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第15話 断念(5)

 幸い、庭の手入れをしている間はフォルスがやってくることはなかった。だが、問題は作業が終わった後だった。ナシルがジュダとアビガと一緒に夕飯を食べていた時、どこから現れたのか、フォルスが食事を持ってやってきてナシルの向かいへ座った。幸い、その時にはもう食べ終わっていたので、ナシルはすぐに席を立って逃げ出すことができた。だが、それで終わりではなかった。一体どこやって居場所を突き止めるのか、フォルスはお化けのようにナシルのいる場所へ現れた。そのたびにナシルは逃げ出した。それが何度も繰り返されると、金色の髪が視界に入るだけで、びくっと身を強張らせるようになった。


「はあ疲れた・・・ほんと大変な一日だった」


 ナシルは深いため息をついた。フォルスの姿が目に入るたびに、心臓がひやっとするような感覚に襲われ、そのたびに寿命が縮む思いだった。いまだに胸の奥がズキズキと痛む気がした。


「早く聞かないと」


 ナシルはため息をつきながら空を見上げた。真っ暗な夜空にはキラキラと輝く点が無数に散らばっていて、美しい風景を作り出していた。ジュダにアドバイスされた通り、フォルスに聞きたい気持ちはいっぱいだが、どうしても勇気が出なくていまだに聞けずにいた。


「どう聞けばいいんだろう」

「何のことですか」


 突然声が一つ割り込んできて、ナシルは反射的に振り向いた。


「うわっ!」


 声の主を目にしたナシルは、驚きのあまりつい変な声が出てしまった。これまで必死に避け続けてきたフォルスが、いつからそこにいたのかナシルの背後に立っていたのだ。


「プハハハハ、なんですかその声は」


 ナシルの変な声に、フォルスは口に手を当てて笑った。そして、ゆっくりとナシルのもとに近づいた。

 な、なんでフォルス様がここに。

 フォルスがここにくるなど、想像すらしていなかった。なぜなら、初めて出会ったあの日以来フォルスはここに来なかったから。毎日ここで彼女を待っていたが、一度も姿を見せなかった。そのため、ナシルは今日も来ないはだろうと思ってここにいたのだ。

