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第5話

 次の日、学園に行くと何故か学園全体がそわそわしている気がした。俺には分からないが何かがあったのかもしてない。話し込んでいる生徒たちの話に聞き耳を立ててみると、池宮城財閥、河原林財閥といった言葉が聞き取れた。経済で大きな事件でもあったのだろうか? 今日の朝のニュースでは該当するような事はやっていなかった。不思議に思いつつ教室に入ると、俺のところに周が駆け寄ってきた。

「池宮城さんと河原林の事知ってるか?」

 周はそんなことを聞いてくる。やはりあの二人に何かがあったらしい。でも他の生徒たちは財閥の話をしていたぞ?

「いや知らないが。何かあったのか?」

「俺も学園に来て知ったんだけど、あの二人それに池宮城さんのお付きの二人も転校したらしい。なんでも池宮城さんが河原林の奴と婚約したらしくて、河原林財閥の経営している学園に転校したとか」

「は? 何だよそれ、確かなのか? 昨日も紅葉にあったが、そんなこと言ってなかったぞ? それに紅葉は前から玲央の求婚を断っていたじゃないか!」

 玲央の家に行ったときだって面倒くさそうにしていたのに。

「あくまでも噂なんだが、池宮城財閥は経営が傾いていて河原林の奴が援助してやるから池宮城さんを渡せと言ったらしい。確かに前から河原林の奴が池宮城には余裕はないから、池宮城さんが落ちるのも時間の問題だとか言っていたが本当だったとわな」

「つまり、紅葉は家を助けるために嫌々玲央と結婚するってことか?」

「そうだな、政略結婚ってやつだろ。あんな奴と結婚することになった池宮城さんに同情するよ。お前も残念だったな。まあ、奏音には高嶺の花だったんだよ」

「ふざけるなよ」

 俺は頭に血が上り冷静に物事を考えられなくなっていた。

「そ、そんなにむきになるなよ。悪かった、茶化したことは謝るからさ」

 俺の表情が余程怖かったのか、周は尻込みしながら謝ってきた。

「政略結婚だと? 何で紅葉が利用されなくてはならないんだよ! 何でしたくもない奴も結婚しないといけないんだよ!」

 俺の中で何か黒いものが湧きあがってくる。

「奏音落ち着けって! 俺たちじゃあどうしようとないんだよ!」

「池宮城の会長の所に文句を言いに言ってくる」

 俺はそのまま教室から出ていく。

「待てって、今からHR始まるんだぞ!」

 俺は周の言葉を無視して池宮城邸を目指した。


 学園から飛び出した俺は、タクシーを拾い池宮城邸を目指した。池宮城邸は昨日と変わらぬままそこにあり、俺は安堵した。昨日訪れてから24時間も立っていないのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが、そんなことすら信じられないくらい俺の周りの環境が変化してしたっているように錯覚を覚えていた。

 門番に会長に用事があると伝えると、すぐに連絡を取ってくれて中に入れてもらえた。会長は門番に俺が来るかもしれないと伝えていたのかもしれない。

 俺はどこか社長室を思わせる部屋に通された。紅葉の父親は池宮城財閥の会長なのだからこういう部屋があることは当たり前かもしれない。しかし、あの会長からはこういったイメージは受けて取れず、会長は名前だけで下の者にすべて任せているという印象を持っていた俺にはこの部屋は意外だった。

 俺は体重をかけるとずっしりと沈み込むソファで座って待つように言われたので、大人しく待っていた。教室で沸騰した俺の頭はある程度冷めていたので、会長が出てきたら何を言ってやろうかと考え込んでいた。

