7.シンカ2
研究所の中を自由に歩いていいといわれ、食後、散歩を始めた。
見たことないものばかりで、シンカはわくわくする。
シキは途中で面倒くさくなって、部屋で寝るといいだした。
「また、お酒?」
ミンクがあきれる。
「ミンク、口うるさい奥さんになるとシンカに嫌われるぞ。」
「奥さんじゃないもん!」
顔を赤くしながら怒る。
「シキ、本当に体調には気をつけろよ。もう年なんだからさ。」
シンカは知っている。あの、山岳の村に入る前、ニ人で話した時、シキの瞳に、少しにごりが出てきているのをみた。
だんだん、視力が落ちてくるはずだ。喉にも痛みを感じていのではないか。
体調が悪いから、部屋に帰るって言っているのか。
「お前!人を年寄扱いするなよな!」
シキは笑いながら、シンカの首を腕で締め付けてふざける。
この、楽しい時間が続くといい。ミンクはつくづく思っていた。ミンクは十七歳。シキは三十五歳。
平均寿命で言うとミンクに残された時間は後二十三年、シキにいたっては十五年しかないのだ。
シンカは、特別だから分からないけれど。・・だから、この楽しい時間が続けばいい。
ロスタネスもきっと、そう思ったんだな。
短い人生を嘆くより、みんなが哀しい思いをしなくていいように、精一杯自分にできることをして生きようとしたんだ。
だから、あんなにいつもちゃんとしていて、かっこよくて綺麗で、素敵だったんだ。
シンカは知らないけれど、私の目標は、いつも彼女だった。
ロスタネス、私がシンカを守る。あなたに代わって、精一杯。
そこで、ふと、アストロードでのシンカのぬくもりを思い出し、頬を赤くした。
「ミンク、熱でもあるのか?」
シンカに声をかけられ我に返る。
「ううん。大丈夫。」
シンカに額に手を当てられ、ますます赤くなる。
いつのまにか、シキは部屋に戻ったらしい。廊下には二人しかいない。
「行こうぜ。」
「うん。」
シンカの後を追いながら少女が気付いた。
「ねえ、シンカ、背が伸びてる!」
「そうか、気付かなかった。」
自分とミンクとの差を測って確認しようとするシンカに、ミンクが口を尖らせる。
「私だって伸びてるもん!」
「え?それは気付かなかった。」
笑うシンカ。
二人はふざけあいながら、楽しい散歩を続けた。
「いや、本当に、驚いたよ。ロスタネスの報告で、知ってはいたけれど、まさかあんなに早く傷が治るとは。
レーザー銃で撃ち抜かれた傷が、もののニ分もたたずにふさがるんだ。」
ダンが、他の研究者に話している。
「すごいですね。私も見てみたかったです。」
若い、あの、一番最初にシンカに駆け寄った研究者が興奮気味に聞き入っている。
他の研究員は、それぞれの席から、自分のデスクでコンピューターに向かいながら耳を傾けている。
「君は最近、赴任してきたんだろう?この研究は、確かに過ちから始まったが、だからこそ宇宙で唯一の研究だ。参加できることを誇りに思いなさい。」
ダンが微笑む。
「あ、はい。所長は、これが原因で辺境へ行かれたんですよね。大変でしたね。」
「まあ、帝国が同盟を脱退した今、この研究は急務だ。倫理がどうの人権がどうのという議論はなくなったのだろうな。」
「相変わらずね、ダン。あなたの子でしょ?よくそんな風に話せるわね。」
セイ・リンだった。研究室の入り口を背にして立っている。
「俺の子ではないさ。誰の受精卵だったとしても関係ない。単なる被検体だ。たくさんの中の一つに過ぎない。
ただ、それが成功して、あそこまで育った。ラッキーなことに、皇帝陛下の期待通りにね。それだけのことだ。」
「冷たいこと。」
セイ・リンが腕組みをして眉間にしわを寄せる。そんな表情まで美しい。
セイ・リンは女性にしては大柄であるが、バランスのいい美しい体型をしている。
ふくよかな胸元に、つい目が行く。
「君の子なら別だったかもしれないよ。」
「そうかしら?期待はしてないわよ。」
セイ・リンは赤い髪を翻して、研究室を去る。
警備兵の集まる制御室へと歩きながら、セイ・リンは考えていた。
ロスタネスは、ダンのようには思っていなかった。彼女が倫理上の問題を超えてしまったのも、ダンが手助けしたからだ。
ダンへの想いがあったからだ。ダンは、善良な表情の向こうで残酷な笑みを浮かべる。
実際、ロスタネスの研究を影ながら補助してきた研究者たちにとっては、シンカは家族同然になっていた。
シンカはまっすぐ、素直に、賢く育っていく。誕生日には、研究者も警備兵も集まって、本人抜きで密かに祝ったものだ。
あの若い研究者は、最近派遣されてきたから分かっていない。
ダンにしても、研究が表ざたになって、研究所を追われてしまったから、あの子の成長を見守ったわけではない。
今になって、戻ってくるなんて。
「ふう」
一つ、大きなため息をつく。ロスタネスが、幼いシンカが熱を出して、慌ててここに運び込んだことを覚えている。
デイラの人々に知られてしまうから、できるだけ、研究所に入れないようにとの指示だったが、動揺した彼女は聞き入れなかった。
研究員みんなも、シンカが三日後に意識を取り戻したときは手をたたいて喜んだものだ。
「本人が気付いたら、どうなるのかしらね。ねえ、ロスタネス、本当にこれでよかったの?」
セイ・リンの瞳に涙が光る。
そのとき、不意に研究所に警報が鳴り響いた。
「何があったの!」
セイ・リンは制御室に向かって走り出す。