は早く行くのもだって言われたからな。穂乃香ちゃんはまだ来るはずはないが、待っているのは悪いことではないだろう。
そして当たり前のように十一時半。集合時間を一時間過ぎた。なぜ、俺は待ちぼうけをいつも喰らうのだろうか?
プルルル!
携帯が鳴り始めた、相手は穂乃香ちゃんだ。用事ができて来れないとかそういった内容だろう。
「もしもし?」
「もしもし。奏音君、何やってるの?」
「穂乃香ちゃんを待ってるに決まってるだろう!」
自分から呼び出しておいて待っているのに、何やってるのはないだろう!
「奏音君、待ってるのはいいんだけど、もう少し周りに気を配ったら?」
「何の事を言っているんだ? とりあえず来てくれないかな?」
「だ~か~ら~、奏音君は後ろを見てよ!」
後ろ? 後ろに何があるって言うんだ?
振り返ってみるとそこには噴水が……、って当り前だろう! 噴水の前で待ち合わせなんだから!
「後ろには噴水しかないぞ!」
「そうじゃなくて、噴水の向こうを見てよ!」
噴水の向こうだと? 何があるっていうんだよ!
仕方なく言われた通り見てみると、そこには心細そうに駅の時計を見ている一人の少女がいた。ポニーテールの彼女は化粧によって大人らしく見え、長いまつ毛が心細そうにしている顔をより一層寂しそうに感じさせてならなかった。
「はぁ」
彼女はグロスの塗られた潤いのある柔らかそうな唇を開きため息をした。彼女のはいた息はグレーの空に昇っていく……。
「あれは……」
「気付いた? ずっと待ってたんだからね! 謝ってね!」
そう言うと、穂乃香ちゃんは電話を突然切る。はぁー、そういうことかよ!
「待たせたな、瑞希」
瑞希は俺の顔を見るとさっきまでの一人寂しそうな表情を一変させ、ぱっと花が咲いたように笑顔を見せてくれた。
「穂乃香ちゃんからどこまで聞いてるんだ?」
穂乃香ちゃんの事だ、何も知らせずに呼んだに違いない。
「今日、奏音ちゃんがここに来るから一緒に楽しんで来てって言われて……」
俺が思ったより情報を渡されているようだ。ってことは、これは瑞希からしたら完全に俺の遅刻になるのでは?
「今回は俺が遅刻しちまったからな、どこか行きたいところはあるか? 瑞希の行きたいところだったらどこにでも連れてってやるぞ!」
「行きたいところ? ん~、急に言われても……」
瑞希は何か意見を絞りだそうとしているのだろう。真っ白い空に目を向けながら片手を頬に当てながら考えている。
ん? そういえば、瑞希の誕生日はもうすぐじゃなかったか?
「瑞希、誕生日って来週じゃなかったっけ?」
「えっ! そうだけど、覚えてたんだ……」
ここ何年もおめでとうすら言わなかったからな、そう思われていても仕方がない。俺だって何かしてやりたいとは思わなかったこともなかったんだぞ?
「よし! じゃあ、ちょっと早いが瑞希の誕生日プレゼントを買いに行こう!」
「ええー! そんないいよ! 悪いよ!」
「気にするなよ。それで何か欲しいものはあるか?」
瑞希はあわて驚き、真剣に考えだしたがなかなか欲しいものが見当たらないらしい。
「そんな無理に欲しいものを見つけなくてもいいけどな」
「……奏音ちゃん……」
「ん?」
小さな声で呼ばれた。
「奏音ちゃんが……」
俺が何なんだ?