 会長が現れたのはそれから十分ほどしてからだった。

「やあ、待たせてすまない。仕事のきりがなかなかつかなくてね」

「どうして、紅葉を利用したんですか!」

 俺は会長が出てくるなり、すぐに言いたかったことを会長にぶつける。

「君はそんなことを言いに来たのかね? どうして……か。決まっているだろう、池宮城財閥を守るためだよ」

「貴方は、自分の娘よりも仕事が大事なのですか!」

「仕事は大事だよ。君はまだ働いていないから分からないかもしれないが、とても大事なことだ」

 紅葉の事を考えて、今までにあれだけ俺に危害を加えてきた人だとは到底思えない。会長は紅葉の事を大切に思っていると感じたから俺はここに来れば何とかなると思ったのに。

「仕事のためなら、娘はどうなっても構わないと?」

「そうは言っていないさ。私だって紅葉の事は大事に思っているし、幸せになってもらいたい」

「なら、何で!」

「君はもう少し大人にならないといけないかもしれないね。冷静になりたまえ。私だって娘は大切だ、家族は大切なんだよ? でもね、私は池宮城財閥の会長であり、私たち家族は池宮城財閥で働いているすべての人たちによって生活を支えられているんだ。彼らによって私たち家族はこんなにもいい生活をさせてもらっているのだよ。しかし、今は池宮城財閥の経営は傾いてしまっている。私は池宮城財閥の会長として、私の下で働いているすべての人を守らなければならない。彼らにも彼らの家族と生活がある。経営が苦しくなったからと言って簡単に放り出すわけにはいかないんだ! そして、今回は紅葉で彼らを守ることができる。だから、私は紅葉に玲央君と結婚してもらうことにしたんだ」

 会長の言う事には筋は通っていると思うし、俺も働くならこんな人の下で働きたいと思う。でも、それでも、紅葉を犠牲にするのは我慢ならない。

「本当にそれでいいのですか? 他に方法はないのですか?」

「他に方法があるとでも? もうどうにもならないんだ。私は池宮城財閥で働いてくれている人々を守らなければならないし、君みたいな子供にはどうしようもないことなのだよ。今日まで紅葉と仲良くしてくれてありがとう」

「なら最後に本当のことを聞かせてください。紅葉の結婚についてどう思いますか?」

 俺はこれを聞くことで、紅葉の為に、この家族の為に頑張る活力を得ようとした。

「経営再建のためになるから嬉しい」

 俺はそんな答えを聞くために質問したんじゃない!

「本当にそう思っているのですか? なら経営者としては最高でも、親としては最低ですね。紅葉と話してきます。紅葉の気持ちも知りたいですので」

 俺は会長の部屋を出て、どすどすと歩き紅葉の部屋を目指した。出るときに扉を勢いよく閉めたかもしれないが、それすら覚えていなかった。


「旦那様、彼をお嬢様に会わせて良かったのですか?」

「勝手にさせておきなさい。今さら何もできないだろう」

 会長は平然な表情で爪がくい込むほど拳を握って言った。


 紅葉の部屋の重く大きい扉の前に立った俺は、まず気持ちを落ち着けるために大きく深呼吸を一度した。先ほど会長に怒ったテンションのままでは紅葉に会ってはいけないと思ったからだ。そして俺は、目の前に立ちはばかる扉にコンコンコンと三回ノックした。

「はい、入っていらして構いませんよ」

 昨日と変わらない紅葉の声。俺は心の中に溢れる何かに急かされて、勢いよく扉を開けた。

「何の用かしら、奏音?」

 紅葉は突然現れた俺に驚きもせずに、ティーカップを置きながら言った。そこにはミキとマキいなかった。

「どうして昨日何も言ってくれなかったんだよ!」

 紅葉の元へ歩み寄った俺は少し大きな声で言ってしまったことに後悔した。まだ、先ほどの事を引きずっているらしい。

「言う必要もないと思いましたので。奏音はまだ授業の時間でしょう? 早く学園に戻ったらいかがですか?」

「学園には戻らない。俺は今回の紅葉の転校も婚約も許せないから。紅葉だって今の学園の方がいいだろ? 親の都合で勝手に転校させられるなんて嫌だろ? 会長にそうやって言いに行こうぜ」

