第10話 侵入者(5)
10話 侵入者(4)
翌日。ナシルは一日の日課のために礼拝堂に向かっている時だった。一人でゆっくりと歩いていたナシルの方に、誰かの腕がふいに回された。
「ナシル大丈夫かい」
その腕の主は他でもないジュダだった。片手では本を抱えていて、もう片方の手でナシルの肩を組んでいる。
「ジュダおはいよう」
「昨日死ぬとこだったんだって。よくも生きてたな」
「死ぬ
「し、心配!? 俺が? ふざけるな。俺が心配するわけないだろ」
「フッ、そうそう。そういうことにしてやるよ」
ナシルはニコッと笑い、自分の肩に回されたジュダの腕を軽く叩いた。実はナシルは今朝、メフォディから全部聞いていた。ナシルが倒れたと聞いたジュダは、講義中にもかかわらず様子を見にきたのだと。これだけ聞けば、単に講義をサボりたかっただけじゃないかと思うけれど、その後も時間ができるたびにジュダはナシルの容態を確かめにきていた、とメフォディが話してくれた。
「あんたまたきた? ナシルはもう大丈夫だから戻りなさい」
「なんで目を覚まさないんですか。傷はもう治ってるのに。このまま永遠に目を覚まさないなんて、ないですよね?」
「寝ているだけだから、もう出てけ。見習いのくせに、なんでそんなに暇なんだ。わたくしが見習いの時は友達の様子を見にくる暇なんてなかったのに」
様子を見に来すぎてメフォディに追い出されたって聞いた。それでもジュダは飽きもせず、何度もナシルの様子を見に来ていた。
「お前一体何を」
「遅刻するぞ。早く行こう」
ナシルは礼拝堂に足を向けた。フォルスは背後から「一体何を言ってるんだ。俺、全然心配してなかったから」と言いながらついてきたが、ナシルは無視して歩き続けた。
「無視かよ。はあもういい」
諦めたのかジュダはため息を吐き、ナシルの隣に立った。
「そういや、俺あのフォルスって人見たぞ」
「いつ?」
「昨日。お前の看病してたぞ。金髪で青い瞳の子。あれ、お前が言ってたフォルスだよね?」
「うん。多分合ってると思う」
「おや? 反応がなんか薄いな。好きな人に看病してもらったのに、嬉しくないんか」
「嬉しいよ。すごく」
嬉しいとは言うわりに、表情はまったくそうではなかった。
「ところで考えてみると、なんかおかしいんだぞ。フォルスってやつ平民だって言っただろ。普通ただの平民を狙って教会に侵入するか? しかも大神官がいる教会を?」
ナシルは顎に手を当てて疑わしそうに言った。
「もしかしてあの人平民じゃないんじゃない? 貴族とか、偉い人とか。それとも王族かも」
「そうかもな」
ナシルは適当に相槌を打った。実はさっきからジュダの声を聞き流そうとしていた。
「お前今日なんか変だな。昨日まではフォルスって名前を聞くだけでイカれた人みたいに反応したくせに、今日はなんでそんなに静かなんだ」
「・・・・・・」
「うわっ、いきなりなんだよ」
突然ナシルが立ち止まった。そのため、ジュダはナシルの後頭部に顔をぶつけた。
「いきなりなんで立ち止まるんだ」
「ジュダお願いだから俺の前でフォルスって名前を口にするのはやめてくれ」
「え? どういうこと?」
「後で全部話すから、しばらくは俺の前でフォルス様の話は出さないでくれ」
そう念を押してからナシルは礼拝堂の中に入っていった。
「なんだあいつ。急に変だな」
ジュダは戸惑いながら、ナシルの背中をぼんやりと見つめていた。
******
午前の日課が終わった後、ナシルは庭の手入れのため外へ出た。昨日の出来事はあったものの、体はすっかり回復しており、それに罰を免れることもできないため、病床から起きてまだ一日しか経っていなかったが、庭の手入れに出ざるを得なかった。
ナシルは茂みの前にしゃがみ込んで枝を切っていた。
「それは切っちゃダメだって!」
隣で一緒に手入れをしていたアビガが、ハサミで指し示しながら叱った。
「ごめん。注意するよ」
「そのセリフ、もう十回以上は聞いたけど」
「そうだっけ?」
ナシルは茂みの中に手を入れて枝を切った。
「だから、それは切っちゃダメだってば!」
また同じミスをしてしまい、堪えに堪えていたアビガはついに爆発してしまった。
「お前、一体何を考えてるのよ。フォルス様のこと考えてたでしょ」
「違う」
「嘘。教会の中で嘘をつくんじゃない。何考えてたんだ」
アビガが脅すようにナシルの首元にハサミを突きつけた。ナシルは両手を上げて降参の意思を示した。
「わかった。フォルス様のこと考えてたんだ。でも、あんたが思ってるようなことじゃない」
「じゃあなんだ」
「諦めるかどうか」
「え?」
ナシルの言葉に、アビガは目を見開いた。
「諦めるって、どうして?」
「・・・実はこの前これについて大神官様と話してた。大神官様の話を聞いてからそうするべきかなって思ったんだ」
ナシルは少し腰を伸ばしながら、淡々と言った。実はペテールに聞いた話を心に留めていたのだ。教会の信徒やひいては神官たちを正しい道へ導かなければならない運命を背負っているのに、それを捨ててフォルスただ一人のために護衛につくというのは、常識的に考えて間違った選択に違いない。
