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DESTINY―絆の紡ぐ物語―  作者: 花城 亜美 イラスト担当:メイ
第7章 海に揺られて
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12.黒い靄、黒い影

塗り潰す色、染まらぬ色。

 リヴァイアサンを撃破した後、ユスティア・イグニスの船は避難した乗客と彼らを誘導した船員を回収して本来の進路に戻った。アストルムの街を目指し、船は突き進んで行く。

 マルス達はレオギスに呼ばれ、彼のいる船長室を訪ねていた。船長室では彼がフェーナと共に三人を待っていた。

 彼の朱色の髪はまだ濡れたままだったが、服は新しい物に変わっている。


「いやぁ、お前らの力があって良かったぜ。もう誰もリヴァイアサンに襲われる心配をしなくて良い。オレも親父の仇を討てた。本当にありがとな」


 三人の顔を見ながらレオギスは改めて感謝を伝える。


「他の連中も喜んでいたし、あんたらを賞賛してたよ。ほんと、よくやってくれたね」


 フェーナも笑みを浮かべ、他の船員達の様子と共に感謝を伝えた。

 素直な感謝の言葉というのは、何ともくすぐったく感じるものだ。アイクもパルも大した事はしていないと口では言うものの、その表情には隠しきれない嬉しさが滲んでいた。


「皆さんの協力があったからこそ、リヴァイアサンを(ほふ)る事が出来たのだと思います。若輩者で、その上初対面の俺の策に乗ってくださって、ユスティア・イグニスの皆さんには感謝しかありません。何より、俺達の力を信じてくださったお二人には、これ以上何と礼を言って良いか……」


 アイクは感謝の意を込めて軽く頭を下げる。

 船員達が彼の策に賛同し、協力してくれたからこそリヴァイアサンの討伐は成功に終わった。

 そしてそれを可能にしたのは、船長であるレオギスとそのお目付役――後で副船長である事が判明した――であるフェーナが、二人の力を信用してくれたからだ。


「こっちこそ、大したこたぁしてねぇよ。まあ、お前らの力を信用して正解だったな」


 そう返すレオギスの言葉に、傍らのフェーナも頷いている。

 一方、アイクとパルの半歩後ろで、マルスは賞賛を受ける二人を誇らしい表情で見つめていた。

 守護聖霊の力を、そして何より親友二人の強さをよく知っているからこそ、マルスは二人が賞賛されているのが自分の事のように嬉しかった。


 だが、二人を誇らしく思う感情と共に、彼の中には気後れの感情もあった。

 自身が行っていた怪我人の手当てが、無駄な事だとは決して思っていない。敵は強く、手当てを必要とする者は多かった。手当てに回れる人材は重要であり、感謝してくる船員も多くいた。それでも。

 それでも、彼の中にある気後れの感情は消えなかった。


 共に肩を並べて戦いたいと願っていても、自分にはそれを可能にする力がない。

 二人に出来た事が、自分には出来ない。

 この戦いで彼は改めて気づかされたのだ。

 自分が如何に無力な存在なのかと。守護聖霊の力を得ていないというだけの問題ではないのだと。


 それらを自覚した途端、彼は心の中に黒い靄が広がるような感覚に襲われた。

 悔しさ、悲しさ、嫉妬――あらゆる負の色を混ぜ合わせて出来た黒。その黒に引きずり込まれるように、徐々に顔から誇らしさの笑顔が消えていく。自分の視界も黒に塗り潰されていくような感覚すらした。


「……マルス、あんたもよくやってくれたよ。レオがこうして生きて戻って来れたのは、あんたが咄嗟に浮き輪を投げてくれたからだ」


「おお、おお、そうだぜ。あの浮き輪がなかったら、奴と一緒に沈んでたところだ」


 マルスの表情が陰り出したのをフェーナは見逃さなかった。一歩彼に歩み寄り、フェーナは柔らかな声で言う。

 それに続いてレオギスも、彼が咄嗟に取った行動のおかげで救われたのだと伝えた。もっとも、レオギスは彼の表情の変化に気づいている様子はなく、フェーナの言葉で彼に伝えるべき感謝を思い出したようだった。


「あ、いや……オレはそんなに大した事……。あんまり考えないで咄嗟に投げただけだから、レオさんが助かる保証なんてなかったし……」


 二人の言葉にマルスは首を横に振る。

 レオギスが海に落ちて行く時、マルスは彼を助けなければという一心で浮き輪を投げた。だが、浮き輪を掴んだ彼をどう船に戻すかまでは考えられていなかった。

 賢いアイクだったら、それも考えた上で行動しただろう。魔法が得意なパルだったら、もっと早い段階で救助出来ていたかもしれない。

 他者との比較で落ち込んでいる時は、自分のあらゆる行動を他者と比べて過小評価してしまうものだ。マルスもまさにその思考に陥っていた。


「あの状況で咄嗟に動けるのは、十分凄い事だと思う。俺だったら、あれこれ考えてしまうから、ああもすぐには動けない」


 アイクは突発的な考えが浮かんだとしても、それが及ぼす影響など多くの事を考えてしまい、行動として表出するまでに時間を要する。実行した時の失敗は少ないものの、土壇場には弱いのだ。