 さあ、と紅葉を促すが紅葉は一向に動こうとしない。

「私は今回の一連の騒動に納得していますわ。ですので、お父様に講義する気はありません」

「俺は紅葉に転校してほしくないんだよ!」

「貴方はそんな自分のわがままを言いにここまで来たのですか?」

 紅葉は細めた冷たい瞳で俺を見つめてくる。

「紅葉も同じ気持ちだと思ったんだ。だから俺は紅葉を助けるためにここまで来たんだよ!」

「激しい勘違いですね。自分の気持ちを他人にまで押し付けようとして。しかし、無駄なことです。先にお父様とお話になったのでしょう? 貴方にはどうすることもできないのは分かったはずです」

「だから、紅葉が嫌だってことを伝えれば会長も無理やり転校させたり何てしないと思ったんだよ!」

 紅葉と話せば何とかなると思ったから……。

「手がなかったので私を味方につけようとしたのですね。でも、残念です。私はお父様のお話を納得した上で同意したのですから」

「そんなはずはない!」

「もう、無駄なのですからそれくらいにしていただけませんか? 私を連れ戻すためにここまで来られた行動力には感心しますが、そもそもどうして私をあの学園に連れ戻そうと思ったのですか? 河原林様との婚約に反対するのですか?」

「どうして……? そんなこと決まっているだろう……」

 広く静かな紅葉の部屋に俺の言葉が柔らかく包まれるのを感じた。




「どうして私をあの学園に連れ戻そうと思ったのですか? 河原林様との婚約に反対するのですか?」

 確かに紅葉がどこの学園に行こうが、誰と婚約しようが家庭の事情と言われれば俺には関係のない話になってしまうのかもしれない。でも、それでも俺がここに来た理由は……、

「どうして……? そんなこと決まっているだろう……」

 俺は一息置いて、深呼吸をする。紅葉も息を呑んでその時を待っている。

「俺は紅葉、お前の事が好きなんだ。だから、紅葉には玲央の所に行って欲しくないんだ!」

 俺は紅葉の透き通ったブラウンの瞳を、瞬きもせずに真直ぐ見つめながら言った。紅葉は頬を桜の花弁のように染めて、目をそらした。

「か、奏音にそう言っていただけるのは嬉しいのですが、私はもう河原林様との婚約をしてしまったのです。申し訳ありませんが諦めてください」

 先ほどの照れくさそうな表情から悲しそうな表情に変えて言う紅葉を見て、俺は我慢がならなかった。

「紅葉が望んで玲央と婚約したのなら俺だって諦めるさ。でも、お前は家の為に池宮城の為に婚約したんだろ? 何か他に方法はないのか?」

「ありませんし、私が河原林様と婚約することが最善なのです。それに、奏音には私よりも良い娘がいるはずですよ」

 紅葉はそう言うが、今の俺には紅葉以外の娘なんて考えられない!

「なら、もし俺が玲央との婚約以上に良い方法を見つけてきたならば、この婚約はやめてもらえるか?」

「そんなことは無理だと思いますが、奏音が見つけてくることができたなら、もちろんお父様には何とか破棄してもらうように動いてもらいますわよ。でも奏音、無理はなさらないでくださいね? 河原林様と私が婚約することは前から決まっていたことですので、私も納得していますから」

 紅葉が俺の心配をしてくれることが素直に嬉しい。でも、俺にはやらなければいけない時なんだ!