 ナシルがあまりの驚きに固まっている間に、フォルスはまるでここでナシルと出会った日のように、彼の隣に膝を抱えて座った。


「落ちそうなんですけど、少し横にずれていただけますか」

「え、あ、はい」


 ナシルは無意識のうちに少し横にずれてフォルスが座れるスペースを作ってやった。


「十分です。ありがとうございます」


 フォルスは明るく笑って言った。辺りが裏打てよく見えないが、ナシルの前には彼女の微笑みがまるで昼間に見るかのようにはっきりと映っていた。

 笑うと少し細くなる目。上がった口角。やはり綺麗だ。

 ナシルはうっとり見惚れてしまった。


「そんなにジロジロ見られると、少し恥ずかしいんですけど」

「・・・あっ、す、すみません」


 フォルスの言葉に、ナシルは顔を赤らめて視線を逸らした。慌てるナシルの姿にフォルスはニコッと微笑み夜空を見上げた。


「やはりここはいいですね。空が透き通ってるし、星もよく見えるし」


 フォルスは「綺麗ぃ」と小さく声を漏らした。


「初めて教会に来た日に、ここで見た星が忘られてなかったんです。もう一度来たかったんですけど、用事が重なってしまって、やっと来られました」

「あ、僕がいると迷惑ですよね。席を外させていただきます」


 フォルスと一緒にいるといろんな感情が湧いてきて落ち着かなくて逃げ出したくなった。ナシルは慌てて立ち上がって中へ入ろうとした。


「行かないでください」


 フォルスはナシルの手を掴んで引き止めた。その瞬間、ナシルは驚きのあまり固まってしまった。身体だけでなく、心臓まで凍りついたかのようだった。


「行かないでください」

「・・・・・・」

「もしかして、わたしを避けてるんですか」


 ナシルが何も言わずぼーっと見つめていると、フォルスは不安そうに尋ねた。


「わたしと会うたびに急いで逃げていくのを見ました。やはり、わたしを避けてるんですよね?」


 フォルスの瞳がかすかに揺れていた。


「もしかしてわたしのことが嫌いなんですか」

「いいえ、そんなわけありません」


 フォルスの問いかけに、ナシルは反射的に答えた。むしろその逆です、とナシルは言いたかった。しかし、まだ彼女にそんな言葉を口にする勇気はなかった。


「どうしてわたしを見て逃げろうとするんですか」

「そ、それは・・・」


 ナシルはじっと自分を見つめるフォルスの視線から目を逸らした。

 どう答えるんだ、これ。・・・今それ聞いてみようか。

 今じゃなければ、もうにどと機会はないような気がした。ナシルは覚悟を決めてフォルスの瞳をまっすぐに凝視した。


「一つ聞きたいことがあります」

「なんですか」


 フォルスは首を傾げた。ナシルは大きく息を吸い込んで目をぎゅっと瞑った。


「この前、一緒に歩いてた方は誰ですか」


 聞いちゃった。聞いちゃった。聞いちゃった。

 ナシルの胸が早鐘を打ち始めた。緊張しすぎて、足も手も震えていた。ナシルはぎゅっと目を瞑ったまま、フォルスの返事を待った。


「・・・・・・一緒に歩いていた人って、誰のことですか」


 フォルスは困ったような表情で聞き返した。ナシルは慌てて目を開いた。


「あ、そ、その昨日か一昨日か。偶然ある方と一緒に歩いているのを見ました。黒いスーツを着た人でしたが」

「黒いスーツ・・・あ! ラティスのことですか」


 フォルスは思い出したように手を打った。


「ラティスを見ましたね。ラティスがどうかしましたか。まさかラティスになんかされたんですか」

「いいえ、そういうのではありません。ただ・・・えぇと、それが、あの人とどんな関係なのか気になってて」

「関係って、どういう意味ですか」

「たとえば・・・その、恋人とか」

「・・・はい?」


 フォルスは驚いたように聞き返した。ナシルはそっと視線を逸らしながら言った。


「実は、この前、あのラティスという方がいきなり後ろから抱きしめるのを見ました。それで、恋人なのかと気になって」

「後ろから抱きしめる? ・・・あ! あの時のことですね」


 フォルスは思い出したように、もう一度手を打った。


「その時はわたしが転びそうになって、それをラティスが後ろから掴んでくれただけなんです」


 事情を聞いてナシルは少し安心した。


「それに、ラティスは女ですよ。わたしはそっちに興味がないので、ラティスと付き合うつもりはありません」

「そうですか・・・え、あの人、女なんですか」

「わからなかったんですか。あのデカい胸を見れば、誰でも女だってわかると思いますけど」


 胸という単語に、ナシルの顔がわずかに赤くなった。生まれてからずっと教会で育ってきたため、そういった言葉には弱かった。


「それが、実は遠くから見たのでよく見えませんでした。勝手に勘違いしてしまって申し訳ありません」


 ナシルは頭を下げて丁寧に謝罪した。フォルスは気にしてないとでも言うように手を横に振った。


「わたしとラティスを恋人だと誤解されたのは少し笑えますが、大丈夫です。それより、ナシル様の言いたいことはそれだけですか」

「あ、はい」

「では、今度はわたしから話したいことがあるので、ここに座ってください」


 フォルスは空いている自分の隣を示した。

 話したいことがあるって? なんだろう。

 ナシルは不思議に思いながらフォルスの隣に座った。


「話ってなんですか」

「話したいことっていうか、ナシル様に頼みたいことが一つあります」


 フォルスの声に、ナシルは耳を傾げた。彼女の声の一言も聞き逃さない勢いだった。


「ですから、頼みたいことがありますが、えぇと、それが」


 フォルスはウジウジと落ち着かない様子で、なかなか言葉を切り出せずにいた。

 どうしよう、いざ話そうとすると、言葉が出てこない。

 頭の中でシミュレーションしていたときは、迷いなく「護衛をお願いしたいです」と言う自分を考えたのに、実際にナシルを前にすると、もし断られるのではないかと怖くなって口が動かなかった。


『普通はトラウマです』


 よりによってラティスの言葉が思い出された。襲撃の件がナシルの中でトラウマになっていて、避けられてるのではないか、一緒にいたくないと言われるのではないか、フォルスはそれが怖かった。

 他の人なら表情を見ればどう答えるかくらいわかるのに、なぜかナシル様の表情だけは読めない。

 幼い頃から人の表情を読み取るのが得意だった。顔を見れば、その人が嘘をついているのか、何を望んで、何が目的で近付いてきているのかを見抜くことはそれほど難しくなかった。だが、そんな自分でもナシルの表情だけは読み取れなかった。

 自分を見て笑ったり、優しい笑顔を浮かべたりするが、その裏で何を考えているのかわからない。ただ一つわかるのは、その裏に隠された考えが、自分にとって害を及ぼすようなものではないということだった。しかし、それだけでは聞いてもらえるかどうかわからない。だからこそ、さらに怖かった。どれくらいの確率で断られるのかすら表情から読み取れなくてすごく緊張し怖かった。


「フォルス様、大丈夫ですか」

「はい?」

「顔色が悪いです」

「わ、わたしがですか

「はい」


 ナシルは頷いた。どうやら頭の中の不安が表情に出てしまっていたようだ。

 そう、言おう。断られたとしても、頼んでみるのだ。その方が後悔も少ないはずだ。

 フォルスは心を固めた。そしてナシルの目をまっすぐに見つめ口を開いた。


「ナシル神官様」

「はい」

「わたしの護衛にっ」


 いよいよ言おうとしたその瞬間、フォルスの頭に一つの記憶がよぎった。

 それは二日前、自分を守ってくれたナシルの背中を、ただ無力に見つめることしかできなかった記憶だった。ナシルの服は血に染まり、本来の色を失っていた。全身は傷だらけで、立っているのがやっとで足も腕も震えていたその姿が、フォルスの脳裏に浮かんだ。

 護衛を頼むってことは、わたしのためにまたあんな目に遭ってくださいと頼むようなことだ。それはあまりにも、残酷だ。

 ナシルに自分の代わりに傷ついてほしいなんて言いたくなかった。目の前のこの人が、また自分の代わりに傷つく姿など二度と見たくなかった。そのため、ナシルに護衛を頼むという言葉はどうしても口にできなかった。


「・・・・・・いいえ、なんでもありません。忘れてください」


 そう言ってフォルスは勢いよく立ち上がった。そしてその場から逃げるように教会の中へ戻ろうとした。ナシルに背を向けて一歩踏み出したその瞬間。


「ちょっと待ってください」


 ナシルが彼女の手を掴んで引き止めた。

いよいよ一章の中盤から後半に入ります。

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