 反対にマルスは咄嗟の思い付きをすぐ行動に移せる。失敗の確率も上がるが、土壇場には強かった。


「そう、かなぁ……」


「ああ、自信持ちな」


 珍しいアイクからの褒め言葉に対し、マルスは釈然としない表情を浮かべる。

 フェーナはまだ弱気な様子を見せる彼の肩を叩いて励ましてやった。他の三人も彼女の言葉に頷く。


「……ありがとう」


 皆の励ましを受け、はにかむような笑みを浮かべてマルスは感謝の言葉を呟く。

 だが、彼の心にかかる黒い靄はまだ消えそうにもなかった。





 *   *   *





 ユスティア・イグニスの船は、アストルムに向け白波を立てて青の広原を進んで行く。

 上空には灰色の雲がいくつも浮かび、船を追い掛けるように徐々に空を覆っていた。

 その様子を、海に向けて突き出した崖から遠目に見る者がいた。

 黒の衣服に身を包んだ長身の男で、腰には鞘に収めた剣を差している。フードに隠れ、その相貌も表情も窺う事は叶わない。

 彼はどういう訳か水に濡れており、衣服は水気を帯びて黒の存在感を強調させていた。


 フードの影で(はた)からは色が認識出来ぬ双眸は、真っ直ぐに船を見つめている。

 だが、不意に彼は視線を船から自身の背後に向けた。

 その視線の先には、暗い青色の髪と対照的な明るい黄色の鋭い瞳を持つ少年――アヴィス四天王が一人ゼロスが立っていた。


「……ゼロス、か」


 彼の名を呟く男の声は、まだ年若い青年のものだ。


「なぜ奴らを助けた? あのまま放っておけば海の藻屑となったはずだ」


 前髪に隠れていないゼロスの左目は青年を睨み付ける。

 彼の睨みなど意に介さず、青年は視線を船に戻す。崖から見える船の姿は、もう随分と小さくなっていた。


「……ただの気紛れだ」


 青年はそう一言だけ答えた。

 海に落ち、リヴァイアサンに喰われそうになっていたマルスを救ったのは、何を隠そうこの青年だった。

 彼はたった一太刀で巨大な水竜を退け、生死の境を彷徨っていたマルスをユスティア・イグニスに預けたのだ。


「ふん……気に入らないが、ハデス様は貴様を気に入っておられる。だから強くは言えないが……軽率な行動は控えてもらいたい」


「……善処しよう」


 ゼロスはどうにもこの男が気に食わなかった。

 大して表情の変わらない――否、()()()()()()()()()()()()()()自分も、傍からすれば何を考えているか分からないのだろうと彼は自覚している。

 だが、それ以上に目の前にいる青年の考えは読めないのだ。

 そして何より、最も強い忠誠心を抱く自分以上に、青年がハデスに気に入られている事が気に食わなかった。

 刺すような鋭い視線で青年を一瞥すると、ゼロスは不機嫌そうに鼻を鳴らしその場を去った。


 崖は再び青年一人だけとなる。

 不意に吹きつけた海風が、彼の相貌を隠すフードを払い除けた。

 うなじほどまで伸びた艶やかな黒髪が、そして海のような深い青色の瞳が露になる。

 特にこれといった身体的特徴はなく、ヒュム族である事が窺える。

 年齢は成人となる十八歳は超えているだろう。顔立ちは人目を惹きつけるほどに端正だ。

 髪が吹き上げられた事で露になった左耳には、少々ぼやけた金色のイヤーカフがついているのが見える。


 青年は右手で左耳のイヤーカフに優しく触れる。触れてから、グローブに隠れた甲を見るように右手を顔の前に持ってくる。


「―――」


 青年は何かを呟いた。その声は微小で、波の打ち付ける音や海風の音に掻き消されてしまう。

 それから彼は右手を握ると同時に視線を上げた。海色の瞳は遥か遠くに見える船を見据える。

 数秒船を見つめてから青年は海に背を向け、その場を去って行った。


 空はすっかり灰色の雲に覆われ、太陽もいつの間にか姿を隠されていた。

 暗澹(あんたん)とした崖には海風が草木をざわめかせる音と、波の打ち付ける音が響いているのだった。

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