「……奏音ちゃんと遊びに行く時間が欲しい……な」
「なんだ、そんなことでいいのか? じゃあ今日は思いっきり遊ぼう!」
「うん!」
少し雲の残る青空の下、俺はかなり久しぶりに瑞希と遊ぶことになった。
遊ぶと言っても俺たちはもう高校二年生。昔みたいに公園で遊ぶわけにはいかない。とりあえずウインドウショッピングでもしよう。どこに行こうか? どうせ瑞希に振っても意見なんて帰ってこないだろうし、勝手に決めてしまおう! と言うことで、俺はまず昼飯に行くことにした。
「そろそろ腹の減る時間だろう? 何か食べたいものはあるか?」
「え~と、そうだな~」
今日の瑞希はどこか変だ。いつもは俺と一緒にいるときはこんなに優柔不断じゃないのに……。見た目だって化粧はしてるし、着飾っているし。いつもの活発な雰囲気の瑞希とは全然違っている。何と言えばいいのだろう、何かいつもより女の子らしい瑞希がそこにいる。
瑞希がこんなんじゃあ、俺もどうやって接していいかわからなくなってしまう。
「特に無いのか? それなら俺が決めるぞ?」
「じゃあ、お願いしようかな」
お願いされてしまった。さて、どうしよう。ここで選択を誤ると、この先がきつくなってしまう。今日は始まったばかりだし、冷静な判断が必要だ。
「じゃあ、あそこのオープンカフェに行こう」
あそこの評判はいいみたいだし、無難なところだろう。と考えて行ったのだが、それは間違いだったみたいだ……。何故か自分たちの座った席の周りはカップルばかりだった。瑞希は相変わらず口数が少ないし、どこを見たらいいかわからないし、かなり気まずい。周りから見たら俺たちもカップルに見えてしまっているのだろうか?
「奏音ちゃん、何を注文するの?」
お? 瑞希から話しかけてきた、と思ったらそこにはウエートレスが立っていた。いやいや、言ったのは瑞希だけどね。
「瑞希は何にするか決めたのか?」
「うん、私はこれにしようと思って」
指差したのはサンドウィッチ。じゃあ、俺も軽めのを頼まないといけないな。
しかし、メニューを見ていて面白いのが目に付いた。
『チョコレートチャーハン』
いろいろ突っ込みたいことはあるが、なぜオープンカフェにチャーハン? チョコレートを入れたからいいのだろうか? 需要はあるのだろうか? やばい、チョコレートチャーハンの事しか考えられなくなってきたぞ!
「じゃあ、チョコレートチャーハンで!」
言ってしまった。ウエートレスだって本当に? 聞き間違えじゃない? って顔をしている。おい、そっちが出してるメニューだろ! そんなに驚くなよ!
ウエートレスは三回確認した後、やっと離れて行った。
「奏音ちゃんって昔からそういうよくわからないもの食べるよね?」
「なんか興味が湧くじゃないか。今食べないと一生食べれないかもしれないしな!」
そして持ってこられたチョコレートチャーハンを見て俺は驚愕した。チョコレートチャーハン、それは普通のチャーハンの上にドロドロのチョコレートがあんかけの様にかかっている。
これを俺に食べろと? 見ただけで心が折れてしまった……。瑞希も乾いた笑いをしている。
恐る恐る一口食べてみる。塩コショウの聞いたチャーハンに、甘ったるいチョコレートが絶妙で……、そんなわけはなかった。チャーハンの塩気がチョコレートの甘さを強調していてかなりくどい! 食べ物で遊んでるとしか思えないぞ!
「瑞希、一口食べてみないか?」
「丁重にお断りさせていただきます」
どうしよ、瑞希も食いたくないと言ってるし、でも残すのはいけないと思うし。とりあえず飲み物で流しこもうとしてみるが、ドロドロのチョコレートがなかなかそれを許してはくれない。
半分くらい食べ終わった時点で、瑞希はサンドウィッチを食べきっていた。もう、食べたくない。俺は残っていた水を一気に飲み干して、瑞希に行くぞと告げた。
伝票はもちろん俺が取り、レジに向かった。最近出費が激しくてあんまり出したくないんだけど、ここは仕方ない。俺は貯めていたお年玉を切り崩し、会計を済ませた。
「いくらだったの? 自分の分は出すよ?」
瑞希はそう言ってくるがここは払わせるわけにはいかない!