「ああ、紅葉には迷惑は掛けないさ!」

「私はそういうことを言っているのではなくてですね……」

 まだ紅葉は何か言っていたが、俺はその言葉を聞かずに紅葉の部屋を飛び出した。トンネルの先に光が見えたような気がした。


 紅葉の部屋を勢いよく俺は飛び出したが、実を言うとまだ紅葉を取り戻す手段なんて考えもつかなかった。だから俺は紅葉の事に詳しく、俺の見方をしてくれるであろうミキとマキを頼ることにした。

 まず俺はミキとマキのいる場所を知らなかったので、誰かに聞いてみようと歩いていた。するといいところに一人の若い男が立っていた。

「すみません。紅葉といつも一緒にいるミキとマキの居場所を知りませんか?」

 ラフな格好をしていてここの使用人といった様子でなかったその男だが、俺は勤務時間外か何かだろうと気にせずに話しかけた。

「ああ、知っているとも。そうか、紅葉を助ける手段をあの二人に相談に行くことにしたのか。まあ、いい考えなんじゃないか?」

「えっ!」

 この人は俺が今からしようとしていることを知っていたし、紅葉のことを呼び捨てにしている。明らかに使用人ではなかった。

「申し遅れたね。私の名前は池宮城鳴海、紅葉の兄をしているものだ。それにしても奏音君とか言ったかな? 君は果敢だね。紅葉の為にここまで行動してしまうとは。紅葉からしたら君も、玲央君も代わらないっていうのにねぇ」

 紅葉の兄と名乗るこの男は、口元を釣り上げて静かに笑った。

「俺と玲央が代わらないっていうのはどういうことだ! あいつは家を守るために嫌々玲央と婚約したんじゃないのか?」

「そうさ、だから代わらないって言ったんだよ」

「意味が分からない。どういうことなんだよ!」

 次第に興奮する俺に対し、この男は俺の神経を業と逆なでするように話してくる。

「じゃあ、質問しよう。君は庶民と財閥の御令嬢が偶然出会って仲良くなっていくなどといったことが、この世界で本当にあると思うのかい? そして、その二人の関係を御令嬢の親が認めるなんてことが本当にあると思うか?」

「何が言いたい?」

「つまり、君と紅葉が出会い、ここまで来ることは仕組まれていたってことさ!」

 た、確かに今まで不自然なことは何度かあったが、仕組まれていたと言うには決定的なことが足らない。

「もしそうだとしても、紅葉側のメリットがないじゃないか! 会長の道楽で俺たちを仲良くさせたとでも言うのかよ!」

「そうだな。では、ここで二つ目の質問をしよう。君は母方の親戚に会ったことがあるかな? 母方の名字を聞いたことがあるかな?」

 確かに今まで疑問に思って母親に聞いたら、はぐらかされたな。私はお父さんと駆け落ちしたから、家のことは関係ないとか言ってたっけ。

「ないけど……、関係ないだろう! 俺は悠木奏音なんだから!」

「残念ながら、そういうわけにはいかないんだよ。ではここで一つ昔話をしよう。昔、ある由緒正しい名家に女の子が生まれた。そして、その子には歳が両手で数えられなくなる前には、もう婚約者が決まっていたんだ。しかし、その娘は屋敷で働いていた同じくらいの歳の男と恋に落ちた。すると、その二人は一緒になるために駆け落ちをした。そんなことを彼女の親は許すはずがなくて彼女を血眼になって探した。でも、見つけ出した時には彼女は男の子を身ごもっていたんだ。そうなるとその家の者たちは、後継ぎになるその男の子だけを回収すればよかったから、産んだらすぐに引き渡すように言ったんだ。でも、その夫婦はこの子を連れていかないでくれと泣いて頼む。流石に娘から孫を無理やり引き離すことが悪いと思ったのか、彼女の親たちは条件を出したんだ。今はお前たちが育てていいが、その子が大人になったら家を継がせるようにとね。その話を知った私たち池宮城は紅葉を君に近付けたんだよ、花山院奏音君!」

「……、花山院……?」

「花山院の名くらい君みたいに庶民として育ってきたものでも知っているだろう? 花山院、池宮城、河原林と言えばこの国の三大財閥だ。だから紅葉は河原林の御曹司である玲央君の所に行っても、花山院の御曹司である君の所に行っても代わらないと言ったのさ。結局は紅葉は池宮城の為に使われてしまうんだよ!」

