ずるい。ずるいよ(向日葵16)
「何だ、藤原かよ」
鉛色のTシャツに膝下までのカーゴパンツ姿の高宮は、機嫌が良さそうだった。相変わらずの短い茶髪に両耳のピアス。サンダルを履いた足が徹より一回り大きい。
「一人で秀才君は、塾帰りか」
「徹君に何絡んでるのよ」
徹が口を開く前に、有理が高宮の厚い胸を叩く。高宮は面長の顔ににやけた笑いを浮かべ、強引に有理の肩を引き寄せた。その手慣れた仕草が、心のどこかを苛立たせる。
徹は眼を逸らしたまで二人の脇をすり抜けようとすると、不意に高宮が足を出した。思わずよろけて、濡れたアスファルトに手を付く。
「藤原どうした。転んだのか?」
とぼけた高宮の言葉に徹が無言で立ち上がりかけたその時、乾いた音がした。徹が見上げると、有理が高宮の頬を張っていた。
有理の黒い瞳は怒りに燃えていたが、高宮は怯まなかった。むしろ威嚇するかのように、太い首から上を有理に近づける。
「俺はこいつが気に食わないんだ」
「ふざけないで」
毅然とした態度であった。だが徹は、有理の薄黄色のTシャツが高宮と同じブランドであることに気付いていた。
(いいんだ、高宮のいうことが正しい)
(俺と高宮の相性は最悪なんだ)
徹は心の中で呟きながら、二人を眺めていた。
高宮は何か言いかけて、不意に下唇を舐めた。徹に向き直ると、どこか馴れ馴れしい調子で声を掛けてきた。
「藤原ぁ、お前、有理に惚れてるだろ」
獲物を見つけた蛇の目だった。薄い唇が歪んでいる。
「残念だったな。今まで俺達が何してたか教えてやろ――ぐはっ」
がつっ
有理が、高宮の脛を思い切り蹴飛ばした音だった。
有理が大股で徹に近付き、その右腕を取る。有理の艶やかな黒髪からは、いつもの金木犀に似た匂いに混じってシャンプーの匂いが微かに漂ってきた気がした。
「徹君、行こう」
有理は徹の右腕を引っ張ると強引に歩き出す。高宮を振り返りもしない。
「藤原ぁ、俺の質問には答えないのかよ、お前その女に惚れてるだろ」
嘲る声が後から浴びせられた。
ひゃはははは。
高宮は追いかけて来なかったが、その嘲笑が徹の胸を刺した。
徹は、黒髪の少女に引っ張られながら夜の街を抜けた。
(そういえば、五月に有為と歩いた道だ)
その時は何が咲いているかなど気にも留めなかった道沿いの家には、徹の肩ほどもある向日葵が並んでいる。夜の向日葵がフライング・モービルの影絵のようだった。
「――あたし、男の趣味悪いよね」
徹の右手を握ったまま、ぽつり、背中越しに有理が口を開いた。もはや握る手に力は入っておらず、歩みも遅くなっている。
「中学のとき大失恋したんだ。一つ上の先輩を好きになって、お約束みたいに先輩の卒業式で告白して」
有理は夜空を見上げながら話していた。
距離を置いて設置された古びた街灯以外に、辺りを照らすものはない。少女の声は徹に届くか届かないかで、周囲の暗がりに溶けていく。
「自信あったんだと思う。それが、弱くて守ってあげたくなる子がいいって、断られて」
道端からは、秋の虫の音が聞こえてくる。蝉の季節も終わりだ――そんなことを頭の片隅で考えながら、有理の言葉に耳を傾ける。
「トラウマだったんだね。高宮に、俺が守ってやるって言われたときは、あたし恋してるって思って」
有理は、うわ恥ずかしい、などと言いながら足元の何かを蹴ろうとする。軽くバランスを崩して徹の手を引っ張ると、有理は不意に手を繋いだままであることに気付き、小さな声を漏らしてその手を放した。
徹は黙って次の言葉を待っている。
「徹君、何か喋らないの」
有理は無言の反応に口を尖らした。が、徹には話すべき言葉が見つからない。
「何で自分のことって、うまくいかないんだろうね」
有理は、今度は足元の小石を蹴ることに成功した。小さな音を立てて暗がりに石が消えていく。
夜は人を正直にする――誰の言葉だったろうか。
今日の有理はいつもと違う。昼間の有理はどう言ったらいいのか、奢りも媚も無い自然体の魅力に溢れているが、今の有理は危なっかしい。
「ねえ徹君、聞いてる?」
再度の問いかけに、徹はつい、心の隅に引っかかっていたことを口にしてしまった。
「なあ、さっきのは本当なのか?」
有理が小首を傾げる。
「高宮が、今まで俺達が何してたか教えてやろうか、って」
言った途端、強い後悔の念に襲われる。
有理が溜息をついた。手を自分の腰の後ろに組んだまま徹に向き直り、寂しげな笑顔を浮かべる。
徹は、今更ながらに自分の気持ちに気付いた。
「クイズ。この中で一つだけ本当のことがあるから。一.荻原有理は高宮にホテルに誘われたけど何もしなかった。二.荻原有理はもう高宮武のことを好きじゃない。三.あたしの……」
有理が唾を飲み込んだのがわかった。
「三.荻原有理の特技は嘘を付くこと」
いつしか有理の家のすぐ近くまで辿り着いていた。
有理は泣き笑いのような表情を浮かべ、徹の返事を待っている。五月の有為の癇癪を起した表情と、今の有理とが心の中で二重写しになる。
徹は夜空を仰いで深呼吸した。こんな展開になるなんて、今朝起きたときは想像もしていなかった。
徹はもう一度深呼吸すると真直ぐ有理を見た。
「オギワラユリ、俺と付き合ってくれ」
有理が呆然とした表情になり、すぐに顔が歪んだ。
「徹君、ずるい。ずるいよ」
そう、自分はずるい。
質問に答えないのがずるくて、相手の弱みにつけ込んで告白するのがずるくて、言いっ放しでここから立ち去ろうとするところが、救いようが無くずるい。
おやすみ――そう言って徹は有理に背を向けた。
自分でも最低だと思った。耳元には、高宮の声がこびり付いている。
そしてまたコーラの水割りを飲む日が続き、徹の夏休みは終わった。
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