「いいよ、気にするな。それよりも今からどうしようか?」
聞いて気付いた。これは今日の瑞希には聞いては行けなかったこと。なぜ、俺はそれがわかっていて何度も聞いてしまうのだろう?
「とりあえず、歩きながら決めようよ」
瑞希から意見が帰ってきた。これはきっとチョコレートチャーハンの力だな。あれは無駄じゃなかったんだ!
俺たちは瑞希の提案通り、とりあえず街を歩いて見ることにした。これは俺が最初に考えていたウインドウショッピングと同じなのでは? 困った時のウインドウショッピングか……。
いつも歩いている街なのに、こうやって歩くととても新鮮に感じる。ショーケースに映る、雲ひとつない青空の下にいる俺たちは楽しそうに笑ってる。普段は目にもとまらなかったお店の中に、少し古ぼけたアクセサリーショップがあった。
「この店知ってるか?」
「知らない、こんなお店あったんだ」
よく街に出て友達と遊んでいる瑞希が知らないのだ。最近できたのか、それとも異次元に迷い込んでしまったのか……。
「入ってみようぜ」
入って見ると薄暗い店内には所狭しとアクセサリーが飾ってある。俺たち以外のお客さんはいなく、腰の曲がったおばあさんがレジに座っていた。おばあさんはいらっしゃいも言わずにずっと俺たちの方を見ている。
店の雰囲気はあまりいいとは思えないが、アクセサリーはかなりいいのが揃っていると感じた。瑞希もこの雰囲気など気にも留めず、いろいろと手に取っている。
「奏音ちゃん、これなんてどうかな?」
瑞希は銀色の落ち着いた感じのイヤリングを耳に当てている。今日の瑞希にはぴったりだと思う。
「いいんじゃないか? 似合うと思うぞ」
「そう? じゃあ、買おうかな」
瑞希は何かを探し始めた。
「どうしたんだ?」
「えっと、値札が見当たらなくて……」
そう言われてみれば、この店の商品には値札が全くない。
「これいくらですか?」
瑞希がレジにいるおばあさんのところまで行って、聞いた。
「一万二千円だよ」
ぎりぎり聞こえるくらいの小さな声でそう言った。
「一万二千かぁ、ちょっと高いけど欲しいな」
いや、高すぎではありませんか? ぼったくりだろ!
「あっ、今一万円しかないや。買えないな」
「俺が出そうか?」
「ご飯も払ってもらったしそこまででしてもらえないよ」
確かに俺の財布は悲鳴を上げている。
「じゃあ、値切ろう。このイヤリング一万円になりませんか?」
「ならん!」
さっきはあんなにぼそぼそ言っていたのに、今ははっきりと言ってきた。
「うん、今度来るからいいよ」
瑞希はそう言ったが、かなり名残惜しそうに店を出るまでイヤリングを見ていた……。
オレンジ色の空に辺り一面が包まれた。
「今日は一日ありがとう」
「そんな、お礼を言われるようなことは何もしてないぞ?」
「今日は久しぶりに奏音ちゃんといられて嬉しかったから」
幸せそうな瑞希の笑顔を見て、俺まで幸せな気分になってきた。
「そうそう、忘れてた。これ誕生日プレゼントな」
「これは?」
「開けてみな」
小さな包みを俺から受け取り、そっと開いた。
「あっ、さっきのイヤリングだ! いつ買ったの?」
「瑞希が他のを見てる間にこっそりとな」
「でも、これ一万二千円もしたんだよ? もらえないよ」
包みなおし、返そうとしてくる。
「いいんだよ、それに返してもらってもどうしようもないし」
「ホントにいいの?」
「今までの数年分の誕生日プレゼントだと思ってもらってくれ」
「わかった。ありがとう!」
瑞希は金色の空の下で今日一番の笑顔を見せてくれた。