「そんな馬鹿な。俺が花山院の御曹司? そんなはずはない! だって俺は一般家庭で普通に育てられたんだぞ!」

 自分が御曹司などということは到底理解できなかったし、何より紅葉が財産目当てで俺に近付いたとは信じたくなかった。

「だから、お前が庶民として育てられた理由は話してやっただろう? それでも信じられないのだったら親にでも聞いてみるんだな」

「嘘だ。そんなの嘘に決まってる!」

 俺は真相を確かめに全力で池宮城邸を後にした。




 俺が家に着いた時には辺りはすっかり暗くなっていた。玄関を照らす外灯が俺の影を明確にする。玄関の扉は鍵もかけられておらず、いつも通り俺を迎えてくれる。靴を壁にぶつけるかのように勢いよく脱ぎ捨てると、俺は一直線に台所に向かった。そこには母さんがいつも通り夕食の支度をしている姿があった。

「どうしたんだい、そんなに急いで? 夕飯ならまだできてないよ。私の代わりに夕飯の支度をしてくれるのかい?」

「そうじゃないんだ。俺、母さんに聞きたいことがあって……」

 そう言うと、母は分かりやすくがっかりした様な仕草をする。

「なんだい? 私も暇じゃないんだ、早く言いな!」

「あのさ……、母さんって花山院財閥の令嬢だったって本当?」

「なっ!」

 母さんは今までに見たことがないほど驚いて、持っていたお玉が手からするりと落ちた。

「あんたっ、それをどこで知ったんだい! 他の人には話してないだろうね!」

「池宮城の御曹司に聞かされたんだよ! 母さん、本当なのかよ! 俺は花山院奏音なのかよ!」

「池宮城があんたに接触していたの? うかつだったわ、私があの学園への進学止めていれば……」

「嘘だろ! 嘘だと言ってくれよ! なあ、母さん!」

 俺だってこのとき母さんが花山院の出身だという事はもう理解していた。しかし、それは紅葉が俺の家目当てで俺に近付いてきたことを意味する。だから、どうしても認めるわけにはいかなかった。

 ピンポーン

 玄関のチャイムが鳴ったようだ。なんてタイミングの悪いお客様だろう。

「どうやらお迎えが来たようだね。奏音、今まで隠していてごめんなさい。でも、本当の事を知ってしまったあんたはこれから花山院の御曹司として生きていかなければならないの。あんたがもし自分の正体に気付いたら、花山院の家に引き取られる約束だったから……。でも、あんたはどうしたい? こんな話は親たちが勝手に決めたことであんたには受け入れたくないことだろう? あんたが望むなら私たちが全力で守るよ」

「俺は花山院なんて行きたくないよ。どうしたらいい?」

「出てこないなら勝手に上がりますよ!」

 玄関の方からは野太い男の声が聞こえ、足音が近づいてきた。

「とりあえず、裏口から逃げなさい! そうしたら何とかして父ちゃんに連絡を取りなさい! さあ、早く行きなさい。私がここでできるだけ喰いとめるから」

「わかった。行ってくる母さん」

 裏口から飛び出した俺は玄関に何台もの高級車が止まっているのが目にした。これでは正面から抜けるのは無理だ。裏の家の庭を通って逃げさせてもらおう。そう考え、ブロック塀を飛び越える俺。奴らはまだ母さんが喰いとめているらしい。俺の方にはやって来なかった。

 通りに出た俺はさてこれからどうしたらいいだろう? 母さんは父さんに連絡を取れって言ってたっけ。携帯電話は今持っていないから、取り合えず電話がある場所に行くべきだろう。でも、周りに公衆電話がある場所なんて知らない。知っているのは学園の近くまで行かないとない。ならどうすべきか……。知らない民家に駆け込んで貸してもらおうか? いや、そんなこと今日のこの国では怪しまれて断られるだろう。でも、知っている近所の家だと奴らに見つかりそうだ。もう、学園まで行くしかないのか? いや、あるじゃないか! 近すぎず、遠すぎず、俺に電話を貸してくれる家が!