「ふむ、大神官様に何を言われたかわからないけど、大神官様の言葉に従う方がいいと思う。たとえ理解できないことがあったとしても、教会を導いてる方だから」
「そうかな」
ナシルはぼーっと遠くを眺めながら、呟くように答えた。
「でも、理由はそれだけじゃないんだよね?」
「・・・どういうこと?」
アビガが目を細めてナシルを見据えた。まるで、すべてを知っているかのように素直に話せと言わんばかりの表情だった。
「別の理由があるんだよね? 諦めようとする、本当の理由が」
「何言ってるんだ。そんなのないよ」
ナシルがとぼけると、アビガは再びハサミをナシルの首元に突きつけた。
「さっき言ったよね。教会で嘘をつくのは禁じられてるんだって」
「いや、でも言いたくないことを言えって掟はないと思うんだが」
「わたしたちの間に秘密などありえない。もう十年以上の付き合いなんだろ。だからわたしに全部話して」
「これ脅しだぞ。教会で人を脅しちゃいけないってわかるだろ」
「脅しなんてひどいことを言うね。これはただ聞いてるだけだよ。聞いてるだけ」
ナシルは自分の首を向けている鋭いハサミをちらっと見た。ただ聞いてるだけだと言うにはあまりにも物騒な代物だった。
「わかった。話す。正直に話すから、まずそのハサミどけてくれ」
ナシルの要求に、アビガはハサミを収めた。ナシルは自分の首が無事についてるのか確かめるように首を撫でながら、言葉を続けた。
「昨日襲撃があっただろ。俺が油断していたせいで、フォルス様の頬に傷ができた」
ナシルの言葉に、アビガは昨日メフォディがフォルスの頬を撫でたことを思い出した。
「俺のせいで怪我をして、死にかけただろ。昨日は運が良かっただけで、これからもそうなる保証はどこにもない。だからもう諦めて、フォルス様には俺よりずっと強くて頼りになる人と一緒に旅に出させた方が良くないかなって思って・・・。諦めようと思ったんだ」
「そうなんだ」
ナシルの話を全部聞いたアビガはハサミを地面に置いて言った。
「でもあんたのおかげで無事だったんじゃないかな。もし昨日あんたがフォルス様を置いて逃げてたらフォルス様は死んだのかもしれない。あんたが身を挺して守ってくれたおかげだとわたしは思う。だからそんなに落ち込まなくてもいいと思うんだけど、わたしの話聞いてる?」
「・・・・・・」
アビガの問いに返ってくる返事はなかった。
「あんた何見てるのよ」
「あそこ」
「あそこ?」
「あそこにフォルス様がいる」
アビガはナシルが指さしたところへ顔を向けた。かなり距離が離れていてよく見えなかったが、金髪の少女が悠々と歩いているのが見えた。
「フォルス様っぽい」
「後ろで一緒に歩いている人は誰だろう」
ナシルの言葉に、アビガは目を細めて見た。さっきは草に隠れて見えなかった一人の人物が視界に入ってきた。黒いスーツを着た短髪の人がフォルスの後ろを追うように歩いていた。
「誰だろう」
ナシルは普段教会であのような人を見かけたことがなかった。特に今日は外部の人々が出入りする礼拝の日でもなかったため、そのような服装をした人が教会内を歩き回ることはなおさらあり得なかった。
「まさか男じゃないよな」
距離が離れていて、男なのか女なのか見分けつかなかった。
「アビガあの人、男だよね?」
「さあ、よく見えないけど・・・女じゃない? 胸が出てるようだけど」
アビガはさらに目を細めた。距離があってよく見えないのは変わらないけど、女性の体つきに見えた。
「僕は男っぽく見えるけど」
ナシルは目を細めた。ちょうどその瞬間、突然黒いスーツの人が後ろからフォルスを抱きしめた。それを目にしたナシルは目を見開いた。
「やっぱりあの人は・・・」
「そこの二人。手入れ終わりましたか」
じっと立って同じところを見つめていたナシルとアビガに向かって他の区画の神官が言った。
「すぐ終わらせます」
神官の声に、ナシルとアビガは慌てて再びしゃがみ込んで手入れを始めた。
「もうすぐ夕食の時間なので、できるだけ早く終わらせてください」
「はい、わかりました」
アビガは黙って手入れに集中した。だが、ナシルは別のことを考えていた。
フォルス様と一緒にいたあの人は誰だ。男に見えたけど・・・まさか彼氏なのか。違うと思うんだけど、ああ、わからない。
ナシルはフォルスの後ろを歩く黒いスーツの人が、どうしても気になって仕方がなかった。フォルスとどんな関係なのか、恋人なのか、もし恋人だったらどうしようなど、そんなことで頭がいっぱいになって心が落ち着かなかった。
「それ切るやつじゃないって何度も言っただろ!」
「あ、ごめん」
気持ちが落ち着かないため、ナシルはまた切ってはいけない枝を切ってしまった。ナシルは落ちた枝を手に取り小さくつぶやいた。
「これ、どうしよう」
その一言には、幾つもの複雑な感情が滲んでいた。
続きが気になる方は、ブックマークと評価していただけるととても励みになります。