「そうだ、瑞希の家に行けばいいんだ!」

 一直線に瑞希の家を目指す俺。瑞希の家は走って三分くらいの所にある。ここなら問題がないはずだ。

「なっ!」

 俺はとっさに電信柱の影に隠れた。何故かといえば、奴らの車が前の道を横切ったからだ。奴ら、俺が逃げたことをもう知ったのか? 次の角を曲がれば瑞希の家だ。家の中に入ってしまえばもう奴らも見つけられないだろう。

 俺は角に隠れながら奴らの車がないか様子をうかがった。よし! 見当たらないぞ。安全を確認した俺は瑞希の家に向かって全力でダッシュした。もう見えてきたぞ! いいぞ、たどりついた。そしてすぐにチャイムを鳴らす。

「どちら様ですか?」

 瑞希の声が聞こえた。

「俺だ、奏音だ。少し訳があって今追われてるんだ! 中に入れてくれないか!」

「わ、分かったよ。今行くから待ってって!」

 瑞希の戸惑う声が聞こえる。それはそうだろう、突然追われてるから匿ってくれなんて言う奴が現れたんだから。俺は苦笑いしながら扉が開くのを待った。

「奏音様、残念ながら、この家には私たちが張り込んでいました。さあ車に乗ってください」

「やめろっ!」

 後ろから腕を掴まれ、俺は無理やりこいつらの車に押し込まれた。こいつらは素早く俺を車に押し込むと、直ぐに車を出した。そう、扉が開くよりも早く……。

「奏音ちゃん? えっと、どこに行ったの?」

 扉を開いた瑞希に俺は顔を見せることはできなかった。


 車で無理やり連れて行かれた俺は不謹慎だと思いつつも、懐かしい気持ちでいっぱいだった。ここ最近はこうやって強引に連れ回されることな幾度となくあったから。そんなことを繰り返していくうちに俺は紅葉の事が好きになり、この前は告白までしてしまった。以前の俺ならば到底考えられないことだろう。環境って人を変えるんだなぁと思った。

 こんなことをしみじみ感じることができたのは、俺を車に押し込んだ奴らが車の中では大変無礼なことをいたしましたと謝ってきて、飲み物を準備してくれるなどVIP対応をしてくれたからだ。今までの中で一番いい対応ではないだろうか?

 しかし、状況を忘れてはならない。俺は無理やり連れていかれて、これからは家に返してもらえないというのだから何とかしなくてはならない。このままでは紅葉を救うどころか、会えなくなってしまうかもしれないのだから!

 そうしているうちに、目の前に鳥居くらいの大きさの門が現れた。その門がギギギギィと音を出しながら開き、巨大な和風の屋敷と屋敷までの間を埋め尽くす日本庭園が目に入ってきた。

 屋敷の目の前に車を止めると、俺は中に通された。暫く廊下を歩かされて着いた部屋は百畳くらいの和室だった。そこには三メートルくらい開けて、二つの座布団が向かい合わせに並べてある。俺はその一方に座らされ、待つように言って俺をここまで連れてきた奴は部屋を出ていった。

 少しすると障子が開かれて一人の腰の折れた爺さんが入ってきて、目の前の座布団に座った。爺さんは隣に置いてある肘掛に体重を掛け、扇子を開いて言った。

「お主、奏音とかいったかのう。わしは花山院家現当主、花山院かざんいん源重郎げんじゅうろうじゃ。一応、お主の祖父に当たるかのう。聞いていると思うが、お主には花山院家の次期当主になってもらう。話は以上じゃ」

 立ち去ろうとする爺さん。

「ちょっと待ってくれ。俺は当主何かになる気はないし、早く帰ってやらないといけないことがあるんだ!」

 俺の発言を訝しく思ったようで、

「お主の都合など聞いておらぬ。わしはお主の親と約束をしたのじゃ。早く連れて行け」

 と、家来に告げて出ていった。

「おい、待てって!」

「さあ、奏音様。お部屋に案内します」

 強引に爺さんと反対の方向に連れていかれる。

「やめろっ! 俺はまだ話があるんだよ!」

 爺さんの家来たちは俺の言葉に聞く耳を持たずに俺を引っ張っていった。


 俺の連れていかれた部屋はこれから俺の部屋になるそうだ。そこは何十畳もある和室で高価な壷や、掛け軸などもあり俺の部屋にしていいのかと不思議に思うくらいの部屋だ。しかし、この部屋は俺を閉じ込めておくのが目的であり、部屋の外には何人もの見張りが付いている。トイレすら一人で行かしてもらえない。

 俺はこんなところで軟禁されているわけにはいかない。早く紅葉の問題を何とかしないと玲央の所に嫁いでしまう。俺はどうしてもそんな姿を見たくないから、何とかして阻止しなければならない。そのためにはまず家に帰らなければならないのだが、爺さんがそれを許してはくれない。

「はあ、俺はどうすればいいんだ? 結局、紅葉は俺の財産目当てで俺に近付いてきたんだもんな。俺は紅葉の事が確かに好きだが、紅葉は俺の事を好きなわけではなかったんだ。俺は玲央の所に行って欲しくないと言っているけど、紅葉からしたら俺も玲央も同じなんだろうか?」

 ぶつぶつとこんなことを言っている俺は、見張り達からしたらさぞかし不気味だっただろう。ひそひそと外で話しているのが聞こえてくる。そりゃ、こんな急激に環境を変えられたら誰だって慣れるまでは不安定になるかもしれない。そう思うなら俺を元の家に帰してくれよ!

 俺は近くにあった壷を持ち上げて、力の限り壁に叩きつけた。

 パリィーン!

 壷の割れる音が部屋中に響き渡った。

「奏音様どうされましたか?」

 音を聞いて、外で見張っていた奴らが一気に中に押し寄せてきた。

「はあっ、はあっ、はあっ。うるさい! はあっ、出ていけ! お前たちには関係ない!」

 俺は今までぶつけることができなかった怒りをこいつらにあたり散らした。

「すみません。しかし、このままでは危ないですのでお掃除だけさせてください。今、やらせますので!」

 俺はこいつらが慌てるのを見て、逆に落ち着いていった。見張りの体制が崩れている今なら、逃げ出すことができるのではないだろうか? 俺は全力で外に走った。

「奏音様! 何をっ! 奏音様が逃げられたぞ! 捕まえろ!」

 俺の見張りの中で一番偉いと思われる奴が叫んでいる。その声によってかなりの人が集まってきた。俺は見つからないように逃げながら外を目指した。

 入口の門の所まで走ってきたが流石に門は閉じられていた。靴を履かずにで走ってきたので、白い靴下が茶色と赤で染まっている。かなり痛むが、今はそんなことを気にしている場合ではない。俺は見張りの少ない所を見つけ塀によじ登り脱出を目指した。

しかし、こんな屋敷では警備体制が完璧で直ぐに見つかってしまう。

「ここにいらっしゃったぞ!」

 人がどんどん集まってきたが何とか塀の反対側に降りた。よし、何とか脱出できたぞ。問題はこれからどうやって逃げるかだ。このまま歩いていたら、追手に見つかってしまうのは確実だろう。

「おい、奏音! こっちだ」

 声のする方を見るとそこにはマキとミキがいた。

「どうしてこんなところに?」

「それは後で話す。とりあえず車に乗れ!」

 こいつらが準備したであろう車に乗って何とか花山院の屋敷を後にした。


「申し訳ありません。奏音様に逃げられてしまいました」

「まあよい。奴は必ず戻ってくるからな」

 その時の爺さんの表情に家来たちは薄氷を踏む思いだった。

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